白蝶の見せるユメ・上

 それは、どこまでも白かった。
 どの方向を向いてみても、見渡す限りの「白」。その白さに寒気がし、シャルロットは震える自分自身を抱きしめる。
 空虚な白ならばまだいい。けれどそこには何かが蠢いているように彼女には思えてならない。
 どのくらい立ち尽くしていただろう。彼女の耳に、聞き覚えのある声が届いた。
 勢い良く振り返れば、遠くに見えるいくつかの人影。昨日も顔を合わせたというのに懐かしく、思わず彼女は走り出す。
 けれど――距離は一向に縮まらない。
 いくら地面を蹴ってみても、前に進んだ実感が得られない。そして、聞いてしまった。シャルロットに向けられた、丁寧だけれども冷たい言葉の数々を。
 信じられなかった。だが彼女の足は諦めたかのように、やがて止まる。
 金髪の少女が、シャルロットの存在に気付いたかのように振り返り、くすりと嗤う。彼女の笑顔を見慣れているからこそ分かる。そこにあるのは、嘲りだと。
 シャルロットはただ呆然と、「仲間たち」が楽しげに走っていくのを見送った。それを嘲笑うかのように羽ばたいた白い蝶の大群が、シャルロットの視界を埋め尽くす。

「いやあああああぁぁぁぁっ!!」

 ギルドの中を、一人の少女の叫び声が木霊したのは、まだ夜も明ける前のこと。

「どうした、大丈夫かロッティっ」
 ノックするのももどかしく、アルトはシャルロットの部屋に駆け込む。元気のよさが取り得の彼女は、ベッドの上に座り込み毛布を被った状態で小さく肩を震わせ、声を押し殺して泣いているようであった。
「なんだなんだ、アルトは朝から女の子を泣かせてんのかぁ?」
 あくびをしながらも起き出したらしいヤマトが、アルトの背後からひょいと顔を覗かせる。
「どーしたのかなぁ? おねーさんはもーちょっと寝てたいんだけどなぁ?」
「何かあったのかい?」
 続々と集まってくるメンバーの声に落ち着いたのか、シャルロットの嗚咽は少しずつ小さくなっていった。だが、彼女は顔を上げない。
「ロッティ、何があった? 話せるか?」
「大丈夫、なんでもないの」
 アルトの問いに、彼女は小さく頭を振る。しかしその言葉には力がない。
「へぇ。なんでもなくってあんな悲鳴上げたのか?」
「違うの、ただ、夢見が悪かっただけなのっ」
「夢見? ならおねーさんが良い薬を処方してあげれるよー」
 ふにゃらと笑いながら彼女が取り出した瓶に、天使の羽なんて描いてあるのが見えたのはアルトの気のせいだろうか。
「お前、それは永眠薬だろっ」
「えー? 悪い夢は見なくなるよ?」
「良い夢も見れねぇだろうがっ」
 残念、と口を尖らせてロベリアはシャルロットの隣のちょこんと腰掛ける。そして何を思ったのか、彼女にむぎゅーと抱きついた。
「じゃあ後はロベリア君に任せようか」
 穏やかな声音で義春が言い、アルトとヤマトの二人も頷く。
「待って、ください」
 部屋を出て行こうとする三人を引き止めたのはシャルロット。泣いていたせいで目元は赤く腫れている。
「白い蝶の夢を、見た……んです」


「昨日街で白い蝶を見かけて、白い蝶の悪夢を見た。らしいんだけど」
 酒場に集められたギルドメンバーはアルトの言葉に、あるものは顔をしかめ、あるものは首をひねった。
「ふん、ただ夢見が悪かっただけだろう? だから何だ」
「関連性が弱すぎるかな。この話だけでは、その蝶が悪夢を見た原因だとは結論付けられないよ」
「ならば試せば良いんじゃな」
「あんた軽く言ってくれるけど、試すってどうやってだよ」
「まぁなんだ、その白い蝶を探しだせばいいんだろう? 新しい種かもしれないとは、浪漫があるじゃないか!」
「ふむ、そのような蝶はマニュアルにも載っていない」
「医者としては、まずは休養を勧めるかなー」
「蝶ならば、残念ながらワタシの知る限りじゃあありませんねぇ。あ、でももしそれが古代兵器なんていうものだった場合はこのワタクシ、レヒネル=エルジェーベトにご連絡をっ」
「それはともかく、ロッティさんは大丈夫なんでしょうか……」
「結論はほっとけってことで?」
「うーん、そうなっちまうかなぁ……」
 全員が一通りの意見を述べると、ところでとクレマンが笑う。
「ロッティはその状態、ロベリアちゃんがロッティについてるのはいいとして、リアはどこにいるのかなぁ?」
 笑顔で告げられた言葉に、空気が凍りつく。
「リアは確か昨日、ロッティと一緒に買い物に出てなかったか?」
 バーナビーの一言で、顔を真っ青にしたアルトは酒場の階段を駆け上る。リアの部屋までの、僅かな距離がもどかしい。
「リア、リアっ」
「そんなに血相を変えて、誰か倒れでもしました?」
 シャルロットのように取り乱すことなく、普段通りの笑顔で現れたリアだが、その顔はどこか青白いようにアルトには思われた。
「リア……大丈夫なのか? その……夢見が悪かったり、とかは……?」
「夢見は確かに悪かったですけど、大丈夫ですよ。皆さんのことは信じてますし」
「? 信じてるって何のことだ?」
 別に、とすっと視線を逸らすリアの右手に、僅かだが力がこもる。彼女の右手には、アルトにも見覚えのある紅の巾着袋が握られていた。


「リアも悪夢を見ていたんだね」
 原因かもしれない白い蝶を探して大方のメンバーが出払い、一気に静かになった酒場でぽつりと義春が呟いた。
「信じてるから大丈夫って、一体何の話だったんだろうねー」
「それはぁ、夢の内容のことじゃないかなぁ?」
 クレマンに答えるように、ロベリアがへらりと笑いながら降りてくる。
「お、ロベリアちゃん。ロッティの調子はどう?」
「だーいぶ消耗してたみたいだったから、睡眠薬を処方しておいたよ。夢も見ないような、深い眠りにつける奴」
「それはご苦労様だったね」
 そうでもないよ、と彼女は笑顔で彼らと同じテーブルに着いた。
「それで、夢の内容とはどういう意味なのかな」
「そのままの意味だよー。ロッティちゃんが見た夢について話してくれたんだけど、このギルドのメンバーに陰口叩かれた挙句に置いて行かれるっていうような夢だったみたいだよー」
「きっついなぁ……」
 ロベリアが語った夢の内容に、クレマンも義春も苦笑せざるを得ない。
「リアも、似たような夢を見たんじゃないかと、そう言うのかい?」
「うん」
 だとするのであれば、彼女は皆のことを信じているからそんな夢になど惑わされない、大丈夫だ、という意味だったのだろう。
 口で言うことは容易いが、実際は容易ではない。だから、リア自身もかなり参っているはずだ。もっともそんなことはおくびにも出さず、彼女は仲間たちと走り出して行ったが。
「そういう夢だったら、目的は単純明快になるねー」
 メンバーの夢を操作し、仲間の信頼を揺らがせ疑心暗鬼に追いやる。大方、ものかきギルドに恨みのある個人、もしくは組織の仕業であろう。
「最近はこのギルドも名前が売れているからね。動機から犯人を絞り込むのは至難の業だろうね」
 現在与えられた情報だけでは、どうやっても犯人に辿り着けない。今は、他のメンバーが有益な情報を持って帰ってくることを信じ、待っていることしかできなかった。


 バーナビーとイザナギの二人は、他のメンバーよりも先にギルドに帰ってきた。
「お帰りー。何か収穫はあったのかなー?」
「それがなぁ……」
 詰まらなさそうな表情で、イザナギが差し出してきた白いものを、クレマンは受け取った。バーナビーも苦笑しているところから、あまり良い知らせではないらしい。
 白いもの、それは紙で蝶の形を模ったものだった。
「それは何かなぁ?」
「見ての通り、紙でできた蝶だよ。エリィが妙な鋏をアルベールに売りつけたらしくてな、その鋏で動物の形を切り抜くと、暫く動いているんだとよ」
「これ自体が何か悪さをするようにも思えないねー……」
 静かに溜息をつきつつ、クレマンはそれをテーブルの上に置いた。既に魔法の効力は切れているらしく、動き出す気配はない。
「それは残念だった……と言うべきなのかな。ともかく、二人ともお疲れ様だったね」
「ただいま戻りましたっ」
 義春の言葉を遮るように酒場に入ってきたのはシブリーとクロイ。
 結局何も分からなくて、と告げるシブリーに続いていたクロイだが、何を思ったのかぴたりとその動きを止めた。
「そこにあるソレは何だ」
 冷たく問いかける彼がひたと見据えているであろうのは、テーブルの上に置かれた紙の蝶。
「これがどうかしたのかなぁ?」
 ロベリアがひょいと摘み上げれば、クロイはその顔を僅かに引きつらせた。
「それは一体どうしたんだっ。そんなもの、さっさと燃やしてしまえっ」
「待って、待ってくださいってばっ!」
 迷わず魔法を使おうとしたクロイを、シブリーは押しとどめる。
「止めるな。それには妙な魔法がかかってる」
「なら余計に止めないといけないな。その魔法、誰がかけたのか辿れないか?」
「辿るには微弱すぎる」
 バーナビーの言葉をざっくりとクロイは切り捨てた。その様子をじっと眺めていたイザナギは、よしと掛け声をかけると白い蝶を無造作に掴む。
「良い案でも浮かんだのかい?」
 クレマンの問いに、彼はにやりと笑った。
「これはとなりの奴らのものなんだろ? だったら隣に突っ返すまでだ」


「おい、猫出せ猫」
「あぁアルベール。お友達が呼んでるわよ」
 出てきたヨランドにイザナギが端的に用件を告げれば、彼女はギルドの中に向かって呼びかけた。
 ほどなくして現れたアルベールは、玄関に並ぶイザナギ、バーナビーとクレマンの三人を見て、はっきりと嫌そうな顔をする。
 ロベリアも連れてくるべきだっただろうかと彼らは一瞬後悔した。けれど、もし彼女を連れてきていたのならば、話は進まないだろう。ならば、これで良かったのだ。
「誰だい友達って。僕は野郎には興味がないんだ」
 そう吐き捨ててそのまま引っ込もうとするアルベールに、まぁ待てよとイザナギはあの白い蝶を突きつけた。
「お前のだろ、これ」
「ちょっと待ってくれよ。どうして君がこれを持っているんだい? これは僕が麗しのエリザベス嬢に贈ったものだというのに、まさか君たち彼女を脅してそれを奪ったなんてことはないだろうね!?」
「そういう発想になるのか。新鮮だな」
 思わず感動の言葉を漏らしたバーナビーを、アルベールは睨みつける。
「そのエリザベスさんが、うちのギルドに食事しに来た時に、どうもそれ、忘れていったみたいなんだよねー。だから届けて上げたいんだけど、アルベール君はエリザベスさんがどこの誰なのか、知ってるかなー?」
 嘘も方便である。
 けれどアルベールには通用しなかったらしく、彼はただ怪しそうに三人を睨みつけるばかりだった。
「なら、ヨランドに解析を……」
「あぁ、あんなところにエリィさんがっ。今日もお美しい……っ!!」
 かなり離れた距離にいるエリィを発見したアルベールは、イザナギの声を遮って歓喜の声をあげる。生き生きと輝いた表情で、手には早速バラが握られていた。
 呼び止める間もなく――誰も呼び止めようなどとはしないが――彼は軽い足取りで駆けていく。
「すごい視力だな。さすがアルベールだ」
「だねー」
「待て。あそこ、白い蝶が飛んでるぞ。狙いはもしかすると、エリィじゃないか?」
 目を凝らしてみるのすらもどかしく、バーナビーが走り出した、その時。「白い蝶」は勢い良く燃え上がった。
 それに驚いたのかエリィの上げた悲鳴が、彼らのところまで聞こえてくる。
「クロイさん! だからどうして燃やしちゃうんですかっ」
 半泣きになっているのは、止め損なったシブリーだ。
「問題ない。そこにいるんだろ、出てこいっ」
「あら、威勢の良い子は大好きよ」
 それも、いつまで保つかしらね。
 そう音もなく告げながら、女は木の陰から姿を現した。恐らく二十代後半であろう彼女は、綺麗な栗色の髪を団子状に結い上げ、街中では目立つだろうに、紫のイブニングドレスに身を包んでいた。その左手には、いくつもの指輪が嵌められている。
 クロイ、シブリーと、駆けつけたバーナビー、イザナギやクレマンというものかきギルドメンバーに挟まれる形となったにも関わらず、彼女は全く動じない。
 突然のことに目を白黒させていたエリィもようやく状況を飲み込んだのか、その表情を引き締めた。
 緊迫した空気を破ったのは、女の前に差し出された一輪のバラだった。
「あぁエリザベスさん! 今日もお美しい……! そして君たちは何だい、よってたかって美人をいじめるのが好きなのかい? ロクでもない人間ばかりが揃ったものだね!」
 差し出されたバラを優雅な手つきで受け取り、ギルドメンバーはげんなりとするアルベールの一挙一動にさえ、エリザベスと呼ばれた彼女は微笑んでみせる。
「そう。この子は私の味方のようね。でも今回は手駒も潰されてしまったし、また出直すことにするわ」
「あなたみたいな美しい方が敵である訳がない! おのれものかきギルド……!」
「あんたは黙ってなさい。馬鹿ベール」
 さすがにみかねたらしいヨランドが、ばしりとハリセンで宙を切る。一体どんな威力であったのか、それはアルベールを一撃で昏倒させた。
「また近いうちにお会いしましょう、皆さん」
 艶やかな笑みを貼り付けた彼女は軽く会釈し――次の瞬間、そこには誰もいなかった。
「おぉ、上等そうな指輪を持ってらしたと思ったら、転移魔法が仕込んであったとは、もう少し近くでじっくりと見せてもらえば……ワタクシとしたことが迂闊でした!」
「逃げられちゃったみたいだねー」
 クレマンののんびりとした声が、どこか空虚に響く。








夢裏徨「月影草
ものかきギルド企画