One Tale, Another Tale
カミが荒れ狂い、地が唸る。
混乱した頭でいくら考えてみても、浮かぶのは「 」ばかり。
一体どうなってしまったのか。
先程まで対峙していた彼女は、このカミの暴走に巻き込まれてしまっただろうか?
落ち着いてみれば、見たこともない場所に、クルトは一人佇んでいた。
やたらと鼻につく鉄の香りに、彼は僅かにその眉をひそめる。生々しいのは、今正に殺戮が行われたから。
だというのにその場はとても静かだった。否、だからこそ、静かだった。
その静寂を打ち破り、がしゃがしゃと耳障りな音を立ててクルトに駆け寄ってきたのは、妙に光沢のある固そうな服に身を包んだ、若い男。
彼はただ立ちつくすクルトを見つめ、呆然と呟いた。
「……守護神が、降臨された……?」
甘い香りは、故郷の証。
カミのツカイ、と呼ばれるモノたちがいた。
彼らはヒトでありながらその身体にカミを宿し、ヒトならざる力を行使する。彼らの力は癒し、守り、破壊と多種多様。
ただし彼らの数は極めて少なく、二人同時に現れたことは未だかつてない。
そう、言われていたというのに。
にこにこと笑い、ティルラには見えない「彼ら」と戯れる男の子を広い原にただ一本、白い花を咲かせた樹の下に見つけ、彼女はきっと睨みつけた。
彼女は彼の名前など知らない。だが、ティルラよりも強いと噂のカミのツカイであろうことは、その様子を見ただけで分かる。
ティルラには見ることのできない、カミの姿。それを彼は難なく見つめているのだから。そしてその事実は、ティルラにカミのツカイとしての力の差を見せつける。
腹立たしい。
彼さえいなくなれば。
ティルラが思えば、恐れをなしたカミがざわめく。楽しげだった男の子の表情が不思議そうになり、周囲を見回した彼の視線はやがてティルラへと辿り着く。
彼女はこんなにも敵意を剥き出しにしていると言うのに、彼はただ、無邪気に笑いかける。たちどころに落ち着きを取り戻したカミの存在が、ティルラを更に苛立たせた。
「あんたは、何?」
「僕? 僕はクルト」
「カミに、何かした?」
「まさか。彼らは僕の友達だよ」
それは恐らく真実であろう。現にティルラが連れていたカミですら、クルトという存在に馴染み、惹かれつつあるのだから。
自分よりも年下に見える彼に、ティルラはどうしても敵わないのだと悟る。
否、彼は年下なんかじゃないと、カミがティルラに告げる。彼は幼くあるだけなのだと。
「あぁ、そう。カミに何かしたわけじゃなくて、あんたはカミを欺き続けてるってわけね。知らなかったわ、幼くあればカミにも可愛がってもらえるなんて」
「君じゃ、駄目だと思うよ。確かに僕は幼くあることを選んだ。そこに、幼ければカミが構ってくれるだろうって打算がなかったとは言わないよ。
だけど僕はそれ以上に、彼らと友達でありたかったんだよ。いつまでも」
単に幼さを選んだのではないと、彼は平板な口調で言う。
「カミはこの大自然の意識体。
ヒトはもちろんだけど、ましてやカミのツカイと呼ばれる僕らがカミに逆らえるはずはないし、そもそもカミに逆らおうだなんて考えたらいけないんだよ」
彼の笑顔は、ティルラに口を挟ませない。
「それならば純粋になればいい。純粋に彼らと友になればいい。
君は恐怖によって彼らを押さえつけてるみたいだけど、そんな支配関係は長く続かないよ」
カミが意識体だと人伝に聞いた時から、そうであろうことはティルラも薄々感づいていた。けれど彼女には分からなかった。どうすれば彼らと良い関係を築くことができるのか。
ティルラだって、このままではいけないと悩んでいたのだ。だというのに、それをいとも簡単に指摘され、かっと頭に血が上る。
難なくカミの姿を見ているクルトに、酷く曖昧な感覚でしかカミを認識することのできないティルラの何が分かるというのか。
穏やかな瞳で同意を求めてくる彼に、そうは思わないと否定の意味をこめ――だが、ティルラの力は、クルトによってあっさりと相殺された。
「そっか、分かり合えないんだ。残念だな、同じカミのツカイならって思ったんだけど。でも、理解しあえないなら仕方がないね。君はそんなに僕を潰したいの?」
どこかいたずらっぽく微笑むクルトに、当然とティルラは返す。
「えぇ、もちろん。あなたを潰すのは私」
「いいよ。潰せるものなら潰してみせて。ただしそれが叶わないのなら――僕が君を潰すよ」
それは宣言であり、契約であり。
にっこりと笑ったクルトの瞳に、「力」が宿る。
クルトにとって、これは単なる暇つぶしかもしれない。ただの力試しかもしれない。それでも、彼女はぶつけずにはいられない。
己の力の全てを。
濃厚な甘い香りが、嵐のように叩きつける。
カミの起こした暴走に、思わずティルラはぺたりと座り込んだ。
今までカミに暴走を許したことなどない。その自負が、彼女から思考力を根こそぎ奪い去る。
カミの意思とは大自然の意思。
ヒトとはただのちっぽけな存在なのだと、逆らえる訳がないのだと、実感を伴ってティルラはようやく理解した。
彼女が呆然としている間にそれは収まり――その場にはティルラただ一人だけが残された。
ティルラとクルト、二つの相反する命令に混乱し、カミが暴走したのは理解できよう。だがそれでどうしてクルトが消えてしまうのか。むしろ消えるはずだったのは、ティルラの方ではないのか。
「どうして。どうしてよ。誰か説明しなさいよ、今すぐ」
反応はない。彼女の怒りに、誰も応えない。普段ならばすぐに怯えるカミさえもが大人しい。
そこでティルラはようやく気が付いた。そこには応えるべきヒトも、カミも、いないのだと。
ティルラを嘲笑うかのように、白い花弁が数枚、風に揺れた枝から舞い落ちた。
カミは還りたがっているのだと、誰が言った?
カミに還る場所などないとクルトは思っていたが、どうやらそれは間違いであったらしい。
クルトが通されたのは、城の中の一室。外見は石造りの剛健な城だが、部屋は見たこともないほど豪華なしつらえであった。
見慣れない場所で、見慣れない人々に囲まれ、馴染みのない文化にさらされているのにも関わらず、クルトは落ち着いていた。それは、自分以上に取り乱している人を見ると落ち着く、あの心理であろう。
「……君はそこにいるのかい?」
クルトは感じていた。ティルラの気配を。もう一つの世界の存在を。
だからこそ理解できた。ここが、違う世界であることを。
『どうしてよ。誰か説明しなさいよ、今すぐ』
「……ティルラ? どうしてって、何のこと?」
怒りというよりも戸惑いの声に、クルトは首を傾げる。元いた世界で、何かあったのだろうか。クルトが世界を渡っている以上、何かはあったのだろうが。
そして彼は愕然とした。いや、したのはティルラだ。クルトはそれに感化されただけで。
『どうして……どうしてよ』
「ティルラ、落ち着いて。何があったの?」
彼がいくら問いかけてみても、ティルラはただ「どうして」と繰り返すばかりで、一向に答えはない。
もしかして、と今度はクルトが唖然とする番だった。もう一つの世界を感じているのはクルトだけで、この世界の存在を彼女は感じられないのだと。
そしてひときわ高く、ティルラの声が飛び込んでくる。
『どうして「力」が使えないのよっ!?』
彼女の叫びに促され、ゆっくりと確認するようにクルトは周囲を見回した。彼の周りに相も変わらず付き添っているのは、彼自身も慣れ親しんでいるカミの存在。
そこにちらほらと混じる見慣れない顔は、恐らくティルラが連れていたカミであろう。
だとするのなら。
「……あはは……あははははっ」
クルトは弾けたように笑いだす。
カミが還りたがっていたのは何故か。還れなかったからだ。
クルトとティルラの「力」の衝突によって、世界は歪みを抱えた。ヒトをもが通れる程の歪み――カミが通れぬ訳がない。
そして実際、クルトと共に彼らはある。だとするのならば今、彼の地では「力」が使えない――「力」によって行使するカミがいないのだから。
カミが世界間を行き来していたかどうかは、クルトには定かではない。だが行き来があったとしてもそれは稀だったであろう。
それが普通であり、それで世界の均衡が保たれていたのなら。
「ティルラ……僕らは、とんでもないことを仕出かしてしまったらしいよ」
その声は届かない。
終わることなき生は、許されぬ罪の証。
遠い昔、カミのツカイと呼ばれる二つの家が存在した。
二つの家は反発しあい、争い、やがて両家の滅亡を招くこととなる。
両家が滅びたことで、秘匿された「カミのチカラ」は世に流出し、この世界における「魔法」の普及に繋がった。
――そんな御伽噺を聞いて育った少女は、物心がついて愕然とすることになる。
「これは……過去の私?」
尾ひれがついているものの、それは紛うことなき彼と彼女の物語。
その物語が終焉を待っていることを知るのは、ただ二人。
The Legend
月影草