彼女はそう、寂し気に見えたのだ。



人形と少女



 ここで、と言ったものの、多少日陰に入っていても良いだろうか。そう思いながら額に滲んだ汗を拭い、抜けるように青い空を見上げた。
 雲一つない空から照りつける太陽は、まるで地上を焼尽そうとでもしているかのようだ。ぼうっと見上げる内に空に波紋が広がるように見えたクラウスは、はっと我に返ると帽子を目深く被り直した。どうにも、この天候は良くない。
 暫く細い時計の陰に佇んでいれば、横に長身の影が並んだ。
「やぁ、用事は終わったのかい?」
 微笑んで振り返れば、どこか戸惑ったような瞳とかち合った。
 穏やかな空の色。
 彼の目をそう評さなかったのは、どこか後ろめたさがあったからだろう。今となってはたまにでしかないとはいえ、未だに過去の国を思い返している自分に。
 先程は魔物と言ったが、彼の瞳の空色に一番安らぎを覚えているのはクラウス自身かも知れない。そんな本音は、口が裂けても言えそうにない。
「ちょっといいか?」
「うん?」
「あんたに、見てもらいたいものがあるんだ」
 断る理由もなくスカイアの先導に続けば、細い路地の先に水場が見える。そこに、水色の髪の少女が座っていた。否、少女ではなくて人形だと気付くのに、クラウスは数秒を要した。
「これは?」
「分からん」
 地面に膝をつき、水場に背を預けている「少女」の顔を覗き込む。誰に見せても恐らくは「綺麗」だとか「可愛い」だとか、そんな言葉を返されるだろう整った顔立ち。人形なのだから当然「彼女」は微笑んでいるのだが、しかしそこには「寂しい」もしくは「悲しい」といった感情が浮かんでいるようにクラウスには見えた。
 力があると周囲には言われながらも自身が掲げる目標には遠く及ばず、苛立っては自分を責め立て、それでも諦めきれずに涙をこらえ、唇を噛み締めながらも必死に踏ん張っているような、そんな表情だろうか。クラウスが過去に良く知る少女と重なった。
「この人形は、多分自動人形(オートマタ)の1種だろうね」
「おーとまた?」
「つまり、機械仕掛けの人形だよ。これは、僕が見るところなにがしかの歌を紡ぐものだったみたいだ」
 ドレスの裾や襟、胸元、袖口の模様が魔法紋章だ。見た所、大分複雑な作りになっているようだ。一日や二日程度で完成するようなものでは到底ない。その複雑さでも紋章がこれだけで済んでいるのは、恐らく内部機構がしっかりとしているのだろう。
「何でそんなのわかるんだよ」
 同じくしゃがんで「少女」を覗き込んだスカイアの問いに、クラウスは「彼女」の上体を倒す。長い水色の髪を少し持ち上げてやれば、首の部分に埋め込まれたオルゴールが露わになった。
「ほら、ここ」
「……なるほどな」
「それにしてもスカイア君。よくこんなところを発見できたね。この人形にしても、随分と古いよ。多分、足元にある古代の街の遺物だ」
 古代の街は随分と雨に悩まされたと聞く。ならばその雨に対処する為に魔法紋章が発達していたとしてもおかしくはない。
 最終的に街が沈んでしまったのは、気候を調整するだけの技術力がなかったからか、はたまた——
 クラウスは緩く首を振っていたった考えを追い払う。古代の街が沈んだ理由は、今は関係がない。



 自動人形の少女にここまで執着するクラウスは、仲間たちの目にどう映ったのだろう。
 「彼女」に施された紋章に興味がある。それは嘘ではない。だが、それよりも更に個人的な理由から「彼女」を修復しようとしていることを、クラウス自身分かっていた。
 リューたちの情報によると、「少女」はやはり晴れ乞いの歌を歌うらしい。けれどそんな「彼女」の歌も空しく、街は水底に沈んでしまった。先日思った表情ばかりでなく、そんな身の上話まであの少女にそっくりだ。
 あの少女——クラウスには手助けすることも叶わず、毎晩のように泣いていた少女。けれど昼間は虚勢を張り気丈に振る舞っていた為、彼女が夜をそんな過ごしていたことを知る人はほぼ誰もいないだろう。細い肩にのしかかっていた重圧なき今、彼女はどうしているだろうか?
 ふと作業の手を止め、額に伝う汗を拭う。
 暑い中付き合わせてしまっているスカイアには申し訳ない気持ちで一杯だが、彼が日傘を差していてくれているのは非常に助かる。
「なぁあんた、大丈夫か?」
「うん?」
 スカイアに問われ、クラウスは彼を見上げた。
「いや、あんた、ここのところ珍しく朝早くから作業してるだろ?」
「あぁ……夜になってしまうと明りがなくなってしまうからね」
 真昼間の暑い最中に屋外で作業をする理由など、他にはない。
 生憎今は新月が近く、日が沈めば本当に真っ暗になってしまう。いくらクラウスがいつも暗い中作業しているから慣れているとはいえ、全くの暗闇ではやはり困るのだ。
「雨、降ると思うか?」
 スカイアが疑っているのではなく、クラウスが信じているのか、という意図の問いかけだろう。スカイアの隣にいつの間にか現れては黙って佇んでいる少女もクラウスの回答が気になるのか、じっと顔を見つめてきた。
 クラウスは立ち上がると、今はその足で立っている自動人形の少女を見下ろした。全体的なデザインとのバランスを見るに、クラウスが描く紋章は邪魔になっていない。と、思う。
「降るよ」
 短く返せば、スカイアは少し驚いたようだった。少女も小首を傾げている。
「今度こそ、彼女の願い(歌)はきっと届くと思うんだ。だから早く歌えるようにしてあげないとね」
「あぁ、俺も早く彼女の歌を聞いてみたい」
 スカイアの横で、少女もこくこくと頷いてみせた。



 そして数日後、日照りのシュフィアに再び雨が降ることとなる。
 自動人形である少女に表情まで組み込まれてはいないようだったが、雨に打たれながら歌う彼女は嬉しそうだったように、クラウスは思う。
 そんな「彼女」に、栗色の髪の少女が重なった。



 雨でやることもなく、出発することも叶わずに暇を持て余し、早々と床についてしまった仲間たちの寝息を聞きながら、クラウスは鞄をひっくり返した。
 ノートや紙の束や、作業中の小物などがばさばさと落ちてくる。同じように鞄の奥底から出てきたのは、白い陶器でできた幅広のブレスレットだ。まだスカイアが加わったばかりだった頃、マーケットからユーヒが「クラウスさんのっす!」と叫びながら持ち帰ったもので、薄らと残った魔法紋章の跡が、これはただのブレスレットではなかったことを控えめに主張している。
 ユーヒが直感で見抜いた通り、確かにこれはクラウスが紋章を施したもので間違いない。古く簡素で紋章の組み方も拙いとはいえ、機能していたとしたら、それなりな値がついていたはずだ。
「……それで、君の持ち主はどこだい?」
 魔力切れを起こした紋章は完全に沈黙している。そもそも、この紋章では持ち主を捜すことなどできないことは、クラウスが一番良く知っている。
 あの少女は、いつも泣きながら歌っていた。それが毎回同じ曲であると気付くまで、さほど時間はかからなかった。だからクラウスはブレスレットにその曲を録音し、人目を忍んではそれを再生するのが彼女の日課になっていた。
 そんな彼女が自らブレスレットを手放すとは思えないが、混乱の内に失くしてしまった可能性は多いにあり得る。それでも、このような形でクラウスの手元に戻ってきてしまったことが心苦しい。いつか手放されることを、想定していない訳ではないけれど。
 魔法紋章を用い、一つの道具を作り上げるのは根気のいる作業だ。だから作った道具にはどうしても愛着が湧く。購入した人が道具をどうしようと勝手なのだが、それでも、できれば長く大切にして欲しいと思うのはクラウスの我が侭だ。
 ユーヒに渡された時はどうしても修復する気になれず、今の今まで鞄の奥底深くに埋もれていた訳だが、今ならば集中できるような気がした。
 昼間に見た自動人形の少女の喜ばし気で、誇らし気な顔が、あの少女のそれと重なる。
 直さなければ。彼女が再び泣き出してしまう前に。
 クラウスは魔力の糸を紡ぎ始める。

 夜も大分更けた頃、煌めく紋章にすっかり包まれたブレスレットをクラウスは目の前にかざす。
 作業を終わらせることはできたものの、動作確認で今度は二の足を踏む。元の持ち主に返すことも、別の誰かに譲渡することも恐らくはないであろうブレスレットは、また鞄の奥底深くにしまわれるだけなのだ。
「お、終わったのか?」
「クラウスにしては時間かかったね」
「……(え、いつもより作業終わるの早かったよね? ね、チャーリー?)」
「うわっ」
 突然背後からかけられた声に、クラウスは思わずブレスレットを取り落とすところであった。
 いつの間にか起きていたらしいスカイアとリュー、それにヒースの三人は、どうやらずっとクラウスの作業をかなりの至近距離で眺めていたらしい。いつから、だなんていう問いは野暮で、むしろ今の今まで気がつかなかった自分自身に対し、クラウスは苦笑する。
 リューがすっと右手を差し出した。
「……うん?」
「約束の一割」
「あぁ」
 拾得物の一割は拾った人に権利がある。そんな話を、ユーヒがブレスレットを持ち帰った日にリューがしていた記憶がある。確か、ユーヒが見つけ、リューが値切って買い叩いてきたらしい。
 意味を理解したクラウスは、彼の手にブレスレットを落とす。
「軽く振ってご覧」
「こう?」
 リューが言われた通りに振れば、発動した紋章の淡い光と共に、ゆったりとした柔らかい旋律が静かに流れ出す。耳を澄ましていないと聞き逃してしまう程、微かな音だった。
「……優しい曲、だね」
「そうだね」
 ぽつりと告げたヒースに、リューがすかさず同意する。
 神妙な面持ちのヒースと、どこか面白気なスカイア。リューはいつも通り無表情だが、どこか苛立っているようにも見える。
 最後の音を奏でたブレスレットが再び沈黙すると、リューはそれをクラウスに突き返した。
「満足したかい?」
「うん、嵌めたら最後、外せない呪いの装備にしちゃえばいいと思うよ」
「なんだそれ」
 リューの提案にスカイアが反応し、ヒースの視線が三人の顔を戸惑ったように行き来する。
「いいものを聞かせてもらったよ。ありがとう、クラウス」
「気に入って頂けたようでなにより。お休み、リュー君」
 有無を言わせず質問も受け付けずにベッドに潜り込んでしまったリューを見て、スカイアが再度呟いた。
「なんだあれ」
「多分だけれどね」
 クラウスは立ち上がると、ばらまいた鞄の中身を元に戻しつつスカイアに答える。ヒースも気になるのか、クラウスの顔を見上げた。
「『そんな大切なものを失くすんじゃない』。そういう意味だと思うよ」
 最後に白いブレスレットを机の上から拾い上げたクラウスは、それを少し眺めると、他のものと同じように鞄の中に収めた。
 いつか彼女に返せることを願いながら。







<言い訳>

 透峰零さんの作品「水の街への舟歌」から一部設定・セリフを、「雨で出発できない〜」の設定は、秋待諷月さんの「フィフティ・フィフティ」からお借りしました。ありがとうございます。
 リュー君・ユーヒ君がブレスレットを持ち帰ったのは、「雨に奏でるオルゴール」でのこととして書いています。

 「水の街への舟歌」の中で、クラウスがやたら修復に執着している、とのこと、何でだろうと自分なりに考えてみた結果こうなりました。後はあれです、自分が作った道具が自分の手元に戻ってきてしまったら、クラウスはどんな反応をするんだろうかという、個人的な興味です(待)

 リュー君・スカイア兄さん・ヒース君、名前だけですがユーヒ君をお借りしました。こちらもありがとうございます。

 何か問題がありましたら、ご連絡ください。



登録者:夢裏徨
HP:月影草
Good Day Good Departure企画