「ねぇ、調べるとか思ってないよね?」
 少し下がった千秋のトーンが、桜をはっと我に返した。彼女の瞳には、怯えの色がある。彼女にも、思い当たる話があるらしい。
「千秋、何か知ってるの?」
「うーん、逆に興味引いちゃった? 関係あるかどうかも分かんないんだけど、この学校で実際にあった話らしくって……」
 前置きして、彼女は話し始めた。

 今から二十年くらい前のこと。ある男子生徒がいなくなったの。その子は一年生だったらしよ。
 でね、親と学校が依頼して警察に捜査してもらったんだって。一週間探してもその子は見つからなくて。警察の方もそろそろ諦めようってことになったらしいの。
 そしたら次の日。今までどんなに探しても見つからなかったその子が、校庭で見つかったの。
 見つかったときにはもう既に息はなくて。手首に傷も発見されたから、警察側は自殺って事で片付けたらしいんだ。
 でもね、手首切ったわけだからかなり出血してていいはずじゃない? その子の周りには血の跡なんてなくて、ルミノール反応すら出なかったらしいよ……。

「ね? 何か似てない? 光君だって見つからないんでしょ?」
「でも、その話には諒闇に当たる奴がいねぇじゃん」
「確かにそうなんだけど……」
 小さく呟くように言って、彼女は桜に視線を向ける。そんなことがあったのか、と興味深く聞いてしまった桜は、目が合うと気まずく半笑いするしかなかった。千秋は、ぱちんと自分の額を手のひらで叩いた。
「うわぁ、大人しそうな顔して、こういうオカルト話好きなタイプだったんだ、桜って」
「いや、好きじゃない、よ?」
「そんな生き生きとした表情で言っても、信憑性ないから」
 あちゃーと桜は舌を出す。実際、オカルト系の話はそこまで好きではないのだが、雅沙羅や雪風たちと行動を共にし、幽霊と対峙する日々の中で、こういった話はついつい集めてしまうのだ。
「他にもそういう話ないか、色んな人に訊いてみようかな。校長先生とか、よく知ってないかな」
「んー、知ってるのかしら。意外とうちの学校って怪談話少ないのよね。七不思議もないし。でも、訊いてみるだけ訊いてみたら?」
「うん、そうする」
「お前も物好きだなぁ……」
 情報を集めるために、オカルト好きというポジションになってしまえと思ったが、勝の好奇な視線に晒されて、桜は少しだけ後悔した。



 放課後、勝や千秋と別れた桜は、校長室で「飯島先生に会うといい」と言われ、職員室に出向いたものの、結局飯島先生に会うことはできなかった。
 飯島先生を探すのは明日にしよと決めて教室に帰ると、既にだいぶ暗くなっていた。放課後の部活動なども活発ではないのか、生徒は全員帰宅してしまった後のようだ。
「……あれ?」
 桜も帰ろうと思い荷物をまとめていると、誰もいないはずなの薄暗闇の中、何故か人の気配がする。よくよく目を凝らしてみると、ぼんやりとした影が、窓際でひっそり佇んでいるようだ。
 誰かを待っているかのように立ち尽くしているのは、まだ幼い男の子の幽霊だ。
 けれど、こんな無害そうな男の子が、雅沙羅を一週間も失踪に追いやる程とは思えず、かと言って彼でなかったら、幽霊の気配が希薄なこの地にもう一人は幽霊がいることになってしまい、それもなんだか違う気がする。
 散々悩んだ挙句、桜は結局、一・二年生くらいだと思われるその男の子に声をかけることにした。
「……ねぇ、どうしたの?」
『お姉ちゃんが、さくら?』
「え? う、うん」
『僕ね、お姉ちゃんを待ってたんだ。
 あのね、ついこの間ね、お姉ちゃんと同じようにね、僕のこと見える人が来てね、教えてくれたんだよ。しばらくしたら僕を見れる人が来るから、その人を頼りなさいって』
 多分彼が会ったのは雅沙羅だろうと、桜は見当をつける。彼女は一体自分に何を頼らせる気だったのかと、桜は内心で首を傾げた。
「その人、他に何か言ってなかった?」
『え? んーと……たしかねー、「もし自制がきかなくなってしまったら、その時は手段を選ばず止めて欲しい」とか言ってた気がする』
 その言葉から推察するに、雅沙羅は相当の覚悟を決めてどこかに行ってしまったらしい。あの雅沙羅が、と思うと背筋が凍えた。
「その人には、何か教えたの?」
『うん。僕が死ぬ前の様子を教えてくれって言われたから、教えたよ』
「同じ話を聞かせてもらえないかな」
『いいよ、もう何年前になるのかすら分かんないんだけどね……』
 そう前置きしてその男の子は話し始めた。

僕ね、同じクラスで仲良くなった子が一人いたんだ。
その子のお兄ちゃん、勉強熱心でいつも図書室にいたんだよね。だからその日も図書室に行ったんだ。
ずっと話してたんだけど、僕はちょっとあきちゃって、図書室の奥の方に遊びに行ったの。
でね、そしたら床が抜けてね、落ちちゃったんだよ。
落ちた先にはね、お兄さんがいてね、にやりって笑ってね。
それから僕、目隠しされて……。

『で、気付いたら死んじゃってました』
「気付いたら死んじゃってましたって、そんな」
 最後のオチがあまりにも簡潔にまとめられすぎていて、思わず桜はずっこけた。低学年だから仕方ないと思う反面で、どこか割り切れない。
『それはまあいいんだけどさ、僕ねー、この間、多分同じとこだと思うんだけど、また男の子が落ちるの見ちゃったんだよねー』
「!?」
 多分、落ちたのは勝の弟だろう。ならば雅沙羅は、図書室の床穴から追いかけて行ったのだろうか。
 同じところから追いかけていくことも考えたが、それでは雅沙羅の二の舞であろうと思い、桜は逡巡する。そんな彼女の前で、にこにこと笑っていた男の子は窓の外を見るなり、その表情が一変した。
『……っ!? 始まってるっ!?』
 私は慌てて窓の側に駆け寄った。
 校庭にいたのは三人。男の子は多分光君で、青年は誰だか分からない。恐らく雅沙羅だろうと思う最後の一人は、巫女服だった。
 桜は違和感を覚え、一瞬でそれは違和感ではなく、既視感なのだと思い至る。しかし、生まれてこの方巫女と関わりだなんて、と記憶を辿れば、幼い頃によく面倒を見てもらった年上のお姉ちゃんが、巫女だったことを思い出す。
 それと、あの『戦争』の後に雅沙羅の居場所を教えてくれたのも、確か巫女だった。
『さくらっ。さくらお姉ちゃんっ! 死んじゃうよっ。あの男の子っ』
 気付けば男の子が、必死になって桜のことを呼んでいた。こういう時、触れないのは不便だなと、他人事のように思う。
「大丈夫だよ。雅沙羅がそんなの許すわけない」
『でもっ。あの女の人……っ!』
 言われて初めて、雅沙羅が握っている銀色のものがナイフであることに気が付いた。
 雅沙羅が自制を失うことがあるはずがないと高をくくっていたばかりに、どうしていいのか分からずに動けない。声も出なかった。
 思わず見とれてしまうほど綺麗な動作で雅沙羅はナイフを構え、そしてそのナイフを――!?

 見ていられず、桜は顔を隠して冷たい床の上にへたりこんだ。そんな彼女の耳に、馴染んだ雪風の声が聞こえた。
『落ち着け、大丈夫だったから、落ち着け』
「大丈夫だったって、何が……?」
 浅い呼吸を繰り返しながら顔を上げると、桜の隣に華鏡も来ていた。
『降りて来てもらえるかなって、雅沙羅が』
 どうやら雅沙羅は、ちゃんと自我を保っていたらしい。

 桜が校庭に下り立った時、顔を伏せた雅沙羅が、月光に照らされながら佇んでいた。
「……人の、しかも子供の命を奪ってまで、伸ばしたい命なのですか?」
「そうだ。お前らには分からないだろう? 老いることに、死ぬことに恐怖を感じることすらっ」
 静かに雅沙羅に問われ、青年は狂ったように笑い出す。元々、狂気に染まっていたのかもしれないと、桜は思った。どうやら子供を殺し、生命力を吸って、不老不死を手に入れていたらしい。
「私、思うんだけどさ。知っている人が、友達が、両親が、兄弟が、自分の子孫が死んでいくのを見るほうが、辛くない?」
「……だから、私が必要だったのですね。今回は」
 桜の問いかけには、未だに笑い続けている青年の代わりに雅沙羅が答えた。
「私は暗示をかけられていました。彼の不老をまた得るために光君を殺し、自殺して彼の死んでしまったお嬢さんを蘇生させるための生贄としてここにいるわけです」
 そう告げる雅沙羅の声は、平板だった。
『雅沙羅、着替えて来たらどうだい? 後は僕らの方で片付けておくから』
『おーおー、その姿じゃさすがに目立つだろ』
「そうですね。では、後はお任せします」
 ふらりと、頼りなさげな足取りで校舎に入っていく雅沙羅の姿を、桜は見送った。足元に横たわる光の胸は静かに上下しており、すややかに眠っているようだった。



 次の日、校庭で白い粉――検査結果、成分はカルシウムだと言う――が発見されてこの事件は永遠に幕を閉じた。
「ご心配おかけしました」
「おにーちゃんっ!」
 朝、桜が廊下を歩いていると、聞き覚えのある落ち着いた声に、幼い声が教室から響いて来る。
 教室では幼い子が勝に戯れ、昨日は空いていたあの席には見覚えのある長身の影があった。彼女は戸口に立った桜の気配に気付いたのか、振り返った。
「桜、おはよう! 怪談話はたんと聞けたかい?」
「え? あ、うん、それなりに」
「ねぇ、聞いてよ雅沙羅。桜ね、あ、昨日転校して来た子なんだけど、あんな可愛い顔して怪談話好きなんだって。ちょっといい話あったら教えてあげてよ」
 くすり、と雅沙羅は桜を見て笑う。「そんな話にしたの?」とでも言うような彼女の表情に、桜は耳まで真っ赤になるのを感じた。
「では今度、とっておきの話をしましょうね。例えば、戦時中に切り裂かれた二人の話とか」
「え、もしかして雅沙羅もその手の話得意!? え、ちょっと私も聞きたいんだけど!?」
「宗教関係の家にいると、その手の話はどうしても集まって来てしまって。あと、その話は怪談話が大好きな、彼女の為だけのお話です」
 唇に人差し指を当て、悔しがる千秋に向かって雅沙羅は微笑んだ。そしてそのままの笑顔を、教室後ろのロッカーに鞄を置いた桜にも向ける。
 とくりと、桜の心臓が跳ねた。
 雅沙羅が桜にする「とっておきの話」は、千秋の言葉を真に受けた、単なる怪談話ではなくて。




Eternal Life
月影草