血塗れの記憶



 宮で雅沙羅を出迎えた人物に見覚えはあったが、面識はなかった。
 というのも、上座に座るのは、- - と顔は瓜二つの、だけれども性格は正反対の‥‥だったからだ。‥‥は- - の双子の弟で、本来ならば間引かれるはずであった忌み子の彼に皇位継承権はなく、- - とは離されて育ったが為に雅沙羅も会ったことがなかった。
「私の祖先を荒ぶる神と同じように祀る必要などない。だから神武も清舞も殺した。必要のない存在は邪魔なだけだ。それに、密かに信仰を続けられても面倒だからな」
 そもそも何故、- - ではなく彼が天皇としてここにいるのか。頭を下げたまま考える雅沙羅には明白で、‥‥から表情が見えないのをいいことに、そっと目を閉じた。
 思われるのは、いつも優しい顔で笑う- - だ。彼は恐らく、一国の運命を担う重圧感に耐えられなかったに違いない。
「お言葉ですが、我々神武は、この国の為に命を落とされた方々の魂が迷うことなくあの世に逝かれるようにと、そして私たち自身が彼らを忘れないようにと、お祀りしております。決して、荒神と同様としているわけではありません」
「私が要らぬと言ったのだ。分を弁えよ、神武の子。それとも、そなたも死にたいのか」
 ‥‥がすぅっと目を細めた。威圧的かつ攻撃的な物言いに背筋が冷えるが、ここで雅沙羅が折れてしまう訳にはいかなかった。
 清舞・神武家の虐殺。理由がなんであれそんな手段に出る彼に、政は任せられない。そして非公式であったとはいえ- - を選んだ手前、この入れ替わりは雅沙羅にも責任があるのだ。
「陛下の御返答次第では、陛下の為に命を落とすことも厭いません。ですが、だからと言って……」
「控えよ。それ以上口答えをするのならば反逆と見なす」
「……」
 そこまで強く言われてしまっては反論の一つもできないと、雅沙羅は口を閉ざした。天皇である彼と身分が並ぶ彼女ですら閉口したのだ。他の誰も、反論はおろか進言もできなかったに違いない。
 - - の兄弟だから、少し話し合えば分かるだろうと雅沙羅は甘く見ていたが、自分に逆らえる存在を認める気はなさそうだ。ならば、口答えをすればするほど、彼女が殺されてしまう可能性は高まるだろう。ここまで来たが、説得は通じないだろう。
 千秋の言う通り、村に残って静かに暮らしていれば、きっと何事もなく過ごせたのだ。それが雅沙羅にできたかどうかは別として。
「……分かりました。陛下の御意思を尊重させていただきたく、此の度はこれにて下がらせていただきたく思います」
「一つ、やることを忘れているんじゃないのか、神武の子」
「何をでしょうか」
「忠誠を」
 どこから情報を仕入れたのか、‥‥は神武による選定のことを知っているらしい。しかし、雅沙羅が選ぶのは- - ただ一人だ。
「お時間をいただけますか。何せ私は、数ヶ月前に神武の名を引き継いだ身で多くの仕来りを知りません。ですから、私が仕来りを学んできてから、という事で如何でしょう」
「いいだろう」
 ‥‥は興味もなさそうに、ただ雅沙羅を疑うような瞳で見つめる中、取りあえずは時間稼ぎだけでも出来たことに、雅沙羅はほっとする。
「下がれ」
 雅沙羅は何も言わずに深く頭を下げ、退室する。
 まずは- - を探さなければ。二人共成人した今、正式な永久の誓約を交わさなければならない。

 自分の主の非礼を平謝りしてきた女官に、雅沙羅は笑顔で「気にしていませんから、大丈夫ですよ」と返し、ようやく一人になると城を出て、作られた庭園の中を歩いていた。
 作られた園は美しい。美しいが、心を打つ大自然の美しさには遠く及ばないし、どこか余所者を排除しようとする空気があって、息苦しい。
 山々に隔離されながらも、ゆっくりと人が、技術が、思想が流れていた自分の村を、雅沙羅は早くも懐かしく思う。一刻も早く帰りたいと思うのは、これが初めてだ。
「雅沙羅……殿。こんな所で会うとは」
 突如上から声をかけられ、雅沙羅は反射的に見上げる。以前は聞かなかった取ってつけたような敬語は人目を気にしてのことだろうが、彼の声には聞き覚えがあった。
「雪風殿。どうしてこちらに……」
「風来坊をやっていましたから、土地勘にだけは強いんですよ。それで……」
 濁された言葉を察した雅沙羅は、思わず顔をしかめる。
 土地勘の強い人物が求められると言うことは、様々な地形など把握している必要があるということで、それが指し示すことは戦以外の何があろう。
「……雅沙羅殿も、ですか?」
「私が……ですか」
 躊躇うように告げられた雪風の言葉に、思ってもみなかった雅沙羅は戸惑って視線を落とした。
 巫女を戦場に立たせるなどありえないと言い切れれば良かったのだが、‥‥ならやるだろうと雅沙羅は思う。だが、‥‥が自分の陣営に雅沙羅を加えることもないだろうと思った。そうなれば彼女は、雪風と敵対することになるのだろうか。
 ――ならば‥‥が望むことのは、近しい人と敵対することになった時の雅沙羅の、神武末裔の、絶望か。
 雅沙羅は目を伏せ、口を開く。
「……私は、むしろ戦などしなくても解決する方法を望みます」
「そうか。そうだよな。神武の決断にしちゃおかしいって思ったんだ。あんたらには一回しか会ったことねぇけどさ、あんたらは……なんてぇの、守りの家だと思ったんだ。戦巫女なんかじゃねぇ」
 目を瞬かせた雅沙羅に、気恥ずかしさを取り繕うように頭を掻いて雪風は視線を逸らす。
「そりゃ、巫女殿に勝利の神でも連れてきてもらえりゃ嬉しいってのは本音だが、戦場に行くのは男だけで十分だ」
 彼は大きな身体に似合わない人懐っこい笑みを浮かべると、軽く頭を下げてまたふらりとどこかに行ってしまった。
 何も言えずに雪風の背を見送った雅沙羅は、焦燥の念に駆られる。
 ざわり、と鳥肌が立った。
 訳の分からない恐怖に、雅沙羅は城を見上げる。唯一頭の中に思い浮かぶ結の笑顔が、何らかの外圧により壊されていく。そんな映像が脳裏に走る。
 空気が、冷たい。
 そこでようやく、雅沙羅は内包されている霊の感情に気付いた。怒り、苦しみ、悲しみ、痛み。恐怖と憎悪が消えることなく、絶えず渦巻いている。誰にともなく向けられた悲痛な叫びが、耳に痛い。
「ごめんなさい」
 雅沙羅はそっと謝るが、霊たちに反応はない。逆に霊の強い感情に自身が流されてしまいそうで、自らを落ち着けようと深呼吸すると、肺に流れ込んだ冷たい空気が冷えた身体を一層冷やした。
「千秋がいるから……大丈夫」
 自分に言い聞かせて頷くものの、恐怖は強さを増す一方だった。冷静さを保っていられなくなりそうで、雅沙羅は胸元に爪を立てた。
 ふっと「見せ付け」られたのは、紅に染まった記憶。それは匂いをも伴う鮮明なもので、とても過去のものとは思えない。そこでようやく雅沙羅は気付いた。既にこの国は動乱の真っ只中にあるのだと。


 数日後、まだ雅沙羅は城に引き止めてられていた。‥‥の命らしいのだが、理由をいくら尋ねても分からないと首を振られるばかりだった。
 雅沙羅を引き止めている張本人である‥‥から呼び出しがかかった雅沙羅は、広間ではなく控え室の方に通された。彼女は今、広間を覗き見るような形で待機している。
「あのお方は一体何を……?」
 同じ部屋の隅のほうで控えていた女官に訊くと、「私も知らないのですが」と彼女は雅沙羅に囁きかけた。
「神武様には、よく見ているように、とのことです。神武様と関係があるのかは分かりませんが、幼い女の子が連れてこられたらしいですよ」
 幼い女の子、と聞いて雅沙羅の表情がまさか、と強張る。同時に彼女はありえない、と首を横に振って否定し、ありえないで欲しいと願った。
「も、もうしわけありません……っ」
「大丈夫ですよ。あなたが心配されるようなことは何も」
 悪いことを言ってしまったと、雅沙羅の反応を見て謝ってくる女官に、雅沙羅は微笑んだ。そして遠くから聞こえてきた幼い声に、彼女は前を向くと唇を噛んだ。
「雅沙羅っ。雅沙羅に会えるって言うからついてきたのっ。雅沙羅はどこっ!?」
「やかましいな、こいつ」
「黙って殴らせろ。でも今はやるなよ? これから陛下に会わせるんだから」
 声が段々と近づいてくる。雅沙羅の後ろで控えている女官が、雅沙羅の様子を窺っているのが分かる。雅沙羅は大丈夫ですよ、心配なさらないで、と笑顔を見せた。女官は不安を隠しきれずにはいたものの、そっと頷いて座りなおす。
 遅れて広間に現れた‥‥は、取り乱す様子のない雅沙羅を見て不愉快そうに眉を顰めた。だが、それも一瞬のことで、すぐに歪んだ笑みを顔に貼り付けて、連れてこられた子供を見遣る。
「よく聞け」
 威圧的な物言いに、ふんっとそっぽを向く結の姿が、雅沙羅の目にはありありと浮かぶようだった。もしこんな状況でなければ苦笑しながら諭すところであろう。
 一つ幸いなことと言えば、‥‥が結の反応に興味がないことだ。結自身がどんなに無礼な態度を取ろうとも、彼女が殺されることはない。彼女の命は既に、雅沙羅が握っているようなものなのだから。
「そなたの一番大事なものは何だ」
「雅沙羅っ。雅沙羅お姉ちゃんに決まってるっ」
 威勢の良い声で即答され、雅沙羅は嬉しくも悲しかった。雅沙羅が結を大事にし、結が雅沙羅を慕っているからこそ、こんなところに連れてこられる羽目になったのだ。
 どうして、あなたは私を選んでしまったのですか、と雅沙羅は結に心の中で問いかける。結が慕うのが千秋だったのならば、村で紡がれる日常以外のものを、彼女が知ることはなかったのだろう。
「今、この国では戦争が行われている。私対反乱軍だ。この反乱軍はなかなか姑息な手段を使っていてな、私であろう者さえ翻弄されているのが現状だ」
 何の話が始まったのかと神妙な顔で聞いているのか、もしくは全く話を理解していないのか、結の声は聞こえてこない。
「彼らは人質を取ったんだよ。自分らの力のなさを棚に上げて」
 もう私の言いたいことは分かるだろう、と‥‥は目を細める。未だ彼の意図が読めない雅沙羅の背後で、理解したらしい女官が小さく震えていた。




Eternal Life
月影草