イスラスールの青い鳥・下




 翌朝、微睡みから目覚めたエドガーは明かりを点けようと、ベッドサイドに置いていたランプに手を伸ばす。しかし、あるはずの固い感触がない。仕方なく上半身を起こせば、右手に柔らかい毛の感触があり、クラウスの頭か!? と慌てるも、不機嫌そうな猫の声にエドガーはほっと安堵した。
 そしてエドガーの右手辺り、丁度黒猫が気持ち良く睡眠をむさぼっているらしい辺りに、淡く光るものがある。なんだろうと手を伸ばせば、実は起きていたらしいケイシーの鋭い爪が、手にぐさりと刺さった。
「分ぁった分ぁった、取らねぇから」
 ランプは見つからないので、まだ眠っているクラウスには悪いと思いながらもカーテンを開ける。既に太陽は高く、青空が広がっていた。
 ベッドを見れば、クラウスは枕を抱いて布団にしっかりとくるまっており、多少の光では起きそうにない。黒猫は、エドガーが思った通り、彼とクラウスのベッドの真ん中付近で丸まっていた。そしてこちらも、何かに抱きついている。
 ケイシーが抱えているのはなんだ、とエドガーが近付いてしげしげと眺めてみれば、それが、彼の探していたランプだった。ランプではあるのだが、虹色に煌めく紋章が付加されている。
 その紋章、というよりも、その色にはエドガーも見覚えがある。冬の雪道で立ち往生した時に一行の命を救ったあの、クラウスの、魔力の色だ。
 魔法とは縁もゆかりもないエドガーですら分かる程に見事な腕前だったというのに、あの一件からクラウスは頑に自分の能力を使おうとはしなかった。だから、こんな所でまた見られるなどとは予想もしなかった。
 エドガーがまじまじとランプを、それをしっかり抱き込んで離さない黒猫を眺めていれば、窓から差し込む太陽の光はやはり眩しかったのか、クラウスがぱふりと掛け布団をはねのけて上体を起こした。まだ、覚醒はしていないようだった。
「おはよ。昨晩、もしかしてなんかあったか?」
「……」
 エドガーが声をかければ、クラウスからは焦点の定まらない視線が返される。回答を求めるには少しばかり時刻が早かったか。
「……嫌がったから」
と思えば、意外にも答えは帰ってきた。しかし、短い彼の回答では要領を得ない。
「嫌がったって、何が? 何を?」
「ケイシーが、暗いのを」
 クラウスの言葉に、エドガーはようやく昨日の、店主との会話を思い出す。『多分嫌がるだろう』とは、このことだったのだ。だから彼は明りを消すなと言ったのだ。そんなこと、エドガーは綺麗さっぱり忘れていた。
「それでこれ、お前が作ってやったのか?」
 クラウスは目をこすりながらも、こくりと頷く。
 それ以外の可能性は考えられないとはいえ、エドガーは驚きに目を丸くした。また生命に関わる事態にならない限り、クラウスが紋章術を使うことはないだろうと思っていたからだ。だというのに、昨日出会ったばかりの猫に対して、こんなにもあっさりと。
 もしかしてケイシーは大分鳴き喚いたのだろうか。クラウスが耐えかねた程に。そう考えて、エドガーは首を横に振る。そんな、「己の利益の為」に紋章を使うような性格はしていない。だから純粋に、ケイシーの為だったのだろう。
 まだ布団に包まったままとろんとした表情でエドガーを見上げていたクラウスに、彼は言う。
「顔洗って着替えて来な。朝飯にしよう」

 イスラスールが来るだろう日、ということで、市場でつまめそうな食料と飲み物を大量に買い込んで来た二人は、丘の上の芝生に寝転んだ。隣にいるクラウスを見遣れば、太陽と言わず空全体が眩しいのか、顔をしかめている。
「お前、日陰で待ってるか? 来たら教えてやるよ」
「……大丈夫です」
 短く返答した彼は、そのまま黙る。
 無言のまま、どのくらい空を見上げていただろうか。二人の間で丸くなっていたケイシーが、耳をぴんと立てて立ち上がった。
「イスラスールってぇのは、毎年この時期にこの島にやってくる青い鳥のことだ。簡単に言えばただの渡り鳥なんだがな、この島では人が転生した姿だと言われ、子孫を守ると言われてる。守る為に来るんだと」
 聞いているのかいないのか、クラウスの返事はない。
「そして、見た人は幸せになれるとも言われてる」
「幸せに……」
「自分には幸せになる資格がない、だなんて野暮なことは言うなよ」
 クラウスは何も言わない。だから、エドガーにはそれが図星だったのかどうかなんて分からない。青い陰が、クラウスを見るエドガーの視界を掠めた。
「どんな事情があったにしろ、我が子の成長を見られない親ってのは辛いんだよ。我が子が幸せになったのを見られないってのもな。だからお前は、親元を離れてもちゃんと成長できましたって、ちゃんと幸せになれましたって、見せつけなきゃならねぇんだよ。お前が欲しいのは同情じゃねぇんだろ? なら、尚更だ」
 青い瞳は、空を舞う艶やかな蒼を追っている。
「なれよ、幸せに。踏みにじってまで置き去りにして来たもんがあるんだろ?」
 ようやくエドガーの方を向いた青い瞳からは、迷いの色が見て取れた。



「もう出発されるんですね。イスラスールは見れました?」
「そりゃもうばっちり」
「それは良かった。幸せになれますよ!」
 楽しそうに少女は笑う。彼女の腕の中には、今朝方までクラウスにべったりとくっついていた黒猫のケイシーが抱かれていた。
「エドガーさん、あの……」
 少女、レオナが怖いだなんてことはないだろうに、エドガーの半歩後ろにいたクラウスが、彼に控えめに声をかける。
 どした、とエドガーが振り返れば、クラウスは彼が鞄にぶら下げていたランプを、躊躇いながら指差した。
「あぁ、これか、ほらよ」
「……え?」
「お前んだろ?」
 それは、クラウスが紋章を施したランプだった。暗くなったのを感知すると光り始めるのを、昨夜、エドガーも自分の目で確認した。彼が彼女の為に作ったもので、必要としているのは、彼女だ。
「ありがとうございます」
 軽く頭を下げると、クラウスはレオナに向き直り、今エドガーから受け取ったランプを彼女に差し出した。
「あの、これ」
「このランプが、何?」
 レオナは首を傾げるが、彼女に抱かれていたケイシーは、まるで所有権を主張するかのように前足を延ばした。
「えっと……光るんです」
 言葉少なに付け足された説明に、エドガーは吹き出した。ランプなのだから、それは当然光るだろう。
 きょとんとしたレオナを前に、クラウスはおろおろと言葉を探すばかりで埒もあかず、ひとしきり笑ったエドガーが最終的には助け舟を出した。
「レオナちゃんの猫、暗闇怖がるんだな。それ知ってこいつ、作ったんだよ。辺りが暗くなると、自動的に光り出すランプって奴をさ。それがそのランプだ。ケイシーちゃんの為と思って貰ってやってくれないか。こいつがこうやって道具作るのも珍しいし、さ」
 エドガーの言い回しに何か思う所があるらしいクラウスが、どこか非難するような視線をエドガーに向けるが、エドガーにしてみれば、自分でちゃんと説明できなかった方が悪い。
「ケイシーの為に作ってくれたの? ありがとう!」
 そんな二人の様子を気にした風でもなく、レオナは花がほころんだような笑顔を見せて、クラウスからランプを受け取った。
「いつもね、ランプ、昼間から点けっぱなしにしていたの。でも昼間明るいとどうしても点け忘れちゃって。これを置いておけば、ケイシーを暗闇の中に置き去りにしなくて済むのね。良かったね、ケイシー。もう暗闇の中過ごさなくていいのよ」
 にゃあと、最早ランプしか見ていない黒猫が鳴く。
「じゃあ、お二人にイスラスールの加護がありますように。道中お気をつけて!」
「あんがとよ。レオナちゃんも元気でな」
「ありがとうございます。また遊びに来てくださいね」
「あぁ、来るよ。少なくともこいつは。……来るんだろ、お前?」
 エドガーの言葉に目を瞬かせたクラウスに、彼は苦笑した。クラウスは少し躊躇ってから、こくりと頷く。
「そのランプのメンテナンスに、来ます。その内、また」
「分かったわ。待ってる」



 船が出てからずっと手を振ってくれていたレオナが見えなくなると、クラウスの姿が船底に沈んだ。具合が悪いのか、丸くなっている。
「どうした、日陰が足りんのか」
「Nein……違います」
「ならどうしたんだ。イスラスールに残りたかったのか?」
「イスラスール、いなければいいのにって」
「イスラスールが?」
 エドガーが問い返せば、クラウスはようやく顔を上げた。船酔いでもしたかのように、彼の顔はどこか青ざめていた。
「イスラスールは亡くなった人の生まれ変わりって」
「あぁ、そういう伝承だ」
「だから、いなければいいのにって。僕の幸せなんて願ってくれなくていいから、だから、知ってる人誰も、あの群れの中にいなければいいのにって……」
 僅かに潤んだ瞳に、エドガーはようやく気付いた。彼はやむを得ず家を離れたのだと。
 この国にいると忘れてしまいそうになるが、周辺国では未だ戦争が続いている。彼もそんな周辺国から逃れてきたのかもしれないと思うと、たまに違う言語が混じるのにも納得がいく。
「レオナちゃんとケイシーちゃん、喜んでたな」
「はい」
 違う話題を振ってみるが、会話が続かない。エドガーが別の話題を探している間に、クラウスが再び口を開いた。
「……僕も嬉しかったです。でも、まだ、決心が」
 それは恐らく、紋章術を使うことに対しての決心だろう。
「ゆっくり考えな。俺たちといる限り必要ねぇんだし。……何迷ってんのか知らねぇけど、俺は大丈夫だと思う。お前は――怖さを知ってるから。だから覚えとけ。お前の力は、人を幸せにできるんだって。人を笑顔にできるんだって」
「はい」
 一つ頷いて、クラウスは微笑んだ。戸惑いも、苦みもない、作られてもいない、純粋な彼の笑顔など、エドガーは初めて見る気がしてならない。クラウスが彼ら一行から飛び立って行く日は、意外と近いのかもしれないと、一抹の寂しさを覚えた。
「ルーピアにはまだ、滞在するんですよね」
「あぁ。後一、二週間はいるはずだ」
「なら僕は一度、リオ・ドルミールに行ってきます。一度、知り合いに会って、ちゃんと話して来ようと思います」
 ん、とエドガーは眉をひそめた。リオ・ドルミールは、ルーピアに到着する前に通過した街だが、その時クラウスは、知り合いのことなど一言も言わなかった。
 しかし、エドガーには察しがついた。この少年は、その知り合いとやらに会うか会わないか、それも相当迷ったに違いない。
「いたのか知り合い。街寄ったんだから、会ってこないでどーする。近くに寄ったら挨拶回り! これ、商人の基本だからな」
「はい……すみません」
「じっくり話してこいよ。ルーピアで待っててやるから」
「ありがとうございます」
 近くまで迫ってきたルーピアの港を見つめるクラウスの視線は、昨日よりも真っ直ぐ、力強くなっているような気がした。










<言い訳>

真瀬さんが作曲してくださった「イスラスール」の曲に触発され、勢いだけで書き上げました、ちびクラウス編。
こういう交流を繰り返すことで、魔法紋章師としてやっていこうと思えるようになるのではと思います。
最後まで読んでくださった皆様、ありがとうございました!



登録者:夢裏徨
HP:月影草
Good Day Good Departure企画