網焼きは滅多にやらないが、焦げないようにと誰かと並んでひっくり返すのは結構好きかもしれないと、箸の先をカチカチ言わせながら棕櫚は思う。
 吊り灯籠がシャーっと訪問者を告げに来たのは、そんなタイミングだった。
 玄関から正造を招き入れると、彼はキョロキョロしながら「すげぇ、日本家屋だ」などと感嘆する。
 廊下で自分の羽にくるまった蛍火に会った時は一瞬息を飲んだようだったが同時に何か察したらしく、当たり障りのない「初めまして」の挨拶以外は出てこなかった。
 居間に入ると、正造はクンクンと匂いを嗅いだ上で、「もしやこれは」と顔を輝かせた。
 蛍火と真理亜の二人も充満する匂いを嗅いでいたが、そこで焼かれている食材には思い至らなかったらしい。棕櫚と一緒で首を傾げた。
「平外さん、それ、一体どっから出してきたんだ! 海底都市からとか言うんじゃねぇぞ?」
「海底都市が残した遺産、と言っておきますよ。そんなに喜んでいただけると、やっぱり正造さんを招いて良かった。実はここの家、誰一人として知らなくって、反応が薄かったんですよ」
「え、棕櫚、お前さんは知ってるだろ?」
 ぎょっとした顔の正造に、棕櫚は肩を竦めるしかない。再び土間に下りると、焼き目がついて茶色くなってきた話題のブツを箸でつついた。
「えー……知らないなぁ……」
「肉だよ肉、ハンバーグ! 子供の好きなメニューじゃないか! 今じゃもう見ねぇけど、都市の移住前はまだ出回ってただろ?」
「そうなの? 移住前っていうと多分ヒョーガさんに会う前だと思うんだけどさぁ、白っぽい粥みたいなのしか知らない」
 口を尖らせて不満そうに、しかし真剣に悩む棕櫚に、正造は血の気の引いた青白い顔で一瞬口を閉ざした。
「それってあれだろ、一般家庭に普及させたクッキングマシーン。あれよりも高性能が出回ってたっつーのに、なんかの利権が絡んだらしくってあちこちあれしか導入できなかったっつー曰く付きの。一応必要栄養素はあれで取れるってぇ噂だが、ゲロマズで食べ続けられた奴がいなくって、真偽の程は不明ってぇ……悪かったな。今日は食え。俺の奢りじゃねぇけど」
 確かに美味しく食べた記憶はないが、そこまで酷かったのかと棕櫚は呆気に取られながら聞いていた。平外は無言だったか、その顔に浮かぶ苦笑は隠せない。
 棕櫚に「強く生きろ」などと勝手なことを抜かす正造を尻目に、平外が焼けた食材から皿に取り分けていく。焼いただけではあるが彩り豊かで、意外と華やかになった。
 皿を受け取った真理亜と蛍火が、居間と土間の段差に腰掛けると正造もそれに倣う。
「二人は一体いつ会ったんだ?」
「んー、移住の頃だと思うんだけど、いつとかあんまり覚えてないんだよねぇ。ヒョーガさん覚えてる?」
「正確にはもう少し前だね。海底都市のオープニングセレモニーがあった日だから」
 自分は流しに寄りかかり、皿すら持たずに金網の上から取って食べている平外が、何気なく返す。
 海底都市の建造は、一般人には知らされずに行われた。だからオープニングセレモニーの日時を知っているということは、海底都市に招かれた移住組に他ならない。
 移住当時まだ幼かった棕櫚に、そもそも移住時を知らない蛍火と真理亜はふんふんと頷いてスライス野菜に噛みつき、ハンバーグに箸をつける。肉汁がジワーっと溢れ出て、口一杯に幸せが広がった。
 平外本人はそんな三人の表情をじっくりと観察していたから、顔色を変えたのは正造だけだった。
「平外さん、あんた、移住しなかったのか」
「あぁ、断った。オレは自由を愛しているから、一度入ってしまったら出れない閉鎖空間に一生いるだなんてご免だね。
 それに、どんな快適な暮らしを保証してくれるつもりだったのかは知らないが、自分の子供を置いて自分たちだけで移住しようだなんて考える輩と四六時中顔を付き合わせるのは、どう考えてもストレスにしかならないだろう?」
 茄子の輪切りをちびちびと噛んでいた棕櫚は、そう言った平外ににこりと微笑まれ、ドキリとした瞬間にうっかりまだ熱い茄子を舌の上に転がして悶絶した。
 言われてみれば考えたこともなかった。
 何故あの日、平外があんな所にいたのか。そもそもあれだけセキュリティの厳しかったアパートに、赤の他人である平外が何事もなくはいれた訳がないのだ。
「ヒョーガさん、あの時何やってたの?」
「部屋に閉じ込められた子供を迎えに行ったんだ。ただそれだけの話さ」



 粥かスープかはっきりしない、味もよく分からないそれを、独りで黙々と食べるのが突如嫌になって遂に匙を放り投げると、玄関にと走った。
 靴なんて物は、帰ってきもしない親の分しかない。今まで外に出たこともないから、仕方のない話だ。
 裸足のまま玄関に降りると、扉の前に立ってそれが開くのを待つ。
『認証エラー。子供だけの外出は認められておりません』
 機械的な声がそう告げた瞬間、全身から血の気がザザッと引いたのを感じた。
 恐る恐る扉に近づいても、機会音声はただ『認証エラー』と繰り返す。
 このままでは扉は開かない。
 この部屋から出ることはできない。
 その事実を認識した時、パニックに陥ってとにかく扉を叩いた。
 しかし、大の大人の力でもびくともしないように設計されているそれが、ましてや子供の力で破れる訳もなく、更なる恐怖に突き落としただけだった。
 全身で体当たりした反動で数歩後退すると、『認証しました』と玄関の外から聞こえてくる。
 音もなく開いた扉の向こうに続くのは、どこまでも白く無機質な廊下。病的な程真っ白な空間にたたずむのは、黒い紋付袴の、見た目二十代くらいの男。
 口をあんぐりと開けて見上げれば、驚いた表情の男が膝を折り、視線の高さを揃えてきた。
「初めまして。オレは盛正平外。君は?」
 暫し考えて名を問われていることは分かったが、呼ばれることのなかった己の名前など覚えている筈もなく、力なく首を横に振った。
「そう。なら棕櫚と呼んでいいかい? 棕櫚は強いんだ。どこででも生きていける」
 にこりと微笑まれ、よく分からずに頷いた。
「外に行こう。オレと一緒においで、棕櫚」
 広げられた腕に一瞬戸惑ったものの、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔のまま飛び込んだ。
 覚えている限り、それが初めて感じ、触れた、ヒトの温もりというものだった。
「よく独りで頑張ったね。もう大丈夫だよ、棕櫚」

 一生閉じ込めるだけの鳥籠でも良いんです。
 どうか、ヒトとして咲き誇れる場所を、ください。




鳥籠の花
月影草