風に煽られ



 これは、『羽蝶』たちが、研究者になりたての頃の話――

「……それで、この話はどう思うかね、『羽蝶』」
 半年に一度行われている各部門の研究発表の日。
 わたしは後ろの隅の方で縮こまっているしかなかったけれど、わたしより幼い彼女、『羽蝶』は、前の方で総指令と並んで座り、堂々としていた。
「私の知っている限り、その反応は不可能に近い。
 実際にそのような反応がありうるのか、そこからご検討願いたい」
「検討した結果がこれだ。この反応は特定の条件下で早めることができる」
 冷静に返されても『羽蝶』は慌てることなく、すうっと目を細めるばかりだった。
「では、具体例を。今の発表からするに、貴方は持っているのだろう? 酵素か、触媒を」
「残念ながら、そこがこの研究のメインだ。だから、それに関して現状において明かすことは出来ない」
「反応機構と中間体、遷移状態は」
「それはこれから特定する」
「どうやって」
「X線で、結晶の構造を」
「……やはり最初からご解説願えないだろうか。その反応は熱力学にも動力学にも反している」
 彼は感心したように、嘲笑うように、『羽蝶』を見て、何も言わずにそのまま座ってしまった。
 わたしにはよく分らなかったけれど、どうやら今の話は作り話だったらしい。
 多分その目的は――『羽蝶』を試す為。
「次、発表するのは誰だ?」
 総指令に促され、誰もが言うことはないと目を伏せる。
 『羽蝶』は誰よりも幼かった。だが、誰よりも賢かった。
 元々彼女が属していたのは、年齢と危険性を考慮してのことだろう、理論化学部門だった。
 それなのにいつの間にか彼女は総合部門に引っこ抜かれ、総指令に気に入られ、今では……皆から恐れられている。
 だって『羽蝶』は、事実から、表情から、口調から、嘘を軽々と見破ってしまう。
 そして誰も、『羽蝶』を自分の味方につけられないのだから。
「あの、『羽蝶』自身は研究とかしないんですか?」
 静かに投げかけられた疑問に、その場にいた全員の注目が『羽蝶』に集まる。
「どうかな、『羽蝶』。やってみる気はあるかい?」
 総司令官に質問され、彼女は怖気つくことなく、淡々と言葉を発する。
「チップの研究許可を。研究パートナーには『勇魚』を」
「わたし!?」
 突然名前を出され、びくりと反応してしまった。
 『羽蝶』はわたしを見て、平然と頷くし……でも、なんでわたし?
「『勇魚』。君には拒否権もある。どうする?」
 嬉しいのか、怖いのか、分らない。
 何て返して良いかも分らず、わたしはただ、総指令と『羽蝶』の二人を交互に見比べていた。
 一瞬、無表情だった『羽蝶』の顔に、寂しげな表情が浮かんで――
「いえ……」
「待って」
 取り下げようとした『羽蝶』の言葉を、思わずわたしは遮っていた。
「……やります」


「チップって、何?」
「種類は沢山あるが、私が今回研究許可を求めたものは記憶チップだ」
「何に使うの?」
「人工知能の研究」
「どうやって?」
「子供の成長過程、学ぶ過程を知れば、それを人工的に再現できるかもしれない」
「何で、わたしを?」
「……」
 それまで、どれだけ矢継ぎ早に質問してもすぐに答えを返していた『羽蝶』が、すっと口を閉ざした。
「……不満でも?」
「ううん、不満がある訳じゃなくて……」
 冷たく問い返された私は、思わずたじろぐ。
 やっぱり、『羽蝶』のパートナーなど、辞退しておけば良かったかもしれない。
 顔にはまだ幼さが残るのに、視線はとても冷たいし、何を考えているのかも全く分からない。
 少しだけ、後悔した。
「わたしなんかで、良かったのって……」
「『勇魚』」
 びくりと反応して、わたしは口を閉ざす。
 わたしなんか、『羽蝶』に釣り合わない。
 ……あぁ、だから、わたしには反論する余地もないのかな。
 拒絶する権利すら、ないのかな。
「場所を変えよう。色々と、話したい」

 『羽蝶』に連れられて来たのは、彼女の部屋だった。
 殺風景。
 その言葉が良く似合う。
 この子はまだ12? 13? その位だろうに、部屋には全く飾りっ気がなくて。
 もしこの組織の外に出れたとしても、この子は普通に生きていくことは出来ないんじゃないだろうか。
「……それは、同情? 『勇魚』だって、この組織への加入は強制だったはずだ。
 私に同情などして、どうする」
 静かにわたしを見ていた『羽蝶』に、静かに言われ、わたしはうっと言葉につまった。
 わたしは、彼女が自分より年下というだけで、同情を……?
「……『勇魚』。私があなたを選んだのは、年が近いから。
 似たような境遇にいるから。
 正直、私もきついの。ここでは全てを殺さないと、殺されてしまう。
 だから……」
 無表情のまま、目だけが伏せられる。
 でもそこには、明らかに感情があった。
 いくら大人顔負けの頭脳を持っていても、この子はまだ子供なんだ。
 誰かに守られてしかるべき、存在なんだ――
「……ごめん」
「何が?」
「余計な事、勘ぐったりして」
 『羽蝶』は首を傾げる。
 ……そうだ。この子にとっては、考えを読まれることの方が普通だ。
 勘ぐられることの方が普通だ。
 だから、何を謝られているのか、分からないんだ。
 悲しくって、さびしくって……わたしは、なにかしてあげられないのかな。
 せめてこの子の支えに、なれないのかな。
 そう思ったら、口が勝手に動いていた。
「『羽蝶』も初めて何だってね。こうやって研究任せてもらえるの」
「うん」
「一緒に、がんばろ? 幼いからって、もう周りには馬鹿にさせないんだから」
「うん」
 『羽蝶』がちょっとだけ笑う。
 それが、すごくかわいらしくて。

――これは、彼女の本心? それとも、演技?


 数日後、わたしは『羽蝶』に言われた研究室に向かう途中で、『空木(うつぎ)』に呼び止められた。
 『空木』は、わたしが組織に来たばかりだったころ、わたしの家庭教師をしてくれていた。基礎知識からそれぞれの専門に特化した知識まで、わたしは彼から教わったんだ。
 同時に、この息苦しい組織の中で唯一、心を許せる相手でもある。
 頼れる人で、いつもこうやって、わたしのことを気にかけてくれる。
「『勇魚』。『羽蝶』に指名されたって、本当か?」
「うん。研究一緒にやろうって、誘われたの」
「大丈夫なのか?」
「え?」
 予想もしていなかった言葉に私は驚き、そして笑った。
「何を心配しているの? 大丈夫だよ」
「確かに『勇魚』賢いからな……俺なんかが心配する必要はないかもしれん。
 だが、相手は『羽蝶』だろう? 油断するなよ、幼いからって」
 彼の言い回しに引っかかりを覚えて、わたしはちょっと首をかしげた。
「『空木』。『羽蝶』はいい子だよ? 確かに、あの年齢であそこまで上り詰めたんだから、近寄りがたいのは分かるけど」
「『勇魚』がそういうのなら、そうなのかもしれん。
 だけど、俺にはあいつはよく分からん。
 何考えてるのかもだし――それ以上に、あいつが俺のすべてを知っていそうで、それが怖い」
 指摘されて、わたしは口を閉ざした。
 わたしの場合は、自分の考えを読まれないことの方が滅多にないから、そんなこと、考えたこともなかった。
 確かに、『羽蝶』はなんでも知っていそうな、そんなイメージがある。
 でも……怖いもの?
「大丈夫だって。心配しすぎだよ。
 『羽蝶』からすれば、わたしなんて足手まといかもしれないけど……わたしなりに頑張れば、認めてくれるんじゃないかな」
「足手まとい?」
 その言葉を聞きとがめるように、『空木』の表情が硬くなる。
 怒ってしまったのだろうか。自分のことでもないのに。
「そんなことを思いながら……? おい、お前は何で『羽蝶』がお前のことを選んだのか、知ってるのか?」
「年齢が近いからじゃ……ないのかな。あと、境遇が似てるから」
「本当に、それだけなのか?」
「少なくとも、『羽蝶』はそうって……」
 真剣な顔で聞かれて、わたしは口ごもる。彼女の真意なんて知っているわけがない。
 だから、わたしには多分、と弱気に頷くことしか出来なかった。
 んー、となにやら考え込んでしまう彼に、恐る恐る尋ねる。
「……まずいの?」
「あ、怖がらせた? すまん、そんなつもりはなかったんだが」
 ぱっと明るい表情になって、悪い悪い、と軽く謝りながら彼は笑う。
「『勇魚』が心配することはないさ。『羽蝶』も子供だし、同じくらいの年齢同士、楽しめば良いさ」
 うん、とわたしは大きく頷いた。
 結局、彼が何を悩んでいたのか、分からないままだが、わたしに必要なことなら、教えてくれるのが『空木』だ。教えてくれないということは、必要ないと判断したからだろう。
「それで、『羽蝶』は一体何の研究を申し出たんだ?」
「チップ。記憶チップって、言ってた」
 彼の目つきがまた鋭くなった。
 なにか、まずいのだろうか。チップなら、技術力が足りないことはあるかもしれないけれど、あまり危険ではないはずだ。
 彼は一体、何を危惧しているの?
「何?」
「……いや。何を思って、『羽蝶』はその研究を引っ張り出して来たんだろう、と思っただけ」
 軽くため息をついて、『空木』は困ったように髪を掻き上げた。
「何か知ってるの? なら、教えて」
「こればっかは教えらんねーな」
 ぽん、とわたしの頭に手を乗っけ、彼は言う。
「『羽蝶』に伝えとけ。見たくないモノまで見ちまった場合、お前は拒絶するのか、受容するのか、って」
「……どういう意味?」
「知らない方がいいってことも、この世には沢山あるんだぜ、お嬢」
 明るく笑うと、彼はまた後で、と言って去ってしまった。
 そうだ、彼はわたしと違って忙しい人なのだ。いつまでも廊下で喋ってはいられないのだろう。
 子供扱いされたことは悔しいが……経験の差だけは、どう足掻いたところで埋められないのは分かっている。
 『空木』はチップについて、結構よく知っているようだったけれど、『羽蝶』はどこまで知っているんだろう? 彼女なら、彼が言ってた意味も分かるのかな。
 聞いてみよう、とわたしは彼女が待つ研究室へと足を向けた。

「遅かったな」
 図面とにらめっこしていた『羽蝶』が、わたしが入った物音に顔を上げる。
「ごめん。『空木』と話してて。
 えっと、伝言。『見たくないモノまで見た場合、拒絶するのか、受容するのか』だって」
「……誰から」
「『空木』」
 『羽蝶』は感情のこもらない瞳でわたしをじっと見ていたが、すっと視線を逸らした。
「他にも何か言っていただろう。彼のことだ、知らないはずがない」
「うん? 確かに、チップについてなんか知ってそうだったよ。
 なんでそんなのの研究を……みたいなこと言ってた。
 ……危険なの?」
「それはない」
 わたしの言葉を、彼女はあっさりと否定した。
「ただ、以前にも同じ研究をしていた人がいる。それだけの話」


 チップの研究開発は着々と進んでいった。
 とは言っても、わたしは、ほとんど見ているだけだったけれど。
 元々、『羽蝶』との立場は対等じゃない。だから、研究助手程度だろうと、させてもらえることの方が奇跡に近いんだ。
 それでも――彼女の近くにいられることは、うれしかったし、心強かった。
 だって、同じくらいの年齢だし、……でも、彼女がわたしのことを頼ることはないんだろうな。
 年上として、それだけがさびしい。
「ねぇ、このチップ、どうするの?」
 ケースに入れられたチップを眺めつつ、わたしはたずねる。
 確か、人工知能の研究に使うと言っていたはずだ。だけど、わたしにはどうやって使うのか、見当もつかない。
 ……まぁ、チップの内部がどうなっていて、どんな働きをするのかすら分かっていないのだから、当たり前なのだが。
「胎児の脳に埋め込む」
「……え?」
「人間の子供の脳に埋め込んで、成長する過程を記録する。
 それを元に……」
「『羽蝶』っ!?」
 思わずわたしは声を荒げる。
 今、彼女は何といった?
 人を、しかも子供を、実験材料に使う気なの?
 そんなの、間違ってる。
 『闇・羽』は闇組織。だから、ヒトを実験に使うこともあるのだと、『空木』からは教えられている。
 だけど、実際自分がやることになるとは……すごく、ショックだった。
 同時に再確認させられる。
 『羽蝶』は幼いながらも、『闇・羽』の研究員なのだと。
「そんなの、聞いてないよ……!?」
「渡したレポート。読んでいないのか」
 冷たく言われ、わたしは言葉を失った。
 『羽蝶』から渡されたレポートは、専門用語が多くてよく分からず、ざっと図面に目を通したくらいだ。
「『羽蝶』っ。問題はそこじゃないでしょっ!?」
 わたしの苛立ちが理解できないのか、『羽蝶』の視線は冷たいままだった。
 『羽蝶』とわたしはまったく違う。
 立場も、思想も。
 突きつけられたその事に、『羽蝶』を説得できない自分へのもどかしさに、わたしは何も言うことの出来ないまま、部屋を飛び出した。

 行く宛のないままわたしは走りつづけ、気づいたときには資料室の前まで来ていた。
 普段なら、そのまま前を通り過ぎるのだが、今日はなぜか気になって立ち止まる。
 ここの資料室は、古い文献から新しいものまで、結構揃っているのだ。図書館で得られないような、専門的な知識を求めて利用されることが多い。
 ――もう終了した、『闇・羽』内で行われたプロジェクトのレポートも、ここにならあるはずだ。
 『空木』も『羽蝶』も教えてくれなかったことを、調べようとしていることに罪悪感はあったが、背に腹は変えられない。
 わたしは、知りたかった。

 本に押しつぶされそう。
 それが、資料室の第一印象だった。
 しばらく本棚の間をさまよったのち、ようやくわたしは探していたプロジェクトレポートの棚を見つけた。
「あら、珍しい。調べ物?」
 どう探せばいいのか分からずに、一冊一冊タイトルを確認していたら声をかけられ、わたしはぎくりと姿勢を正す。
「『羽蝶』に言われて?」
「違う……っ」
 思わず声を荒げ、きっと彼女を睨みつける。
「そうよね、あの『羽蝶』が『勇魚』なんかに調べ物を頼むはずがないものね。
 だって彼女の場合――自分でなんでもやった方が早いんですもの」
「『石竜』には関係ない」
 言って、わたしはきびすを返す。
 調べ物は、後でまたくればいい。
 彼女はくすりと笑って、ざっと棚に目を通し、一冊のレポートを引き抜いた。
「これでしょ。探してるの」
 差し出されたものの、受けとるのをためらう。
「人の好意は受け取りなさいよ。子供でしょ?」
「……ありがと」
 口の中でぼそりとつぶやいた感謝の言葉に、彼女はまた笑う。
 けれど、その笑顔は冷たくて、私の警戒心はいっそう強まっていくばかりだ。
「それにしても、あの子は一体何を考えているのかしらね。
 あの子なら、あなたみたいな『助手』は要らないでしょうに。
 それとも、あなたを手懐けようとしてるのかしら」
「な、なにを……?」
「簡単なことよ」
 わたしが震えているのも分かっているだろうに、『石竜』は淡々と続ける。
「なんであなたなんかが、あの子に引き抜かれたのかしら。
 『羽蝶』に『勇魚』は――不釣り合いだわ」
 知ってるよ、そんなこと。
 言葉は声にならないまま消えていく。
 結局言い返すのは諦めて、わたしは渡されたレポートを手に、自分の部屋に戻った。
 
 部屋の中から鍵をかけ、ベッドの上に座ると、わたしはレポートを膝の上に置き、改めて表紙を眺めた。
 プロジェクトが打ちきられたのは十三年前――私が二歳くらいの時か。
 タイトルは『Preskia と Losaria』。
 両方共、属名だ。Preskiaはサボテン属の一種だし、Losariaは……アゲハ属の一種だったか。
 この組織では女の子に動物の名前を、男の子に植物の名前を与える風習があるから、……サンプルの一人は男の子で、もう一人は女の子だった、ということか。
 表紙を見ているだけでは何も始まらない。
 と、とりあえず開いてみたものの、やはり専門用語が多くてわたしにはよく理解できない。
 理解することは諦め、レポートを閉じようとしたところで、最後のページが目に飛び込んできた。
 『PreskiaとLosariaの確保、完了』
 打たれた日付は、九年前の物。
 九年前といえば……ちょうどわたしがここに連れてこられたのと同じくらいか。
 確保、ということは、この二人はまだ、この組織にいるんだろう。
 ちょっと気になったわたしは、二人が生まれた年を探してみた。
 『855 Preskia出生』
 『857 Losaria出生』
 わたしが855年生まれだから、Preskiaとは同い年なんだ。Losariaは二つ年下で……。
「……え?」
 血の気が引いたのが、自分でも分かった。




暗黒の雲
月影草