Returning Home



 200年ぶりに、マリキヤはヴィルととバルトを結ぶ街道を歩いた。街道と呼ぶのは正しくないかもしれない。バルトが無人となってからというものこの道を通った人も整備した人もおらず、そこにあったはずの道を判別することは難しかった。
 マリキヤが覚えている当時よりも森は面積を広げ、バルトの街を完全に囲い込んでいた。彼の中では惨状のまま時が止まっているバルトに戻るにあたり、マリキヤは緊張に吐き気を催しており、森に飲み込まれたバルトが見つからないことを願ったが、木々の向こうにそびえる壁はすぐに見つかってしまった。
 苔むし、朽ちて所々崩れた防壁は蔦に覆われていたが、彼の記憶にあるそれよりも遥かに他者を退ける威圧感を放っていた。
 帰ろうか、とマリキヤが弱音を吐く前に、ティルラは道を覆う背の高い草を風でなぎ倒しながらずんずんと進んでいく。どうやら、街までくればその先の案内はいらないらしい。
 少し遅れて着いてくるカゼクサをちらりと振り返ると、腹の底から込み上げてくる酸いものをどうにかして飲み込み、むかつく胃を押さえながらさっさと行ってしまったティルラを追いかけた。
 門の中も、外と同じく草に覆われていた。マリキヤには見覚えのある家々も苔で緑に染まっている。流れの悪い空気は、どこか重たく淀んでいた。
 道を切り開くティルラに続けば、容易に街の中心部まで辿り着く。そこからさらに真っ直ぐと抜けた向こう側、門とは反対側の防壁に寄り添うようにひっそりと建つ小さな一軒家が、防壁に切り取られた丸い青空にぽくりぽくりと呑気な煙を建てているのが見えた。
 ばくばくと胸が早鐘を打つと同時にマリキヤの足ははやるが、前を歩くティルラに追いつくことはなかった。それはティルラも同様に、走っていると表現してもいい速さで街を駆け抜けていたからだとマリキヤが気付いた時には、彼らは既にその家の前にいた。
 少し開けた道の先、まるでそこだけ時間の流れが止まっていたかのように、マリキヤが覚えている通りの姿を留めていた。
 彼が思わず頰を緩めれば、家の前、日光が差し込むその場所にうずくまる人影に気付く。目深く被られた深緑のケープには記憶にあった。ケープの合間から白いものが見えて最初は髪の毛かとも思ったが、それにしてはやたらと細く柔らかい毛並みだった。
 しずしずと足音を殺してその人影に近づくと、ティルラは横にしゃがみ、頭と思わしき部分をそっと撫でる。マリキヤにもちらりと見えた彼女の横顔は、酷く優しい笑みを湛えていた。
 深緑の布の中身がもごもごと動くと、ティルラがなにやら語りかける。わずかながら言葉が交わされたらしい後、その布がむくりと持ち上がり、下から、恐らく目をこする、小さな手が見え隠れする。
 やがて持ち上がったフードの下から口元が覗くと、その人は顔をティルラに向け、マリキヤに向けて破顔したのだった。
「二人とも、お帰りなさい」

 マリキヤが久しぶりに入ったアルルの家に、あの記憶に生々しい惨状の面影は残っていなかった。強いて言えば、彼が母に持たされていた杖が、マリキヤの記憶にないくらいどす黒く染まり、後生大事に壁に立てかけられていることくらいか。
 ティルラは、まだ眠そうに目を瞬いているアルルを絨毯の上に座らせると、慣れた手付きで棚から鍋やら皿やらカップやらを取り出し、勝手に茶会の準備を進めている。
 マリキヤとティルラの二人の置いていかれ、必死に追いかけてきたカゼクサはもう限界と言わんばかりに、けれど遠慮はあるらしく、絨毯の隅にちまっと座っては膝を抱え、近くに置き去りにされた紙を眺めていた。
 こぽこぽとティルラが茶を注ぎ分ける頃にはアルルも目覚めたのか、部屋の隅に追いやられていた円卓をずるずると部屋の中央に引きずってくる。
 「どうぞ」と優しげな顔で差し出された白く薄い焼き菓子に、アルルは非常に自然な動作で被っていたフードを背中にと押しやる。あまりにもあっさりと脱ぎ捨てられたフードに、その下から覗いた幼い顔に、マリキヤは閉口した。
 アルルの顔が、彼の記憶にこびりついたそれよりも幼いのはまだ良しとするが、性別が変わっているのはマリキヤの気のせいだろうか。
 マリキヤの戸惑いを他所に、ティルラに勧められるがままにアルルが、そしてカゼクサが差し出された焼き菓子に手を伸ばし、それぞれ幸せそうな表情を見せる。彼がティルラを盗み見れば、喜んでもらえてよかったと安堵すると同時に嬉しくてこそばゆいような顔をしていた。
 おいしい、と呟きながら二枚目を手にしたアルルが、はたと思い出したようにマリキヤを見据える。
「自分、死んでも転生する。だから死ぬけど、死なない。人の一生は短いから、転生するまで生きてる人、いない。だから言わなかった。けど、マリキヤ生きてて嬉しい。また会えた」
「ホントにアルルなんだ……」
 ぽつりとマリキヤが零せば、うん、と花を綻ばせるような笑顔が返された。




The Story Teller
月影草