自分の中の自分



 落ちる。というか落ちている。
 何でこうなったのかと思い起こしてみれば数分前、何の気まぐれか屋上に引きずられて行ってしまったことから始まる。
 などと悠長に解説している暇は実は無いのだが、あたしには重力を消すなんていうことはできないので落ちるのを止める事も出来ずにそのまま落ち続けているわけである。落ち着いている理由だって、騒いでもどうしようもないからだ。さて、一体どうしたものか。
 風が涼しいな、とか考えている時点でどこか間違っているのは知っているが、どうしても実感が湧かないためシリアスな雰囲気になれない。性格的な問題もあるのだろう。
 とか考えていると、意識が突如ブラックアウトした。

「エミ。あなただったら無事着地させることが出来るでしょう?」
「でも……もしそれがあいつにばれたら、瑞穂は……」
「あんだって構わねぇだろ? とっとと出て行けばいいんだよ」
「アクア。その物言い、どうにかならないんですか? エミ。もしここで瑞穂が死んでしまったらあの人以前の問題ですよ? あの人が瑞穂をどうするか知りませんが、ここであなたが出て行かなければ確実に死にます」
「ついでに私たちも死ぬ運命でしてよ。諦めて早くお行きなさい」
「……行ってきます」

 ……気付けばあたしは校庭に座っていた。
 てっきり校庭に落ちてお陀仏かと思っていたが違ったらしい。どういう理屈でこういう結果が出たのかは知らないが、結果よければ全てよし。理解できないものはいつまで考えても理解できないのだから早く諦めて納得してしまうのが精神衛生上にもいいというものである。多分。
「瑞穂〜!!」
「はぁ?」
 あたしの名前を叫びながら抱きついてきたのはさっき屋上まで一緒にいた例の問題児……もとい、あたしの友達である……かもしれない同級生。妙に形容詞が多いのは彼女の個性を存分に表すためである。そう信じていて欲しい。
 大体、日本には抱きつくなんていう風習は無いのだから、そんなことを突然やられても私からすれば迷惑なだけである。
 あー。昼間っから何やってるんだろ、あたし……。
「って」
「どおしたのっ。怪我してるのっ? どこ?」
「いや、右手に体重かけたらなんか痛くってさ。多分ぶつけたんじゃないかと」
「折れてないよね、骨っ!?」
 とか一人騒ぎながらあたしの右手をひっくり返してみたりとかしているが、折れてたらまず動かないだろうし。そんなに動かしたらまずいだろうに。
「それにしてもよく生きてたねー。屋上から落ちたくせに」
「あのねぇ……『自分は関係ないです、ただ友達の身を心配してるだけで♪』とかいう顔してるけど、あんたこそ元凶なんでしょうが」
「えぇっ。あたしっ!? 何でそうなるっ」
「だって、屋上の柵壊したのあんただし」
「あれは、あたしの責任じゃない。ちゃんと管理してなかった学校の責任」
 思いっきり乗っかって途中で柵が壊れそうって気付いて自分だけ手を放したくせに。お陰で柵に手をついていたあたしの方が柵に引きずられて落ちてしまった次第で、管理だけの問題じゃない気がする。
「何でもいいけどさ、瑞穂って悪運強いよね」
「強運って言ってくれる? 聞こえが悪いから」
「あんまし変わんないじゃん」
 そして馬鹿……もとい、千里はきゃははと笑った。

「……良かったんですか? あれで?」
「結果がいいんだから構わねぇだろ? 何言ってやがんだよ。それとも、てめぇは瑞穂の奴に死なれたかったのかよ」
「そういう訳じゃ、ないんですけど……」
「何はともあれ、これからどうするか、ですよね。本来居てはいけない存在である私たちが存在しているどころか表に出たとなれば、本当にあの人は黙っていないでしょうし」
「でもさっきのは貴女の案でしてよ? マラティア」
「えぇ。私はあれが最良の選択であると思いましたし、今も思っています。瑞穂を見殺しになんてできませんし」
「これから、どうしたらいいんだろう……?」
「最良の選択肢を選び続けるしか道はないです」
「ったく。めんどくせぇ。てめぇらでどうにかしやがれ」

 さっきからずっと誰かの、懐かしい声を聞いている気がする。その声を知っている筈なのに、あたしにはそれが誰なのか思い出せないかった。
 ……ま、いっか。知っているのであればいつかは思い出すだろうし、こんなにずっと聞こえているのだから知らなくても側にはいるのだろう。会った時に訊けばいい。
「どうかした?」
「……いや、何でもない。っていうかなんであんたがここにいるの? 違うクラスでしょ?」
「女の友情にクラスなんて関係ないっ」
「……」
 ……あたしの席からは見えない筈なのに青い空が見えるよ。お母さんどうしよう、あたし。幻聴は聞こえるし幻覚は見えるし。疲れてるのかな。
 はぁ、とあたしは盛大に溜息をついた。
「どうした、そんなに溜息なんかついちゃって。悩み事? あ、もしかして失恋した? 相談にだったら乗るよ?」
「じゃあ聞いてもらおうかな。あたしには友達がいるんですが、女の友情とか称していつもあたしの側にいるんですね。あたしからすればただの迷惑、なんですよ。どうすればやめさせられるでしょう?」
 千里は真面目に少し考えこむと、こんなことを言い出した。
「そういうのは困りましたねぇ。多分本人にも自覚ないと思いますよ? というわけで一回天罰と称してぶっ飛ばしてやりましょうっ」
「うん。分かった。というわけで天罰っ」
 ノリノリの回答を得たあたしは、アドバイス通り千里をはたく。
「えぇっ。あたしですかっ」
「何言ってるの、決まってるじゃない。女の友情なんて言ってるのあんたぐらいだし、あんたが側にいつもいるせいであたしとあんたは仲がいいとか周りから誤解されてるし、そのせいで他の人は寄り付かないし。全部あんたのせいよっ。あんたが悪いっ」
 千里は一瞬がーんという効果音と共に固まる。ふっ。勝った。
「って、ちょっと、それってただの八つ当たりって言わないっ!?」
「言うよ。分かっててやってるからお咎めなしね」
「えぇっ。何それっ」
 少しばかりの優越感。こういう時だけは友達やってて良かったと思う。ひねくれているだなんて、どうか言わないで欲しい。

 あたしは家の前に一人座って遊んでいた。水を廻りにまき、土を掘り返したせいで洋服は泥だらけだったけど、あたしは気にせずに遊び続けている。
 そこへ通りかかった誰かは、あたしに話しかけた。
「君は、もう一人の自分に操られたら駄目だからね」
 突然そんなことを言われたってこっちが理解できるはずもないのに、その人はそのまま続けた。
「もし操られたら、かわいそうだけど君のことを僕は抹消しなければならない」
「……」
 真剣な顔でそう言われ、あたしは怖くて泣きそうだった。
「怖がらなくてもいい。君はそのままで過ごしていればいいんだからね」
「……もうひとりのじぶんって……?」
 やっとあたしはそれだけ言うことが出来た。
「いいんだ……今は知らなくて。知ってしまうと操られる原因になるからね……」
 そう言ってその人は全く訳の分かっていないあたしを置いて去っていった。

「……」
 何だったんだろう。あの夢は。ただの変な夢ならあたしも許そう。だが、許せないのには許せないなりの訳がある。
 あたしの睡眠返せ。
 あんな変な訳の分からない夢に付き合っていたせいで、余計に疲れるし途中で目は覚めるしその後は寝付けないしで大変だった。そんな訳で、こんな朝早くからあたしは何でか学校にいるわけである。
「あれ、山中さん。今日は早いんだ」
「へ? 神さんって朝早いんだ」
 神 玉桜。それが彼女の本名。結構明るくて取っ付きやすい子。生徒会役員なんかに立候補すれば人気だけで軽く当選すること間違いなし。ただひとつ問題なのは本人があまりやりたがらないこと。
「うん、特にやることないんだけどね。そう言う山中さんこそ、何か用があったんじゃないの?」
「いや、ないよ。ただ今日は寝覚めも悪く、ただ惰性的に学校に来ただけだから」
「悪夢でも見たの?」
 ……あまり思い出させないので欲しいのだが、千里と違って可愛いので許せてしまう。何なんだろう、この違いは。
「そう。すっごく変な夢。幼いあたしが家の前で遊んでてさ、何か訳の分からない通りすがりの通行人に話しかけられるような夢」
「正夢じゃないよね、それ?」
 あまりに真剣な顔で訊いてくるので、正夢になりうるのかを考え込んでしまいそうだ。が。
「正夢であったら堪んないんだけど。あたし年齢逆行するの?」
「さすがにないか。何はともあれ、暇だね」
 年齢が逆行する筈がないことも当たり前だし、誰もいないような朝早くに来てしまったら暇なのも当たり前である。そんな当たり前のことを当たり前のように言ってくれた彼女に、あたしはとりあえず一つ頷くことにした。
「退屈が人間を殺すっていう意味が分かった気がする」
「そんなこと言ってた人もいたっけね。誰だったか覚えてないけど」
「こっちもさっぱり。永遠の命って確かに魅力的かも知れないけど、あたし特にやることないしな……」
 あたしが永遠の命と言った時点で少し彼女の顔色が変わったのが伺えた。嫌な思いでもあるのか、明らかに動揺しているのが分かる。
「……どしたの?」
「な、何でもない……」
 そう言って神さんは笑う。誤摩化したような笑い方だ。
「ねぇ、神さん。もう一人の自分ってなんだと思う?」
 それならばと話題を変えるついでに、あの夢の中で気になったことをふと思いついて訊いてみたら、どうしたのか、彼女は口をぱくぱくさせた。
「な、何を突然?」
「ごめん、ごめん。もう一人の自分に操られてどうのっていう話があってさ」
「……夢なんだし、そのまま忘れちゃえば?」
 返ってきたのは何とも投げやりなお答え。素敵過ぎるよ、神さん。
「忘れられないから訊いてるのに……」
 何故か不安げな顔をして窓の外を見上げる神さんの口が微かに動いたのが分かった。そして彼女は軽く二・三度頷く。まるで誰かと話しているかのように。

「彼女が、夢を見たらしいの」
 少女は電話の相手に話しかける。
『それは、どんな?』
「んっとね、彼女の幼い頃の夢。ちょうどあの時の……」
『そうですか』
「そうですかって……え?」
『焦ってもどうしようもありません。今は様子を見ていてください』
 そして電話は相手から一方的に切られた。
「え……見殺しにしろっていうの……?」

 いつの間にかあたしは桜との友好を深めていた。
 だって話しててどっかおかしいし面白いとくれば、これは存分に楽しむしかない。桜が嫌そうな顔をしているわけでもないし、嫌なら嫌とはっきり言ってくれる人だとあたしは信じている。どうかこんなあたしを裏切らないでください。
「瑞穂〜っ!? あたしのこと嫌いぃ〜!?」
 そう言いながらあたしの所に走ってきたのは言わずと知れたオーバーリアクションをいつも見せてくれる千里である。
「何でそういう風に話がなってるのよ」
「だってだってっ。瑞穂があたしと話してて楽しそうな顔したとこ見たことないしっ。これはやっぱりあたしのこと瑞穂は実は嫌いで、嫌々ながら付き合ってくれてるのかと思うでしょっ。普通でしょっ?」
「うん。普通だね」
 あたしは非常に冷静に千里が言っていることを分析して自分が思う結果を言ってみた。
「うわぁ〜っ。そうなんだっ。やっぱり瑞穂はあたしのこと嫌いなんだ〜っ」
 来た時と同じように騒ぎながら千里は自分のクラスに戻っていった。
 ……別にあたしの場合がそうだとは言っていないのだが。ま、いっか。暫く静かになるだろうから千里がいない時間と言うのを堪能させてもらおう。
「いつもに増してうるさかったね、千里さん」
 苦笑しながら桜があたしにそう言って来る。
「あぁ、多分暫く静かになると思うよ。懲りないのが千里だから本当に暫くだけどね」
「あんまり苛めたらかわいそうだよ?」
「平気。いつものことだから。でもさ、あたし一言も千里のこと嫌いなんて言ってないし。普通だったらそう思うねっていうのに同意しただけで」
「やっぱり仲いいんじゃない。何だかんだいいながらさ」
「いやいや。仲が良くないからこそこうやって千里は一方的にいじめられてんでしょーが」
「そうなの? それにしては苛めの程度が可愛いけど」
 かわいいって……もしかしてクラス単位の苛めにでもあった事があるのだろうか?
「苛めにかわいいもかわいくないもないと思うのはわたくしめだけでしょうか神大明神様」
 と、かなり芝居がかったセリフを言ってみる。
「虐めは虐めですけれども、やはり程度の違いと言うのは存在するかと思われます。山中大権現様」
 やっぱり乗りがいい。この子。
 あたしたちは二人で笑った。

「別に、何にも変わんねぇじゃんかよ。ったく。脅しやがってあの野郎」
「これから、かもしれませんよ?」
「ただの口から出まかせだったという可能性もありましてよ? そこまで心配なさらなくてもよろしいのではなくって?」
「……本当にそうだと、いいけど……」
「あら、わたくしの意見に反対いたしますの?」
「反対です。今何も起こっていないからと言って、これからも起こらないと言う保証はどこにもない」
「考えすぎじゃねぇの?」
「……僕は、誰かが抑えてる気がする……」
「はぁ? 誰がだよ」
「そんな瑞穂を守って利益を得る人もいないでしょう? そんな奇特な人、いるのかしら?」




Eternal Life
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