魔法使いの戦い

 「ジーク、俺はお前のこと嫌いじゃない」
目の前で苦悩の表情で目を瞑っていた青年は、絞り出すような声でそう言った。
「そうか」
ジークの無感動な声に、青年はさらに続ける。
「よく一緒に見回りもしてるし、サポートもしてもらってる。…もう一度言うぞ。俺はお前が嫌いじゃない」
「……つまりお前は何が言いたい?」
微かに眉をひそめて問いかければ青年は目を開いてジークを睨みつけた。
「つまりだっ! いくらレミルが風邪を引いたからって、今日の模擬戦で俺を推薦するってのはどういうことだよ!」
そう言ってびしりとジークを指差す青年の名はヴィル。この街を防御する魔導士の1人だ。
「エベルとよくつるんでいるから丁度いいというのがアロイスの意見だ。俺もそれに賛成したにすぎない」
「良くねぇって! 勝てるわけねぇだろが。相手はエベルだぞ」
エベルというのも彼らと同じく、街を防御する魔導士である。
ただしヴィルが炎に精通しているのに対して、エベルは風の魔法に精通している。
それも、かなりの高レベルで。
「やる前から諦めるものではない」
「諦めるっての! 絶対行かねぇから!」
頭を抱えて苦悩するヴィルを見て、ついでチラリと時計を見て、ジークはやはり無感動に告げる。
「遅刻者、無断欠席者は3週間の廊下拭き掃除だったな」
ピクリ、とヴィルの肩が震える。
「2つを同時にやれば6週間…おおよそひと月、か」
その反応にも心動かされることなく、彼はただ事実を淡々と述べる。
「……あぁ、くそっ! 行くよ、行きますよ」
結局、ヴィルは半ばヤケ気味に叫んで立ち上がったのだった。



最近では皆が魔法を使わなくなったとはいっても、魔物の脅威が已然としてある以上、こうして魔法の勘を鈍らせないように時々模擬戦が行われている。
組み合わせはその時々で変わるが、それでも大きく変わったことはなく、大体同じような組み合わせになるのが常だ。
ただ、今回はそんな組み合わせにも少し変化があった。それだけである。
すでに幾人かの魔導士が集まっており、その中に2人は見知った顔を見つけて近づいていった。
相手も気がついたのか2人を認めて軽く会釈を返してきた。
「ヴィル、今回はエベルとやるんですね」
顔を合わせた途端ユリにもそう言われ、ヴィルはむすっと頷いた。
「そうだよ……お前がやればいいのに」
だいたい何で俺なんだ、とぶつぶつ呟く様にユリは苦笑する。
「そればっかりは僕1人の意見でどうなるわけではありませんから」
「わかってる。あーわかってるよ」
殺風景な石の舞台に目を転じてヴィルはずかずかとそこに歩いていく。
そこにいるのはもちろん———。
「よ、ヴィル!」
ヴィルより幾らかは年下の青年が屈託なく右手を上げた。
彼こそが今回ヴィルの相手であるエベルその人である。
「……よう」
ぶすっと挨拶を返してヴィルも舞台の開始線へと『嫌々』という空気をまき散らしながら向かった。

模擬戦という名前がつく以上、対戦者は実際に火や風を出して攻撃をする。
しかし直接に人体に向かっての打ち合いではなく、互いに用意された的を早く破壊した方が勝ちというルールのもと行われる。
的は脆く、薄い紙を張り合わせただけのもの。
直径はおおよそ大人の掌と同じ大きさで、それぞれの開始線の後に一定の距離を保って立てかけられている。
エベルはすでに自分の分の的を準備しており、後はヴィルが自分の分の的を立てかけて開始線に立てば、模擬線開始である。

「はぁ」

白い線が書かれただけの素っ気ない開始線に立ち、ヴィルは溜め息とともにエベルと対峙する。
エベルハルト・フィードラー———風の元素に精通し、天才的な才能を発揮してきた青年。
彼はにやりと笑って挑発してきた。
「手加減はしねぇからな、ヴィル」
「うるせー! 巨大なお世話だってぇの! お前こそ覚悟しやがれ」
緊張感のないまま、審判役の魔法使いが開始の合図を告げるのをどこか遠くに聞く。

先に仕掛けたのはエベルだった。
「先手必勝! 風 高速移動 真空刃」
正確かつ素早い魔法の構成で繰り出されたのは風の刃。
複数なのか、一つなのかすらわからない見えない不過視の刃が迫る。
(早っ…)
内心で舌を巻きつつ、ヴィルも用意していた魔法を解き放つ。
「炎 烈火炎上 周囲」
彼の声に応え、炎がすみやかに収束し燃え上がる。
的の周囲に範囲をしぼって展開された魔法はあたかも炎の結界のように、風の刃を焼き払う。
「炎 烈火砲弾 前方」
今度はヴィルの方から仕掛けた。
前方に出現した複数の火球が唸りを上げてエベルの的へと向かう。
「させるかよ! 風 高速移動 真空刃」
再び放たれた風の刃は迫り来る火球を千々に引き裂く。
ヴィルは舌打ちし、次の魔法のための構成を練ろうとする。だが、その途中で見てしまった。
燃え落ちる火球の欠片の向こうでエベルがにやりと笑うのを。
「……っ 炎 烈火炎上 周囲」
何を、と考える前に魔法を展開する。
火球を切り裂く風に紛れ、先ほどの攻撃で一緒に出現していた風の刃が今度は炎にまかれて焼け落ちる。
複数の風の刃による連携。
わかってはいたが、まったく油断できない。
考えを読めないのがエベルなのだと、ユリがいつか自慢げに言っていたのを思い出す。
なら、もしかしたらこちらの手の内も読まれているかもしれない。いや、しかしそういうことはむしろユリがやりそうで……。
(だああ、くそっ。どうにでもなれっての)
どっちみち、このまま魔法を打ち合っていても負けるのは目に見えている。
今度もエベルが構成を練る前にヴィルの魔法が完成する。
「炎 爆発 周囲」

派手な音とともに、煙が2人の周囲を満たした。

「…っ」
だが、それは後から魔法を構築し、かつヴィルより遥かにスピードで勝るエベルよりもさらに早い発動が可能なくらいの、単純でひねりもない魔法。
爆竹にも似た大きな音がそこかしこでするものの、それ以外にはただ白い煙を周囲にぶちまけるるだけの魔法。
「…っ目隠しかよ、卑怯だぞ!」
煙の向こうにいるであろうヴィルにエベルは叫ぶが、音だけは派手な爆音に自らのの声さえかき消される。

ヴィルの妙な魔法に顔をしかめながら、エベルは発動しようとしていた魔法の構成を少しだけ変化させる。
「風 烈風 周囲」
突き出した掌から迸る烈風は、あたりを白く染め上げる煙を千々に引きちぎり彼の周囲を巡る。
風は瞬時にエベルの視界から煙を押し出し、クリアな空間を確保する。
「げっ嘘だろ、早?!」
この早さだと、たとえヴィルがどんな魔法を用意していようと対応できる自信がエベルにはあった。
だが、前方にいたヴィルは特に何の用意もしている様子ではなく、むしろエベルの万全の体勢に引きつった顔をしている。
同時にスタートするのならどちらの魔法の発動が早いかなど、考えるまでもないことで。
「風 高速移動 真空刃」
勝利を確信し、エベルは風の刃を叩き込む。ヴィルの炎は間に合わない。
「あーくそっ!」
千々に引き裂かれた的の白い欠片が空を舞う。
それを見上げてヴィルが悔しそうな声を上げ、エベルも肩の力を抜く。
「後もうちょっとだったってのに」
そうヴィルが呟くと同時。
ボッと後ろで何かが燃える音。
思わず振り返るエベルの背後では、彼の的もまた燃え尽きていたところだった。
おそらく、さっきの爆発に紛れて詠唱。時間を送らせて魔法を発動させるようにしていたのだろう。
もしエベルが後少しでも煙を払って風の刃を叩き込むタイミングが遅かったら———。
とそこまでエベルが考えた時、審判役の魔導士が勝敗を伝える。

「では、ただ今のエベルハルト・フィードラー対ヴィルヘルム・ケーラーの模擬戦闘は引き分けとする」

沈黙。

「「何ぃぃぃ?!」」
叫んだのはヴィルとエベル同時だった。
「何でだよ! 先に的を破壊したのは俺の方が先だろ?!」
当然ともいえるエベルの抗議に審判役の魔導士———アロイスはにやりと口元を歪める。
「君の的が破壊されたのもまた、私が勝敗を宣言する前だった。つまり、まだ勝負は終わってなかったということだ」
「な…そんな理由」
「少しの隙で勝敗は決する。それを学ぶ良い機会になったのではないかね?」
尚も言い募るエベルにアロイスは笑みを崩さずにそう言った。
反論しようにも、確かにあの時一瞬でも油断した自覚があるエベルは言い返せない。
ヴィルも何か言おうとしてアロイスの方を見るが、返ってくるのは人の悪い笑みだけだ。
(こういう経験も貴重なのではないかね?)
と、その目が言っている。
ちなみにその経験が誰にとって貴重か、というときっと隣で悔しがっている青年だろう。
(まーいいけど)
ヴィルもアロイスにそう返すように肩をすくめる。
「あーくそっ! 納得できねー!」
その隣で若い風使いが空に向かって、先ほどヴィルが言ったのとまったく同じ悔しそうな叫びを上げていた。




透峰 零さん管理される「白虹太陰」にて、キリ番リクエストさせていただきました。
リクエスト内容は「The Old Magicで戦闘場面」でした。

透峰 零さん、ありがとうございました!




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