狸将軍の筋書きはこうだ。
バールバックの帝国を前にヴィルトは降伏し、マリキヤを人質として差し出す。軍はマリキヤを連れて帝国に引き返しそのまま都を目指すが、途中で野放しになったままの『客人』と接触。マリキヤは本人の主張する通り『傍観者』として『客人』を無力化・保護し、軍を離脱。
あとはカコニスが、『客人』とのどさくさに紛れてマリキヤを逃がしたなどとバイラに報告すれば、それなりに丸く収まる算段だ。
アスケロンとラザラインが諸手を挙げて賛成してくれた為、当事者であるマリキヤには拒否権などないし、『傍観者』としての責務を出されては拒否するわけにもいかない。
馬の手綱を取るカコニスの背にもたれかかり、不機嫌丸出しのむすりとした顔でマリキヤが揺られていれば、「そんなに嫌か」と朗らかな声がかけられる。
「べつにぃ」
「そんなにお主、ヴィルトの村に未練があるわけでもなかろうに。ついでに言えば、今生の別れというわけでもあるまいに」
「そーだけどさぁ」
ぽくぽくと規則正しい足並みで馬は進む。
カコニスの背に隠れているマリキヤには前方など良く見えないが、なんだか蜃気楼が揺らめいている気がする。
「そういえばお主、憑き物はどこかで落としてきたんじゃな」
「ツキモノ?」
カコニスの妙な言葉にマリキヤは顔を上げるが、前方を向いたままのカコニスの表情は見えない。
「気付いとらんかったんか? 細っこくてちんまいのがずっと側に居たに」
「いつから? っていうかもしかしてカコニスって『見える』人?」
恐る恐るマリキヤが確認すれば、「うん?」と理解のない返事があった。
魔法というものは、カミと呼ばれる自然の意思を思いのままに操る力とされている。
そのカミという自然の意識体を見える人、見えない人の二種類が魔法使いの中には存在するが、魔法の行使そのものには無関係なこともよく知られている。
マリキヤの一族は先祖代々見えていたらしいのだが、その力は何故かマリキヤには受け継がれなかった。見える人の報告例は少ないので、親に見えていることを知らなければマリキヤ自身危うく見える人の存在を疑うところだった。
だというのに、見える人が一般人にいたとは、開いた口も塞がらない。
「えぇー、誰だったの、それ?」
平静を装いながら質問を重ねる。乾いた口の中を気にしつつ、マリキヤはべたついた手の平を拭う。
「緊張しておるのか? 銀髪の子供じゃったが……お主と年齢もそう変わるまい」
「フードの?」
「あぁ、被っておった。なんじゃ、知っておるんじゃないか」
ヒトは死ぬとカミになると言われている。
マリキヤはそれをただの言い伝えだと気にかけてもいなかったが、あながちただの夢物語でもないらしい。
つまらん、などとカコニスが呟く間に、人の背よりも大きな岩の陰で馬が立ち止まる。
さっさと馬から飛び降りたマリキヤが岩から顔を出せば、眼下に広がる窪地には轟轟と炎が渦巻き、熱がちりちりと肌を焼いた。
その炎の規模にマリキヤは驚き、『客人』絡みの魔法だと思い出しては納得した。自然の、カミの意思により近いとされる魔物や『客人』が扱う魔法は、ヒトが操るそれよりも格段に強い。
ともあれ炎の中心には今回招かれた『客人』がいるはずなのだが、この位置から存在を視認することはできない。
「これ、どーすんの?」
熱気を避けて岩陰にペタリと座り、マリキヤはカコニスに問う。馬から降りたカコニスは、労うように馬の首を優しく撫でた。
「それを考えるのがお主の仕事じゃろうが」
「そうは言ってもさぁ……」
「今までだって御してきたんじゃろ?」
「この間はどうしたかな……」
『客人』というものは魔物と違い、そうそう現れない。
前回の『客人』出現かゆうに十年は経っている筈で、その前ともなると最早年数を数えることすら億劫だ。
だから前回どのように対処したのかが記憶の彼方に追いやられていたとしても仕方があるまい。
『びっくりする。彼も、カミも。彼がびっくするからカミもびっくりして、慌てちゃう。慌てると出ちゃう。魔法が。カミだから』
朴訥と話す、か細い声がふと記憶に蘇った。
マリキヤの記憶が正しければ、彼は世界を渡ったことがある。
そしてマリキヤに教えてくれのだ。唐突に召喚されるとき、カミは驚愕にその力を暴走させるのだと。
彼は確か此の地から彼の地への召喚だった筈だが、彼の地から此の地も、恐らくは似たようなものだろう。
『客人』が混乱しているから、カミが力を暴走させているのならば、カミを引き離すか『客人』を落ち着かせれば収まる。と、思う。
「カコニス。あそこまで行って一発殴ってきてよ」
「お主、老体を大事にしようとは思わんのか」
「いや全く」
じとりとマリキヤを睨みつけたカコニスは、岩陰から『客人』を見やる。
乾燥した大地には低木がまばらに生える程度だが、渦巻く炎はそれすらも燃やし尽くしたようで、炎が退いた後に見えるのは砂と石ばかりだ。
面倒だなぁと一つ伸びをしたマリキヤは立ち上がると、一つ深呼吸をして宙に手を伸ばした。
魔法陣を描きながら呼びかけるのは水。炎に対抗するには水と相場が決まっているのだ。
「どうするのか決まったのか?」
「とりあえず頭を冷やしてもらおうかなーって」
マリキヤの指が辿る軌跡が、青い光を帯びる。
彼が描くのは水を呼び出す簡単な陣だ。だが、ヒトのそれよりも遥に出力の高い『客人』の魔法に、マリキヤは対抗しなければならない。その為にも、簡単な魔法に全力を注ぎ込まなければならない。
マリキヤの魔法陣を見ていたカコニスの視線がふと、空を舞う鳥を追う。
完成した陣を起動するためにさて、と気合を入れ直したマリキヤの思考から
概念
消え
言葉が
何が
ならない
無理に言葉を出そうとマリキヤは口を開くが、言葉も音も出ない。
カコニスも同じらしく、驚いたような顔をしている。
二人の頭上では、一羽の鳥が旋回している。
言葉を諦めたマリキヤが『客人』を見れば炎の勢いは弱まっており。
「発動しろ!」
ようやく零れた言葉でマリキヤは魔法陣の発動を命ずる。
くすぶっていた火を消して尚余りある水は、『客人』を中心に一体を水浸しにした。
何が起こったのか、とぽかんとした表情で座り込んだ『客人』と、再炎上する気配のない炎を見届けると、マリキヤは「はあ」と息を吐いた。
「今のは……」
カコニスの呟きに答える代わりに、マリキヤは空を仰ぐ。タカよりも丸い影が上空で数度旋回し、森の方角へと飛び去った。
「言葉を乱す魔法だねぇ。言葉を乱して、『客人』の混乱からカミを引き離した」
独り言のように呟きながら、マリキヤはすとんとその場に腰を下ろす。手で顔を覆うと、呻くように声を絞り出した。
「アルル……君なのか……?」
←
The Story Teller
月影草