未来指針・上


 丸いドーム型の天井に描かれるのは、色とりどりの花々と、春の訪れを喜び戯れる乙女たち。天井から差し込む光と合間って、見上げた人は誰もが溜息をもらす。
 壁にずらりと並ぶのは武器。天井の華やかさから一転し、それらが持つ重苦しい雰囲気は、実際に使われていただろう場面を見ている者に想像させる。
 一つだけある展示台は、部屋の中央に。ビロードの布の上にそっとに置かれたそれは、金色に輝く針をただ真っ直ぐに天へと伸ばして――



 アルト・リア・群青・バーナビーとエリィの五人は、ウィンドベルから少し離れた街にある博物館へと来ていた。
 開館している時間帯だと言うのに、その部屋には彼ら、ものかきギルドのメンバーしかいない。それもそのはずだろう――部屋へと続く扉には KEEP OUT のテープが貼られ、彼ら以外の人々を拒んでいた。
 彼らが呼ばれた理由は一つ。この部屋で起きている怪異の解決だ。
 依頼人を待つ間、彼らはそれぞれ部屋の展示物を眺めていた。どれもこれも、滅多にお目にかかることのできない、貴重なものであるのだろう。
「おいエリィ。これ、何だか知ってるか?」
 部屋の真ん中に置かれた羅針盤のようなものの前でふと足を止めたバーナビーはエリィを呼ぶ。呼ばれた彼女はそれを眺め始め――お得意の口上は、いつまで経っても始まらなかった。
「エリィ?」
「これはこれは相当に珍しい品ですねぇ、ワタクシも知らないようなアイテムがまだこの世に存在したとは、いやはやおみそれしましたっ」
「マジかよ」
 エリィですら知らないアイテム、と思えば更に物珍しいもののような気がしてきて、部屋の四方に散らばっていた他のメンバーも集まり、揃ってそれを覗きこむ。
 天井を指したその針は、ぴくりとも動かない。
「それが気になりますかな」
 黄色いテープを潜り優雅な足取りで現れた老紳士に、全員が姿勢を正す。誰に告げられなくても、彼が今回の依頼人であることが察せられたからだ。
 彼は五人の前に立つと、静かな口調で語り始める。その彼の口調には、どことなく寂しげなトーンが感じられた。
「これは『来方位<らいほうい>』。遥か昔、南の大陸で栄えた古代文明において、主を守るためにと作られ、そして幾度となく危機を知らせては、その主の家系を守ってきた品です」
「危機を知らせるって、どうやって知らせるんだ?」
 バーナビーの問いに、館長は頷き、来方位の真ん中に立つ針を示す。
「これが、危険の迫っている人を示すのです」
 危険の大小を問わず、それは反応するであろう。そう、彼は告げた。
「へぇ、それはすごいな。これがあれば大抵の危険は避けられるな」
「それは、迫っている危険が何だか分かったら、でしょう」
「まぁ、どうしようもない場合もあるだろうけれど、避けられる可能性は高くなるだろうね」
 感動したように呟いたアルトに、つっけんどんな口調で楯突いたリアは、義春に優しく諭されてその口を閉ざす。
 あまり不機嫌になられても困る、とアルトはリアの様子を伺うが、どうも彼女は義春に正論を告げられてむくれているだけで、その気分を害している様ではなかった。
「して、そのお値段はっ!?」
「ここでそれを訊くのかよっ!?」
「ここで訊かずしてどこで訊けと言うのですか!?」
 アルトのツッコミにもめげず、キラキラとした目で回答を求めるエリィに、その場にいた一同全員が苦笑する他ない。
「二千万、といったところですね」
「に、せん、まん……?」
 思わず凍りつく面々に、「貴重品ですから」と館長は重々しく言う。それで、とどこか言い難そうに彼は続けた。
「最近、この来方位に近寄った人が何の前触れもなく怪我をするのですよ。
 こんなことが続くようでは、我々は来方位を廃棄するしかありません。ですが廃棄を決断する前にと、此度は依頼させていただいた次第です。
 この怪奇、どうにか解決してはいただけませんか」


「引き受けたのはいいが……これ、ただ壊れてるだけじゃないのか?」
 館長が出て行ってしまった後で、来方位を眺めていたバーナビーがぼそりと言う。
「そうかもしれないね。でも……」
「調べてみないことには分かりませんね」
 許可ももらったので遠慮せずにぺたぺたと来方位に触ってみるが、特におかしなところは見受けられない。そもそも作りが単純なようで、壊れるような箇所が見当たらないのだ。
 だから壊れているとすれば、「危険を示す」ように魔法をかけられている部分しかないだろう。そこが壊れていたとしたら、彼らには手の打ちようがない。
 館長の言っていた「怪異」が起きてくれれば、もう少し調べようがあるのかもしれないが、そうそう起きてくれるようなものなのだろうか。
「でも調べるっつったって……おい、エリィ。あんまし色々触るんじゃねぇぞ」
 早くも来方位から興味を失い、ふらふらと他の展示品を眺めていたエリィに、アルトが声をかける。
「え? まだ触ってませんよぉ、そんな展示品に触るだなんて、そんなことするわけないじゃないですか」
「今『まだ』って言ったな? これから触るつもりだったのかよ」
「いえいえいえ、そんなことはないですよ、ただの言葉のあやですよぉ」
 ぶんぶんと首を振りながら、エリィは一歩下がる。彼女との距離を詰めるかのように、アルトが一歩、また一歩と彼女に近づいていく。
「他の展示品もあれに劣らず良い値段するんだろうから、変に触らない。いいな? 他のものを触れるような許可は貰ってねぇんだから」
「だからそんなことするワケないじゃあないですかぁ。アルトさんってば疑うんですかぁ?」
「おいおい二人とも、あんまりはしゃぐなよ?」
 そっと来方位を展示台に戻したバーナビーが、二人を嗜める。
 これからどうしたものだろうねと溜息混じりに、義春は来方位を眺めていた。そんな彼の目の前で、今まで天を指していた来方位の針が、ギギギと軋んで――
「来方位の針が……っ。エリィ、アルト!」
 切迫した義春の声に、バーナビー、アルト、リアの三人が身構える。その時。
「目標、固定化しますっ」
 リアが、宣言した。
 何が起こったのだろうかと、恐る恐るアルトとエリィの二人が己の頭上を見上げれば、展示棚から落ちてきたと思われる刀やら盾やらが、彼らの上でぴたりと止まっていた。
「あっぶねぇ……。サンキュ、リア」
「ありがとうございますぅぅぅ、死ぬかと思いましたよぉ、本当に」
 アルトとエリィの二人がその場から離れると、固定化を解かれた展示品はばらばらと床に落ちる。それらをを拾いながらバーナビーが言った。
「にしても危ねぇな。普通に落ちるような置き方でもしてたのかぁ?」
「でも、これが本物だということはこれで証明されたね」
 穏やかさの中に鋭さを秘めた視線で、義春は来方位を見つめる。
 あぁ、と彼に同意しながら再び来方位の周囲に集まった五人の目の前で、天を指していた針は再び動き出す。
「バーナビーさん……?」
 戸惑うようにエリィが呟き、皆が視線が彼に集まった、その時。
「……!」
 鮮やかな赤色をした血液が、飛び散る。何事かと思えばバーナビーの服に、腕に、頬に、浅く切り傷が出現した。
 何が起こったのか、誰にも説明できない。
「どういうことですか? どうして切り傷なんて……?」
「分かんねぇよ、分かんねぇけど、とりあえず回復してやっから」
 アルトが杖を構えている間にも、来方位は次の人物を指し示す。
「エリィ、気をつけ……」
 義春が言い終わる前に、エリィの髪がふわりと揺れ、一房ぱらりと落ちた。
「エリィまで……?」
 思わずアルトが術を中断する。暫く様子を見て見るものの、来方位は沈黙し、その針がすぐに動き出す様子はない。
「例の怪異というのは、これかな」
「ですが館長は、『何の前触れもなく』と言っていました。彼の言う『前触れ』には来方位は含まれないんですか?」
「さあて、それはご本人に確認してみないと分かりませんねぇ……っと、群青さんっ」
「目標、固定化します」
 エリィの言葉を受けて咄嗟にリアが義春の状態を固定化し、どんと衝撃を受けたものの、彼は無傷だった。
「防げたのか? 大丈夫か、義春」
「あぁ……大丈夫みたいだ。助かったよ、リア。それに……この部屋には私たち以外の何かがいるらしいことも分かったし、ね」
「だけどそれは、これを見てれば防げそうだな。これを見ながら防ぎつつ、応戦ってとこか。よっしやるぜっ」
 バーナビーの言葉に、アルトとリアの二人は壁際まで下がる。他三人がどこにいても確実に守るのに、出来る限り広範囲をその視界に収めるためだ。
 バーナビーと義春の二人はそれぞれ武器を構え、エリィは来方位をじっと見つめる。
「群青さんっ」
 固定化。
「リアさんっ」
 結界。
「あぁ、ワタシっ」
 固定化。
「バーナビーさんっ」
 テンポ良く、しかし確実に、二人の魔法は来方位が示す人物を守っていた。はずだった。
 バーナビーを包むように展開されたアルトの結界に、来るべき衝撃はいつまで経っても来ない。違和感に、アルトは杖を握る力を無意識の内に強めていた。
 その一方で、何かがかすったような感触にリアは自身の腕を手で押さえる。僅かだが、ぬめるような感触があった。手のひらを見れば、赤い色が。
「リア……? 怪我をしたのかい? だが来方位は……」
 リアの様子に気付いた義春が、困惑した表情でエリィを見る。バーナビーではなくリアが怪我をしたことに驚いていたのは、エリィもだった。
「なんですってっ!? 今のは明らかにバーナビーさんの方向で、リアさんの方は指しませんでしたよ!? って、あぁ、アルトさんっ」
「目標、固定化します」
 エリィが叫び、反射的にリアがアルトを固定化する。
 が、どん、という衝撃と共によろめいたのは義春だった。
「あぁ? 何だ何だ、来方位が壊れでもしたのか?」
 槍を肩に担ぎ直し、バーナビーが来方位にと近づく。来方位に変わった様子は、少なくとも彼には見受けられなかった。
「もしかすると、来方位自体が原因なのかもしれないね」
 同じように刀を鞘に収め、来方位に近づいた義春が、静かに呟いた。
「っていうと、これが危険を引き起こしてるってことか?」
 アルトの問いに、否定できないねと義春は頷く。
「ですがもしそうだとしたら、解決のしようがありません」
「そうですよぉ。どうするんですか、この依頼」
 来方位自体が危険を呼び寄せているのなら。壊してしまうしか、ない。








夢裏徨「月影草
ものかきギルド企画