「えぇっと、待って、ダラン……」
「お、いい感じに混ざったな」
 此の地《ダンダルド》と彼の地《ガランダル》が覚えきれないカゼクサを、アスケロンがからりと笑った。
「名前はこの際どーでもいいよ。とにかくー、向こうに一人行っちゃいました、こっちに残ったもう一人が世界間の移動は監視してますってなだけの話だから」
「まぁた雑にまとめたな」
「簡単でいーでしょ?」
 けらけらと笑うアスケロンとマリキヤは、他人事だからなのか、非常に楽しそうで羨ましい。
「監視って言うことは、今も行き来があるの?」
「来があるのは確認しているんですが……」
 そう困った顔でラザラインが、マリキヤが、揃ってカゼクサを見るのは、彼こそが「来た」本人であるからだろう。
 「行き」、カゼクサにとって元の世界へ帰っていく存在が、方法が、知られていないということは、この道はほぼ一方通行のように思える。
「ですがそれでは、ガランダルの御伽噺が彼の地に行く話にはならないはずです。だから少なくとも、此の地から消えた、その事実はあるんじゃないかと……」
「俺もそう思」
 ラザラインに同意を示すアスケロンを遮るように、マリキヤがばんとテーブルを両手で叩くようにして立ち上がる。
 一瞬にして組み上げられた緑色の魔法陣が爛々と輝き、厳しい表情を見せるマリキヤを足元から照らす。
 ばたん、と勢いよく開かれた玄関扉から飛び込んでこようとした何かが、カキンと高い音を立てて阻まれる。
 ぐにゃりと変形した魔法陣を伴ってマリキヤがゆったりとした足取りで表に出るのを、驚愕に凍りついたカゼクサが視線で追う。
 すっかり日も暮れて冷えた外の空気が、開け放たれた扉から流れ込んだ。
 マリキヤが戸の外に「落ちて」いる黒っぽい布を乱暴に引き剥がせば、真っ直ぐな黒髪を長く垂らした浅黒い肌の、まだ幼さを残す少女の顔が表れる。マリキヤの術に拘束されているのか、地に伏せたまま浅い息を繰り返し、上から見下ろすマリキヤをきっと睨みつけていた。
 今にも飛びかかりそうな少女の気迫にカゼクサは腰を浮かせるが、やめとけ、とアスケロンにぱたぱたと手を振られて腰を椅子にすとんと落とす。
「安心しろ。あいつに勝てる奴ぁいねぇから」
 アスケロンのその言葉にはラザラインも同意するようで、彼女もカゼクサを安心させるようににこりと微笑んだだけだった。
 無言で睨み合っていた二人だったが、地に伏して浅く息をする少女が圧に負けたようで、かくりと項垂れて「どうして」と小さく漏らした。
「どうしてあなたは、こんなちっぽけな村なんかに」
「バールバックの魔法使い、バイラ・クインベルであってる?」
「はい」
 名前を確認したマリキヤに、彼女、バイラが力なく首肯すると、マリキヤは彼女の前にしゃがみ込んだ。
「違うんだよねぇ。こんな村に執着してるんじゃなくってぇ、帝国に下るのが嫌なの。魔法使い同士で群れる気もないしねー」
 にやりと歪に笑うマリキヤの目の奥に、カゼクサは確かに昏い光を見た。
「それが……フォン・デル・バルトの気質なの……?」
「は?」
「だって、あの人も応じてくれない……」
 テーブルでのんびりとしている三人を振り返ったマリキヤの唇が「あの人?」と動く。どうやら彼には心当たりがないらしく、怪訝な顔をしていた。
「フォン・デル・バルトっつぅんだからお前の親戚じゃねぇの?」
「僕のフォン・デル・バルトはさぁ、家名じゃないんだよねぇ。バルトの街から出てきたから、皆にそう呼ばれてるだけで」
 話は終わったと言わんばかりにマリキヤは立ち上がり、踵を返した。最早バイラなど眼中にもない。それが伝わってしまったのか、バイラの顔にあるのは相手にもされない諦めと悔しさだ。
「あの人も同じ……あの人はいつでもバルトにいる……だから畏怖を込めて『フォン・デル・バルト』と称される……」
 「畏怖」の言葉にマリキヤの表情が固くなり、カゼクサは背筋が凍った。
 だが俯いたままのバイラは気が付いていないらしく、うわ言のように続ける。
「バルトは特別な地だから、ある意味『フォン・デル・バルト』の名は敬称に値するもの……現在その名で呼ばれるのはただ二人」
 彼女を地に抑えつけていた圧がなくなったのか、彼女はそこで大きく喘ぐと、不思議そうに辺りを見回しながら身を起こした。
 周囲の様子を伺い、マリキヤとラザラインは顔を見合わせる。
 カゼクサはアスケロンを見遣ったが、彼は呑気に大あくびをしているから、どうやら魔法使いたちだけが異変を感じとっているらしい。
マリキヤの魔方陣はまだ、緑色の光を煌々と放っている。
「あぁ、ここね」
 まだ地べたに座り込んだままのバイラの背後、隣人を訪ねるような気安さで中を覗き込んできたのは、バイラよりも幾つか年下に見える少女。肉食獣を思わせる鋭い輝きを放つその双眸が印象的だった。
 彼女は行く手を塞ぐバイラには目もくれず、かといってアスケロンやマリキヤに興味を示すこともなく、何の取り柄も面白みもないカゼクサをまるで彼を目指してきたかのようにひたと見据えた。
「ねぇ、あなた。私の代わりに召喚されなさい」




The Story Teller
月影草