南は自国の領土を広げるために、北は自分たちの独立を守るために争い、多くの人員を投入した。
 人も物資も足りない北に南の侵攻を食い止められたのは、魔法使いを数多く抱えていたからに他ならない。
 抱える魔法使いの人数差が戦力の差である事に気付いた南は、それまで蛇蝎のごとく嫌っていた魔法使いを取り立てて採用し、前線へと送り込み、戦況は南が有利になるかと思われた。
 だが、南が北を征服することはなかった。
 純粋な戦力として、兵器として扱われるのを、当人である魔法使いたちが嫌がり、彼らは中立であると戦場の真ん中で宣言した──魔法使いたちが誰からの庇護も受けない代わりに自由を獲得したこの宣言は、後に『傍観者宣言』と呼ばれて語り継がれている。
 しかし、中立は時に孤立を意味する。
 なので実際に『傍観者』を名乗れるのは魔法使いの中でも実力者だけに限られ、一般の魔法使いたちの手に届かない称号となったのだ。

「ま、君臨とかは知らねぇけど、帝国軍にずっと勧誘されてんだろ? なんでまだこんなとこにいるんだよ、帝国のが絶対待遇いいだろ」
「待遇の問題じゃないですぅ。そんなこと言うアスケロンは『傍観者』の何たるかが分かってませぇん」
「ですが、目下の心配は実際、帝国軍よりも『客人』の方ですよね」
「あー……でも『客人』こそ国境越えてバールバックの方に行っちゃったし、どうしようもなくない?」
 ラザラインに返しながら、マリキヤはやる気なく座りなおして頭を背もたれに預けた。

 この世界に現れる魔物と言えば、術の行使に失敗し、カミと呼ばれる自然の意思に乗っ取られた魔法使いの成れの果てだ。
 『客人』は似たような存在ではあるが、別の世界から渡ってくると言われており、何もない所から出現する場面を目撃されている。強大な魔力を伴いながら出現する為に、尋常でない被害が出るのも特徴だ。
 いわば、魔物は人災であり、『客人』は天災といったところか。

 本来ならば『客人』の沈静化こそ、傍観者を名乗るマリキヤやラザラインが行うべきなのだが、数日前、ヴィルト近郊に現れた『客人』はヴィルトの何が気に入らなかったのか、真っ直ぐに帝国へと向かっていき、そくそくと国境を越えてしまった。
 二人は『傍観者』である以上、帝国領土内で起こった事象には手出しができない。決してやりたくない言い訳ではない。

「いや待てよ、『客人』の方が優先事項だとしても、バールバックは来るんだぞ、明日」
「とは言っても、ねぇ?」
 だだっ広い野っ原にあるヴィルトの村近郊には奇襲に向く地形などないし、かといって背後の森を戦場にする気もない。
「どうしようもないですねぇ」
 のんびりとしたラザラインの一言が、三人総意の結論となった。


 次の日。
 やはり何万とも知れぬ大群で押し寄せたバールバックの帝国軍に、マリキヤは「すごい人数だねぇ」と簡単を漏らす。マリキヤもアスケロンもやる気などなく地面に座り込んでいる。ラザラインは防壁の上で待機しているはずだった。
 三人の装備もなんとも情けなく、マリキヤとラザラインは普段着のままの上に手ぶらで、村人がちょっと外に出てのんびりしている日常風景にしかならない。一応軽装の鎧をつけているアスケロンは鞘に入ったままの剣で地面に落書きなどしているが、抜けば剣としての役割を果たすから良とする。
 隊列を組んで侵攻してくる帝国軍の足取りは重い。三人を見ては足取りが乱れる辺りに軍隊の良心と戸惑いを感じる。
 やがて行軍が止まると、兵を掻き分けるわけでもなく、すっと二人の男が後方から出てきた。きっちりと纏われた甲冑には仰々しい飾りが付けられ、軍の中でも上の位に属することが見て取れた。
「ですが、将軍!」
 二人のうちの片方が叫ぶのを聞きながら、ふわぁとマリキヤは大あくびを一つ。帝国軍の様子を見るからに、すぐに攻撃してくる様子はない。
「相変わらずじゃな、マリキヤ!」
 なんとか引き留めようとする、恐らくは部下を引き連れた将軍とやらに気さくに声をかけられたマリキヤは、馬を降りて歩いてくる将軍を見上げた。
 将軍が兜を脱ぐなりその顔を確認したマリキヤは「あー!」と声をあげてぴょんと立ち上がる。
「うっはカコニスじゃん! え、将軍? うっそだぁ」
「お知り合いですか?」
 けらけらと笑うマリキヤに気を害した様子を隠さず剣に手をかける兵士を、カコニスは手で制した。
「旧知の仲じゃ。許してやれ」
「旧知、ですか……?」
 カコニスが五十に届く壮年のであるのに対し、マリキヤは彼の見た目からどう年齢を高めに見積もっても二十歳に届かない。明らかに三十以上年齢の離れた二人が旧知の仲など、誰が信じるだろう。
 アスケロンとラザラインですら目を丸くする前で、カコニスはがっつり胡座をかいてマリキヤに向き合うように座り込んだ。
「マリキヤ。お主も聞いたとは思うが、今回は『ヴィルトがバールバックに対して放った魔物に対する報復』という建前じゃ」
「魔物なんて好き好んで作るものじゃないよぉ、悪趣味ぃ。っていうかさぁ、バイラさぁ……『傍観者』のこと舐めてない?」
 ふてぶてしく頬杖などついたまま返すマリキヤに、兜を脱ぎ、カコニスの背後に控えるまだ年若い兵士の額に皺がよるが、マリキヤの眼中には入らない。
「はっはっは、たかだか二十を少々過ぎたばかりの小娘に、そうカッカなされるな。
 しかし確かに今回の一件は戯れがすぎるというもの。いくらバイラ殿がお主に熱を上げているからと言って、こんな小っぽけな村にこんな大軍などとは、反省していただかなければなりますまい。
 せめて魔物生産の証拠でもあれば、また話は変わったかもしれませんな」
「待って、カコニス。今なんて?」
「せめて魔物生産の証拠でもあれば、また話は変わったかもしれませんな」
「いや、その前」
「ん? ……はて、何を言いましたか、この年寄りの記憶力を試すなど、意地が悪いにも程がありますぞ」
 彼のその発言が冗談であればまだ救いもあったのだが、マリキヤは残念ながら知っている。これはカコニスという老人の大真面目な発言であると。ついでに付け加えるのならば、若い時からこんな感じだ。
「だからラザラインが提案したんじゃねぇか。お前差し出すのが手っ取り早いって」
 けらけらと笑うアスケロンの手にある剣の、地面につけられた切っ先を蹴り飛ばしてやれば、バランスを崩したそれは彼の手の中で滑って倒れる。柄がアスケロンの額に命中したのを見届けると、マリキヤはガッツポーズを作る。
 アスケロンは抗議しようと口を開きかけるが、さらなる報復を回避するために黙ってそのまま口を閉ざした。懸命な判断である。
「お主、そんなにバイラ殿のことが嫌いか?」
「好き嫌いの問題じゃなくて、信条の問題ですぅ。帝国とか関係なく、『傍観者』は中立・無所属なの」
「ならば問題あるまい」
 マリキヤの答えを聞くや否やにやにやと笑い出すカコニスに、マリキヤの頰が引きつった。
 この狸老人、どうやらバイラの指示通りに戦争を仕掛けにきた訳ではないらしい。
「『傍観者』としての勤め。それには確か、『客人』の無力化が入るはずじゃの?」
「げ」
 吹き出し、腹を抱えるアスケロンの笑い声が響き渡った。

 



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