真夜中の迷走劇・中



「一応聞こう。……他に選択肢は?」
 少なくともその公園以外に、良さそうな場所を見かけた記憶はない。以前も立ち寄ったことがあるとはいえ、数年は前の話だ、ちゃんと覚えている訳もない。道案内に、とクラウスを連れて来たスカイアも、それは分かっているだろう。
「選択肢? そうだね……街中をぐるぐると歩き回って、どこにも立ち寄らずに時間を潰す、くらいかな」
 その手があったかと、スカイアは小さく数度頷いた。
「ところでクラウス。今、走れるか?」
 段々と距離を縮めてくる柄の悪い男たちに警戒しつつ、スカイアは言う。
「……短距離で頼めるかい?」
「それは俺に言われても困る」
「ならば、なるべく平坦な道を行って貰いたいね」
 ちらりとスカイアが視線をあげる。その口元に笑みを浮かべて。
「努力する……いくぞ!」
「了解……!」
 唐突に向きを変え走り出した二人を、男たちの声が追いかける。
「待て! 逃がすかっ!」
「追いかけろっ! 奴らが持ってるぞ!」
 クラウスは自身の格好を見下ろし、前方を走るスカイアの格好を見る。自分は手ぶらで来たし、スカイアが手にしているのは槍と、何の変哲もない紙袋だけだ。
「持っているって、何を?」
 呟けば、スカイアがちらりと振り返り、その速度を落とした。クラウスは軽く頭を振る。今考えるべきは、これじゃないと自身に言い聞かせながら。
 走り出してすぐに息があがる。足も痛いが何より、ばくばくと音を立て脈を打っている心臓が、これ以上は無理だと張り裂けそうな痛みを伝えてくる。
 しかし——止まる訳には行かない。どんなに身体が痛みを訴えていてようとも、走る足を止めればそれが軽減されると分かっていても、止まる訳にだけはいかないのだ。それは、先導するように走るスカイアがクラウスに合わせて速度を抑えていることが分かるだけに、尚更だった。
 路地の角を二つ三つ一息に曲がり、狭い道に積まれた木箱の影に身を潜める。
「あいつら、どこに行きやがった!」
「探せ、そう遠くには行ってねぇはずだっ!」
「あっちだ、あっちに行ったっ!」
 焦ったような叫び声が飛び交い、一度は近づいた足音がばらばらと去って行く。
「二手に分かれよう」
 完全に足音が遠ざかると、スカイアがクラウスに囁く。まだ息が整っていないクラウスは、その言葉にただ頷いた。
「俺が囮になる。あんたは先に宿に戻ってくれ」
 スカイア一人を囮にすることは気が引けたが、このままでは自分が足手まといなのだと、クラウスには嫌という程に分かっている。いち早く宿に戻り、申し訳なくはあるが今寝ている仲間たちを起こし、協力を仰ぐべきなのだろう。
「無茶はしないこと。いいね?」
「分かった」
 どの程度意味があるのか分からない念押しをすれば、案の定スカイアは素直に頷いた。彼には、自分が無茶をしているという、そもそもの自覚がないに違いない。
 スカイアは槍を持ち直すと、あ、と気付いたように自分の手の中にあった紙袋をクラウスの手中に押し込んだ。「Café Hierba」と緑色のロゴ、そして葉先が五つに分かれた葉のマークが入った、茶色い紙袋。それ自体は何の変哲もないように、クラウスは思う。
「持って帰ってくれないか。俺じゃなくしかねん」
「大事なお姫様の持ち物だからね、預かるよ」
「まだ女の子と決まった訳じゃない。……ありがとな。じゃ、急いで戻れよ」
「そっちこそ、武運を」
 こんな状況が楽しくなって来たのか、にやりと笑みを浮かべ、スカイアは音もなく走り去る。彼の実力は知っているし、信頼だってしているというのに、何故か不安が付きまとった。
 彼の背中を見送り、ようやく整った呼吸に、クラウスは歩き始めた。紙袋をその手にしっかりと握りしめて。

 連中は、宿の前にたむろしていた。ならばその彼らを、クラウスが戻ってくる前に引きつけて、遠くへ誘導すべきだろう。
 クラウスと走った道を一気に駆け抜けたスカイアが宿の前に差し掛かれば、数人の男たちがやはりそこにはいて、スカイアを見るなり一人が指を差して叫んだ。
「いたぞ!」
「分かりやすすぎだろ、おい」
 小声で突っ込んで、戸惑うように足踏みし彼らを引き寄せると、先ほどクラウスが思い描いたのであろう公園を目指し走り出す。大まかな位置しか覚えていないが、今走った方向にはなかったのだから、とスカイアは見当をつけた。
 数分走って辿り着いた公園は、閑散としていた。障害物は少なく、人が隠れられそうな物も見当たらない。そして、槍を振り回しても引っかからないだけの空間もある。スカイアが動きやすそうな場所を、あの一瞬に選び出したクラウスに思わず舌を巻く。
 四人程先回りしたのか、スカイアの前から現れる。そして五人が後ろから追いついた。
「はっ、もう逃げ場はねぇぞ」
「散々迷惑かけてくれたな、おいっ!」
 背後から走って来た奴らが、そのままのスピードをもってスカイアに襲いかかる。焦ることなくスカイアはすっとその身をかがめ、振り向き様に槍を一閃した。穂先は一人の脇腹を捉え、反転させてもう一人の鳩尾を打つ。何かが砕けるような、嫌な感覚が手に伝わる。
 二人。
 反射的に右に飛べば、小刀が足下に突き刺さる。目前に迫った一振りの刀は義手で受け止め、下ろした槍で巻き込むように相手に首元を殴打した。
 三人。
 残すは六人。
 間合いを保っている他の連中をどう片付けようかとスカイアが思案した、その時。
「アニキ! こいつ、持ってねぇっ!」
「何っ!? お前、あれをどうした! どこにやったっ!」
「もう一人だ、もう一人いた筈だ! あいつが持ってったんだっ!」
「あぁ、くそっ! 無駄足かよっ!」
「どうでもいい、もう一人を探せ!」
「させるか……っ!」
 スカイアの振るう槍は彼らの腹を叩き、太ももを切り裂き、背中を突き——勝負は一瞬でついたとはいえ、全員の足止めをするのにスカイア一人では足りなかった。
 静寂が戻った公園に倒れ伏した連中の数を数え、ちっとスカイアは舌打ちする。
「一人、逃げやがった」
 手の汗をズボンで乱暴に拭い、スカイアは再び走り出す。
 行き先は当然、宿だ。

 人影を気にしながら細い道ばかりを選んでいたら相当に時間がかかってしまったと。正確な時間は分からないながらに、クラウスはおおよその見当をつける。
 宿の隣の通りまで、どうにか誰にも会うこともなく戻って来られたことに気が緩んだのか、ちょうどその角に座り込んでいた人に、クラウスが気が付かなかった。すっと伸ばされた足に引っかかり、彼はつんのめる。
「それ、あんたどこで手に入れたんだ?」
 口笛でも吹くような、軽い口調。それ、と示されるのは、イエルバの紙袋。
「ちょっとね、拾ったんだ」
 何事もないように立ち上がりながらクラウスは返す。声をかけて来たその男も、同様に立ち上がった。
「拾ったんなら、持ち主に返さねぇといけねぇよな」
「そうだね。でも君は、自分がこれの持ち主だと証明できるのかい?」
 一歩間合いを詰められ、クラウスは一歩退く。
 通りを反響する複数の足音が——恐らく、クラウスかスカイア、どちらかを探しているのだろう——段々と近づいてくる。
 逃げられないと、思った。
 一人旅をしていた頃は、護身用の陣をいくつも携帯していたが、仲間が増えたことで必要性が減り、最近ではきちんと補給していなかったのが仇になった。
「痛い目みるのがお好みのようだなぁっ!」
 飛びかかられる。避けきれない。
 防御の紋章で防ぐことができるのは、ただ一発。この一発を凌いでも、次はない。描くのに時間がかかる物ではないが、その間さえ待ってくれる可能性は低い。
「伸びろーっ!」
 真っ直ぐに、どこかから伸びて来た黒い棒が、男とクラウスの間を割って入る。するすると器用に棒を伝って降りて来たのは、クラウスも良く知る赤い少年だった。
「人の安眠を妨害したツケは十一で返してもらうってことで良いかな、クラウス」
 風の魔法をその身にまとい、すたりとクラウスの横に降り立ったリューの言葉には、苦笑せざるを得ない。
「割引料金で頼むよ。それか、君は寝てくれていても構わないよ?」
「それ、ユーヒがいればおれは要らないって言ってる?」
「まさか。リュー君、ユーヒ君、よろしく頼むよ」
「らじゃーっす!」
「最初からそう言えば良いのに。素直じゃないんだから」
「君こそ」
 軽口を叩きながらもリューは右に左にとステップを踏む。彼の握る短剣の柄が、彼らを取り囲む男たちの眉間を確実に打ち据えて行く。
「太く重くなれっ!」
 ユーヒの棒が、彼の言葉通り太くなり、数人を下敷きにする。見た目からは質量の変化まで計れないが、じたばたと藻掻く姿を見ているに、相当な重さらしい。
「こいつらつえぇっ!?」
「どうする、逃げるかっ!?」
「あれを手にしないで逃げれるかよっ!」
 ユーヒとリューの戦いっぷりに恐れをなした数人は、既に逃げ腰だ。くるりと背を向け逃げようとしたその時。
「私も忘れないでいただきたいです。クロバ=カルテット、参りました!」
 少女の高く澄んだ声が、夜の街に凛と響く。
 逃げるという選択までは良かったとしよう。が、クラウスたち一行が取った宿の方向へと逃げたのはまずかった。
 街灯というスポットライトの下、少女のピンク色の髪が踊る。騎士団にて培った槍さばきは、美しいとしか形容しようがない——見とれることが許されているのは、仲間たちだけではあるが。
 ユーヒの、リューの、クロバの活躍により、数分後、そこに残っていたのはただ一人、クラウスに話しかけたあの男だけだった。
「お前ら、まさかどこかから送られて来た取り締まり部隊か何かか!?」
「いや、違うね」
 いつの間にか合流したスカイアが短く応え、最後の止めをさした。
 戦闘が終了したことを見届けると、宙に浮かんでいた「鳥」——クラウスがスカイアと別れた後、伝令にとリューたちが眠る部屋に飛ばした、あの試作品の紙だ——は、魔力が切れたのか、ひらひらと落ちてくる。受け止めたクラウスがそれを見れば、描かれた紋様は輝きを失っていた。



 










登録者:夢裏徨
HP:月影草
Good Day Good Departure企画