Renew Your Mind



 からりと晴れ上がった青い空。
 好き放題伸びたバラの枝が、方々に深紅の花をつけていた。
 昔は国教の神殿だったこの場所だけれど、今やただの廃墟と化している。そんな所に生えているバラなんて管理する者はなく、そこには美しさの欠片もない。
 ただ、ヒトが近寄らないから。
 それだけの理由で、僕はバラの枝葉を天井に寝転がっていたというのに。何故彼は、来てしまったのか。

「暇そうだな、お前」
 上から降ってきた声に面倒だなと思いつつも目を開いてみれば、そこには茶目茶髪の、青年というのには老けた男がいた。
「初対面の人に向かって、最初に言う台詞が、それ?」
「ん? 他に何を言うことがある。あぁ、街はどっちだ?」
「……知らないよ」
 ごろりと転がって、彼に背を向ける。
 今まで、ヒトには散々な目に遭わされてきた。そこからようやく自由になれたというのに、どうして好き好んでまたヒトと付き合わなければならないのか。
 滅ぼしてやるのは簡単だけど、そこまでするほどヒトになんて興味がない。だけどヒトがいるのは煩わしい。だから、ヒトがいない所にいる。
 そんな僕が、ヒトの居る場所を知るわけがないだろうに――まあ、初対面の彼がそんな僕の事情を知っているはずもないけれど。
「お前、人生捨ててんな。どうして俺はそういう奴とばっか関わっちまうかなぁ……」
 何を思ったのか、彼はどっかりと僕の横に腰を下ろす。早く、一人にして欲しいというのに、僕の都合などお構いなしらしい。追い払うだとかどこか別の所に移動するだとか、いくつか選択肢は思いついたが、そのどれもが面倒だと思ってしまう。
「お前、名前は?」
「クルト」
「そうか。俺は輝安だ。よろしくな」
「よろしくって、何?」
「挨拶は挨拶だろ。お前のその態度、本気であいつを思い出すな……」
 苦く笑うも、彼は動かない。
 仕方なく、僕は起き上がって相手をすることにした。どうせ暇をしているんだ。キアンと名乗った彼も付き合ってくれる気みたいだし、ならば付き合ってもらっても問題ないだろう。
 むしろ、暫く付き合わなければ帰ってくれそうにもない。
「何しに来たの? こんな所に」
「迷った」
「迷った?」
 ここはかなりの郊外で、ヒトが住む街までは遠いはずだ。それを迷って辿り着けるとは、彼も大したものだろう。
「人生を捨てているのは、君の方。普通はこんな所まで来ないよ」
「だから、俺は迷っただけっての。お前は何待ってんだ、ここで」
「世界が滅びるのを、かな」
 この国が滅びてから、あんな茶番には付き合わなくてよくなったけれど、結局僕らが「繰り返す」ことに変わりはない。
 本当にいつまで続くのか。
 世界の終焉を迎えてたら、終着に辿り着けるのか。
 それとも――世界の終焉すらも、見守ることになるのか。
 脈絡があるのかないのか分からない質問をしてきた彼は、ふぅんと頷く。結局、僕がどうしていようと興味がないんじゃなかろうかと思わせる反応だ。干渉されるのも、困るけれど。
「受身だな、お前。あいつはその点積極的だったぞ。あいつ、俺なんかより大分年下のガキなんだがな、自分を縛ってるものから飛び出して、更にはそれを潰す気ときたもんだ」
 あーあ、と彼は空を見上げた。
 愚痴を零すような口調の割りに、どこか誇らしげだ。子供か教え子か――彼の口調からして前者はなさそうだ――彼は表面では否定しているが、内面では全面的に肯定している。その子にとって良い支持者であっただろうに、彼はこんな所にいていいのだろうか。
「いいんだよ。どうせ俺には足手纏にならないように隠れてることしかできねぇ。
 だからさ、待ってるだけじゃ駄目だろ。お前、世界を潰す気になってみろよ。そしたら――ちょっとは変わるんじゃねぇの?」
「――そう、簡単に言って欲しくはないね」
 自分一人で足掻いて何か変わるのならば、どうして彼女と二人で足掻いていた間に変わらなかったのか。
 僕らだって、色々と試したんだ。結果何も変わらなかった。  それも含めて、全てが繰り返しに過ぎない。「変化」させるためには多大なるエネルギーが必要で――そんなエネルギー、疲れきった僕ら二人にはもう残されてない。
「それに、世界の滅亡自体にも興味ないんだよ」
「じゃあ、何に興味があるんだ?」
「終焉」
 ぽつりと単語だけ返せば、何を思ったのかキアンは大爆笑だ。なのに、不思議と嫌な気分にはならなかった。
「俺は科学者だ。だから死後の世界なんてものは信じちゃいない。その俺に言わせりゃ、世界の滅亡も、個人の終焉も同じだね。観測者である自分の存在が、どっちにしろ消えるんだからな。重要なのは、その前に何ができるか、だろ」
「多分、僕には関係ないよ……あぁ、でも確かに、終われるかもね」
 一つの世界が消えたとしてももう一つの世界が残されているのだから、自分という存在が消えることはないだろう。けれど世界が一つしか存在しなくなるのであれば、召喚の連鎖は少なくとも断ち切れる。
「色々と事情がありそうだな。話してみろ」
「同情ならお断り」
「違う。暇潰しだ」
「……余計に悪いよ」
 僕の抗議なんて気にした風でもなく、彼はただにやにやと笑う。本気で暇つぶしに使うつもりらしい。やっぱり相手になんかせずに追い返せばよかったと思うものの、後の祭りだ。
 彼はただ、僕の言葉を待っている。
 仕方なく僕は記憶を遡り、ぽつりぽつりと語り始めた。

「そういうことか」
 話が終わると、納得したように二、三度キアンは頷いた。
 この世界にある科学というものは、彼の地《ダンダルド》を認識していない。だから僕は軽視していたが、もしやそれは間違いだったのではと一瞬期待する。
 だが、過度の期待は禁物だと、僕は理性で早まる心臓を押しとどめた。
「信じるんだ、こんな話?」
「証明ができないってだけで否定する気はねぇよ」
「何か分かった?」
「全く」
 やっぱり期待するのは間違っていた。
「だけど興味深くはあるな。魔法の行使で世界が歪む? さすが、科学を超えてるな。で、お前らは召喚と転生を繰り返してると」
「そう。僕らだってそれに甘んじている訳じゃない。一度は召喚しないで最後まで粘ったこともあった――だけど、してしまうんだよ。それは理論とか理性とかいう自分で制御できるものじゃなくて、本能なんだ。どんなに足掻いてみても、抗えるものじゃないんだ」
「だからって諦めていい理由にはならねぇな」
「じゃあ君がどうにかしてくれる?」
 諦めてはいないけれど、科学という力は彼の世界に干渉しない。だから縋ることもできない。他にも頼りになりそうなこの世界に伝わる様々な神話や伝承を辿ってもみたけれど、その全てがただの作り話で徒労に終わった。
 だから、方法を探すのならば彼の地でなければならない。物心がついてから、そして僕らを縛るであろう「親」という存在を押しのけてから、この世界に召喚されるまでの五〜七年間が勝負なんだ。
 繰り返す度に彼の地《ダンダルド》で魔法の研究は進展していた。だけど、僕たちの求める答は未だに出てこない。少なくとも、彼の地にいる間に当たれた研究は、全て外れだった。
「せめて、逆だったら」
 ぽつりと呟いて、ぱたりと地面に転がった。
 そう、せめて逆だったのなら。こうして此の地《ガランダル》で持て余りしている時間を有効に使えたのなら。事はもっと早くに解決していただろう。でもそれは――叶わない。
「……すまんな」
 何を思ったのか、キアンが僕の頭をぐしゃぐしゃと撫でてくる。
「……何が?」
「恐ろしいほど頭の良い知り合いがいるんだよ。あいつだったら、いや、あいつらだったら多分お前の力になれた。だけどな、今は連絡とれねぇんだ」
 悔しげに茶色の髪を風に揺らして彼は言う。
 茶目茶髪。
 もしかして、彼は。
「西の大陸から来たの? 亡命?」
 あぁ、と彼は頷いた。
 綺麗な言葉を話すし、茶目茶髪はこの大陸にだって沢山いるから気付かなかった。
 西の大陸――中央付近に位置する二つの大国が現在戦争中だと聞いている。実は裏で糸を引いている国があるとかいう噂もあるが、真偽の程は確かではない。
 恐らく彼の知り合いはまだ西の大陸に、しかも戦争の真っ只中にいるんだろう。
 残ったのか、残されたのか。
 結局、僕も彼も同じらしい。ことが進展するのを信じ、ただ離れている所で待っているしかできないんだ。
「なんだ。君も同じなんじゃないか」
「まぁな」
 諦めているのか、言い逃れするのも面倒なのか、キアンはあっさりと認めた。呆れるくらいの潔さだ。
「そういや、神隠しの噂なら聞いたことがある。どこまで関係あるかは知らねぇけど」
「ただの遭難じゃなくて? こんな科学が進歩したこの時代に?」
 あぁ、と彼は頷いた。
「確か、二十年くらい前にどっかの山奥で実際にあった話だ」
「随分と曖昧だね」
「関係ねぇと思ったからな。覚えてるだけ感謝しろ。
 で、神隠しに合うのは、他所ものだったとある一族だけ。全員森の中で消えるらしいんだが、足跡は途中で途切れて他には何も残さない。正に消えたとしかいいようがないんだと」
 どう考える、とキアンが視線で問いかけて来る。
 物理的に存在していたモノが消滅する現象を、科学は許さない。それでもヒトが消えたというのならば、それは世界を超えた現象だとは考えられないだろうか。
 たとえそれが直で彼の地《ダンダルド》に繋がっていなかったとしても、賭けてみる価値はある。
「興味深いじゃないか」
 僕はにやりと笑う。
 まだ力は衰えていないし、ティルラが生まれた様子もない。それらの事実が指し示すのは一つの事実。僕にはまだ、時間がある。
 ならば探してみようではないか。その神隠しが起こる村とやらを。
 期待はしない。けれど、確かめてみるのに損はない。
 なにやらごそごそとやっていたキアンはポケットから財布を取りだし、一枚の小さな紙切れを僕に差し出してきた。
 素直に受けとれば、少女としか言いようのない年齢の女の顔写真。キアンと同じ茶髪だが、瞳の色は見たこともない紫だった。
「今は奴も忙しいだろうが、国が一つ潰れる頃には奴の手も空いてるだろ。どうしても困ったら使ってやれ。どうせあいつは色々と持て余してるだろうから」
 持て余しているのは、時間か頭脳か。はたまたその両方か。財布を元あった位置に戻しながら、彼はそんなことを言った。
 幼さの残る顔立ち。
 けれど僕がそこから言えるのは、彼女は決して見かけ通りの年齢ではないであろうことだけだった。



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