「クロバっ! ユーヒっ!」
 リューが、護衛たちの一番近くに居た二人に呼びかけ、本人は風を駆使して舞い上がる。スカイアは階段の柵を飛び越すと、護衛たちの逃げ道を塞ぐように階段の踊り場に降り立った。
 突然絶叫を始めた成金男に唖然としていた護衛たちだったが、我に返った先頭の一人が、彼に続く二人が、クラウスと男の居る部屋に駆け込もうとする。
「今度こそは、どなたも通しません!」
 部屋の目の前ではクロバが、頑として道を譲るまいと槍の矛先を向ける。彼女が背後に守るのは、アンジェラとソフィア、そしてクラウスだ。
「長くなれ!」
 ユーヒの言葉で勢い良く伸びた棒が、護衛の鳩尾を強打した。
「悪いけど通さないから。ね、チャーリー」
 廊下の中程ではリューとチャーリーが、三人の護衛の退路を断つ。リューは護衛の一人の後頭部を、短剣の柄で強く殴打し、昏倒させる。ヒース操るチャーリーが、もう一人の足を掴むと、力任せに投げ飛ばした。
 どうやっても突破できないであろう状況に、止まない悲鳴に恐れをなしたのか、一番後ろにいた一人は階段を駆け下り始めた。
 だが、踊り場にはスカイアが居る。
「おっと、俺を忘れてくれるなよ?」
 にやりと不敵に笑うと、逃げて来た護衛の足下を掬い上げ槍で掬い上げ、そのまま階下に落とした。しばらく目覚めそうにないことだけを確認すると、ぱんぱんと軽く手をはたいて再び二階へと上がる。
 真っ先に目に入ったのは、やはりクラウスがいる突き当たりの部屋だ。彼が施したらしい部屋の紋章は、妖し気な光を放っている。床をのたうち回る成金男の姿を、クラウスはどこか楽し気に、すっきりとした表情で見守っていた。
 成金男に同情する気にはなれなかったが、クラウスだけは敵に回すまいと心に誓った一瞬であった。
 守護者としてのローゼンハイムを信じていたアンジェラにとって、それは衝撃的な光景であっただろう。口元を押さえ、泣き出しそうな表情で小刻みに震えながら、彼女は座り込む。近くにいたヒースが彼女の傍らに膝をつき、戻ってきたチャーリーが慰めるように、彼女の肩をぽんぽんと叩いた。
「ベルガーさん。ご自身の状態を把握されてありますか? 把握されてありませんよね。恐らく話が聞けるような状態でもないとは思いますけど、お教えしておきましょう。僕は、あなたの痛覚をほんの少しばかりお借りしています」
「あ゛?」
 自分に話しかけられていることはどうにか分かったのか、悪趣味なベルガーとやらは、肩で荒く息をしながらもクラウスの顔を見た。
「ベルガーさん。僕はあなたに何度も言いましたよね? 遺産だなんてものは存在しないと。第一、ローゼンハイムは守護者の家です。綺麗事でもなんでもなく、ローゼンハイムは守護に特化した家なんです。ですから、あなたが望まれてあるような兵器だなんて、僕らローゼンハイムはどれだけ金を積まれた所で作りませんし、作れもしませんよ」
 にこりと笑って、クラウスは再び何かを床に綴る。
 出力を上げたのか、部屋中に描かれた紋章がその輝きを増し、ベルガーが最早声にすらならない断末魔を上げる。痛覚に直接叩き込まれる痛みに耐えきれなかったのか失神したらしく、部屋はすぐに静かになった。
 魔法紋章も出力に耐えられなかったのか、男が沈黙するとすぐに消滅した。一欠片の痕跡も残さずに。
「……まじかよ」
 スカイアは思わず呟かずにはいられなかった。
 良く探せば、魔法の痕跡自体はどこかに残っているのかも知れない。けれど、こうも完璧に紋章が消えてしまっては、ここで発動した魔法が何であったのか、解析できる人は少ないだろう。
 現に、今残された現状だけを見れば、ベルガーが一方的にクラウスに危害を加えそして何らかの理由で倒れたと、そう多くの人は理解し、間違っても、ベルガーが倒れた原因とクラウスとを結びつける人はいない筈だ。
 アンジェラの話にもあったが、ローゼンハイムの魔法紋章が「痕跡を残さない」意義は大きい。兵器として使おうとするのならば、尚更だ。
 成金貴族が動かなくなったのを見届けると、クラウスは疲れたように壁に寄りかかる。一度目を閉じると彼は、部屋に入る事なく廊下でただ立ちすくんでいた一行ににこりと微笑みかけた。それはそう、スカイアたちも良く知る、あのいつもの優しい笑顔である。
「皆、来てくれたんだね、ありがとう。……見苦しいものを見せてしまったね」
 もう入っていいよ、とクラウスは言う。
 しかし、今目の前で見せつけられた光景と、倒れたままぴくりとも動かないベルガーとがもたらす恐怖は大きい。誰が、彼の言葉に素直に飛び込めるだろうか。
 クラウスは、躊躇っている彼らの様子を気にする事なく、続けた。
「ここは子供部屋だったんだよ。
 カサローサ陥落の混乱の中で、ローゼンハイムはどうやら、ほぼ全ての紋章を消し去る事に成功したらしい。まぁ、根本では全てが一つに繋がっていたからね、まとめて消し去る事は簡単なんだけど。
 ……でも、ここの紋章を施したのはローゼンハイムではなくて、僕だったんだ。だからここのだけは独立していて、それ故に残ってしまったんだろうね」
 口元に浮かべられたのは、自嘲の笑みだ。
「幼い子供は残虐だというけれど、全くだ。それに、幼かった僕はこれで都を守れると思っていたのだから、愚かなものだよ」
 ぼんやりと虚空を見つめるクラウスの視線に、スカイアは理解した。彼がたまに見せる不安定さの原点が、これなのだと。過去必死になって守ろうとした、しかし叶わずに崩壊してしまった己の故郷を、20年経った今もひたすらに想い続けているのだ。
「てやんでい。んな訳の分からねぇことほざくより先にやることがあるっつーんでしょーが」
 もう堪えられないと言わんばかりにずかずかと部屋に入ったソフィアが、右手に握りしめていた銀の環をびしりとクラウスに突きつける。
「あたしらを連れていかねーから、こんな目に遭うってーんです」
「あはは、全く以てソフィア君の言う通りだよ」
「てめぇは少し反省しろっつーんです」
「そうっすよ! 自分たちがどれだけ心配したと思ってるんっすか! スカイアさんもなんとか言ってやってください!」
「ん? あぁ、クラウス。無事そうで何よりだ」
「このクラウスの怪我を見て無事と言えるスカイアの許容範囲の広さにはおれ、感心するよ」
「うん、今回は僕がこれを修復させないといけなかったからね。この程度の無事は最初から保証されていたよ」
 ソフィアに続いて部屋に入って来たメンバーの顔をぐるりと見回し、そしてクラウスは部屋の出入り口にと目を向けた。そこには、呆然と座り込んだままのアンジェラと、彼女に寄り添っているヒースがいる。
 クラウスは再び笑顔になると、片手を挙げて挨拶をした。
「やぁ、アンジェラ。元気にしているようで嬉しいよ」
 それが合図になったのか、アンジェラはクラウスに駆け寄ると抱きつき、しゃくり上げた。クラウスに覚えてもらっていた事が嬉しかったのだろうと思う。
「カサローサが崩壊して、あなたが姿を消して、ずっとどうしてるんだろうって思ってたわ。
 私、私ね、あなたの魔力の色が好きだったの。20年経った今でも、あのきらきらとした輝きが忘れられないわ。あなたの魔力、今は希望になった?」
「んー、今の僕にとっては笑顔の素かな。希望じゃなくていいんだ。少しばかりの幸福を感じてもらえれば、それで僕は満足なんだ」
「あなたらしい」
 クラウスから離れたアンジェラが、くすくすと笑う。
 そうかなと、クラウスが視線で問いかけてくるのに、スカイアは視線を逸らして知らんと答えた。
「最近になってようやく、旅の紋章師の噂を聞くようになったわ。クラウスなのかな、あぁ元気にしてるのかなって、カサローサにもいつかは寄ってくれるのかなって、楽しみにしてたのに、全然来てくれないんだもの。酷いわ」
「それは……ごめん。悪い事をしたね」
「……カサローサのこと、まだ気にしてるの? それとも、気にしているのはローゼンハイムに対する仕打ちの方?」
「仕打ちって、何の話だい?」
 本当に全く心当たりがないらしく、クラウスはきょとんとした表情でアンジェラを見、アンジェラはそんな彼の反応に驚いたようだった。
「覚えてない? 都の大人たちがローゼンハイムを散々馬鹿にしていたの」
 そこまで言われてようやく思い当たったのか、あぁ、とクラウスは頷いた。
「ローゼンハイムの情報を売ったのも、その内の一人だったんだろうね。
 でも、いいんだ。僕たちは知っていたんだよ。そうやってきつく当たっていたのは、ほんの一握りの人たちたけだったって。大半の人たちはローゼンハイムを信じてくれていたんだって。だから逆に、そんな彼らを守りきれない事に耐えられなかったんだ」
 クラウスの言葉にアンジェラが目を瞬かせ、そしてにこりと笑う。
「なんだ。そう、クラウスたちはちゃんと知ってたのね? 私、無駄な心配しちゃったみたい。うん、クロバちゃんの言っていた通りね」
 話を振られたクロバが、そうだと思いました、と誇らし気に胸を張る。
 ん、と小首を傾げたクラウスに、リューが告げた。
「あぁ、クラウスの昔の話は、そこのおねーさんから聞かせてもらったよ。悪いけど」
「そうよクラウス。あなた、この子たちとどれだけ一緒に居るのよ」
「うん? もう結構長くなるかな?」
「呆れた。カサローサがあなたの出身だってことすら、この子たち知らなかったのよ? 信用してない訳じゃないんでしょ?」
 皆の反応を伺うように、クラウスがゆっくりと視線を巡らせる。
 教えてくれたって良かっただろうと、スカイアも思わなくもないけれど、事情が事情だ。言わない選択をするのも致し方ないように思える。
 それにむしろ、自身の出自について語らなかったのはクラウスの甘えではないのか。自分が過去について何も言わないでいる事を彼らは許すだろうという、信頼の表れではないのだろうか。
「俺は気にしないぞ。あんたがどこの出身であれ、あんたはあんただ。だろう?」
「まぁ、そうだよね。出身地が変わった所で、クラウスはやっぱりうっかりなんだろうし」
「都の守護者なんっつって、クラウスさんってばカッコ良いじゃないっすか! 話、聞かせてくださいよ!」
「お、俺……皆、一緒にいれればいい、から……」
「秘密が多いのも、私は素敵だと思います! 私は推理小説も良く読みますし」
「てやんでい。過去を思い出してる暇があるなら、もっと身体を大事にしやがりませ。そうでなくたって、クラウスは不健康な生活しかしてやがらねーてのに」
 全員の言葉の一つ一つに頷き、笑みを零し、クラウスはアンジェラに向き直る。
「だ、そうだよ。そういうアンジェラ、君こそこんな所にいて良いのかい? この間一緒に歩いていたのは、旦那さんだろうに」
「まだよ。……今度の春、挙式するわ。結婚式には来てくれる?」
「それはおめでとう。春か……結構近いね。結婚式の当日に顔を出せるかは分からないけれど、子供の顔は見に来るよ。お祝いでも持って」
「そのお祝いに、あなたの子供の顔が見たいって言ったら?」
 いたずらっぽく笑うアンジェラに、クラウスは苦笑した。
「それはまた、難しい注文だなぁ……」



 










登録者:夢裏徨
HP:月影草
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