閑話 甘美なる誘惑



「養殖」
「天然」
「養殖」
 どこか近くで寝泊まりしているのか、今日も朝から現れた平外は昨日のアロハシャツから一転、白い線が襟に入った紺色のポロシャツに灰色の長ズボン姿だった。
 相も変わらず紺の着物を纏っている棕櫚と並ぶと、まだ蝉が鳴き続けていると言うのにも関わらず、色だけは冬支度が済んでいる。蛍火の薄着を見習ってほしい。
 不毛な会話を繰り広げる男二人、円卓を挟んだ前に蛍火と真理亜は並んで座り、会話の行方を見守っている。
 円卓の上には、深い緑色をした角皿。鯛の形をした焼き菓子が六つ並んでいる。
「天然ものだと思うけどなぁ」
 苦笑した平外が、何気なく一つ手に取って頭にぱくりと噛み付いた。棕櫚も釣られたように手にするが、口には運ばずに異論を唱え続けている。
「養殖だって。ヒョーガさんにはこの浪漫が分かってない」
「いや、浪漫の話じゃないだろう? それに考えてもみたまえ、天然物の方が手間がかかって大変だから」
「ヒョーガさんこそ。あの面積に均等な熱量をかけるのは至難の技なんだから」
「あぁ……竃で焼こうとするからだ。普通は専用の調理台を使って全面一気に火を当てるからね」
 平外はまた一口ぱくり。
 むすっと口をへの字にした棕櫚だったが、手中の鯛焼きを暫し見つめると、徐に尾を口にした。それを平外が微笑ましく見守るものだから、不機嫌顔が更に不機嫌になる。
 棕櫚が円卓に皿を出してきた時は熱くて手に持てなかった蛍火が、恐る恐る鯛焼きに手を伸ばすも、すぐにまた引っ込めた。
「ねぇ、さっきから何の話してるの?」
「これの焼き方の話だよ」
 むくれた棕櫚の代わりに答える平外が掲げてみせるそれには、もう尾びれしか残っていない。
「これ、型に生地を流し込んで焼くんだけど、小さな鉄板で一つずつ焼くのが『天然』、大きな鉄板で複数匹まとめて焼くのが『養殖』って呼ばれるんだよ」
「僕は養殖ものだって信じてる」
「君、さっき自分で言ったじゃないか。あちこちが竃で煮炊きしている今、天然ものの方が簡単なんだよ」
 平外の冷静な指摘を受け入れたくなくてむぅと眉根を寄せる棕櫚を横目に、平外はのんびりと茶を啜った。
 卓中央の鯛焼きに再び手を伸ばした蛍火が、今度は良い塩梅に冷めていたのか表情をぱっと明るくすると、一つ掴んでは右隣の真理亜に持たせ、もう一つを両手に握りしめ大口を開け、がぶりと噛み付いた。
 見えた断面からは湯気が立ち上り、目を丸くした蛍火は自分の口を慌てて左手で抑えた。あまりにびっくりしたのか、フワフワと揺れていた翼が背後にピンと立っている。
 教訓。物事は表面だけを見て判断してはいけません。
「ん? あぁ、熱いから気をつけろよ?」
 今更ながらに注意を促され、ハフハフモゴモゴついでに足までバタバタさせ始めた蛍火が、涙目になりながら左隣に座る棕櫚をペシペシ叩く。
 どうして良いのか分からずにおろおろとしていたら、蛍火に持たされた鯛焼きが真理亜の手をじりじりと焼きにかかる。彼女は慌てて左に右にと持ち替えた。
 そして躊躇いがちに小さく一口。
 パリッと香ばしく焼かれた表面に、フワフワとした内部。
 もう一口。
 控えめな甘みの生地から、どっしりと詰まった餡がこぼれ落ちる。小豆の粒がプチプチと口の中で弾けた。
 甘い。
 甘い。
 甘い。
 甘い甘いあまい甘いあまいぁまい甘ぃぁまぃあまい……!
「マリーちゃん」
 穏やかな声に名を呼ばれ、真理亜はぴたりと動きを止めた。衝動的に皿へと伸ばしていた己の手に気づくと、気まずくなってそろそろと引っ込める。
 そもそも寝たきりで衰えていた筋力では身動きするのもやっとだというのに、よくそこまで手を伸ばせたものだと他人事のように感心した。
 自分の名を呼んだ平外を上目遣いに見やると、彼は困ったように言うのだった。
「マリーちゃんとケイちゃん。残りは二人で仲良く分けるんだよ」
「マリーちゃん、そんなに気に入ったなら食べて食べて食べてーっ!」
 何事かと目を丸くしていた蛍火だったが、真理亜に覆いかぶさるように膝をつき、まだ一口しか齧っていない鯛焼きを押し付ける。
「え? え、え、それケイちゃんの……」
 か細く返して平外と棕櫚に助けを求めるものの、彼らは微笑を返すばかりだった。

 ようやく陽も陰った家の裏、部品なのか廃材なのか意見が分かれる金属片の山を避け、たまに踏みつけ、壁に張り巡らされ緑色に錆びついた配管の一本を支えながら平外が言う。
「しかし、夏に鯛焼きとは面白いことをするもんだね、君は」
「貰ったからさぁ。無駄にするのももったいないし」
 そう返す棕櫚は中腰になり、触れれば崩れる螺子をどうにかして外そうとしていた。
 平外がいる(男手がある)間に、気になっていた部品を交換してしまおうという魂胆である。
「さっきの、何?」
 真理亜が鯛焼きに見せた執着は異様だった。それを全て了解しているように見えた平外に確認したくてあえて連れ出したのもある。
「オレも初めて見るけど、多分砂糖依存症だろうな。幼少期に十分な愛情を与えられないと、それを甘さで補おうとするらしいよ」
「それって、治療法とかある?」
「ケイちゃんを育てた君なら、オレより得意だろうに」
 結局鯛焼きは二つずつの配分になったが、そこに落ち着かせるまでに真理亜は相当苦労したようだった。押し付けられる方で。
 それにしても、と壁に張り巡らされた配管を見上げる。
「棕櫚、君は本当にこういうのが得意だよね。ちょっと離れていた間に、この家がここまで改造されるとは思わなかったよ」
「平外さんのちょっとが、僕にとっては人生の大半なんだよなぁ」
 格闘の後にようやく外れた真鍮の螺子は、転がした棕櫚の手の中でボロボロと崩れた、彼の手中に残ったのは、ネジ山もネジ穴も潰れた金属の棒と緑の粉。
 顔料になるかななどと思いつつ、棕櫚は粉を地に落とした。
「この管には蒸気を通しているんだよね?」
「ん? あぁ」
 移動し、別の螺子を外しながら肯定する。
「変質してしまわないかい?」
「変質って?」
「真鍮は銅と亜鉛の合金だろう? 蒸気に当てていたら、亜鉛が溶け出して銅だけになってしまうよ。そうなると強度が落ちるし、水漏れもしてくるだろう。まぁ、とは言っても代用品がないんじゃあ仕方がないかな」
 平外が目を細めて見やる金属片の山を、棕櫚も眺めた。
 残念ながら棕櫚は金属の種類に疎く、見たからと言って材質など分からない。ここに使っている部品だって、たまたま真鍮だっただけの話だ。
「見ただけでそこまで分かるだなんて、さすがヒョーガさんだなぁ……あ、ヒョーガさん、またすぐどっか行くよね?」
 彼に支えて貰っていた真鍮の管を壁から外しつつ、棕櫚は話題を変える。「そうだな」と手についた緑青を払い落としながら、平外は頷いた。
「なら、マリーちゃんに合いそうな服を調達してきてもらえるとちょーっと助かる。蛍火のじゃあ小さいし、麓に頼むのは双方共に嫌だろうし……」
「いいよ。その代わりに条件がある」
 ぴしりと指を立てられ、山積みになった金属片から代わりになりそうな管を選定していた棕櫚は、姿勢を正して傍らに立つ平外を見上げた。
「ケイちゃんもマリーちゃんも細っこくてよろしくない。幸い食料には困ってないんだろう、君たちは」
 二人にしっかり食べさせておくこと。
 平外に言われなくても実行していただろう条件に、棕櫚はほっと胸をなで下ろすと作業に戻った。
「何か訊くと思った?」
 にんまりと面白そうに問われ、棕櫚は苦く笑う。
 そりゃあもう。探られる腹はいっぱい痛い。



鳥籠の花
月影草