花王に捧ぐ



 僕らは、双子だった。
 縁起が悪いとされ、忌み嫌われ――しかし血筋が血筋なだけに邪険にすることもできず、結局双子の一人を闇に葬ることで双子ではなかったことにしたらしい。
 兄である僕は宮に残され、教育を受けた。いずれ皇位を継ぐ時の為に。弟は離宮にと移されたと聞く。天皇に繋がる血だ、悪い扱いは受けていない、と思いたい。
 問題だったのはここからで、僕は全く権力に興味がなかった。一方で弟の方は強い執着を見せたのだ。
 幸い、僕ら双子は見た目がそっくりで、誰もが見間違える程。ならばと、皇位継承の際に僕らは掏り替り、弟が天皇の座を継いだのだ。
「ありがとう。双子で良かったと、今なら思える」
 天皇の位を継いだ弟が、言う。
「それは良かった。僕も天皇になるだなんて、僕には荷が重すぎるよ」
「それでも、弟を守ってはくれるだろう?」
「ん? まぁ、僕に出来る範囲でならね」
 僕の何気ない一言に、弟、‥‥はにやりと笑った。
「その言葉を待っていたんだ。お前は私にそっくりで丁度よい。私の影武者になれ。影武者になって、身体を張って私の盾となれ。いいな、これは天皇命令だ」
「え?」
 彼の言葉に、僕は唖然とするしかない。数秒遅れで何を言われたのか理解した僕は、背筋が凍るのを覚えた。僕は――一番やってはいけないことをしてしまったのではないだろうか? いくら自分が天皇という責務から逃げたかったからとはいえ、彼という選択をしてはいけなかったのではないだろうか?
 凍り付いた僕の表情を見て、弟は愉快そうに嗤う。
「この国を一つにまとめあげる為には、反抗勢力を叩く必要がある。軍をまとめろ。あぁ、だがその前に」
 踵を返すその直前、肩越しに振り返った彼は、唇を歪ませて告げる。
「まず先に清舞家に挨拶に行ってこねばならんな?」
「……シンブ?」
「お前も知っている筈だ。あの、我らを荒御霊のごとく扱うあの目障りな家を……! まずはあれを潰す。根絶やしにするんだ。国を一つにするのはそれからでいい」
 にやにやと嗤いながら、弟は去って行く。
 何と言うことをしてしまったのか。悔やんでも悔やみきれない。
 そして自分自身すらも最早彼の駒の一つに過ぎず、彼の命令に背くことなど許されないのだろう。
「雅沙羅、ごめん……! ごめん、雅沙羅……」
 その場に力なく崩れて呟く声は、誰にも届かない。
 救いは彼女が今、二十二社参りに出ていて清舞家にも神武神社にもいないことだけだろうか。否――
「――それが逆に、更に雅沙羅を苦しめるんだ」



 その後、彼が誰にどんな命令を下したのか、僕には分からない。神武家・清舞家共に根絶やしにされたことだけは、僕の部下がどこからか情報を持ってきてくれた。
 その中に雅沙羅が含まれていたかどうかは定かではないけれど、‥‥ならば文字通り一人残さず殺してしまっていたとしてもおかしくはないと思う。
 せめて雅沙羅には無事でいて欲しい。けれど‥‥の影武者として戦場に駆り出されている身では、彼女の安否を確認しに村まで行くことなど出来なかった。
 大日本帝国のため、と大義名分を掲げた戦争は、皆を消耗させた。
 戦という命の駆け引きの中で良いように使われ、友たちの最期を看取り――改善の兆しを見せるどころか、更に悪化の一筋を辿る現状に、疲れていない訳がなかった。だというのに僕についてきてくれている彼らはそれをおくびにも出さない。
 僕にさえ着いて来なければ彼らがこんな目に遭うことはなかった。それでも、彼らは僕のことをまだ信じてくれるという。僕自身、自分自身を見失いかけているというのに。
 僕の前後を歩いている彼らには見えないように気をつけながら、僕は唇を噛み締めた。
 こんな時に思い出されるのは、花びらが一枚欠けながらも燦然と輝く金の菊の紋様を抱いた彼女のことばかり。あの穏やかな声音が、優しい笑顔が、どうしようもなく懐かしい。
 会いたい。会えない。会いに行けない。
 この、血に赤く染まりきったこの手と身体で、一体どんな顔をして彼女に会えば良いというのか。
 そうやって理性に押しとどめられた本能が、日に日に昂っていく。明日には全てを投げ打って一人、彼女に会いに行ってしまうんじゃないかと、自分でも危惧する程に。
 ふと、薄紅の花をつけた細い枝が、目に留まった。初春を告げるこの梅の花も好きだけれども、僕は毎年、この梅の花を見ながら、続く桜の花を楽しみにしていたのだ。桜の時期になると雅沙羅が上京してきてくれるようになり、尚更楽しみになった。彼女と僕と灯(ほたる)の三人で、飽きもせずに花見に行ったものだ。
 そう言えば、灯は彼女によく懐いていた。毎年恒例になったこの行事を、灯はすごく楽しみにしていたのだ。けれど、今年も、と交わした約束は僕には果たせそうもない。この現状に終わりは見えなくても、もう春(タイムリミット)はすぐそこに迫っているのだから。
 彼女は僕が居なくても、灯に会いに行ってくれるだろうか?
「そこにいるのは誰だ!?」
 先頭を歩いていた後藤が上げた誰何の声に、僕ははっと前を見る。
 暗くなってきた道を歩いていたのは、一人の少女。すらりとした後ろ姿に、鼓動が早まった。見間違え様がない。けれどこんな所に居る筈がない。でも、見間違える訳がない。ならば、何故。
 彼女は振り向く。どこか遠くを見つめていた視線を彼らに、僕に向け、その目を丸くした。
「- - 様……!」
 ――彼女もそう、皆に良く間違えられる僕と弟を、一目で見分けてみせた。
「雅沙羅……なんで、君が……ここに?」
 彼女は、神社の巫女だ。神社を離れるのは、通過儀礼として行われる二十二社参りのくらいではなかったのか。それだって、彼女は昨年程に終えて村に戻ったと、確か聞いたと思う。
 彼女が神社を離れる理由が、僕には思いつかない。
 雅沙羅が側に居てくれれば良いのにと思った回数は数えきれないけれど、それでも、彼女が神社を、村を、離れられないことは良く分かっているつもりだ。だから現実にはなり得ないのだと、諦めていたつもりだった。
 それが本当になってしまったのは、吉報というよりも凶報に思える。嫌な汗が、背を伝った。
 彼女はふと口を閉ざし、視線を虚空に向けた。明らかに躊躇っている仕草に、僕も黙り込む。
「……実は、‥‥様が」
 目を伏せた雅沙羅がぽつりぽつりと話し始めた経緯に、僕は絶句した。彼女が言うのによれば、全ては弟が仕出かしたことだと言う。
 ……自分に興味がないからというだけの理由で、全権を彼に譲り渡してしまったのは僕だ。そんな僕の甘えが今回の戦争を引き起こし、雅沙羅までもを巻き込んでしまったんだ。引き金を引いてしまった僕の、罪は重い。
 ぎゅっと握りしめた僕の手を、雅沙羅の暖かな手が包み込んだ。
「- - 様がお気に病まれることはありません。私がここにいるのは、私の選択です」
 そう、にこりと微笑んでみせる彼女の表情には、疲労の色が透けて見える。
 当然だと思う。誰も知るもののいない見知らぬ土地は人を心細くさせる。その上更にこんな状況では、いつもの穏やかさを守っていられる、そのことの方が驚きなのだ。
「ごめん、雅沙羅。……ごめん」
 彼女は僕を許すだろう。それが、逆に心苦しい。
「神武殿は今、どちらに?」
 背後に控えていた古河、護衛の一人が、控えめに声をかける。
「私は今、幕府軍の陣営に置かせて頂いております。結を、新玉桜を、どうしても、村に帰したくて」
 雅沙羅が出した名前に、皆が一様にあぁと納得した。
 新玉桜。
 十に届くか届かないかといった辺りの、女の子だ。‥‥が新政府軍の切り札としてどこからか連れてきたのだが、それは子供に手を出すことの出来ない人の心理を利用する為だとばかり思っていた。けれどその実は、雅沙羅に対する見せしめだったのだ。
 そんな非人情的なことをやってのける彼にそれだけの権力を与えてしまった、自分の愚かさが嫌になる。
「我々の行動は決まりですね、- - 様」
 さらりと背後から言われ、思わず僕は勢い良く振り返る。
「幕府軍と合流し、結殿を奪還する。他にやることがありますか」



 幕府側について戦場を駆け回るようになって数日。新玉桜についての情報は、まだ得られない。
 幕府軍によると、戦場にいるには似つかわしくない、年端もいかないような子供は度々目撃されていたようだが、僕が幕府側についてからというもの、ぴたりと見なくなったらしい。
 ‥‥が先に手を回したのか。ぎりっと奥歯を噛み締める。
 僕は雅沙羅に、新玉桜の、結の奪還を約束した。けれど、このままではその約束を守ることも難しいのではないかと思うと、焦りだけが積もって行く。
「- - 様」
 陣地に戻り馬から降りていると、声をかけられた。雅沙羅だ。
 彼女は毎日こうして、すぐに出迎えてくれる。それはありがたいことだし、すごく嬉しいことだけれども、戦地からの血の匂いを纏わり付かせたままで彼女に会うのは、どうにも気が引けた。
「裏の山道を辿って行った先に、桜の木があります。どうやら一本だけ、気が早いようでね」
 僕が脱いだ兜を受け取りながら、古河がそう囁いてくる。
 二人で見に行っておいでと、そういう話らしかった。

 隣を歩く雅沙羅からは、仄かに薬草の香りがした。
 そういえば意識したことはなかったけれど、彼女の村は珍しい薬草が採れることから天領地とされているのだ。彼女が薬草に詳しくてもおかしくはない。こちらの陣営に来てから雅沙羅とはあまりゆっくりと話せていなかったけれど、もしかすると彼女は日中、怪我人の治療に当たっているのかも知れない。
「雅沙羅、その……」
「古河殿が言われてあったのは、あの木ですね?」
 謝ろうとする僕を遮って、雅沙羅が前方を指し示す。
 薄闇の中に一本だけ、枝一面に白く花をつけた木がある。松明を掲げれば、風に吹かれ、花弁が舞うのが見て取れる。
「……灯(ほたる)、誘えなかったね」
「まだ――まだ、早いと思いますよ」
 いつも見に行っていた、桜が満開を迎えるのには。そう言って、雅沙羅はにこりと笑う。
 早いと言っても、ひと月以内には見頃を迎えるだろう――ひと月で、片は付きそうにもない。
 僕の諦めを雅沙羅は見て取ったのだろうか。彼女は寂しげに目を伏せ、そして、華奢ながら見事な花をつけた桜を見遣った。そんな、隣に佇んでいる筈の彼女が、何故か遠くに行ってしまうように思えて、思わず僕は彼女の手を取っていた。
 温かい。冷えきった僕の手とは、対照的だ。
 僕の行動に雅沙羅は少し驚いたようだったが、何も言わずに指を絡ませてくれた。
 そうして二人共に無言のまま、風に揺れる桜の枝を、風に舞う花びらを、ただ見つめていた。

 春。まだ、風は冷たい。




Eternal Life
月影草