終わりの唄は始まりを誘う
作者:元いんど

けしごむが食パンを食べたとき、それはどんな気持ちなのだろう?
たろうはそれがキャンバスの中でひしめき合っている大問題に思えた。
だからコンテを置き、しげしげと食パンと消しゴムを眺めた。
「僕はこの二つが同じもののように見えているが、けしごむはそうは思わないだろう」
そんなことを考えて、その日は絵に手をつけることをあきらめた。

ベッドに入ってもけしごむの思うことはたろうにはてんでわからなかった。
ただ、ひたすらに手を動かす中で、なんかの拍子にけしごむが食パンを食べた。
発端はそこにあったが、代用の食パンが消しゴムとともにあったことは少なくなかった。
だからそれはいつもそうなのではなく「たまたま」そうなっただけなのかもしれない。
それでも、たろうはけしごむが生き物のように思えてならなかった。
だとすれば、コンテの粉はけしごむにとって食パンと同じように食べるものなのだろうか?
まてよ?もしかしたらコンテは案外人が食べてもいいものなのではないか?
そんなことを考えながら、まどろんでいった。

翌朝、たろうは休日明けだというのに髪も整えずひげもそらず、じっとコンテと向き合っていた。
これは大問題だぞ?これを食べて僕はどうなるのか?そんなことをただひたすら自分に問うていた。
だが、覚悟を決めるや、目をつぶり、ひとかけら折ってそれをえいやっと口に放り込んだ。
ピンク色はイチゴ味。そんなことを思っていたが口の中はパサパサでザラザラで何の味もしなかった。
あまりの感触の悪さに水を飲もうと目を開けたとたん・・・

目の前はあたり一面、ピンク色のコスモスがいっぱいに広がるお花畑。
遠くからはふんわりとした甘い香りがただよってきていた。
さっきまであった木の床も机もイーゼルも、そこにはなく、コスモスと遠くに一見家があるばかり。
「これはどうしたことだろう?」
ぐるりと見渡したが、あるのはいすだったはずの場所にある切り株、ほかは新しく見つかるものはなかった。
いくところもないのでたろうは家に向かうことにした。
いつの間にか口の中のパサパサとザラザラは消えていた。

近づいていくと家全体の様子がわかってきた。
家は白い壁と赤い屋根ででき、窓はひとつもなく、木の扉が一枚と真っ黒な煙突だけが備わっていた。
煙突は今は使っていないのか煙はぜんぜん出ていないようだったが、甘い香りは家に近づくにつれ強くなっていく。
窓もない、煙突も使っていないのに、いったいどこからにおいがするのだろう?

家の目の前に着くと甘い香りがどこからするのかすぐにわかった。
家は家全体から甘い香りがしていた。
イチゴジャムとはちみつをあわせたような快い香りだ。
たろうはぐるりと家の周りを歩き、最後に扉の前に立った。
家の周りは何もなく、やはりコスモスだけがいっぱいに咲いていた。
まるでコスモス以外が消えた世界・・・たろうは生き物がいないことにはじめて恐怖を感じていた。

そんな不安を払拭するかのように、扉が開け放たれ、なかから・・・けしごむが姿を現した。
「あら、たろうさん。いらっしゃい。」
けしごむはそういうとたろうを家の中に招き入れた。
家の中はたろうの家にそっくりだったが、ひとつだけ違うところがあった。
キッチンがきれいに片付けられ、白いなべからはさっきからしているいい香りがしていた。
たろうの部屋といえばキッチンは長い間使っておらず、ぴかぴかのステンレスのシンクも今は真っ白に様変わりしているほど汚れている。
なべはあったかもしれないが、もう何年も食器棚を空けていないのでいったいどんな色だったかも思い出せないほどだ。
それにくらべて、このキッチンのきれいなこと!
だけれども、それとは対照的に、床は絵の具のしみがあちこちにあり、壁には十年も前のロックスターのポスターがはがれかけている。
そこはたろうの部屋とまったく一緒だった。

「たろうさん、僕の食べ物を食べたんですね?」
そういわれて、たろうは怒られると思い必死に言い訳をした。
でもけしごむは大笑いしだした。
「けらけら。そんなにいっぺんに食べたらだめですよ。だ、だって粉一粒で何時間もこの世界にいるんだから。あはは」
あのかたまりが何粒なのかはわからないけど、とにかく長い時間ここにいないといけないのはたろうにだってすぐにわかった。
そして急に不安になってポロポロとなみだをこぼした。
けしごむはここもそんなに悪いところじゃないとたろうを諭したけれど、たろうはうなずきながらも泣き続けた。

けしごむは、一人でこの世界でずっと暮らしてきたからたろうが来てくれて凄くうれしかった。
だけど、たろうがあんまり泣くのでかわいそうになった。
「それならたろうさん。パンのお礼にいい物をあげましょう。」
そういうとなべの中からひとすくい、おさらにいれてたろうに差し出した。
「これはたろうさんにいただいた食パンとコンテを混ぜた飲み物です。きっとたろうさんのせかいにつながっていますよ。」
それをきいたたろうは、ゴクゴクとそれを飲み干した。

「さあ、さようならたろうさん。ぼくはあなたにあえてうれしかったです。」
たろうは花畑や家とともにけしごむの姿が消えていくのを見て、やっぱり涙をこぼした。

キャンバスを前にしてもけしごむの思うことはたろうにはてんでわからなかった。
だからコンテを置き、しげしげと食パンと消しゴムを眺めた。
そして、おもむろにコンテを折り、口に放り込んだ。
さて、今度はけしごむは食パンを食べていない。
たろうは帰ってきたのかな?それとも帰らなかったのかな?


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