魔導士は科学を夢見る



 数回瞬きを繰り返したエベルは苦笑して、ユリの横に並び、歩き出す。
「……こんな話して悪いな。よし、話題でも変えるか。そういやお前、何の研究してるんだっけ?」
「あぁ……魔法の研究を」
「そりゃ知ってる。魔法の何を研究してるんだって」
 指摘されて、ユリも苦笑した。
「すみません、言葉が足りなかったですね。魔法とはそもそも何であるのか。どういう理屈で働く力であるのか。それを、研究しています」
 魔法の行使に必要なのは、「自然」を押さえつけられるだけの強い意志力だと言われている。
 ただし、意志力が弱くても強い魔法を行使できる人はいたし、意志力が強くても魔法が使えるとは限らない。
 魔法の行使はどうやら、自分の意思を「自然」に叩きつけるだけではないらしい――最近になってようやく分かったことだ。
 血統によって行使できる魔法が変わってくる、との研究結果もあるが、多少は本人の努力次第でどうにでもなってしまうこともあり、魔法の使えなかった家系に突如魔法使いが現れることもあるため、血筋は関係ないのでは、という見方もある。
 ――結局のところ、魔法の才能というものがなんであるのか、引いては魔法そのものがどうやって行使されているのかは、未だ分からないままだ。
「同じ研究はどこでもやっていますから、そういうグループとは頻繁に連絡を取り合っています。先日来た手紙もその一貫でして……彼らが研究しているのは、厳密には魔法の歴史であって、魔法のなんたるか、ではないんですが」
「歴史? 何だ、魔物化した人の数でも統計取ってんのかよ」
「それはまた悪趣味な……。大体人数の統計なんて取って、何の役に立つんですか」
 苦笑しながらユリが返せば、何かの役には立つかもしれないじゃねぇかとエベルは肩をすくめた。そして、それでと彼はユリに続きを促す。
「彼らが言うのによれば、遥か昔の魔法使いは呪文というものを使っていなかったらしい――『声』を媒介することなく、自分の意志力を魔法の構成だけをもって『自然』に叩きつけていたらしい、ということが証明されつつあるんだそうです」
「それってめっちゃ難易度高くね? 余りの難易度の高さに魔物ばっかり一杯いたとか言うんじゃねぇだろな」
「そんなことは言いませんよ。ですが難しかったことは確かです。ほとんど魔法使いは存在しなかったみたいですからね」
「でも、使えた奴らはすっげぇ強かったんだろうなぁ……」
 エベルは呟いて雲一つない空を見上げた。それは、自分では決して届くことのない高みを見つめているようにも見えた。
「……ってぇことはさ、魔法ってのも進化してるってことか」
「そうですね。最初は一握りの人間しか使えなかった力だったのが、今ではそれなりな人数が使えます。……いつかは、誰もが使える力になるのかもしれないですね。それが、僕の夢です」
「具体案はあるのか?」
「なくはないんですが……実用化するにはまだまだ遠くて。僕自身、あのやり方で成功したことが未だないんですよね……」
「あ、今度俺試したいっ。試させろよ、約束だからなっ」
 突然きらきらとした瞳でエベルにねだられて、ユリは苦く微笑んだ。魔法理論の辺りは適当に聞き流していたくせに、どうしてこういう所にだけ素早く反応するのか。
「本当に新しもの好きですね、あなたは。いいですよ、今度僕の研究に協力していただきます」
「何だよその言い回し。
 で、どんな感じになるんだ? 流石に呪文なしとかは言うなよ、俺には無理だから」
「意外と出来るかもしれないじゃないですか。……いえ、昔のやり方には戻るつもりはありませんけど。
 最初は意志力を、次は声を。媒介するものは『自分』という本質から少しずつ遠ざかっていく。――ならば次は、描くことになると思います」
「魔法陣?」
 エベルの言葉に、ユリは頷く。
 今までに先例がないわけではないが、発動したのが偶然でしかなかったために実用されたことは未だかつてない。発動したことのある陣を解析しようにも、古すぎて細かな所があやふやだ。
 呪文よりも安全な魔法を求めて、一体何人の魔導士たちがこの研究に挑み、挫折したことだろう。ヒトの文字をつかって呪文をいくら書き連ねた所で魔法は決して発動せず、呪文とは別の何かが必要らしい、ということまでしか分かっていない。
「魔法陣が主流になれば、魔物化は抑えられるのか?」
「可能性はあると思います。確実にとは、言い切れませんけど」
 そっか、とエベルが嬉しそうに笑う。
 確実さよりも、まずはその「可能性」があることが重要なのだ。
「……空気、変わってきたな」
 ふと空を見上げて、ぽつりとエベルが呟いた。
 彼らがいつも慣れ親しんでいる乾いた空気は、気付けば湿り気を帯びていた。それだけ森に近づいた、ということだ。
「そうですね」
 数秒遅れで空気の変化に気付いたユリも、短く答えて表情を引き締める。
 これだけ森に近づいても異変を感じないのは、二人が魔法の行使をしていないからか。
「今日の方針は?」
「魔法、使わない方向で」
「珍しいですね。エベルは派手に魔法を使うのが好きなのだとばかり思っていました」
「いや、今日は気が向かないんでね」
 ユリがくすくすと笑えば、エベルもにやりとしてみせる。
 森へと近づく一歩一歩を踏みしめる度に、緊張が高揚へと変わっていく。もはや二人は恐怖など感じていない。
 今の彼らにあるのは、何かしらを掴もうとする決意だけだ。

 森に入る前に彼らは顔を見合わせる。無言で頷いて――一歩足を踏み入れた。
 打ち合わせすることなく二人は自然と背中合わせになり、歩を進める。
 茂みの合間から飛び出してくる小動物。聞こえてくる鳥の囀り。その見えるもの、聞こえるものの全てが、ここに流れる時の優雅さを示している。
 森が魔物化に関与しているなど、デマかもしれない。
 エベルとユリがそう思い始めた頃、彼らは少し開けた場所に辿り着いた。
「……何も、なかったな」
「なかった、ですね」
 一通り見回して、彼らはほっと息を吐いた。
 安心すると今まで警戒してきたことが馬鹿らしくなって、思わず笑みを零す。どちらが笑い出したのが先だったか――森の中には二人の笑い声が響いた。
「あーあ、あんだけ無茶言って出てきたのにさ、なぁんにもないとか拍子抜けだぜ」
「何もないことはいいことですよ。もっとも、研究している身としては良くないですけどね」
 でも、と神妙な顔をしてエベルが言う。
「……やっぱりさ、ここって空気おかしいと思うんだよな」
「そうですか……僕にはよく分からないです。でも言われてみれば確かに、空気が重いような気もします」
 重いねぇ…、とエベルはユリの言葉を口の中で反復し、納得がいかないというように眉をひそめた。
「重いっていうか……甘ったるい香りがする」
「甘い……?」
 言われても分からないユリは、ただ彼の言葉に首を傾げるだけだった。周囲を見回せば確かに白くて小さな花が木々の細い枝に咲き誇っている。
 甘い香りは恐らくその花からだろう、とユリは結論づけた。
「なぁ、魔法試してみてもいいか?」
「多分、大丈夫だと思います」
 何を試す気なのか計りかねたユリは、戸惑いながらも頷く。
「いくぜ」
 にやりと笑って、彼は魔法を構成を開始する。「風」が変わったのは、その時だった。
「駄目です、エベルっ」
 ユリが叫び、異変に気づいたらしいエベルは、発動させる前に魔法を中断する。
 森を歩き回っていた時以上の緊張が、二人の間を走る。
 息をひそめ、足音を殺す。二人はまた、背中合わせになっていた。
「正解、みたいだな」
「逃げ切れますかね?」
「魔法なしでか?」
 エベルがごくりと唾を飲み込む。ユリは冷や汗が背を伝うのを感じていた。
 魔法以外の対抗手段など、彼らにはない。けれどその魔法が「魔物」を引き寄せるのなら、そうそう行使することすら出来ない。更に言えば、呼び寄せるであろう「魔物」は、彼ら魔法を行使する者を魔物化させるかもしれないのだ。
「足でも鍛えといた方が良かったかもな。魔法よりも」
「あはは、体力ないのは致命的ですよね、やっぱり」
 表面的な軽い言葉を交わしつつも、二人は唇を噛み占める。自分たちには魔法があるから大丈夫だと、無意識のうちに高をくくっていた報いだ。
「……ユリ。悩んでる時間は、なさそうだぜ?」
 エベルの声に違和感を覚えたユリは、彼を振り返る。エベルは、頭を抱えていた。
「どうかしましたか、エベル」
「何か……『意識』が入ってきやがる。気持ち悪ぃ……。なんてか、意識乗っとられそ……」
「……魔物化の原因は、それですね。エベル、どうにかして持ちこたえてくださいっ」
 無茶言うな、と彼は更に顔を顰めた。ふぅ、と大きく息をつくと、吹っ切れたようにユリと向き直る。
「ユリ。サポート頼む」
「サポートって……エベル、一体何をする気なんですか」
「……やっぱいい。ユリも魔物化されたら敵わねぇ。とりあえず、ここの空気が気持ち悪いから吹っ飛ばす。それだけだ。ホントはお前の炎とか便利だとは思うんだけどよ」
 言葉を発することすらきつそうなエベルに、ユリは口を閉ざすばかりだった。
「ってぇか、囲まれてるぜ、俺ら。真空刃で切り裂くから、その隙に……」
「どこからなら、逃げられると思いますか?」
 彼はひょいと手を伸ばし、白い花の咲き誇る枝を手折る。
 囲まれているとエベルは言ったが、ユリにとっては先程から同じ風景が広がっているばかりで、何も変わっているようには見えないのだ。
「俺の、左側なら隙があるけど……お前こそ何する気だよ」
「分かりました。炎上式を使います。サポートは必要ありません。ただ、走る準備だけを」
 どこか吹っ切れたように笑うユリの雰囲気に押され、エベルはあぁと頷いた。
 ユリが手に持った花の甘い香りに、一瞬ぐらりと視界が揺れるがなんとか持ちこたえる。ここで倒れてしまえば帰れないと、本能が告げていた。
「炎 烈火炎上 周囲」
 さっと魔法を構築したユリは、高らかに宣言する。その途端、二人の周囲が激しく燃え上がった。
「ユリ……? お前怒ってる……?」
 普段温厚な彼からは予想もつかないような勢いで燃え盛る炎を前に、エベルは唖然とする。
 そんなこと、と叱咤するようにユリは返し、エベルを引きずるように走り出した。
 何とか森から抜け出した二人は、ぜいぜいと荒い息を繰り返しつつ立ち止まる。
 あれだけ派手に烈火の魔法を使ったにも関わらず、既に火は消えてしまっているようだった。――所詮ヒトは自然には勝てないのか、とユリはすっと目を細める。
 そして彼は手に持った枝を見た。魔物化にはこの植物が関係しているのかもしれないと研究用に折ったのだ。だが先程の火力といい、もしかすると魔法の増幅に使えるかもしれない。
 それにしても、と彼はエベルを見る。
 未だにエベルは回復しきらないらしく、頭を抱えている。――ユリ自身は魔法を使ったのにも関わらず、全く意識を乗っとられるような気配はない。それもこれも、エベルの言っていた「甘い香り」を感じられるか否かの差なのか。
「……ところでエベル。大丈夫ですか?」
「……お前は心配するの、おせぇんだよ」
 苦く笑って彼はぺたりと地面に座り込む。
「森を抜けても治まらないですか」
「つきまとわれてるからな……この場所から離れた所で」
 かくりと糸が切れるように、彼は黙り込む。
「エベル!? しっかりしてください、エベルっ」
 何度呼びかけた所で、虚ろな表情は変わらない。
 「つきまとわれている」――誰に? エベルの言葉に疑問を感じて辺りを見回しても、誰がいるわけでもない。森の中で囲んできていたモノと同じ存在だとすれば、ユリにはその存在を認識することは出来ない。
 このままでは、対抗手段がないも同じである。
 第一エベルがこの状態では、街に帰ることすらままならない。
 どうしたものか考えあぐねたユリは、溜息をつきながらその場にどかりと座り込んだ。
「いたぞ、こっちだっ」
 声のした方を見やれば、そこにいたのはヴィルとジーク――彼らも街の防御に当たっている魔導士だ。
「大丈夫か、ユリ」
「ヴィル……僕は大丈夫です。ですけど、エベルが……」
 ジークはちらりとエベルを見、彼を運ぼうと魔法の構築を始める。
「いえ、魔法の構築は僕がやります」
「お前だって疲れてるだろ? 無理はよくない」
「無理じゃありません。僕がやります」
 強引に宣言し、ユリはまだ手に持っていた枝をヴィルに押し付ける。
「何だよ、これ。っていうかすごい甘い香りだな」
「え?」
 指摘されてジークを見れば、彼も眉をひそめている。――どうやら香りを感じていないのはユリだけらしい。
「……帰り着いたら、じっくりと話します」

 



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