30分小説 お題「水」
「水」がないと、彼女は泣いた。
「水ぅ? ないって、なんの冗談だよ」
カウンタで泣きじゃくる女の子から離れ、青い髪の僧侶は近くにいた一番状況を知っていそうなリーチェルートを引きずって声を潜め、訊ねる。
「『水』がないとしか彼女は言わんのじゃ。それ以上のことはわらわにも分からぬ」
「おいおい……なんだ、コップの水程度じゃ足りないってか?」
「湖にでも連れて行くかえ?」
女の子の目の前には、グラスに入った一杯の水。けれどその子はそんなものを気にも留めずに泣き続けている。喉が渇いているわけでもないらしい。
「水ねぇ……おいジャン、塩あるか?」
「塩? あるけど、一体何するつもりだよ」
慰めることすらせずに横に座って頬杖をついていたヤマトは、ジャンから受け取った塩をざばざばとグラスの中に注ぎいれ、めんどくさそうにがちゃがちゃとかき混ぜる。
「これならどーだ」
「塩水かよっ!?」
差し出されたグラスとヤマトの顔を交互に見ていた女の子は、グラスを受け取ると指先をちょっと突っ込む。
そして何故か、少しだけ泣き止んだ。だがその表情は、いまだどこか不満そうで。
「塩水がほしいなら塩水って先に言えっ」
「つか、手を突っ込む分には水も塩水も変わんねぇよな」
「あれかぁ? ほら、濡れてないと死ぬっていう」
「いやそれは塩とか関係なくね」
「もっと欲しいんじゃの?」
優しく確認するリーチェルートに、女の子はこくりと頷いた。
「もっとって、どのくらいだよ」
「いっぱい」
「いやだからどのくらいだよ」
「……たくさん」
「いやだから」
幼い子を相手に無駄な問答を繰り広げるアルトに、ジャンとリーチェルートは呆れ顔だ。
「お前の聞き方が悪いんだろ」
「湖一杯くらい欲しいのかえ?」
「もっと」
「海くらいかの?」
彼女の問に、にっこりと笑う。
どうやらそれが、正解らしかった。
「なんだなんだ、海にでも突き落とすか?」
「お前はどうしてそうやって物騒な方向に向かうんだよ!?」
「いやだって。この調子じゃ飲みたい訳じゃねぇみてぇだし?」
軽く肩をすくめながらヤマトが言い放った言葉に、確かにそうだよなとアルトは思う。大体飲むだけならばコップ一杯で十分なはずで、海ほどの水が欲しいとなれば、当然それは中に浸かりたい、というような欲求であろう。
「ここからじゃと海はちぃと遠いのう……」
地図を思い浮かべるかのように宙に視線を漂わせながら、リーチェルートが一人ごちる。
「そうだなぁ……なんならロッティに飛んでもらうか?」
「クエスト行ってまだ帰ってきてないだろ」
「帰ってくるのを待ってるのが早いか、それとも別の手段で向かうのが早いかって感じだな」
「おい、それはまぁいいとしてだな」
真剣にどうするか考え込んでいた三人の間にに、のんきな声でヤマトが割り込んだ。
「良い訳ねぇだろっ!?」
「いやまぁそーなんだけど、いやそれより急ぐことがあるんじゃね?」
軽く睨みつけながら何だよとアルトが問えば、ヤマトは今さっきまで泣きじゃくっていたはずの女の子を指差した。
「は? だからその子をどうやって海まで連れてくか……ってびっちゃびちゃじゃねぇかよ! お前、見てたんならどーして止めない!?」
そう。指先を浸すだけでは物足りなかった女の子がコップをひっくり返し色々やったらしく、カウンターだけでなく女の子自身も濡れている悲惨な状況。けれど本人はいたって楽しそうである。
早くタオルを、と慌てだすアルトを、にやにや顔でヤマトは見送った。
「子守もできんのじゃのう、そなたは」
「いや、別にやる気もないし?」
「余計に悪いっての」
カウンターを拭きながら、ジャンはグラスを女の子から没収する。
「つかこいつ、どーしてこんなに水を欲しがるわけ?」
「元は海に住む魔物かもしれんのう……」
リーチェルートが小さく呟いた、その時。
「あーっ、ここにいたっ!」
酒場に飛び込んでくるなり叫んだのは、先ほど話題にも上がっていたロッティその人である。
「知り合いかの、ロッティ?」
「知り合いもなにも、マールは私の子だもん!」
「……はぁ?」
ジャンが聞き返し、リーチェルートが目を丸くし、アルトが凍りつく。
「あー、もう、心配したんだからね! もう、勝手にいなくなっちゃわないでよ。あんまり好き勝手に動かれると、本に仕舞わなくちゃいけなくなるんだから」
駄目でしょ、とロッティは女の子に言い聞かせる。
「……あれか、ロッティが確保した魔物で、まだ本にしまわれてないって」
「そーらしーな」
「ロッティ。目を離すではないぞ?」
一件落着したのか何なのか。
彼らはこれからほぼ毎日、「水が欲しい」と泣くマールに振り回されることとなる。
2011/5/21
夢裏徨「月影草」
ものかきギルド企画