あたしはまた、あの声を聞いていた。どうやら四人くらいいるらしく、その声を昔どこかで聞いた事がと確信する。と、考えていたら突然後ろからどつかれた。
「ち〜さ〜と〜っ。用件があるのなら10文字以内でどうぞ」
「瑞穂が構ってくれないのっ。どうしようっ」
思いっきり文字数制限をオーバーしながら素敵なオーバーリアクションを披露してくれたのは、当然千里だ。
「あぁ、そう。構って欲しくなかったの。それだったらそうと早く言ってくれれば」
「瑞穂〜。何で最近そう冷たいわけ?」
千里が突然変わって先程までのふざけた感じではなく、真剣に訊いてきた。
「何でって……あたしは態度変えてないと思うんだけど」
「嘘っ。絶対変わってるっ」
千里はそう言葉をあたしに叩きつけて自分の教室に帰っていく。
……どうしたと聞きたいのはあたしの方だ。最近オーバーリアクションという言葉さえ合わないほどにオーバーすぎる。さては苛めすぎたか。
そういえば前も似たような状態に陥った事があった。
結局あたしには何で相手が怒っているのかを理解できず、そのまま相手の子に友達としての縁を切られてしまったのだが、あの後寂しくなるどころか逆に楽しかった。それも、相手を怒らせた原因のひとつだったのだろう。
何故か分からないが、幼い頃、あたしは一人のほうが好きだった記憶がある。いつの頃からだっただろう。一人がつまらなくなって友達を作るようになったのは。
「それ以上考えては駄目」
そんな声が聞こえたような気がした。
「本当にいいの、放っておいて? ここまで近づいておきながら?」
『なら、桜はどうしたいですか?』
「……どう、すればいいのかな?」
『大丈夫ですよ、安心してください。私も……』
「え、ちょっと、え? ……切れちゃった……」
がしゃんと、苛立ちまぎれに少女は受話器を戻す。
「ねぇ。あたしってさ、二重人格だったりする? 実は」
あたしはあたしに、否、あたしの中にいるであろうもう一人の人格に語りかける。
もう一人の自分についてずっと考えていたが、それはあたしの他の人格の事じゃないのか、という結論に至ったのがついさっきのことだ。
それならば友達がいなくたって楽しいだろうし、ずっと聞こえている声だって、恐らくは昔一緒に遊んでいた別人格のものだろう。だからその声に聞き覚えがあるんだ。更に言えば別人格は恐らく運動神経抜群で、屋上から落ちた時、地面にぶつかる寸前に入れ替わって無事着地させてくれたに違いない。
「なんでしょ? 違う?」
あの夢で見た、幼い頃に言われた警告。「もう一人の自分に操られたらいけない」。これは、私の中のもう一つの人格にこの身体を動かす権利を譲り渡してはいけないということだと勝手に解釈してみた。
これらのあたしの仮説が正しいとすればあたしはあの警告に反したわけであり、あの誰か分からない青年に抹消されなければならなくなってしまうのだが、それはそれ。屋上から落ちた時点で死ななかったのだ。もう一人の自分には感謝せねばならない。
そもそも別人格の存在をどうして忘れてしまっていたのか。とにかく、あたしは謝りたかった。
「ねぇ、返事してよ……」
「どうすんだよ」
「どうするって、返事してあげるのが優しさというものでしょう?」
「優しさぁ? てめぇ、本気で瑞穂を殺す気かよ」
「殺すって、殺すわけじゃないだろ……?」
「この間は考えすぎじゃないかとか言っておきながら今日はそういうこと言うんですの? だからこう意見が安定しない方って嫌ですわ」
「どっちにしろ、私はあの日瑞穂を救う事で瑞穂を危険に晒しているのは分かっています。でも彼女は知らないで平穏に過ごす事より、危険を承知で知識を得ることを選ぶでしょう。だから私は、この場に瑞穂を招こうと思う」
「なんだかんだ言いながらやっぱそうやって瑞穂をさらに危険な状態に追い込むんじゃねぇか」
「もう、勝手になされば? 精々死なないように足掻く事ね」
「大丈夫です。死ぬ時はあなた方も道連れですから」
「いらっしゃい。瑞穂」
気付けばあたしは、あたしの部屋のような、でも違う空間に立っていた。そこにいるのは大人しそうな女の子と男の子。それに高飛車そうでプライドが高そうな女の子と、何にでも興味を示さなさそうな男の子。
あたしは、彼らを知っていた。
「遂に来ちゃったのね。馬鹿者と改名すべきじゃないかしら?」
「馬鹿者って……ねぇ、この人の名前って高飛車?」
「あぁ、そう改名するべきでしょうね」
くすくすと大人しそうな女の子が笑う。男の子の方は何かに怯えるように女の子二人を交互に見やっている。
「私はマラティアといいます。そちらの、おどおどしているのはエミ。高飛車なのはセンカであそこで自分は無関係だと態度で主張しているのがアクア」
「もしかして二重人格どころの騒ぎじゃなかったりする?」
「正確には五重人格ですね」
背後から真っ黒なオーラを漂わせて睨み付けているセンカを無視してこうのんびりと話をしている時点でマラティアはある意味尊敬に値する。
確かにこの四人と一緒なら、他の友達と一緒に過ごすより面白いわけだ。
「まずは、皆にずっとよくしてもらってたのに今まで忘れちゃってた事、ごめんなさい。それから、あの屋上から落ちた日、誰が助けてくれたのか知らないけど、有難う」
「……別に、僕らは気にしてないのに。瑞穂さえ無事であれば……」
「それに、瑞穂が私たちのことを忘れていたのは瑞穂の責任じゃありません。私たちがあえて瑞穂に会わないように今までしていたんですから」
エミとマラティアがそう言ってくれた。センカは相変わらず怒ってるし、アクアは知らん顔だ。
「でも、それはあたしの為なんでしょ? 何かあたし、迷惑ばっかり掛けてる気がするなぁ……」
「そんな、迷惑だなんて。私たちがいなければ瑞穂はこのような厄介ごとに巻き込まれずに済んだわけですし」
「……瑞穂は迷惑なんてかけてない。だって、瑞穂は無視しようと思えば無視できたのに、自分の身が危険になると知りながらも瑞穂は僕らの事を思い出してくれた……」
自分の言葉に恥ずかしがりながらもエミはそう言う。
「……ありがとう」
「どうしよう。どうするべきだと思う?」
部屋の中には一人佇む少女は、宙に語りかける。
『知らねぇよ。でも、何とかなるんじゃねぇの?』
ないと思われた返事は、何もない宙から返ってきた。
「何とかって、また無責任な……」
『自分のこと棚に上げんな。さっきからどうしようどうしよう言ってるだけで何の状況も進展してねぇじゃねぇかよ』
「だって、どうしろって言うのよ。何かやらなくちゃいけないのは分かってる。でも、どうすればいいの? 何をすればいいの?」
『少しは落ち着け。焦っても失敗するだけだろ。それに、あいつも大丈夫ってったんだから、大丈夫なんだろ』
少女は顔を伏せて唇を噛む。
「そんなこと、分かってるけどさ……」
「……」
変な人が学校内にいるとでも通報するべきなのだろうか。そういえば数日前にも同じ人を見た気がするけど、ああも堂々と歩かれると、もしかしたら学校関係者なのかもしれないとか思えてくる。
「瑞穂、今日は遅いんだね」
「いや、桜が早すぎるだけだから」
「そっか」
という桜はどこか落ち着きがなく、きょろきょろと辺りを見回している。それだけでなく、今日はどこかおかしい。いつもなら桜はもっとノリの良い返事をしてくれていたはずだ。
「桜。隠し事はよくないよ?」
「はっ。何でばれたんだろうっ」
騒ぎ出す桜にやっぱり違和感を覚えてしまうが、彼女を問いつめる前に、あたしはなにやら怪しげな視線を背後に感じ取った。
「……ねぇ、桜。あたしの後ろ、誰かいる?」
「真後ろにはいないけど後ろの方に某お友達が」
桜に笑いながら示された扉の方を見れば、確かに恨めしそうな顔をした千里がいた。
「み〜ず〜ほ〜」
「何。今日は何の用?」
「残念。今日は神に用があんの」
「ならあたしの名前なんて言いながら入ってこないでよね。紛らわしい」
ふん、と千里はあたしを無視する。
苛めすぎてストレスでも溜まっているんだろうかと心配になる程に、毒々しい雰囲気を漂わせていた。などと観察していれば、千里は突然桜の首を絞め始めたのだ。
「ちょ、ちょっとっ。なにやってんのさ、千里っ」
慌ててあたしは千里と桜を引き離す。余程強く首を絞められていたのだろう、桜は苦しそうに咳き込みながら床に膝をついた。
「何って、見てて分かんなかったわけ? 神が瑞穂を誑かそうとしてるっていうから助けてあげようとしただけなのに、なによその言い方」
「誰も頼んでない。それに、そういうのってあたしが判断する事でしょ? 他人に手を出して守ってもらわないといけないほどあたしは幼くない」
「どうなっても知らないっ。後悔しても知らないからっ」
千里はそう叫びながら、廊下を挟んで向かい側にある階段を駆け上っていった。
「千里っ」
あたしは千里の後を追う。これはあたしの問題であり、千里はただ巻き込まれただけなんだと直感が告げていた。
千里を追って屋上への出口まで着いたとき、あたしは後ろから足音がついてくるのに気付き、振り返る、
「桜っ。どうしてあたしを追ってきたわけっ」
「瑞穂っ。だってこれは……」
桜は言いかけて途中でやめ、不快そうに宙を見つめた。そして目を閉じて顔を伏せた。
いつもそうだ。桜はいつでも、教えてくれないことがある。
「桜。何を言おうとしたの。教えて」
「ただ……ごめん、やっぱり言えない。今はそれどころじゃないし、長い話になる予感がするし、それに、今話さないといけないほど重要な話じゃない」
桜の目がごめんね、と言っているのに、それ以上訊ける筈もなく、何も言えないままにあたしは屋上への扉を開ける。
そこには千里と、あの不審者がいた。
「命知らずだな。一度死に掛けているって言うのに」
「え? だってあれは事故……」
「本気でそう思っているわけじゃないだろ」
「……彼が、細工をしたんじゃない? 柵が、壊れるように」
桜がそっと後ろから囁いてくる。
「何のために? あたしを殺すため?」
「違う。ただ殺すだけだったらもっと確実に人の目のつかないところで殺すよ。だから別の目的があったんじゃないかな」
桜。あなたは何者なの、という質問をあたしは飲み込んだ。今相手にしないといけないのは桜じゃない。でも、不思議に思っているのも嘘じゃない。
「元々君には興味はない。私が用があるのは後ろのお嬢さんだけでね、君はただ、彼女を誘き出すためだけの餌だったんだよ。とは言っても、一人しか釣れなかったけどね。もう一人にくっつきっ放しかと思ってたけど違ったんだ」
言われ、あたしは思わず振り返る。後ろのお嬢さんって、桜? 桜が、何で……?
「残念だったね。もう一人なら、今どこにいるんだか」
「まぁ、いい。またの機会を狙うだけさ。二人でいっぺんにかかってこられても困るしね。という訳で、死んでくれ」
彼が言い終わるのが早いか、異変が起きたのが早かったか。この時期にはありえないくらい冷たい風が吹き荒れると、まるで口を抑えられているような息苦しさに襲われた。
桜が宙を見上げるが、どうにもなりそうにないのか、表情の険しさは変わらない。
だというのに、暖かな空気に包まれたあたしは、いや、あたしたちは、次の瞬間大きく息を吸っていた。
「し、死ぬかと思ったぁ……」
「あんたまで死んでどうすんのよ。あっちの味方やってたんでしょ?」
「やってたって言っても、今分かった。あいつはあたしもまとめて殺そうとしてた。なんか良く分かんないけど、ありがとう、神さん」
返事のない桜を千里とあたしの二人が見れば、どうやら彼女は少し混乱しているようだった。
「今の、私じゃない……まさか、彼女が?」
「え?」
千里とあたしが同時に聞き返す。彼女、とはさっき言っていた桜と対になる人だろうか。
「お前は神玉 桜(しんぎょく・さくら)だろう!?」
あちらはあちらで混乱しているらしく、彼は桜に本名を確認する。でも彼女の本名は神 玉桜(しん・たまさくら)だ。神玉 桜じゃない。
桜もその質問には戸惑いを見せた。それもそうだろう。自分の本名だと断定された名前が、間違っているのだから。
「なら、有り得ない。どうして……」
「まぁ、何はともあれ」
考え込んでいる彼を放置して桜はそう笑顔で呟くと宙に向かって何か言う。
「その程度の力で、私を引き離せるとでも?」
桜が何をやろうとしているのか気付いたのだろう。あたしたちの目の前にいるその人物はそんなお決まりのセリフを言ってくれたが、余裕そうに笑っていたのも束の間。突然その人は苦しみだし、床に膝をついた。頭を抱え込んでいる。
ふと見ると、同じように頭を抱えた桜が呟いた。
「やっぱり、来てるのかな……」
「……誰が?」
あたしは恐る恐る訊いてみるものの、桜は苦笑するだけで教えてはくれなかった。
倒れたその不審者を前に、「……分かった」と桜がそう誰にともなく頷いた。
桜も二重人格なんだろうかと首を傾げたものの、ともあれあたしは抹消なんてされずにこの件は幕を閉じた。
「雅沙羅……近くで待機しててくれてたの?」
『すみません、準備に少し手間取ってしまって』
「あぁ、そういうことかぁ。言ってくれれば良かったのに」
『言おうと思ったら、電話の不調で……』
そういえば前回の電話は途中で切れたっけ、と少女は思い返す。
「でさ、雅沙羅は今度どこ行くの?」
『京の方の知り合いを訪ねに行こうかと……桜もお疲れさまでした。ゆっくりと休まれてくださいね』
京都に知り合いなんていたんだ、と言い返す前に、ではと電話は切られた。
放課後、あたしは単刀直入に訊いてみた。
「桜。結局一体何だったのかさっぱりなんだけど」
「何の話?」
「とぼけても無駄。あの変な人と桜の関係っ。桜って一体何者なのさ」
「今はただの平凡な女子高生をやってます。ちょっと引っ越す回数が多いけどね」
桜はにっこりとそう言い返す。
「それじゃあ。たぶんもう会う事はないけど」
と彼女は言い残すと、制服のスカートを翻して教室から出て行った。
あたしが、桜が転校してしまった事を知ったのは次の日だった。
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