Being a Spectator



 北の国境付近にある村が魔物による襲撃を受けた――そんな報告を聞きながら、バイラはぎりぎりと歯を噛み締めた。
 帝国バールバックから北上すれば、ヴィルトと呼ばれる小さな村がある。
 元々特筆することの何もないただのちっぽけな村で、帝国領にするにしても労力の方が無駄だとの理由から放置されていた土地だ。やせ細った地では村人の食い扶持を賄うだけで精一杯であろうことに、何の疑問の余地もない。
 だが。そこに移り住む人々が現れたのは、帝国にとって誤算だった。
「奴らよ! 絶対に奴らのせいなんだからっ!」
 彼女が怒鳴り散らせば、報告していたまだ若い兵士が「ひっ」と首をすくめる。
「ヴィルト(あんなところ)に巣食う理由だなんて、背後に森があるからだとしか思えないわ。奴らはそう、見つけたのよ。あの森から力を引き出し、人工的に魔物を作り出す方法を!」
「しかしバイラ様……現地からの報告によれば、今回の魔物は線の細い少年で……」
「何が言いたいのっ!?」
「い、いえ、魔物にするとは言え、兵器として利用するのならばせめて体格のいい成人男性の方が適任なのではと思ったまでです」
 背筋を伸ばしたその兵士はそこまで言い切ると正面を見据え、バイラとは目を合わせようとしなかった。
 彼の言うことはもっとだ。魔物化は言わば自然現象のようなもので、ヒトが関与するようなものではないし、魔物の作り方だなんて今時どんな魔法使いも知っている。それはバイラ本人も理解していることであり、ヴィルトの村に責任があるなどとは、荒唐無稽な作り話だと分かっていた。
 それでもどうしようもなく悔しいのだ。
 あんな場所に、彼を盗られるのが。



「おいマリキヤ。なんか連絡入ってるぞ」
 村の防壁の上で惰眠を貪っていれば、ぼさぼさ頭に簡易な鎧姿のアスケロンが登ってきては、黒い立方体を投げて寄越した。
 ヴィルトは森に近い立地の為に幾度も魔物に襲われてきた過去がある。その度に近くの街と連携して魔物を退けてきたし、その当時は積極的に魔法や魔物の研究にも貢献していた。
 だが、それも昔の話だ。もう一つの街が廃墟となるとヴィルトの街の住民も徐々に減り、今は村などと呼ばれる規模に甘んじている。
 共に魔物と戦ってきた街があの惨状では、この街から逃げたくなるのも無理はない。
 遠くにバールバックの帝国領地を臨みながら、石の壁に背を預けたまま渡された箱を弄ぶ。普段は黒いそれが、赤く妖しげな光を放ち点滅しているのは、どこかから連絡が入っている証拠だ。
 受け取ったはいいが連絡を受けるのは面倒だと宙に投げていれば、それは銀色の輝きを纏って少女の顔を映し出し、少女は勝手に喋り出した。
『マリキヤ・フォン・デル・バルト。一度しか言わないから心して聞きなさい。
 我々バールバック帝国はこの度の魔物による襲撃を受け、ヴィルト及びヴィルトに本拠を構える傍観者に対し、宣戦布告を行います。
 我々の軍がそちらに到着するのは、明日昼――首を洗って待っていなさい』
 通信は相互のはずだったが、少女はマリキヤの返答など待たずに通信を切った。
 銀の光も、明滅した赤も消え、ただの黒い箱に戻ったそれを無言で眺めていたマリキヤだったが、横に立ったアスケロンに放り投げて返すと、ごろりと寝っ転がる。
 本当はそろそろ防壁から降りようと思っていたのだが、気分を害されたのでもう一眠りすることにしたのだ。
「何だったんだ、今の?」
 数多の魔法使いたちの叡智が詰まった箱をキャッチボールにでも使いそうな気安さでもって、アスケロンは手の内に転がした。
「宣戦布告」
「ん?」
「帝国バールバックからの宣戦布告」
 硬い石の床を少しでも居心地よくしようとマントを広げるマリキヤが繰り返せば、ぴきりと凍りついたアスケロンの手からごろりと黒い箱が落ちた。がごんと重い音を立ててそれが転がる。
「あー、それ、結構貴重品なんだけど。壊さないでよぉ?」
「昼寝を決め込んでる場合かーっ! お前はーっ!」
 アスケロンは律儀にも黒い箱を拾い上げると、「そんな貴重品ならお前が握ってろ」とマリキヤに押し付けた上で彼の襟首をぐいと掴む。
「えー、だってさぁ、メンドイじゃん? 相手はバールバックだよ?」
「だから! 余計に! 今! 対策考えるんだろ! 更に面倒いことになる前に!」
「そんなこと言ったってさぁ……」
 アスケロンの、本気でマリキヤをずるずると引きずったまま壁を降りそうな気配を感じ、マリキヤは渋々とその身を起こした。ふわぁ、と気の抜けた大欠伸を一つ。
「人集めてくるから、さっさとお前も来いよ!」
 びしりと突きつけられた指先から逃げるように、マリキヤは壁の外へと視線を動かした。
 ヴィルトに、否、マリキヤに宣戦布告をした帝国。それは静かに火の手を上げていた。


 ゆらゆらと揺れる大気を眺めているのにも飽きたマリキヤは、仕方なくいつもたむろっているアスケロンの家に赴いた。
 入ってすぐに置いてあるテーブルには、既に人が揃っている。「遅いだろ」とマリキヤを小突きにかかるアスケロンと、大人しい微笑みを浮かべている少女である。
 逆に言えば、その二人だけであった。
「それでぇ? この三人でどーすんの?」
 椅子をくるりと回転させたマリキヤはまたがって座り、背もたれに抱きついた。
 魔物からその身を守ってきた堅牢な防壁が誤解を招くが、人口が減り寂れたヴィルトは今やただの村だ。たまに一体ずつ発生する魔物に対する為の装備はあるが、帝国軍に立ち向えるほどではない。それは、今集まっているこの三人がこの村の戦力全て、という事実が言葉よりも明確に語っている。
 一体帝国がこんなちっぽけな村相手にどれだけの軍隊を送り込んでくるつもりなのかは分からないが、まともに相手をしようと考えるよりも白旗の準備でもする方が現実的だろう。
「一番簡単で効率的なのは、マリキヤ様を差し出すことだと思います」
「え、ラザライン、それ酷くない!?」
 にこにこと笑う少女、ラザラインの無情な提案に、がたりと立ち上がったマリキヤは思わず椅子を倒すところであった。
「バイラ・クインベルでしょう? マリキヤ様がお目当てなのは周知の事実ですから、マリキヤ様が手に入れば大人しくなると思いますよ」
 彼女の心もない言葉に、マリキヤは天井を仰いだ。こんな良い笑顔で仲間を人身御供に差し出すとは。
 横で「そうだそうだ」と大真面目に頷いているアスケロンの頭を、マリキヤはがしりと押さえては振る。なにやら手の下から文句が聞こえるが、気のせいだろう。
「何で僕?」
「何故って、数多くいる『傍観者』の頂点に君臨するのがマリキヤ様じゃあないですか。魔導の道を歩むものとして憧れるのは当然です」
 両の手を頬に当ててうっとりと告げるラザラインに、マリキヤとアスケロンの二人は同時に「うげぇ」と心の声を漏らした。




The Story Teller
月影草