魔導士は科学を夢見る



「なぁユリ。この街の東側って何ある?」
「防壁の上から毎日眺めてるんじゃないんですか? 何で僕にわざわざ聞くんです?」
 届いた手紙にざっと目を走らせ、必要そうな部分だけ書き写す。横に暇そうに座ってユリを眺めているのは彼の幼馴染、エベルだ。
 魔物から己を守るために、人は街を囲む防壁を作り上げた。それは人と人との交流をも阻むが、魔物が侵攻してくるよりはいい。
 彼らの住むこの街も他と同じく壁に囲まれ、街の中から外を伺い知ることはできない。
「そうなんだけどさ。遠くて良く見えないじゃん」
「あぁ、そういうことですか」
 ペンを置いてユリは幼馴染に向き直った。
 彼らがこの街の防御に携わるようになってから、早くも数年が経つ。
 街は幾度も魔物による襲撃を受け、その度に「彼ら」を退けてきた。けれど――その攻防戦はいつも見るに耐えない。そろそろ慣れるべきだとは分かっているのだが。
「でも、何故東側なんですか? 南側の遠くなら、納得するんですけど」
 南側の遠くには、別の街が見える。「近く」に暮らしながら全く交流のない彼らのことを知りたいと思うのは、普通ではないだろうか。
 だというのにエベルは南ではなく東と言う。
「東って森だろ? 俺は森のが見てみたい」
「それは分かりますよ。東には森しかない。僕が訊きたいのは、何故あなたが森に興味を持ったか、です」
「何だよ、森見たがったらいけないのかよ」
「良し悪しの問題ではなくて……あぁ、わかりましたよ。行けばいいんでしょう?」
「よっしゃ」
 満面の笑みを見せたエベルに、ユリはそっと溜息をつく。
 何故彼がユリを連れていきたがっているのかの理由は、ユリの使える魔法属性の広さにある。
 この世界における魔法使いは二種類。
 エベルのように従えられる属性は一つだが、その一つに特化しているタイプと、ユリのように広範囲の属性を従えられるタイプ。
 ユリはエベルの特化した属性では彼に敵わないが、他の属性をも従えられるのが彼の強みだ。
「てか、お前もたまには外と空気吸わねぇと、気が滅入るんじゃないのか?」
「いえいえ、外の空気を運んで来てくださる方がいらっしゃるので大丈夫ですよ」
 にこやかにユリが返せば、「お前段々アロイスに似てきたよなぁ」とぼやきが返ってきた。

 最後に防壁の上に立ったのは、いつだったか。
 乾燥した風が吹き抜けて、ユリは思わず立ち止まり、目を細めた。
「ユリ、こっちだって」
 エベルはそんなユリを引っ張る。彼にしては珍しく、どこか焦っているようでもあった。
「エベル。そろそろ教えてくれてもいいんじゃないですか? あなたが森を見たがっている理由」
「何だよ、理由なんて必要なのかよ」
「ちゃんとあるんでしょう?」
 エベルはすっと視線を逸らし、遠くの森を見つめた。間に何かがあるわけでもないのに、ここからでは木々が生い茂っていることくらいしか分からない。
「ちょっと、統計取ってみたんだ」
「統計?」
「そ。どっちの方向から魔物が来る確率が高いのか。裏も取ったぜ? 皆、東からが多いって思ってる」
 改めて指摘され、ユリは森を眺めた。
 そもそも防壁の外に出ていく人は少なく、彼の知る防壁の外の情報は限られている。だから、彼には森が危険かどうかの判断はつかない。
「森が関与していると、そう思われるわけですね?」
「知らねぇよ。それを証明するのはお前の仕事だろ」
「光 映写 望遠」
 仄かに輝きながらユリの手元に映し出されるのは、木々たちの姿。ゆっくりと巡回するようにユリは視える角度を変えていくが、特に違和感を感じる部分はないように思われた。
「普通の木に見えますけど……何か気になる所はありますか?」
「いや……」
 横から覗き込んでいるエベルに尋ねても、首を横に振られるばかりだ。
「そもそも魔法とは自然を歪めることでしか行使できない。森は『自然』そのものですから、魔物の発生に関与している可能性は確かにあるんですよ。
 ですがそれを……僕は証明できない」
「御託はいい。森の奥の方とか、見れないのかよ」
 焦ったように、食い入るように、エベルは映像を見つめていた。何故そこまで彼が執着するのか、分からないユリはただ、戸惑う。
「無理ですよ。僕のこの魔法では遠くにあるものを拡大して見るのが限界です。光に精通されている方なら、多分回り込んで様子を見るくらい造作もないんでしょうけど……」
 唇を噛んでエベルが思いを巡らしているのは、魔導士の知り合いだろう。ユリ自身考えてみるが、地や炎、水に精通しているものばかりで、光は誰一人思い当たらない。
「エベル。ここから見るのは諦めませんか」
「お前はそれでいいのかよっ。もし魔物化が森のせいだって分かったら、森に近づかないようにすることで防げるんだぞっ」
 ユリはようやく理解した。エベルは未だに、数年前、倒すしか方法のなかった少女のことを気に病んでいるのだ。彼女は、彼らと同じくらいの年齢で――
「お前だって、お前だって……あんなのもう見たくないんじゃないのかよっ。今のやり方でいいとでも思ってんのかよっ」
「エベル、落ち着いてください」
 彼が口を開けば、エベルはきっと彼を睨みつける。
「誰も森について証明することを否定した訳じゃありません。ここから見ていても埒があかない。だから……行ってみましょう。実際にこの目で見るのが、一番早いとは思いませんか」
「な……お前、何言ってんだよ、言っただろ、魔物化は森のせいかもしれないって、聞いてたのかよっ」
「聞いてましたよ。言ったでしょう? 森が関与している可能性は多いにあると」
「だったら何で行ってみるとかいう発想になってるんだっ」
 困りましたね、とユリは表情を緩める。それはエベルの恐怖を、手に取るように感じ取ってしまったからだ。
 ユリ自身、怖くないといえば嘘だ。けれど。
「エベル。アロイスさん曰く、僕らの力は半端ではないらしい。そんな僕たちがこんなところで尻込みしていてどうするんです。僕らがやらなければ……」
「分かってるよ、分かってる。でも本当だったらどうすんだよ。俺ら……」
「そんな弱気では、本当に負けますよ」
 自分で言いながら、ユリは背筋が冷えるのを感じた。エベルの言う通りで、もし失敗すれば彼らが「退治」される対象にとなってしまうのだ。
 それだけは、避けなければならない。その為にも、彼らは気を張ってかからなければいけない。
「……あぁ、そうだな」
「……全く。君たち二人は目を離せばすぐにそうやって無茶をする」
 ゆったりとした足取りで二人の方に歩いてきたのは、アロイスだった。ユリとエベルは思わず、身構える。
「アロイスさん。……今回はあえて、許可は求めません」
「止めた所で無駄だとは良く分かっているよ。ユリ君。未来は君たちの為にある、と言ったのを忘れたのかね? そこまでして君が求めようとしているんだ――ソレに意味がないはずがない。
 いいかね、二人とも。君たちのような若者は、私など振り回してこき使えば良い。周囲のことなど考えずに走って行けるのは、若者の特権ではないのかね」
 数年前から崩されることのない「絶対支持」の姿勢を見せたアロイスに、ユリはただ、感謝するばかりであった。
「アロイス、あんたは何を考えてるんだ。俺たちの話聞いてたんだろ?
 だったら……」
「エベル君。君は私に止めて欲しいのかね? 自らの危険を省みもせずに突っ走っていく自分の幼馴染を止めてください、とでも言うつもりなのかね?」
 んなことは言わねぇよ、とエベルはそっぽを向く。
「止めて欲しいわけではありませんが……この街の防御の方が大丈夫なのか、それは確かに気になります」
「そんなこと、君たちが気にするようなことではない。もし魔物の発生元を突き止められるのであれば、そちらの方が余程価値があると私は思うがね」
 そういうことですか、と彼の意図を理解したユリはにっこりと笑う。
「危険を冒すからにはそれなりの成果を。そして必ず帰ってこいと。そういうことですね」
 分かっているじゃないか、とアロイスは満足げに大きく頷いた。
「正直、私もこの壁の中の暮らしというものには飽き飽きしていたところでね。君たちのように簡単に持ち場を離れられないのが残念だよ」
 本気なのか冗談なのか分からない言葉だけを残し、アロイスは元来た方へと戻っていく。
 暫く呆気に取られていたエベルとユリは、顔を見合わせて二人同時に吹き出した。
「他に選択肢なんてないみたいだな、俺ら」
「そうみたいですね。いいのか悪いのか……」
「何言ってんだよ。自分で引き当てるモノだろ? いい運とやらは」
 不敵に笑うエベルにつられて、ユリもそうですね、と微笑んだ。
 アロイスが実際に伝えたかったことは謎のままだが、それでも彼の言葉は二人の意欲を高めるのに十分だった。


「なぁ、ユリ」
「その話はもう聞きたくありません。今は忘れてください」
 街の城壁を未練ありげに眺めながら問いかけたエベルは、前を歩いていたユリにさくりと言い切られ「ちょっと待てよ」と突っ込んだ。
「俺まだ何も言ってねぇんだけど」
「あなたが言いたいことなんて、大体分かりますよ。伊達に長く付き合っているわけじゃあないですから」
「じゃあ、俺が何言いたかったのか、言ってみろよ」
「『本当に俺ら、出てきて良かったのかな』」
「……」
 ユリに即答され、エベルは閉口する。彼が間違っていたのなら、笑い飛ばすなり更に突っ込むなり出来ただろうに、一字一句当たっていただけにたちが悪い。
「エベル。それは今僕らが気にすることじゃありません」
「とか言いながら焦ってるのはそっちだろ」
 顔を顰めてエベルが言い返せば、今度はユリが口を閉ざす番だった。
 アロイスに後押しされるように街を出てきたものの、それが最善の選択肢だったのかどうか、彼らには判断がつかない。
 彼ら自身、森まで行って何を見てくればいいのかすら、分からないのだ。
 行って、ただ無事に戻ればいいだけなのかもしれない。けれどそれでは――周囲の反対を押し切ってまで出してくれたアロイスに、合わせる顔がない。
 もし収穫が何もなかったのなら。その可能性を考えるだけで、背筋が冷える。
「俺らってさ、考えすぎなのかもな。何年か前のあいつのことだって、仕方ないことだったのかもな。諦めつかなくって、街の防御するようになって、……でも、まだ、『誰一人』助けられたことなくってさ。あれしか、方法がないのかって……」
「そんなことありません!」
 普段穏やかなユリにすごい剣幕で怒鳴られて、エベルは一瞬状況を理解できなかった。
「他に方法は必ずあるはずです。あれしか方法がないだなんて、僕は認めませんっ」




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