伸ばしたその手で掴むのは


「そういやリアって完全固定とかできねぇの?」
「駄目だ、ダメだ、だめだっ。できるできない以前にやらせるなっ」
「……いや、誰もやらせるとは言ってねぇだろ。落ち着けって」
 余りの慌てっぷりにヤマトにすら呆れられてアルトは我に返る。
 リアの固定魔法。あれが永続すれば、と思ったことは何度となくある。――もちろん、いつもいつもではないが。
「できるはずだぞ、あいつ」
「へぇ、できるのか……って、はぁ!?」
 さらりと答えたバーナビーに、アルトは思わず素っ頓狂な声を上げた。軽い足音を立てながら階下に降りてきたリアはそのまま外に行くつもりだったようだが、彼の声に呼ばれるように彼らの方へ歩み寄った。
「いつもながらアルトさんってばお元気ですね。今日は何の話を?」
「お、リア。丁度お前のこと話してたんだよ。お前さ、確か完全固定ってできたよな」
 完全固定。その言葉が出た途端に、リアの笑顔が僅かに強張った。あまり表情は変わっていない癖に、彼女が不機嫌であることが手に取るように分かり、アルトは思わず後退する。
「試してみますか? 死にますよ」
 普段のからかっている口調はなく、誰も言い返せぬままに、彼女は外に出て行ってしまった。
「…………あいつ、本気だったよな」
 完全固定を使えば、ヒトの命を、奪えるのか。
 その事実が、重くのしかかる。



 幼い頃のことだなんて、もう覚えてなんていない。覚えているのはここに来る前の数年と、ここに来てからのことだけ。
 あの頃のことだって、本当はもう覚えていたくもないというのに――どうして今更、思い出させるようなことを言ってくるのか。
「……言って、ませんからね。仕方、ないですよね」
 ぽつりと誰にともなく呟いた言葉は風にさらわれ、頼りなくて――

 * * *

 がやがやと集まっている人だかり。
 そんな彼らを押しとどめる警備団。
 じっと様子を見ていたら、その内の一人と目が合った。
 彼は満足げに笑って頷いてみせた――けれど、わたしは何の反応も返さずに群集に紛れ込む。彼の笑顔は嫌いだ。どこか笑ってなくて――常に、更なる何かを要求されているような気になる。
「お嬢ちゃん、一人かい?」
 日も暮れた裏路地を一人で歩いていれば、当然のごとく「奴等」から声をかけられた。それもそうだろう。だって、わたしみたいな女子供は、奴等の格好の餌食なのだから。まぁ、あえておとりになりそうな服装を選んでいるのも、否定はしないけれど。
 振り返れば体格の良い男が、にやにやと笑いながらわたしを物色している。
「一人なら……」
「嫌です」
 にっこりと、はっきりと拒否すれば、彼はがしりとわたしの腕を掴んだ。
「自分がどんな立場にあるのか分かってねぇみたいだな? 俺が教えてやるよっ」
「それは、わたしのセリフですよ――固定化します」
 宣言とともに、彼の動きがぴたりと止まる。わたしと彼に間を、冷たい風が吹き抜けた。
「やれやれ……」
 わたしは息を軽く吐いて、掴んできた手の固定化だけをそっと外す。その途端。
「――!?」
 動けないはずなのにその手に力が篭り、一瞬悲鳴を上げそうになった。……が、その力もすぐに抜ける。彼の手は既に死人のように冷たくて。気持ち悪さを堪えながら、わたしの腕にまとわりつく指を、一本一本外した。
 恐怖にへたり込みそうになるのを必死に堪え、服の袖から一本のリボンを引き抜く。魔道具の一つで、ちょっと魔力を流し込めばその位置を発信する。受信するのは、この街の警備団。このリボンさえつけておけば、すぐに誰かが彼を引き取りに来るだろう。
 ――そう。彼はお尋ね者であり、わたしは彼のような犯罪者を捕まえる手伝いをしているのだ。

 本当はもう少し夜の街を歩いて回ろうと思っていたのだがその気も失せ、わたしは足早に与えられた自室へと向かっていた。
 けれど――さっき掴まれた左腕が、やけにずきずきと痛む。
 痕が残っているだろうだとか、内出血を起こしているだろうだとかいうことよりも、一瞬にして冷めた体温が思い出されて、
「……きもち、わるい」
 吐き捨てるように呟いて、わたしはレンガの壁に背を預ける。
 誰か頼れるヒトがいれば良かったんだろうけれど、生憎そんな知り合いだなんていない。ここにいる限り、わたしは一人で生きていくしかないんだろう。
 完全固定だなんて、使いたくもないのに……――
「あなた、大丈夫ですか? 顔、真っ青ですよ?」
「……あなた」
 心配そうに顔を覗き込んできた彼女の顔に、見覚えがあった。ということは、彼女も手配されているということ。
 固定化しなければとは思うのに、魔法を使おうと思う気力すらない。……全く、魔法を使えない魔法使いなど、ただの一般人でしかないと、脳の片隅で自分自身を皮肉った。
「そんな薄手のドレスでは寒いでしょう、ほら……」
 引っ張られるように壁から離れると、ふわりと肩に何かをかけられた。
 ――彼女の、ショールだ。
「……あったかい」
 ショールに残った彼女の温もりに、ふと頬が緩む。ヒトの温もりをこうして感じるのは、一体いつ以来のことだろうか。
 ――そこで気が緩んでしまったのか、後は彼女に言われるがままだった。なぜか彼女についてきて、なぜか今はホットチョコレートをご馳走になっている。
「落ち着きました?」
 柔らかい笑みで問いかけられ、こくりと頷いて返した。ずっと右手で庇っていた左腕も、丁寧に包帯を巻いてもらったし――なんだか逆に申し訳ない。
「あなたは確か、警備団の所の子ですよね?」
 二つ目の問いには即答できず、どう答えようかと目を伏せた。
「いいんですよ、それでどうこうしようっていう話ではないですから。最近警備団が魔法使いの女の子を連れてるって噂になっていましてね、仲間内で言ってたんですよ、その子、かわいそうですねって」
「かわいそう?」
 思いもよらない言葉に、思わずオウム返しで聞き返す。
 わたしは恵まれていると、何度も言われてきた。だって魔法は使えるし、こうやって活用する場まで与えられているんだから。だというのに彼女は、そんなわたしをかわいそうだと言うのか。
「そうですよ。だって、あなたが使うのは固定化魔法でしょう? そんな都合がよくて便利な魔法を使える子を、警備団が手放すわけがないですし。それに――その固定化魔法、ヒトに使えばどうなるのか、一番分かってるのはあなた自身でしょう?」
 見透かされたように告げられて寒気がし、反射的にわたしは自分自身を抱きしめていた。
 分かってる。あれをヒトに使えばどうなるのか。決して教えられたことはないけれど、冷えきったあの体温が、わたしの想像を裏付けているんだから。
 知らないで使ってきた。これが正しいのだと、自分に言い聞かせてきた。だけど、それもそろそろ限界だ。事実に気付いてしまったことと、本当に正しいのか疑問に思ってしまったことは大きい。
「わた、し……」
 彼女の仲間だって、わたしが固定化した中にいたかもしれない。散々自問自答したけれど、やはりこれは間違っている。結果が分かりながら使っているというのなら、尚更だ。
 なんということをしてきたのか。
 思わず泣きそうになったわたしを手で制し、彼女は口を開く。
「泣く前に、やることは一杯ありますよね? あなたはどうしたいですか? 現状を維持したいですか? それとも……」
「お願い、出して。ここから……わたし、わたし、固定化魔法しか取り柄がない、けど……」
「固定化魔法にもレベルがあるって聞いていますけど、どこまでだったら使えます?」
「……部分固定。状態固定までなら、できる」
 わたしの答えに、彼女は驚いたように目を瞬かせた。
 完全固定は簡単だ。何も考えずに全てを固定化してしまえばいい。部分固定は固定する部位の指定の分だけ難しく――状態固定なんて、習得しようと思う人がいるのかどうかすら、分からない。
 でも、わたしはできる。もっと小さかった時に、遊びながら身につけた魔法だ。そう簡単に忘れるわけがない。
「それだけできれば上等です。ギルドを紹介してあげるしょうね。ウィンドベルっていう隣町にあるギルドは、私の昔なじみがやってるとこでして。訪ねてみるといいですよ」
 さらさらと住所を書いた紙を差し出してきた彼女は、今度はわたしの服装を見ているようだった。ひらひらとした裾やリボンはいつもどこかに引っ掛けてしまうのだけれども、世間知らずのお嬢様だと相手が勝手に勘違いしてくれる、ある意味都合のいい服装だ。
「うーん、その格好では、ねぇ……」
 ぶつぶつ言いながらどこかに行ってしまった彼女を他所に、わたしは渡されたメモを見た。
 ウィンドベルの、ものかきギルド。
 ……変な名前だ。
「ものかき、ギルド」
 口の中で呟いて、くすりと笑う。
「なんだ、かわいく笑えるんじゃないですか。
 服なんですけど、こんなのしかなくてすみません。ですけど、そんなドレスよりはましでしょう。着替えていらっしゃい」
 差し出されたのは赤いTシャツと、赤いキュロット。これならばドレスと違って裾を裂くこともなく、いくらでも無茶ができそうだ。

 着替えた私に彼女は、寒いだろうからと黒いコートを羽織らせ、途中で飲み食いできるようにと水筒に多少のお菓子、更にはギルドへの紹介状まで持たせてくれた。
「ありがとう。でも……なんでこんなことまでしてくれるの?」
「お互い様でしょう。あなただって、いつでもできたというのに私を固定化して警備団に突き出しませんでした。何故?」
 逆に問い返されて、わたしはあいまいな笑みを浮かべた。
 なぜだなんて、分かっている癖に。もうあんな魔法――使いたくもない。
 私を馬車に乗せ、そういえば、と彼女は口を開く。
「あなたのお名前、まだ聞いていませんでしたね」
「ノイン」
「九(ノイン)? なんですかそのふざけた名前は。女の子なんですから、もっと良い名前を……」
 わたしの答えに、彼女は僅かに顔を顰めてなにやら考え始める。呟かれる名前と、時折混じる「突然言われても思いつくわけないでしょう」と毒づく言葉。
 それでも真剣に考えてくれているのが嬉しくて――ふと笑みを零した。
「……リア。これからはリアと名乗ったらいいと思います。私のミドルネームなんですけど、数字よりはましでしょう。あ、ですけど……」
 何を言われるのだろうと首を傾げれば、いたずらっぽい表情で彼女は続ける。
「……名前と一緒に皮肉っぽさまで貰っていかないように。あなたのこれからのお仲間が泣きますよ?」
 楽しげそうに彼女が笑い、わたしもつられて笑い出した。
「そう――あなたはその笑顔が一番ですよ。大変なことがあろうとも、常に笑っていなさい、リア」
「……はい!」
 わたしは笑顔で返し、馬車は走り出す。
 新しい街での、新しい生活。心が踊らないわけがない。

 * * *

「リア、リアっ」
 聞き慣れた声に名前を呼ばれ、芝生の上に寝転がっていた私はその身を起こした。
 名前を呼んだ相手は、顔を見なくても分かる。ギルド全体の心配性を一人に集約して具現したような青い僧侶、アルトだ。
 彼は私から数歩離れた所で立ち止まると、ぜいぜいと荒い息を繰り返す。前衛ほどの体力もない癖に、全力疾走してきたらしかった。
 それほど切羽詰ったクエストでも入っただろうかと思ったが、違うであろうことは彼の性格から簡単に予想がつく。
「体力作りですか? 確かに重要ですけど」
「違うっての。さっきのこと、謝りたくってさ」
 そんなこと、と言おうとして、私は口をつぐんだ。私からすればその程度のことでも、彼からすれば一大事なのだろう。本当に――お人好しだ。
「ごめんな、知らなくて」
「仕方ないじゃないですか。皆さんに言っていないのは私です。それで皆さんが知られているようだったら、その方が怖いですから」
「ん? あぁ、それは確かに」
 笑いながら彼は私の横に腰を下ろす。
 ――どうして彼はこんなにも構ってくれるのだろうかと、たまに不思議に思う。彼だけじゃない。ギルドのメンバーは誰もが優しくって、つい甘えてしまうんだ。
「ここに来る前に何があったかは知らねぇけどさ、辛くなったらたまには愚痴れよ? 話くらい聞いてやれるんだからさ。そんな一人でなんでも抱え込んでんじゃきついだろ」
「それは……」
 思わずおかしくなってくすくすと笑い出す。
「私の過去全てを、あなたが背負ってくださるということですか? そうやって何人分の過去を一身に背負われるつもりですか、あなたは。余程ご自分の人生に自信と余裕がおありなんですね」
 うぐ、と言いよどむ彼の表情がおもしろい。本当にからかい飽きない人だと思う。
「……あーあ、もうちょっと凹んでるかと思ったのに、意外と元気じゃねぇかよ。心配して損した」
「……」
 学習能力がないですねだとか、心配しないなんてことできるんですかだとか、セリフはいくつか思い浮かんだけれど、なんとなく口を閉ざす。その方が――
「!? やややっぱりお前大丈夫かよ、毒舌はどこいったっ!?」
 ――やっぱり、面白い。




<言い訳>
 議題。リアの魔法設定をどうするか。
 「絶対防御」にするか。いやでも防御を絶対にしたらきっと面白くない。じゃあ「絶対固定」にするか。いや「絶対」はないだろう。両方やめて、リアの性格に合う攻撃魔法とかとどうだろう、普通に炎でもいいんじゃなかろうか、だけれどこれでは余りにも詰まらない。やっぱり固定化にするか、でもこれって他の人には分かりにくい設定になってしまうか…?
 悶々と考えた結果秋待さんにお伺い。「おもしろいんじゃないですかね」。
 彼女の一言で、今のリアがあるわけです。これは責任重大ですよ、秋待さん(笑)

 固定化魔法と一口に言えども「完全固定」と「部分固定」、二種類の構想があったわけです。複雑になるからとキャラ登録では削った設定なのですが、折角ですしと今回の企画で引っ張り出してきたわけです。
 ちなみに、「微笑みの毒」でのリアのセリフも、この設定がなんとはなしにあったから。


 アルトさん、ヤマトさん、バーナビーさんお借りしました、ありがとうございます。
 何か問題ありましたら、ご一報ください。

夢裏徨「月影草
ものかきギルド企画