崩壊へ軋む歯車



 予期せぬ清舞家の惨殺により、村全体が喪に服していたため、明日で年が明けるという大晦日の日ですら、村は静寂に包まれていた。
 神社で行われる新年の行事は、例年通りである。しかし、浄化の炎のみは違い、村の東西南北と中心の計五箇所に飛ばされることとなった。
「雅沙羅お姉ちゃん、今日は来ないのかな」
 浄化の儀が終わるまでは、誰も神社に行ってはならない、穢れに触れてしまうから、と神社に出入りしているのは唯一雅沙羅のみであった。子供たちも厳しく言い含められていて、結も例外ではなかった。
 結は神社への石段を詰まらなさそうに見つめながら、ぼやいた。
「今年はほら、雅沙羅が正式に神武の名前を引き継いでから初めての新年の儀だからね。手間取ってるだけだと思うよ」
 余り納得していない顔で、結はまだ神社に続く階段を見上げていた。
「でも」
「でもじゃない」
「だって」
 仕方ないな、と千秋はしゃがみ込んで結と視線の高さを揃えた。
「何言っても駄目。そんなに雅沙羅を困らせたいの、結は」
 珍しく千秋にやんわりとさとされ、結は頬を不満げに膨らませながらも、雅沙羅は困らせたくないと首を横に振った。
「なら、ね」
 立ち上がってから差し伸べられた手を、結が嫌々ながらにも握り返したとき、日はもう傾いていた。
「雅沙羅ちゃん、一人で大丈夫かしらねぇ」
 神社の方から村の中心に歩いてきた千秋と結の姿を認めるなり、森下夫人が声をかける。
「多分、平気なんだと思います」
 口では平気と言いながらも、雅沙羅のことが心配なのは千秋も同じだった。
 千秋が神社の方を振り返ると、石段の上には雅沙羅がいて、村全体を眺めていた。
 小さくても、他の村から隔絶されていても、この村は今までずっと幸せだった。そして、その幸せはこれからもずっと続いていくはずだった。誰も幸せがこんな終焉を迎えるなど思っていなかった。
 だが、幸福な時は呆気なく崩壊した。たった一人の手によって。
 何を、雅沙羅は思っているのだろうか。千秋はぎゅっと唇を噛み締めると、今にも溢れ出しそうな涙を堪えた。
 出来ることならば、雅沙羅にはこの村に留まっていて欲しい。彼女が陛下の所に行くことがなければ、最後に残された幸せの欠片は守れるのだと、千秋は思う。でも、それは事情を深く知らないものの自己満足なのかもしれない、との思いもあって、千秋は雅沙羅を完全に説得することが出来なかった。
 雅沙羅は陛下の身の潔白を信じているというし、もし彼が本当に潔白なのであれば、雅沙羅は何事もなかったように戻ってくるかもしれない。そうであって欲しいと、千秋は願う。
 それでも、陛下の無実が分かったところで、雅沙羅の血族が亡くなった状況自体は変わらないし、雅沙羅が殺される可能性が減る訳でもないのだ。そんな最悪な事態は、雅沙羅が神武の名を諦めることで回避されるのではないのか。そうすれば、今と同じような日常を続けていけるのではないのだろうか。
 それとも実の所雅沙羅は――自分たちから離れようとしているのではないだろうか。
 千秋は至ってしまった考えを打ち消すように、振り払うように、首を横に振った。
 雅沙羅が陛下に会いに行く理由は、清舞一族が殺された理由をはっきりさせる為だ。それが納得できるような理由であれば、雅沙羅自身も喜んで自分の命を差し出すに違いない。雅沙羅の意志がどうあれ、陛下は清舞家抹殺の命を出したのだから、神武の名を継いだ雅沙羅を見逃すはずがない。
 ――そういえば、雅沙羅が見事推理してみせた通り、谷口に預けられていた清舞の双子は無事だった。殺害されたのは清舞、神武両家合わせて十七人であり、谷口を含む分家に陛下は見向きもしなかったのだ。その理由を、雅沙羅は知っているのだろうか?
「……千秋ちゃん、どうしたの」
 森下夫人の声でようやく我に返った千秋は、何でもないですと笑顔を作った。
 どうやら眉間にしわを寄せて考え込んでいたらしく、怯えた表情で千秋を見上げるように、結がそっと千秋の袖を掴んだ。
「大丈夫だよ、結」
 千秋がしゃがんで結を抱きしめると、結は無言でこくりと頷いた。
 やがて日が沈むと神社から飛ばされた火矢が、村の四方と中心に火を灯す。五つの篝火に照らされ昼間のような明るさを取り戻した村に、これで日常に戻れるような気がして、その場にいた誰もがほっと息を吐いた。

 村人が固唾を飲んで見守る中、一つの影が舞台上を滑らかに動く。
 新年に神武神社で行われる、長時間に渡る剣舞は、霊を相手にした神前試合とされている。勝敗は決めず、互いの力量を認め合う為のもので、新しい一年を平和に過ごせるように、との祈願が込められる。
 同時に、これは清舞、神武両家への戒めでもある。剣は人を殺める為でもなく、人を傷つける為でもなく、大切なものを守る為だけにあるのだと再認識するのだ。
「お疲れ様」
「おつかれさまー」
 舞台から裏手に戻ると、かけられた声に、雅沙羅は頬を緩める。早速、と言わんばかりに結は雅沙羅に抱きついて、満面の笑みを見せた。雅沙羅が頭を軽く撫でると、彼女はにこっと笑って雅沙羅を見上げた。
「結がやけに嬉しそうなのですが、何かやりましたか、千秋」
「いいや、なぁんにも。結が雅沙羅の側で嬉しそうにしてるなんて、いつものことじゃない」
「ご冗談を」
 千秋がにやにやしながらはぐらかすものだから、彼女が何か隠し事をしているのは明らかだ。
「結。何か、約束してもらったの」
「あのね、シャシン撮ろうって」
「シャシン……」
 結の口から飛び出た聞きなれない単語に、雅沙羅は首を傾げ、反復する。千秋を見ると、結が口を滑らせたことを怒るわけでもなく、そう、と肯定してきた。
「新しい技術でさ、父上が機械買ったから、今日だけ特別に使わせてもらうんだ。とは言っても、私は機械なんて使えないから、父上直々にお出まし願ったんだけどね」
「……余りよく状況が飲み込めないのですが……」
 どんな技術かを説明しない千秋に、雅沙羅は苦笑する。恐らく、千秋も分かっていないのだろう。
「父上、午後から来るらしいから、それまでのお楽しみー」
「おたのしみー」
 千秋の口調を真似ては、結もきゃっきゃとはしゃいでいる。
 結は何をやるのか知っているのだろうか、と疑問が雅沙羅の頭をよぎるが、午後になれば分かることだからと、雅沙羅は午前中、参拝客の応対に専念することにした。
 昨年の事件は、村人たちに暗い影を落とし、皆が無理に明るく振舞っている、という雰囲気が漂っていた。だが無事に新年も明けたことで、暗く淀んでいた空気が薄れ、村人に活気が戻ってきたことを雅沙羅は感じていた。
 このまま過ごせば、その内何もなかったことになるだろう。それが、この村にとって、千秋にとって、結にとって、そして雅沙羅自身にとって良いのかもしれない。事を蒸し返しさえしなければ、陛下だって雅沙羅のことを見逃してくれるかもしれない。
 それでも雅沙羅は清舞の、神武の末裔であり、理由もなく一族を殺害されるような陛下にこの国を委ねることなどできなかった。
「だから、行くって言うんだ」
「それと私は……陛下の、いえ、元皇太子殿下の真意を確かめたいのです。元から権力に興味のないお方でしたが、まさかここまでとは思いませんでした」
 雅沙羅がぽつりと呟くと、千秋は怪訝な顔をした。
「え、じゃあ今の政治の実権は他の誰かが握ってるってことなの? ご自分のご意思で清舞を潰しに来られたんじゃ……」
「陛下は御自分の御意思だと思いますよ」
「待って、雅沙羅……」
 余りにも状況が分からなくなった千秋は、さっさと話を次に進めようとする雅沙羅を止めた。雅沙羅には千秋が混乱している理由が分からなかったらしく、暫し口を閉ざして考え込むと、「そういえば千秋は知らないんでしたね」と続けた。
「- - 様と‥‥様の話です。お二人は双子であったが為に、生後すぐに離されました」
 皇位継承権を持った兄である- - は、北朝側で後継者として、殺されるはずであった弟‥‥は、南朝側で、世間から隔離されるようにして育てられた。
 その二人が何らかの理由で入れ替わったのでは、というのが雅沙羅の見解である。
「と言うことは、‥‥様が、全ての原因だと」
「いいえ」
 簡単に要約された言葉を、雅沙羅は静かに首を横に振って否定する。
「‥‥様も、被害者であられます」
 元を正せば、双子というだけで‥‥が忌み子であるとされ、世間から隠されなければなかった、その慣習が‥‥を歪ませたのではないのだろうかと、雅沙羅は静かに述べる。
 - - はおろか、‥‥まで庇おうとする雅沙羅に、千秋は閉口せざるを得ない。そこまでして、一族を惨殺されてまで彼らを守ろうとする価値は、千秋には見出だせなかった。
 雅沙羅にも、千秋の思いが伝わったのであろう――雅沙羅は苦笑した。
 発するべき言葉を見つけられずに、二人揃って沈黙する。だが、居心地の悪い空白は、長く続かなかった。
「何を暗い顔をしているんだ、今日は元日だぞ。ほら、そこに並べ」
 新しく購入したばかりらしい機械を担いで千秋の父、柳原家当主が現れると、重苦しい空気から助けられた、と言わんばかりの笑顔を振りまいて、千秋が「遅いよ」と言う。
「もしかして父上ったら、あたしたちとの約束忘れてるんじゃないかーって、雅沙羅と二人で嘆いてたんだから。暗い顔してて当たり前でしょ」
「忙しいでしょうに、わざわざお時間を割いていただいてありがとうございます」
「神武様はいい子に育たれて……。うちの千秋も一緒に育ったはずなのに、何が違ったんだか」
「父上の教育」
「そうかそうか、千秋も巫女修行がしたかったのか」
「違うからっ」
 父親と言い合っている千秋は非常に楽しげで。こんなささやかな幸せをも、雅沙羅自身が動いてしまうことによって潰してしまうのではないかと、そればかりが気がかりだった。
 千秋の父は、軽口を叩きながらも手馴れた手つきで機械を組み立てていく。新物好きの彼は、既にその機械を使い込んでいることが一目瞭然の手早さだった。
 雅沙羅は神社の裏で遊んでいた結に、こちらも準備が整いつつあるからいらっしゃい、と声をかけた。
「撮るぞー」
「千秋……」
 自分の父親の横に立ち、写る気のなさそうな彼女に、雅沙羅は首を傾げる。
「あたしはいいよ。いつでも父上に借りれるから」
「貸してはやらん。お前に使わせたら機械が壊れる」
「ん、訂正。いつでも父上に撮らせられるから」
 お前なぁ、と呆れ返る柳原家当主を横目に、そうですか、と雅沙羅は言って写真機に笑顔を向けた。




Eternal Life
月影草