三姉妹

 姉さんは、きれいなひと。
 妹は、かわいいひと。
 じゃあ、私は。

 ……私は、何なのかな。










 平凡を不幸だと思ったことは無い。平穏を不満だと思ったことも無い。
 ただ、私が「平穏に甘んじる平凡な娘」であることにも変わりは無い。
 器量も気立ても良くないし、血を分けた他の姉妹のように変化を求めることさえしなかった。二人は新しい世界を求めて村を出て行ったけれど、こうして私はなお亡き父さんと母さんの家業を継いでいる。

 毎日毎日、糸を紡いで。毎日毎日、機を織って。
 回り続ける糸車の如く変わらない日常を繰り返しては、確実に老いていく。

 そこには、恨む理由も悲しくなる理由も存在しない。平穏や平凡は素敵なことだ。
 心地良い風は開け放した窓から滑り込んできては私の髪をなびかせ、花咲き乱れる遠い野原の匂いを運んでくる。小さな家にいても大きな季節の巡りを知ることはできるし、それが何より平和を教えてくれる。自分勝手な言い分なのかもしれないが、そういう性分を持つのが私。
 姉さんには姉さんの性分が、妹には妹の性分がある。
 手を取り合って皆に合わせる人生だけが素晴らしいものだと言うのであれば、世界中の誰もが人生を否定されなくてはならない。
「家業を守り、家を守る」
 他人に強制された訳では無く、私自身が決めた人生だから。

 毎日毎日、糸を紡いで。毎日毎日、機を織って。
 回り続ける糸車の如く変わらない日常を繰り返しては、自分の在り様を悟っていく。



 姉さんは、無理をしていないだろうか。
 彼女は海の向こうへ渡り、その異国の地から家へと手紙を送ってくる。そして不思議な現象や不思議な風習、想像も出来ないほどユニークな世界を事細かに教えてくれる。

 妹は、どの辺りにいるのだろうか。
 彼女は旅に出た恋人を追って村を離れ、彼と一緒に見聞を広めては家へと手紙を送ってくる。やはり姉さんに似て冒険好きなのか、多彩な光を放つ世界を次々に教えてくれる。

 二人とも機転がきくし見目が良いから、土地の人に嫌われたりはするまい。
 怪我や病気をしていないなら、もうそれだけで十分だ。最近はどちらも送ってくる手紙が少ない気もするが、便りが無いのは無事な証だと思う。
 姉妹だからわかること。
『あの二人は、きっと大丈夫』
 狭いせかいで他愛の無い問答を繰り返すばかりの私とは、違うから――。





 突然、戸が軋む。いつもの風では無い。
「「ただいま!」」
 一人はお菓子みたいに甘い声、一人は鈴の音みたいに高い声。
 昔から身体に馴染んだ、二人の声。
「あ……」
 反射的に顔を上げた私は、驚きと動揺を内包した吐息を洩らす。突然巻き込まれてしまったサプライズ・パーティーのように、「嬉しい」「嬉しくない」の前に「何が起こったのか」と思考を停止させられたのだ。

「ふふ、驚いた?」
 異国の装束を身に纏っているのは姉さんで。
「途中の道のりで会ったの。偶然って言うより運命よね」
 少し煤けた身軽な出で立ちをしているのは、妹。

(ああ、家族が、帰ってきたんだ)



 ぽかんと口を開けたままの私に、妹はぴょんと飛び付いてくる。
「お姉ちゃん、久しぶり」
 人の服に汚れが付くとか、そういう事態は想定していないのだろう。それでも無邪気に頬を寄せてくる様は愛らしくて、乱れた髪さえ気にならない。猪突猛進、無頓着が過ぎれば恋人に愛想をつかされるんじゃないのと突っついてみたこともあったが、やはりこうあってこそ妹だ。
 大きくなっても根元は変えられない。
 そんな姿をちらと一瞥してから、末っ子の肩を軽く叩いて姉さんがたしなめる。
「ほら、独占しないでよ。確かにその子は貴方の姉だけど、あたしの妹でもあるんだから」
「……何よ、長女らしくも無いくせに」
 妹は私から離れてそっぽを向いた。姉さんも腰に手を当てたまま睨んでいるし、これでは再会も台無しだ。
 二人は決して仲が悪い訳では無いけれど、(本人達は認めないが)似たもの同士ゆえに反発し合うことがある。だから険悪なムードになる前に仲裁するのは、常に私の役目。

「久々に帰ってきたって言うのに、私を差し置いて喧嘩するの?」
 交互に二人の顔を見比べて、いっそ大袈裟なほど眉を吊り上げてみせる。
「別にいいけど……あんまり煩いようなら、今日は満天の星空を見上げながらディナーにして貰おうかな」
「「え」」
 同時に振り返った姉妹の顔はそっくりだ。もちろん、長旅で疲れた二人にはさすがに酷であるし「夜の野外に追い出す」というのはあくまで冗談に過ぎない。
 昔三人で他愛の無いきっかけから大喧嘩をした時、怒った両親に揃って締め出されたことを思い出したのだろう。
 だけど、あの時の父さんと母さんだって、一刻と経たないうちに目に涙を溜める私達を迎えに来てくれた。
「……嘘だよ」
 なるべく柔らかく言えば、きょとんとした瞳がこちらを向く。
「おかえりなさい、二人とも」
 万感の思いを込めて、それだけを告げると――先刻の私と同じ反応を示した彼女達は、ほうと安堵の息を吐いた。



(ああ、家族が、還ってきたんだ)
 この村に。
 この家に。
 私の生きる、狭いせかいに。



 息を吐ききると、妹が言った。
「……あのね、お姉ちゃん。実はあたし達、帰り道で話してたの」
「何を?」
「貴方のことを、よ」
 疑問を口にすればさも当たり前のように姉さんに付け足されて、思わず首を傾げてしまう。
「簡単に言うなら……あたしもこの子も、貴方がここにいないと帰れないねーって。ね、この意味わかる?」
「どう、お姉ちゃん?」
 姉さんは妹と目配せをしているが、こちらには全く話が読めない。始終柔軟な(時には柔軟過ぎる)考え方の持ち主二人を前に、私に出来るのは瞬きをすることくらいだ。
 ……私が、ここにいないと、帰れない?
 唇に手を当てたまま悩んでいると二人がずいと顔を覗き込んできて、今日一番の表情でにこりと笑んだ。
 そして。



「「帰るべき場所を守ってくれて、ありがとう」」

 音程の違う声を合わせ、告げた。



『あなたがいるから、がんばっていける』
『あなたがいるから、はしっていける』
 それは私へのご褒美なのか、はたまた免罪符なのか。
 否、どちらでも構わない。

 毎日毎日、糸を紡いで。毎日毎日、機を織って。
 回り続ける糸車の如く変わらない日常を繰り返しながら、私が何物にも代えがたい日常を守ってきたことを――二人は、知っていてくれたんだ。



「――――」
 言葉にならなかった。
 だから代わりに、微笑んだ。
 目の前では両親から等しく受け継いだ同じ色の瞳が、ひどく温かく私を映す。

 容姿は似ていなくとも、三人で分けた大切な命の欠片。
 それが姉妹で、それが私達。










 姉さんは、きれいなひと。
   妹は、かわいいひと。
 じゃあ、私は。

 ……私は、「まもるひと」であろう。
 二人の「帰るべき場所」を、いつでも用意してあげられるように。





 こうして私達は、何よりも柔らかな風に包まれる。
 小さく儚くも大きく素晴らしいせかいで、止め処なく広がる話を紡ぎ出しながら――。




「藍咲旅館」の女将、藍咲さんによる作品です。
創業三周年企画。
柔らかい文章は変わらないなとか思いながら私も読んでいました。
「月影草」には険悪な作品しかないので「藍咲旅館」で癒されてください(切実)
藍咲さん、おめでとうございます。




贈物
月影草