A Hypothesis



 それは、此の地に住まう誰もが一度は耳にする物語。
 魔法と呼ばれる力を独占しようとし、潰えた家の逸話。
 そして――彼が一度たりと語らなかった、御伽噺。

「アルルはさ、伝承とかよく知ってるのに、カミのツカイの話だけはしないよね」
 マリキヤが何気なく話を振れば、干した果物をもぐもぐと噛んでいた彼はぴたりと動きを止める。
 ごくりと口の中のものを飲み込むと、「そうだっけ」と小さく、どことなく低い声で呟いた。
「『癒し手』の話なら、したと思う」

 『癒し手』とは、大昔に存在したと言われる、歌を歌うことで人を癒したとされる女性のことだ。
 彼女はカミに愛され、力を分け与えられた「カミのツカイ」と呼称されるが、おそらくは魔法使いの原型であっただろうと考えられている。

「うん。『癒し手』の話なら聞いたけど、そっちじゃなくて、『始祖』の話」

 カミのツカイよりも後の時代に現れ、カミの力を自由自在に使いこなした最初の魔法使いとして後世に語り継がれる伝説だ。
 力を独占しようとした『始祖』の家が破滅したが故に、魔法と呼ばれる力が世間に普及したのだと伝えられる。

 手中に残っていた果物の欠片を頬張ろうとした彼の手が、ぴたりと止まる。
 閉ざされた口元が僅かに彼の不快感を表現し、苛立ちを紛らわせるように彼の指先が果物を押し潰した。
「その話はしない」
 普段はのんびりふわふわとした雰囲気の彼にぴしゃりと言い切られ、マリキヤは首を傾げた。
「『始祖』の話はしない。だってあの話は」
 続けられるはずだった言葉を、マリキヤは知らない。



 突然現れた謎の少女を前に、マリキヤは成す術がなかった。

 カミの存在を信じる者たち、そして実際にカミの姿を見ることができる者たちの言葉を信じるのならば、魔法使いによる争いはカミという戦闘力の奪い合いでもある。
 従えるカミの人数は行使できる魔法の威力に直結するが、力量に大きな差がある場合、強い方がその場にいる全てのカミを従えてしまうこともあるらしい。
 マリキヤだって魔法使いの端くれとしてその位の話を聞いたことはあったが、実際に全てのカミを取られ、自らの魔法が効力を失った、などという事態に陥ったのは初めてだった。

 太刀打ちできないと観念していたマリキヤは、いまだに煌々と輝き自己主張を続けている魔法陣を消すと、手を腰に当て、ふむと室内を見回した。
 流石に異常を感じたらしいアスケロンは既に立って身構え、腰の短剣に手を伸ばしているし、ラザラインはカゼクサを背後に庇うように手を伸ばしている。名指しされたカゼクサの顔色は蒼白だ。
「それはさぁ、『客人』である彼がちゃんと帰れるってことでいいのかなぁ?」
 へらりとしたマリキヤの問いは聞かれたくなかった質問だったらしく、少女は即答せずにきゅっと口を結んだ。
「……理論上は、多分」
 しばらくして返された言葉は、最初の高飛車な態度からは予想だにしない、気弱なものだった。

 少女はティルラと名乗り、此の地《ダンダルド》にて転生を繰り返し、彼の地《ガランダル》に強制召喚されるのだと語った。
「彼の地において彼は私を召喚し、私は彼を召喚する。永遠に終わることのない連鎖が今まで延々と続けられてきたわ。それを私は、私たちは終わらせたいのよ。だから協力しなさい」
「そう簡単に言ってくれるけどさぁ」
 さてどうしたものか、と椅子に深く座り直したマリキヤは手を頭の上で組んだ。
 ティルラの言葉を疑ってかかるつもりはない。が、だからと言って大人しくカゼクサを渡す義理も義務もない。絶望的な力量差がそこにあったとしても、だ。
 なにより、なんか面倒そうだ。
「ところで、ここはバルトの街じゃないの?」
 困ったわ、などと頰に手を当てて呟くティルラは、一見良家の子女のようにも見えるが、そんな見た目に騙されてはいけない。
「ここはヴィルトですよ。バルトはもう少し先にありました。ですが……バルトに何かご用事が?」
「もっと先って、もう森しかないじゃない。用事というか……そうね、簡単にいうなら待ち合わせ、かしら」
「あんなトコで?」
 毒気を抜かれて会話に参加し始めたラザラインに迷子の道案内など任せておけばよかったものを、バルトと聞いては黙ってもいられずにマリキヤは険のある声を出した。
 ティルラには睨まれても仕方がないと思ったが、彼女は意外にも小首を傾げ、その表情を曇らせるだけだった。
「あんな所とは、どういう意味かしら」
「恐らくお相手の方は来られないのでは、という意味です。バルトの街が廃墟になってから久しいので……」
 ラザラインの丁寧な回答に、ティルラは年齢相応のきょとんとした表情で数度瞬いた。口元に手を当てて暫し考え込むと、笑顔になって「問題ないわ」と言い切る。
「街が寂れていようと廃墟と化していようと関係ないわ。だってあの子の帰る場所はどうやったってあそこ以外にないんだもの」
 「あの子」。マリキヤの胸がずきりと痛んだ。
 名指しされたわけでもないのに、フードの姿がちらちらと彼の脳裏を過ぎる。
 「あの子」という言葉に反応したのは、マリキヤだけではなかった。
「それはあの、アルル・フォン・デル・バルトのことですね^!?^ やはりあの方はバルトの街に戻ってあった! 私は間違っていなかった!」
 室内にいる誰もがその存在を綺麗に忘れていたバイラの歓喜の声に、マリキヤはむすっと顔を歪め、ティルラも忌々しげに彼女を睨みつけた。
 どうやらこの二人、アルルの件に関しては意気投合できそうだ。
 一方のバイラは、降って湧いたアルルの情報に感涙するあまり、二人の冷ややかな視線には気づいていないらしい。
「まことしやかに噂されるカミの愛し子! 転生を繰り返し、古くからの言い伝えを、そして自ら経験した歴史を語る『語り部』! いつの時代、どの村に生まれても必ずバルトの街に帰るとされるその人が! やはり」
「黙りなさい」
 饒舌に語っていたバイラは、ティルラの一言で口を噤んだ。否、噤まされたのだ。
 予備動作も呪文の詠唱も何もなかったし、人の行動を強制できるような魔法の存在をマリキヤは知らないが、彼は確かに魔法の気配を感じたし、魔法を使っても黙らせたかった気持ちも分かる。ティルラがやらなければ、マリキヤが張り倒して物理的に黙らせているところだった。
 同時に彼は再確認した。ティルラは敵に回すまいと。




The Story Teller
月影草