不老の生



 華鏡に案内されて踏み入れたのは、町というよりも村に近いほど小さな集落だった。三方を山に囲まれた立地で人の往来などないに等しく、街道などからは大きく離れている。
 地図もあるようでなかった時代に、雪風がこの町に辿り着けたのは奇跡でしかないと、本気で思えるくらいだ。彼が行けないと言ったのも、納得がいく。
『おかしいな……雅沙羅とはここで合流するはずだったんだけど』
『そもそもの町を間違えたんじゃねぇの?』
『まさか。そこまで酷くはないよ。とりあえず清舞家に行こうか。彼らなら知っているはずだ』
 華鏡に先導されながら、緩やかに続いていく坂を登っていく。真っ直ぐに進んだ先には石段があり、その中腹にある日本家屋に向かっているようだった。石段を登りきった先には神社があるらしく、赤い鳥居が見えた。
 桜は既視感を覚えて首をひねったが、どこかで似たような風景でも見たんだろうと納得する。どっしりとしたいかにも旧家である門構えに気後れしつつも、桜は呼び鈴を鳴らした。
 「はーい」と出てきたのは、すらりとした長身の女性で、黒髪は綺麗に伸ばされ、そのまま背に流されていた。白いセーターに、淡いピンク色のスカートという出で立ちに、桜はあんぐりと口を開けたまま凍りついた。それは雪風も同様だったらしく、『あ?』と声を漏らしたまま固まっている。
「えっと、雅沙羅?」
「あぁ、諒闇さんのご友人の、神玉桜さんですね。私は清舞雅沙羅と言います。諒闇さんとは、よく似ているって。生憎諒闇がまだ戻らなくて……あ、ですけど、森下さんのお宅に滞在していただくことになっていますので、そちらに案内しますね」
 名乗られ、服装と声のトーンと、そして口調の違いから、彼女はどうやら別人らしいと桜が認識するまで、数秒を要した。なまじ顔が瓜二つであるだけに、違和感が拭えない。
「荷物、手伝いますね」
「あ、ありがとうございます。あの、雅沙羅が……えっと、諒闇さんが戻らないっていうのは……?」
『本当だよ、何あったんだよ、あいつが顔見せないなんて』
 華鏡も同じ考えらしく、雪風の横でこくこくと頷いた。彼女の質問に、石段を降りながら清舞雅沙羅は僅かに顔をしかめる。
「何があったのか、実は私たちにもよく分からなくて……神さんならば、諒闇が幽霊を相手にしていたのは知っていると思うんですが、その途中で姿を消したらしいんです。でも、どこで消えたとかは手がかりがなくて」
 幽霊と対峙するなかで、桜も死にそうな目に遭ってきた。雅沙羅の力は桜と比べれば段違いとはいえ、彼女の力が及ばない可能性だって、0ではないのだ。

 森下家に着くと、小柄な女性が出迎えてくれた。清舞雅沙羅は、月曜日の登校時刻に桜を迎えに来るといい、桜は家に招き入れられた。
「自分の家だと思ってくつろいでね」
「はい。ありがとうございます」
 あてがわれた部屋にとりあえず荷物を置くと、彼女は畳の上に転がった。盛大に顔を歪ませて。
『おいおい、お前、なんて顔してやがる』
「だって、なんか、すごく気持ち悪いんだもん。なんていうのかな、なんか見覚えがある町並みなのに、雅沙羅の顔してる人があんなんだし、なんか落ち着かない。大体今回はなんで人様のお宅なんだろ」
 独り言にも似た呟きに、雪風と華鏡の二人は顔を見合わせた。そして華鏡は首を傾げる。
『本当に覚えてない? 君は覚えていると思うよ。その気持ち悪さが、その証拠だ。彼女が森下家をあえて選んだ理由も、君には分かると思う。月曜日までは時間があるんだから、ゆっくり考えてご覧』
 真上から顔を覗き込まれて微笑まれては、頷くしかない。
 雅沙羅を探して来ると言い置いて華鏡が言ってしまうと、桜は身を起こした。
「私、知ってるの? ここ」
 彼女の問いが聞こえなかったはずもないのに、雪風はふいと窓の外を見遣った。
『あぁ、そりゃもう、ばっちり』
 暫くの沈黙の後に返された彼の声から、苦渋の色は拭えない。



 月曜日、清舞雅沙羅に連れられて行った学校は、町の規模から考えると大きい気がした。
 職員室で、そして教室で挨拶を済ませ、何事もなく一限目が始まる。雅沙羅も転校していたらしく、そしてやはり今日も休みらしく、席の一つがぽつりと空いていた。
「清舞さんが言ってた、神さんだね! 桜って呼んでいい?」
「え? あ、うん」
 休み時間に入ると、隣の席の女子生徒が話しかけて来る。すらりとした、雅沙羅と並んだらきっと絵になるんじゃないかと思わせる、スタイル抜群な少女だった。
「あたし、柳原千秋。千秋でいいからね! よろしくー」
「あ、うん、よろしく」
 屈託のない笑顔で手を振られ、釣られて桜も手を振り返した。そんなことをしていると、「おいおい」と彼女の前に座っている男子生徒が振り返った。
「柳原、お前、なんでそんなに馴れ馴れしいんだよ。可哀想に、転校生がドン引きじゃねぇか」
「えー、折角のお隣さんなんだから、仲良くしなきゃ。あ、これは谷口勝ね。こんなんが幼馴染なあたしって、お先真っ暗ー」
「幼馴染の質で、お前の将来決まんのかよ」
「うん、そう。今からでも雅沙羅の幼馴染になれないかしら」
「ちょっと遅くねぇか? そういや諒闇……」
 勝の視線が、すっと空いた席に向けられた。がらんとしたその空間は、主人が来るのを待っている。
「あ、あそこね、諒闇雅沙羅っていう、すっごく美人で文武両道多才な子の席なんだけど……もう一週間なる? ずっと休みなの」
「一週間も?」
 千秋の言葉が信じられずに、桜は思わず鸚鵡返しに聞き返した。一週間はさすがに長すぎる。昨日ぽつりと雪風が零したが、この町にはそもそも幽霊の気配がほぼ全くないのだとか。だから、幽霊関係で雅沙羅が問題を起こしているとは考えにくい。
「うん、そうなの。やっぱり現国の先生のせいじゃない? 来た初日からあれだけ散々に言われたら、雅沙羅、学校辞めるかもよ?」
「可能性としては高けぇな」
「何かあったの?」
 さらに桜が追求すると、勝と千秋の二人は、言いにくそうに口を閉ざした。
「お前、『諒闇』の意味知ってっか?」
「え? 意味なんてあったの?」
「あるの、それが。辞書にもちゃんと載ってて……なんだったっけ、天皇の崩御により喪に服す期間のことだっけ? それで、天皇万歳主義の現国の教師が、『なんだそのふざけた名前はっ』って怒っちゃって」
「災難だよな。今時んな意味知ってる奴いねぇっての」
 はぁ、と彼は溜息をついた。それは深い溜息で、他にも色々ありそうだと思わせる。
 それにしても、諒闇にそんな意味があったとは全く知らなかった。雅沙羅はおろか、華鏡も雪風も、そんなことは一言も言わなかった。だが、この国でそんな名字を冠することの大変さは、たやすく想像できた。
「でさ、名字なんて親からもらうもんじゃん? こっちは選べねぇってのに、んなんで怒んなよって感じじゃん。つーか諒闇来ればいいのに。俺らは気にしねぇんだから……」
 やはり、勝は何か思いつめているらしいと桜は直感した。どうやら問題があるのは名字だけではないようだ。
「……ねぇ、他にも心当たりあるでしょ」
「え?」
 千秋が絶句し、勝が目を見開いた。
「……なぁ、お前って諒闇と関係あったりする? 親戚?」
「え? まさか」
「いや……2人ともなんか鋭いからさ」
「え? 何? 勝も何か雅沙羅にした訳? 信じられない。それでも友達?」
「うわ、すっげぇ誤解。俺があの国語教師と同じぐらい性格悪いとでも思ってんの?」
「うん」
「うわ、まじ信用ねぇ」
「そうだよ。知らなかったの?」
 数秒にらみ合った二人は、弾け出したように笑い出した。どうやら、一応冗談だったらしい。
 チャイムが鳴り、生徒が着席する。勝は千秋と桜の二人に、「お昼休みな」と言い残して前を向いた。

 昼休みは、教室の隅でのお昼ご飯と洒落込んだ。各自持ってきたお弁当を広げ、食べ始める。誰も言葉を発しなかった。
「それで谷口君の心当たりって?」
 ようやく口を開いた千秋に、少しだけ躊躇ってから勝はぽつりと呟いた。
「……もしかしたら俺のせいかもしれないんだ。諒闇が、いなくなったの」
「ちょっと待って。雅……諒闇さん、いなくなったの? それとも休みなだけ?」
「俺は、いなくなったんだと思ってる」
 「いなくなった」とは、物騒な話だ。ちゃっかりと紛れ込んだ雪風が、顔をしかめながら話の続きを待っている。
「何でいなくなったと思うの? そんな縁起の悪いこと……」
「実は弟が、光がいなくなってさ」
「光君が? 家出するような子じゃないし……」
「だろ? でさ、俺普通に振舞ってたつもりだったんだけど、諒闇には気付かれちまってさ。あいつ、妙な所で鋭くて。んで、話したんだ。その次の日からあいつ、休んでんだ」
 勝の言葉から推測するに、幽霊がらみの事件で彼の弟が消え、それを雅沙羅が追った、といった筋書きだろうか。ならば彼女も彼の弟も、この近辺にいるだろう。ならば雪風と華鏡に、まずはこの周辺に幽霊がいるかどうかを調べてもらって、と思っていると、雪風と目が合う。彼は頷いて、すっと去っていった。




Eternal Life
月影草