激昂しわなわなと震えるティルラの前で、アルルはフードを頭の上まで引っ張り上げた両手に掴んで所在なさげに縮こまるばかりだった。彼女は屋内に戻ってきたマリキヤを見るなりぱっと顔を上げると、すがるような視線を向けてきた。
「えっと……」
「大丈夫、平気よ、平気だからっ!」
 自らを落ち着けようと深い呼吸を繰り返すティルラを横目に、遅れてカゼクサも戻ってきたことを確認すると、アルルは口を開いた。
「クルトを呼び戻す話、してた」
 現在は彼の地《ガランダル》にいるのであろうクルトは、恐らく数年内にティルラを彼の地《ガランダル》へと召喚するのが脈々と今まで続いている連鎖だ。だから先手を打って彼がティルラを召喚する前に此の地《ダンダルド》に連れ戻そう、ということなのだろう。
「それはさー、随分と簡単な結論に聞こえるんだけどぉ、今まで試したことないのー?」
 絨毯の上に座りながらマリキヤが尋ねれば、アルルが居心地悪そうに身じろいだ。
「きゃ、『客人』が通れるのなら、クルトだって……その……ごめんなさい」
 正座して更に小さくなるアルルにマリキヤが目を白黒させていれば、ようやく落ち着いてきたらしいティルラが眉間に手を当て、小さく溜息を吐いて、諦めとも呆れともつかない声を出す。
「便宜上召喚術と呼んでいるけれど、実際にはそうね、此の地《ダンダルド》と彼の地《ガランダル》を同期させる術、とでも言った方が正しいのかしら。彼の地《ガランダル》に存在するモノを此の地《ダンダルド》にありながら感じ取り、此の地《ダンダルド》に存在するモノとして再定義するのよ。だから術者は此の地《ダンダルド》において彼の地《ガランダル》を感じられなければならないーーそれはクルトにも私にもできないの。此の地《ダンダルド》に生まれる私たちは彼の地《ガランダル》の知識はあれど、経験がないから存在を感じ取ることができないから」
 召喚術に詳細に気を取られていたマリキヤは、言葉を切ったティルラが溜息混ざりにアルルを見、盲点だったわ、と苦々しく呟くのをぼんやりと眺めていた。
 フードを両手で握りしめるアルルの顔は、最早鼻から下しか見えない。
「そういえばアルル、彼の地《ガランダル》には行けるって……」
 召喚術の理論からようやくアルルと彼の地《ガランダル》の関係性に頭が切り替わったマリキヤは、ふと浮かび上がってきた記憶の一幕を口に出す。フードを更に引き下げたアルルは、その仕草でマリキヤの言葉を肯定していた。

 あの日、カミとしてであれば行けると、彼であったアルルはマリキヤに告げた。
 ヒトは死ねばカミになり、カミからヒトとしての受けるものではあるが、ヒトとして生まれた時にはカミとして存在していた記憶は失われているものだ。マリキヤだって、そもそもカミの存在を信じていなかったほどだ。自らがカミであった時の記憶など、ある訳がない。
 しかし、『客人』として現れたカゼクサを迎えに行った時のカコニスの言葉を信じるのならば、アルルはカミになって尚、アルルとして存在していたらしい。ならばこそ、「カミとしてならば彼の地《ガランダル》に行ける」という発言になるのではないか。彼、彼女はアルルとして二つの世界を行き来しており、ヒトとして転生してからも己の体験として覚えているのではないのだろうか。

「ティルラとクルトが特別なんだと思ってた。魔法、まともに使えないのに、試したこと、ない」
 フードを目深に被っていても視線は感じるのか、そんなか細い言い訳がフードの奥から聞こえてくる。少なくとも情状酌量の余地はあるのではと思ってしまうあたり、マリキヤはアルルに甘い。
「あの……それは、今も向こうの世界を感じ取れるって、そういう、こと?」
 恐る恐る訊ねたのは今まで黙って聞いていたカゼクサで、そこまで思い至らなかったマリキヤは衝撃に口を開けたままカゼクサを見、ティルラを見た。ティルラの表情は苦く、フードを深く被ったままのアルルの頭がこくこくと小さく動いた。
「ヒト、見つけられなくって、世界、広いから……でもようやく見つけた。クルト」
 アルルは一体いつ、此の地《ダンダルド》から彼の地《ガランダル》を感じられることを自覚したのだろう。今まで黙っていた罪悪感があるのか、フードの奥から聞こえてくる小さな声は、微かに震えていた。
「クルトも捕捉してる。だから連絡、取れるよ」
 アルルの少ない言葉から何が言いたいのか理解する能力にマリキヤは自信があったが、この発言ばかりは暫し熟考するしかなかった。

 クルトが捕捉しているものは何か。アルルだ。彼はアルルの言動を彼の地《ガランダル》から見ているに違いない。
 アルルもクルトを見ているのだから、状態としては互いに互いの言動が分かる、と表現する方が正しいのだろうが、双方向で監視しているようなものだから、常に連絡しあっているとも言えるのか。
 実態はどうであれ、彼の地《ガランダル》にいるクルトと意思の疎通ができているのは間違いがなさそうだ。

 アルルが何を言わんとしているのか理解はしたが、何と返していいのか分からずにマリキヤは当事者であるティルラを見やる。彼女は怒ればいいのか泣けばいいのか、自分の感情をどう表現していいかが分からずに戸惑っているようで、幼い迷子のような顔をしていた。




The Story Teller
月影草