市場には人と物が溢れ、公園には幼い子供たちの声が響き渡る。丁度お昼時ということもあり、家々からは香ばしい昼食の香りが漂っている。そんな活気のある、一般的な街。
 強いていえば、街全体に霞がかかっているがこの街の特徴であろう。だが、霞だなんて気象条件さえ揃えばどこでだってありえることで、特に川が近くを流れているとなればなんら不思議ではない。
 それが、川の流れる交易の街、リオ・ドルミールの第一印象だったというのに。
「……?」
 リューはそこに何故か違和感を覚え、首を傾げた。



霧の楼閣・上



 ふわり ふわりと 雲を吐く
 それは 儚く脆い 街となる
 さあ今宵は 宴会だ
 集え 空中楼閣に…

 朗々と響く吟遊詩人の歌声を左から右に聞き流し、街の広場の中、目についた屋台でリューはクラムチャウダーを注文した。
 この街、リオ・ドルミールに海岸はないが、街を流れる川を下って行けば徒歩でも数日の距離に海辺の町、ルーピアがある。その為か海鳥が多く飛び交い、食事と言えば海産物が中心で、風向きに依っては潮の香りも微かながら届くようであった。
 クラムチャウダーをよそってもらうのを待っていれば、ふと背後に人の気配を感じ、リューは振り返る。そこには、次の客が並んで順番を待っていた。それほど暑い気候ではないから、茶色の帽子にジャケットまではまだ許そう。だが、マフラーはさすがに見た目が暑苦しい。更にはサングラスときたものだ。この格好を見て怪しいといわずに何と表現しよう。
「ほらよ、坊主。熱いから気をつけな」
「ありがと」
 紙コップになみなみと注がれたクラムチャウダーを零さないように両手で受け取って、屋台の前から移動する。サングラスの奥の視線ははっきりと見えないものの、背後にいた客と目が合い、僅かに微笑まれたような、そんな気がした。
 こんな不振な格好をするような知り合いはいない筈である。そんなことを思いながら、リューは近くに設けられたベンチに腰を下ろした。
「あんたは?」
「クラブサンドを」
「はいよ」
 自らの格好が暑苦しいという自覚のあるなしはともかく、彼がリューと同じくクラムチャウダーを注文していた日には、見ず知らずの他人とは言え一言二言突っ込んでやらなければリューの気が済まなかった所である。
 目の前で幼い子供が鳥を追いかけているのに一瞬気を取られるが、客と屋台の男の間で交わされる言葉に、ぴくりと耳が反応した。
「今年のは大分多そうだね? それとも成育が良いのかな?」
「あ? なんだ、その話ってのはそんなに有名なのか? まぁ、そりゃ、街の名前もそっから来てるし、他所者が知っててもおかしかねぇな」
「うん、そんなに有名な話ではないと思うよ。僕は職業柄、その手の話が集まりやすいだけかな」
 客はそう言って、軽く肩をすくめた。
 リオ・ドルミール。その名の意味は「眠る川」。
 川の流れが穏やかであるからその名がついたとリューは聞いたが、どうやら別の由来があるらしい。
「あんまり他所者にはしたくない話なんだがな……あぁ、今年はとにかく被害が大きい。うちのも丁度年頃でな、臥せっちまって起きやしねぇ」
 「年頃」。その言葉に、リューは心当たりがあった。
 指摘されてみれば確かに、街に入ってからまだ見かけていないのである。リューと同じくらいの、少年少女の姿を。途中、学校の建物も見かけたがしんと静まり返っており、どうやら休みのようであった。
 到着して街を一周した時に感じた違和感。その原因は恐らくこれだろう。
「それは大変だ。でも一週間くらいでは戻るんじゃないのかい?」
「今年のは長引いてるんだ……っと、すまん。次の客だ」
「あぁ、ごめん。ありがとう。じゃあ、また」
 軽く片手を上げて去って行く不審な格好をした男を、ベンチに座ったままリューは見送った。

 昼食を終え、街中を再び一周してみたリューが集めた情報はこれだ。
 まず、この街には眠り病のようなものが蔓延しているということ。毎年同じこの時期に、十代後半くらいの少年少女が見合わせたかのように同じ症状を見せるのだという事。そしてこれには、一種の魔物が関与しているらしい——この魔物についてまではよく分からなかった。例年通りであるのならばもう既に目覚めて良い筈の子供たちが未だに目覚めないその事実が、街の大人たちをやきもきさせているらしかった。
 集めた情報を頭の中で整理しながら歩いていると、丁度目の前を通りかかった酒場の中が騒がしくなる。何があったのかと視線を向ければ、相当呑んで酔っぱらっているのだろう一人の男が、足下もおぼつかない様子で両脇の二人に抱えられるように出て来た。呂律もろくに回らずにがなり立てている為に何を言っているのかリューにはよく聞き取れなかったが、どうやら何かに対する愚痴を吐き続けているらしかった。
 そんな男と目が合った瞬間。
「……っ!?」
 悪寒が背筋を走り、この場から一目散に逃げるべきだと直感が告げる。
「てめぇ……っ!!」
 泥酔し、バランス感覚などとうに失われているだろう男が、どうしてそんなに素早く行動できたのかが分からないが、彼は両脇の男たちを振り切りリューに飛びかかる。
 リューの取り柄の一つはその素早さだ。素人が多少予想外のスピードで襲いかかって来たところで躱す事など雑作もないし、その気になれば風魔法を用いて遠くまで逃げ切ることだって可能だ。
 が、やはり酔っぱらいは酔っぱらいである。でこぼこの多い石畳に引っかかったのか、男はリューに飛びかかったその勢いのまま地面に倒れた。
「大丈夫か、坊主!」
 酒場から一緒に出て来た男たち数人が、リューを心配して駆け寄る。
「うん、びっくりして肝を抜かれちゃったくらいで、おれは何ともないよ」
 平板な口調で返せば、あまりにも淡々としたリューの態度に唖然としつつも、彼らはほっと胸を撫で下ろしたようだった。飛びかかって来た男を見やれば顔を思い切りぶつけたのか手で覆っていて、表情は見えなかった。
「何で、何でてめぇは何ともねぇんだよっ!」
「おい、よせ。もういいだろ、この子は関係ない」
「いい訳あるかっ! お前んとこだって、子供二人寝たきりなんだろ!? それで平気にしてられるてめぇは何だっ、本当に親なのかっ!?」
 怒鳴られて、仲裁に入った男たちはただたじろぐ。迫力に負けたのもあるのだろうが、それ以上に図星だったのだろう。誰も何も言い返せなかった。
「ローゼンクランツ家の坊ちゃんは、お高い魔道具を買い与えられて守られてるって話だよなぁ。てめぇもそのクチか? 金持ちは違うな、あん男、吹っかけやがって……っ!」
 振り下ろされた拳は、力なく地面に叩き付けられた。
「ってことは、この眠り病みたいなのから身を守る道具はあるんだね? ちなみにおれは持ってないし知らないよ」
 リューが確認を入れれば、数人の男たちが躊躇いながらも頷く。自分の子供たちにも買ってやりたいのだろうに、高くて買い切れない親の葛藤が、その面々に表れていた。
「じゃあ、おれがそれを安く買い叩けば……」
「それは無理な注文ですね」
 そう横から口を挟んで来たのは、少年といっても差し支えない若い男だった。どうやら道の反対側から霧に紛れてこちらの様子を見ていたらしい。
 そんな彼はリューと同じ位の年頃だろうか。その態度は堂々としており、細身でありながら周囲を圧倒させる雰囲気をまとっている。今の男たちの話からすると、床についていてもよさそうな年齢であるにも関わらずこうして普通に歩き回っているのは、彼こそが今話題に上ったローゼンクランツ家のお坊ちゃんであり、病から身を守るという道具を持っているのかもしれない。
 リューがちらりと酒場の男たちを見れば、彼らは萎縮していた。やはり、リューの予想は正しそうだ。
 彼の背後からはもう一人、別の男がふらりと現れる。彼は、リューにも見覚えがあった。
「あ、さっきの不審者」
 思わずリューが口走れば、不審な男の口元が歪む。どうやら苦笑いしているらしい。
 若い男の方は一瞬何を言われたのか分からないようだったが、リューの視線を追うと納得したように笑みを浮かべた。
「その不審者というのはクラウスのことですか。格好が怪しいのは認めますが、腕は確かですよ」
「……日光に弱いものでね。霧がかかっているとはいえ明るいから、外にいる間はこれで失礼するよ」
「じゃあ中に入ればいいの?」
 リューが手近な酒場を示せば、長居する気がないのか、やんわりと拒絶された。
「先ほどの魔道具の件ですが、値段を下げる事はできません。そうですね、クラウス」
「あぁ? 金持ちからすりゃ、庶民の俺たちはどうでもいいってか!?」
「そうは言わないよ。だけど僕も慈善活動をしている訳じゃない——値段が高いのは僕も知っているけれど、一品一品が特注のようなものでね、作るのには時間も手間もかかる。申し訳ないけれど、値引き交渉には応じられない」
 穏やかな口調であったにも関わらず、クラウスの言葉には有無を言わせない強さがあった。
「そもそもローゼンハイム家の作品は現存数が少なく、ローゼンハイムの名を持つクラウスの作品は、今の値段でも安いくらいしているんです」
「なんだって!? ふざけてんのかてめぇ、あれで安すぎるだって……!?」
「あはは、あるのは希少価値だけかもしれないけれどね」
 今にも殴り掛かりそうな怒気を見せる男たちをものともせずに、クラウスは朗らかに笑う。ラルフと呼ばれた少年も、最早酒場の男たちなど目に入っていないのかも知れない。ぎゅっと拳を握りしめて、クラウスの魔道具の素晴らしさを更に語ろうとする体勢だ。
「まさか。あなたは一体何度僕らにあなたの作成した道具の素晴らしさについて語らせれば気が済むんですか。あなたは信じないかもしれませんが、僕は、僕たちは、本気ですよ。ローゼンクランツはあなたの作品が欲しいんです。クラウスが何度拒絶しようと、僕は諦めませんからね」
「へぇ、すごいんだ?」
 若い情熱を見せるラルフにリューが淡々と問えば、常識を疑うような、そんな批難がましい視線が向けられる。
「そんな、『すごい』なんていう一言で片付けられるようなものではありません。良いですか、いくら魔法紋章が施された道具でも、使う為には魔法の素質が必要で」
「ラルフ君」
 リューはラルフの熱弁に興味があったのだが、それはクラウスの静かな声によって遮られ、ラルフもはっと気付いたように口をつぐむ。そしてどこか恥じるようにはにかんで、彼はリューに右手を差し出した。
「僕はラルフ・ローゼンクランツ。魔道具の取引を主に行っている、ローゼンクランツ家の長男です。君は?」
 問われ、握手に応じながらリューは答える。
「おれ? おれはリュー=ウィングフィールド。訳あって一人で旅してるとこ。そっちのその人は?」
「彼はクラウス・ローゼンハイム。彼の家は」
「僕はただの旅の紋章師だよ」
 またも遮ってきたクラウスに、ラルフは恨めしげな視線を向けたが、特に何も言わなかった。
 ラルフは改めて、酒場にたむろっていた男たちに向き直る。彼らはぎくりと姿勢を正した。
「皆さん。皆さんがご自分のご子息・ご令嬢が目覚めない事を気にかけてある事は、僕たちローゼンクランツ家も認識しています。ローゼンクランツ家は現在、原因解明、そして事態の収拾に向けて動いていますので、もう暫くご辛抱ください」
「いつになったら解決するんだ!」
「なんだ、今更シンの駆除とか言い出すんじゃねぇだろうな」
 騒ぎ出す男たちをなだめるラルフの手伝いをする気はないらしいクラウスが、リューにそっと囁きかける。
「ローゼンクランツは一介の商家だけれど、資産家という事で街への影響力が大きくてね。元々は彼らも魔法使いだったこともあって、こういった街の問題には対応するんだ」
 ふうん、とリューは相づちを打つ。
「原因、分かってるの?」
「まぁ、大体ね」
「いつ解決できるかは?」
「うーん、今日明日中には、かな」
「それ、皆に教えれば静かになるだろうに」
「確実に解決すると決まった訳じゃない。もし解決できなかった場合、君は彼らにどう説明する?」
「期待させない方がいいって、そういうことなんだ」
 ぼそぼそと二人がそんな言葉を交わすうちに、まだ納得していないように見える男たちが一人二人と解散して行く。一仕事終えたと言わんばかりの良い笑顔で、ラルフが二人を振り返った。
「では行きましょうか、クラウス」
「ああ」
 そして二人はリューを見る。反応は、言うべき言葉は、決まっている。
「おれも着いてっていいかな?」
 彼らはにこりと笑い、おいでとリューを促した。













登録者:夢裏徨
HP:月影草
Good Day Good Departure企画