微笑みの毒
「……」
「……」
「……」
「……」
「……なぁ、アイツ、何作ってるんだと思う?」
無視すればいいものを無視しきれずにアルトが疑問を発する。
彼と同じように同じ人物を眺めていた三人のうち、一人は怖々、一人は淡々と、一人は興味も無さそうに、揃って首を横に振った。
アイツと呼ばれた彼女、固定化魔法を誰彼構わずぶっ放すギルドの赤い魔女が手に持っているのは枠にはめられた白くて大きな布。そして、色とりどりの糸。
「そんなに気になるなら君が聞いてくればいいじゃないか。僕は興味ない」
あっさりとクロイは言い捨て――けれど部屋に戻る気はないらしく、カウンターの一席に居座っている。
「どうした、そんなに『ししゅう』というものが気になるのか」
何を思ったのか宙からマニュアルを取り出したキールは、優雅な手つきでページをめくる。
「そもそも『ししゅう』というものは布が貴重であった時代に布の補強をし、その厚みをますのが目的で始められたもので――」
「誰も刺繍の歴史なんか聞いてねぇよっ」
アルトの突っ込みに、呆然としていたシブリーがごもっとも、と頷いた。
「本当に何を作ってるんでしょうねぇ……。朝からあんな調子なんですよ?」
「『ないしょく』というヤツかもしれない」
再びマニュアルを取り出そうとするキールを、アルトが突っ込みを以って制する。
「バカ言うな。あいつなら向かいの雑貨屋にでも行って売り子でもやれば、内職なんてするよりも収入いいだろ」
たしかに、とシブリーがまたもこくこくと頷く。
「本人に聞けばいいだろう。そんな所で無駄な憶測をしているよりも早く確実に答えが出る」
「お、クロイ、聞きに行くか?」
「どうして僕なんだ。行くなら言いだしっぺの君だろう?」
そうですよ、と再びシブリーがうんうんと頷く。
「……えー、俺?」
「アルトさん、リアさんと仲いいじゃないですか」
「適材適所だ」
「……マテ、お前ら。特にシブリーっ。俺はあいつと仲がいいんじゃない。俺は被害を抑える為にあいつの暴走を止めにいってるだけだ」
「命がけでか。返り討ちに遭いながらか」
クロイに痛いところを突かれた彼は、閉口して立ち上がる。
「……行ってくる」
「最初から素直に行けばいいんだ」
俺って損な役回り。
思っていても口には出さないのが、大人の対応。
「おい、リア。お前朝から何作ってんだ?」
「大したものじゃないですよ」
今日は機嫌がいいのか、リアは棘のない言葉を返してにこにこと笑う。彼女が笑っているのはいつものことなのだが。
「大したものじゃないって……そんだけ時間かけてて大したものじゃないわけねぇだろが」
「時間? ……あぁ、もうお昼過ぎてるんですね」
窓の外を見て今気付きました、とのんびり言う彼女に、逆に彼が慌て出す。
「は? もしかしてお前、昼食まだなのか? ジャンに言って何か作ってもらうからさっさと食え。いいな、食わないなんて俺が許さないからなっ!?」
「いつものことながら心配性ですね、アルトさんは」
くすくすと笑う彼女は再び作業を開始しており、アルトの顔など見ようともしない。
「もう少ししたらいただきますよ。それとも――子供の言うことなんて信用できません?」
「い、いや、信用はするけどな、けどな、時間も忘れるなんてホントに何をそんなに熱中して作業してん……だ、よ……?」
リアが布を持ち替えた際に、一瞬ちらりと見えた「gift」の文字。
変な想像でもしてしまったのか、彼の表情が強張った。だがそんな彼の変化も、彼女は全く気にしない。
「ま、まさか……」
「まさかの後に続くのは親孝行ですか? 確かにしませんけど」
「しろよ」
ざくっと突っ込んで、深呼吸。
気を取り直して、もう一度。
「まさか恋人でもできたのか? 彼氏にでも渡すのか? だからそんな丹精込めて作ってるのか? なぁ、否定してくれよな、頼むから」
「否定する間をくれないのはあなたじゃないですか」
きちっと糸を結び、はずした針をピンクッションに刺した彼女は、ようやくアルトを見上げる。
「恋愛妄想お疲れ様です。そんなに恋人を欲しがっているとは思いもしませんでした」
「…………違うんだな?」
「あいにくそんなおとぎ話を夢見るような、乙女な思考は持ち合わせていませんので」
突っ込むべきなのは、この発言じゃない、とアルトは自身に言い聞かせる。
何回気を取り直させれば気が済むんだ、というツッコミも、今は野暮だ。
「じゃあなんだ、誰かに頼まれたのか?」
「いいえ。好きでやってるんですよ」
何の為に。
その言葉は、二階から降りてきた彼女の存在によって遮られた。
「リアちゃん、まだ終わらないのかなぁ?」
「今ちょうど出来上がった所ですよ」
本当、とロベリアはにこりと笑い、リアの傍らに立っているアルトにへらりとした笑顔を向けた。
そんな彼女の姿に、彼は顔を顰める。何故か彼女は珍しく、白衣を着ていなかった。
「お前……どうしたんだよ、その格好」
「え? どうもしてないよ?」
と言うわりに、本人が心細そうにしているのは何故か。
「てかロベリア、白衣どうしたんだよ。失くしたのか? 盗られたのか?」
「私を盗人にしたいんですか、アルトさんは」
「白衣ならそこにあるよ? アルト君、目、大丈夫? おねーさんがいい薬処方してあげよーか?」
「いや、断る。で、白衣……?」
思わずきょろきょろとして探し出すアルト。いつぞやのようにリアが白衣を着込んでいるわけでもなく、それらしいものは周囲には見当たらない。
どこにあるのか未だに分かっていない彼を完全に無視する方向性で、刺繍枠をはずした「白い布」をリアがばさりと広げた。
カラフルな糸で描かれたのはスズラン、スイセン、ポピー、アイリスなどの「かわいらしい」花々。中心にはトリカブトと瑠璃蝶草。それらの下には、「100% gift」の文字が。
「うわー、リアちゃんすごーい、ありがとっ」
嬉々としてロベリアが袖を通す。そう、その「白い布」がロベリアの白衣だったのだ。
「それ、ロベリアさんの白衣だったんですか」
いつの間にか寄ってきていたシブリーが、感嘆とともに白衣に見入る。
「そうだよー。この間枝に引っ掛けちゃって裂いちゃって」
「ちょっと待て、俺はどこから突っ込めばいい」
ほのぼのとした雰囲気に口を挟めば、
「突っ込む必要はどこにもないですよ」
と冷やかな言葉が返ってきた。突っ込むのはリアからか、とアルトは彼女に向き直る。
「リア、お前って意外と器用だったんだな。ってかこの刺繍、やたら細かくねぇ? 性格に似合わず」
「細かい作業は得意ですよ? そうでないと皆さん、私の固定化で亡くなられてますね」
「は? 今なんかさらりと物騒なこと言わなかったか、おい」
冷や汗をかくアルトにとどめを刺すべく、リアが笑う。
「お気になさらず」
「……」
撃沈したアルトを横目に、シブリーがところで、とリアに話しかける。
「100% gift っていうのは、それ全部が贈り物っていう意味ですか?」
シブリーの素直な質問に、リアはにっこりと笑い――
「そういうことにしておきます」
――笑顔で言い放った。
「……なぁ、キール。あの 100% gift ってのはどういう意味なんだ?」
「1・贈り物 2・才能 3・授ける とマニュアルにはあるが」
「それ、どれもしっくりこねぇんだよなぁ……」
そうか、と首を傾げた彼は手にしたマニュアルをぽいと背後に投げ捨てる。と、背後から声が。
「そんなことすると、このマニュアルは僕が貰っちゃうよ」
「げ、クレマン」
「それは医療用ではないから大した役には立たないだろう」
「げ、とはご挨拶だねぇ、アルト。マニュアルのことだけど、そんなことはないよ。眺めてみてるだけでもおもしろそうだし。
それで、アルトは何をそんなに黄昏てるのかな?」
どうやら投げ捨てられた時に受け止めたしたらしいマニュアルをキールに返しつつ、クレマンは問いかける。
「あぁ、ロベリアの白衣のことだよ。お前は見たか? リアがご丁寧に刺繍した奴」
「あぁ、リアらしい刺繍だったね」
「そうか?」
たしかに、可愛らしい癖に全部毒性がある植物だった辺りは彼女らしいかもしれない、とアルトは納得しかけた。が。
「うん、特に 100% gift って辺りが」
「へぇ……って、はぁ? お前もしかしてあれの意味分かったのか?」
「分かったも何も、常識だと思うけどね」
あれは、とクレマンがそっと耳打ちし、子どもには伏せておくようにと言い残して、笑顔のまま去っていく。
数秒後。
「……リアーーーっ!!!!」
アルトの絶叫がギルド内に響くこととなる。
gift。またの意を、「毒」。
<言い訳>
えぇっと。
アルト君、キール君、ロベリアさん、クロイ君、シブリー君、クレマンさんお借りしました、ありがとうございます。
なお、リアが刺繍得意だとか器用だとかそんな設定はまったくの予定外でして、なんとなくやらせてみただけなので、とりあえず忘れて下さい。
いつものごとくアルト君とリアを絡ませていてすみません。だって他に心置きなく突っ込んでくれそうな人に心当たりがなくて…。
それでは、何か問題ありましたらご一報下さい。
夢裏徨「月影草」
ものかきギルド企画