Breaking a Hierarchy



 マリキヤが生まれるよりももっと前、まだその街が森の外にあった頃、その街は堅牢な防壁と集まった魔法使いたちの力で日々森からやってくる魔物から身を守りつつ、細々と暮らしていた。
 魔物による被害で暮らしは決して豊かなものではなかったが魔法の研究が進み、後に魔法使いの名家と呼ばれる家を幾つも輩出した、魔法使いの里でもある。
 度重なる魔物による襲撃から街に住む一般人は徐々に減り、代わりに世界各地から魔法を学びに人が集まった。
 魔物を生み出す森はその領域を広げ、しかし魔法使いたちには抑制する手段もなく、マリキヤが生まれた頃には森が街を半ばほど飲み込んでいた。

「マリキヤ! 遊びにいくなら杖は忘れちゃ駄目よ? その杖はあなたの生命線なんだから」
「はーい」
 唇を尖らせながらも、マリキヤは玄関脇に立てかけてある杖を手に取った。
 自分の身長程もある杖は重く邪魔なだけなので、本音を言うならば置いていきたい。だが、この杖が魔力を底上げすると心底信じて疑わない母親が、そんなことは許さない。
 杖を引きずりながら家を飛び出せば案の定「大事にしなさいっ!」などとお説教が追いかけてくるが、最早マリキヤの知ったことではない。
「あー、落ち零れがまだ悪足掻きしてらぁ」
「杖なんて役にも立たないのにねぇ」
「魔法使い辞めて格闘家でも目指すんだろぉ?」
 けらけらと笑う子供たちを避けるように家々に隠れながら、細い裏路地を勢いよく駆け抜ける。
「必死ねぇ、成り上がりの家は」
 嘲笑う声が追いかけてくる。
 家の角を曲がり子供たちの死角に入ると、マリキヤは持たされた杖を地面に叩きつけた。

 名門の名を争い鎬を削る家同士の確執は大きい。
 魔法使いの力は普通、親から子へと受け継がれていくものだ。だから世代交代があっても家の格付けは変動せず、家同士の争いが表立つこともなかった。
 その裏で各家は次世代に当代よりも強い力をなんとか遺せないものかと情報を集め、政略結婚を繰り返してきた。時に人体実験までもが行われているとまことしやかに囁かれてはいるが、公式にはただの噂となっている。真に受ける者はいない。
 どうにかして他家を出し抜いてやろうとする争いの中から真っ先に脱落したのが、マリキヤ自身の家だった。
 最初から歴史を積み重ねて力を蓄えてきた他家とは違い、元々何世代前かにぽっと成り上がった家だ。一代で得た力は一代で消えるらしく、彼の両親に力はあっても彼本人にはなかった。
 だからこそマリキヤの母親は更に執着し、一代で力をつける方法を血眼になって追い求めた。一時期は枝についた白い花を延々と食べさせられたし、この邪魔な杖もその為の小道具に過ぎない。
 邪険に扱いすぎて一本目は彼が折ってしまったから、これは二本目だ。折れないように頑丈な作りにしたらしく、一本目よりも太く重量がある。一本目にあった変に甘い匂いがないのだけが救いか。
 その場に捨て置くわけにも行かず、マリキヤはのろのろと杖を拾い上げると再び走り出した。



 目的の家は、防壁に寄り添うようにひっそりと建っている。
 その理由はどうやら、家の主が酷い人見知りであることと、彼が他所者に過ぎないから、らしい。マリキヤは詳細を知らないが、数年前に移住してきたというその人物は、街に馴染むことも、家同士の確執に混じることもなく、静かに暮らしている。

 マリキヤは家の主が留守にしていたことを知らないが、在宅を確認しようとひょいと窓から覗き込んだ。
 右側には小さな台所が、部屋の置くと左手には天井まで届く棚が壁一面に並んでいる。棚には箱やら紙の束やらの他にも、瓶やら人形やらが所狭しと詰め込まれている。
 他には家具らしい家具もなく、円形の絨毯がほぼ部屋の一面に敷かれている。絨毯の上にどんと置かれた柔らかなクッションは大きく、この家の主とマリキヤの二人が上に乗ってもまだ余裕があるほどだった。
 今日はそのクッションの上に緑色の毛布がかけられ、周囲には棚に収まりきらなかったのか、大量の紙が散らばっている。が、人がいるようには見えない。
 裏にでもいるのだろうかとマリキヤが首を傾げて入れば、毛布からにゅっと細い手が伸びて、散らばった紙の一枚を取り上げる。
 驚いて思わず彼が窓に張り付けば窓にぶつかり音を立てる。緑の毛布がむくりと持ち上がると、下からぽかんと開いた口と銀色の髪が覗いた。
 緑の毛布に見えていたそれが実際には家の主である彼が家の中でも脱がないケープで、いないと思った本人はケープのフードを頭から被ったままクッションの上にうつ伏せに転がって読み物をしていたのだ。
 凍りついていたマリキヤが、同じく凍りついていた彼、アルルに手を振れば、アルルは玄関扉を指す。入って、という意味だろう。
 指示された通りにマリキヤは扉を潜ると、邪魔なだけの杖を戸の横に立てかけた。がさがさと紙を弄っているアルルは恐らく片付けようとしているのだろうが、更に散乱させているようにしか見えない。
 ふと手を止めたアルルが、マリキヤの杖をしかと見据えた。
「マリキヤ、魔法、使いたい?」
「別に。こんなの持たされてるから持って回ってるだけだし」
「ん」
 マリキヤがぶっきらぼうに返せば、そっか、とアルルは頷き紙の回収を再開した。
「それともアルルは知ってるの? 力を底上げする方法」
「知ってる。でも教えない」
「何で?」
「いらない力を持つのは重いだけ。方法を知っても隠し事が増えるだけ。マリキヤ、苦しくなるだけ」
 アルルの言に、そんな方法があったのかとマリキヤは半ば感心した。
「アルルはいらないの?」
「いらない。あっても使わない」
 端的に返され、それもそうかと納得した。
 強力な魔法が必要になるのは争いの時くらいだ。日常生活を送るにあたって魔法が使えれば便利な場面はあれどなくて困ることなどないし、魔物化の危険を鑑みて日常生活では一切魔法を使わない人もいる。
 彼は年がら年中、日長一日読み物に耽っていることが多い。たまには外出や人との交流もあるのだろうが、魔法を使う場面はそうそうないだろう。




The Story Teller
月影草