And, Connected



「じゃあ、カゼクサは戻らなくていいのね」
「……うん」

 あの後、ケープの中に篭ってしまったアルルをなんとか宥め、焼き菓子と茶で釣りながらなんとか顔を出させることに成功し、クルトと共有している計画の詳細を語ってもらった。
 アルルの少ない言葉から、見たこともない世界の常識を基礎とした計画を理解するのは骨が折れたが、簡単にまとめれば彼の地《ガランダル》には協力者がいて、彼らが世界間を結ぶ道を開いてくれるらしい。そして道が開いている間に、アルルがクルトを此の地《ダンダルド》に召喚する。
 朴訥とした言葉が滑らかになるにつれてアルルは協力者の考えている理論も語ってくれたが、彼の地《ガランダル》独特の言葉が多く含まれていたがためにティルラとマリキヤには違う言語にしか聞こえず、難解過ぎた為にカゼクサも首を捻るばかりであった。
 ともあれ、彼の地《ガランダル》にいる協力者の方も実験段階であり、実際に道を開けるとは限らないらしい。その場合はアルルの召喚術に頼りきりになるが、こちらの召喚術が発動しなかった場合は協力者側に頼るしかないのは同じだ。
 なお、協力者曰く世界間を繋ぐのはついでだと言う。彼の地《ガランダル》からどうやって道を作ろうとしているのか、何のついでであるのか、疑問はあるが聞かない方が身の為のような気がして、マリキヤはそっとその話を終わらせた。
 ティルラの当初の計画では、召喚される彼女の身代わりが必要だったが、アルルが語る計画に身代わりは必要ない。しかし、物質が、ヒトが通れる道が開いているのだから、その間にカゼクサが彼の地《ガランダル》に帰ることは十分可能だろう。ただし、帰れる場所はクルトと彼の協力者が彼の地《ガランダル》からの道を開こうとしている場所に限る。それが、アルルが最初に告げた「場所を選べない」の真意らしい。
 帰るかどうかの選択肢を与えられたカゼクサは数日の猶予の後、「帰らない」と決めたのだった。

 その日、アルルに連れられて三人は森の深部に来ていた。
 森の奥深くだと言うのにそこは円状に開けていて、中心には華奢な木が枝いっぱいに白い花をつけている。
 ティルラ曰く、カミはこの白い花の甘い匂いが好きで集まるらしく、ティルラ自身も此の地《ダンダルド》の目印にしているという。へぇ、と感心したようにカゼクサは相槌を打つが、マリキヤは匂いが分からずに首を傾げた。見ればアルルもきょとんとしている。
 アルルとマリキヤの反応の鈍さに気付いたティルラは、気まずそうに視線を逸らした。
「アルルはカミになっても匂いに惹かれるとかないんだ?」
 マリキヤが興味本位で訊ねてみれば、ぽかんと口を開けて考え込んだアルルは暫しの沈黙の後、ううん、と首を横に振った。
「ついてくの。皆に。だからたまに、置いていかれるの」
 アルルがカミになってもぼんやりとしているのは容易に想像がつく。むしろカミになった途端に集団と共に行動できるようになるアルルの方が思い描けず、マリキヤは思わずぷっと吹き出した。アルルには彼が何を考えているのか手に取るように分かるらしく、彼女は手にした杖を抱きかかえると不満そうに唇を尖らせる。

 ここ数日間アルルと行動を共にして気付いたことなのだが、彼女は落ち着かなくなると自分の身長ほどもある大振りの杖を握る癖がある。アルルの家になぜか保管してあった、あれだ。
 マリキヤは見覚えのあるその杖に気づかなかった振りをしていたが、昨日になってようやく、見覚えがあると彼が思い込んでいるだけで実は違う杖という可能性に一縷の望みをかけ、わざわざアルルに許可を求めて握ってみたのだった。彼の期待も虚しくその杖は彼の手に誂えたようにぴたりと収まり、忌まわしい思い出がぞわぞわと背筋を這い上がる。脊髄反射で思わず床に叩きつけるところであった。
 げんなりと握った杖を見下ろしていれば、そんな彼の様子をぼんやりと眺めていたアルルが、その杖は元々マリキヤの持ち物だと、誂えたようにではなく実際に誂えられたものだと、保証してくれた。
 正直、聞きたくなかった。

 マリキヤにとってはあまり思い出したくもない過去の象徴であるそれを、目の前でこうも大事そうに、縋るように抱かれるのは複雑だ。
 マリキヤに見つめられたアルルは自らの格好を見下ろし、「あ」と発声すると持っていた杖を彼に差し出した。
「いる?」
「昨日も言ったけどさー、僕はもういらないしー。アルルが欲しいんならあげるってばー」
 あっはっはととりあえず笑ってマリキヤがぱたぱたと手を振れば、うん、と素直に頷いたアルルが嬉しそうに杖を抱え込むものだから、更にやるせなくなって笑った口元が引きつった。
 マリキヤが杖を持って回っていたその当時から彼は杖の効力を信じたことはないが、アルルがこうも大事にしているのを見ると、あながちただの邪魔な棒ではなかったのかもしれない。

 咲き誇る白い花を見上げ、アルルはその根元に立った。
「いいよ」
 宙に向かって、恐らくは彼の地《ガランダル》にいるクルトに向かって、アルルはこくりと頷く。ティルラはアルルの背後に寄り添い、彼女の側から離れない姿勢を見せた。
 残念ながらマリキヤとカゼクサにできることはなく、邪魔にならないように、そして召喚術の影響を受けないように、離れたところから見ているしかない。顔を見合わせ二人で考えた結果、白い花の木を取り囲む木々のところまで下がることにした。

 ゆるく風が吹き、白い花びらが華奢な木を、アルルとティルラを、囲うように舞い上がる。
 緊張しているのか、杖をぎゅっと握りしめたアルルの手が白い。心なしかフードの下から覗く彼女の顔も青ざめているように見える。
 ティルラの手が、震える小さな背を支えるように伸ばされた。
 背後のティルラを振り返ると、アルルはきゅっと口を結び、小さく頷いた。
 白い花びらが渦巻くその中心を見据え、アルルは呼びかける。
「クルト」
 空気が、震えた。
 思わずマリキヤは隣に立つカゼクサに、そして手近な木の幹に手を伸ばす。
 目を閉じ、小さく息を吐いたアルルが両手に握っている杖を地面に突き立てた。ティルラがその背に抱きつく。
「来て、クルト!」
 風はいつしか暴風となり、花びらどころか葉がちぎれ、枝が折れ、木々を薙ぎ倒さんと吹き荒れる。
 風で脱げたフードを気にすることもなく白銀の髪を靡かせるアルルがしかと見据える先の空間が歪んだ。
『アルル?』
「クルト……!」
 まだ幼さの残る、しかし落ち着いた少年の声が不意に響き、アルルが応える。
 その時、大地が隆起した。
 暴風に加えて揺れ始めた地面に、立っていられなくなったマリキヤとカゼクサは膝をつき、腕で顔を覆う。根元から掘り起こされ、風に煽られた木々が次々になぎ倒されていく。続く震動に酔ったのか、カゼクサが嘔吐く気配がある。
 空間が歪んでいるのか、アルルとティルラの二人が遠く見える。
 少女の顔が、浮かんだ。
 突然のことだったが、不敵に、余裕のある泰然とした笑みを浮かべた紫色の瞳が、細めた目で状況を見守るマリキヤの脳裏に焼きついた。
 やがて、細く白い腕が空中に現れた。
 まだ大地の震動も吹き荒れる風も収まってはいなかったが、マリキヤにはまるで時が止まったかのように感じられた。
「クルト」
 ほっと安心したような声音でアルルが名を呼び、アルルがその手に己の細い指を絡める。
 ふわりと、空気が変わるのをマリキヤは感じた。
 繋がったのだ。
 此の地《ダンダルド》と、彼の地《ガランダル》が。
 マリキヤには見えた。広大な土地に佇む二人の人影が。
 アルルと手を繋ぐ白銀の髪の少年が。
 状況を不安そうに見つめる、黒髪の少女が。
 先ほど一瞬だけ見えた紫の瞳を持つ少女がいなかったが、恐らく彼女も彼の地《ガランダル》における関係者だったのだろうとマリキヤは思う。
 黒髪の少女は驚きに目を見開き、手を伸ばして叫んだ。
「風草っ!!」
 マリキヤの隣にうずくまっていた少年が弾かれたように顔を上げ、彼女の手を取った。
「やっぱり帰るね」
「うん、元気で」

 そして。



The Story Teller
月影草