An Adventure



 手に肩に、集まってきた小鳥たちがふくふくとその羽を膨らませる。先程からこんな調子なものだから、ケープのあちこちに羽毛がくっついている。目深く被ったフードの外側は見えないが、恐らくは似たような状態だろう。
 いつもは寄ってこないのにどうしたんだろう、と首を傾げるアルルの前で、小鳥たちの頭頂、黄色の羽根が煌めいた。

 突然の訪問者は、勝手知ったる我が物顔で台所に立ち、勝手にお湯を沸かしていた。彼が持参した茶葉は既にポットに入れられお湯を待つばかりであり、手の空いた彼は迷うことなくナイフを引き出しから取り出しては、やはり持参した焼き菓子を薄く切り分ける。
 来訪者の予定などなかったアルルは床に広げっぱなしになっていた沢山の紙を片付けようと掻き集めるのに奔走していた。そうでもなければ、彼、クルトが持ってきた糖蜜と果物がふんだんに使われ、今も魅惑の甘い匂いを漂わせているそれに張り付いていただろうが、座る場所もない散らかりようでは仕方がないし、味わう時は座ってゆっくり堪能したい。
 ぱたぱたと絨毯の上を右往左往していれば、何か硬いものを踏みつけて思わず涙目になった。
 くすんくすんとしていれば、「どうしたの」と声をかけられる。
「……踏んだ。痛い」
 踏んだ物を拾い上げればそれは、木でできた指輪だった。
 人から貰った物だ。だが指に嵌めるのも邪魔な大きさであり、アルルの小さな手には収まらない故に、身に付けることなくその辺に放置していたのだ。床ではなく棚の上に置いていたと思ったが、何かのはずみで落としたのかもしれない。
「へぇ。それは僕も見た。お守りとして渡すのが今の流行りみたいだね」
「お守り……? でもこれじゃあ守られない」
「気持ちの問題だよ」
 その昔には、ボタンを贈り合う風習があった。それがボタンから指輪にと形を変えたらしい。
 素朴な物から意匠を凝らした芸術的な一品まで種類は様々あるが、お守りとして重要なのはデザインではなく素材だということは、意外と知られていないように思う。第一、カミはこんなものに見向きもしていない。
 大きすぎる輪に指を通してみたり、指輪に彫られた模様を指でなぞったりしていたアルルだったが、こぽこぽと茶をつぎ分ける音で我に返ると指輪を手近な棚に置き、床に散乱した紙に手を伸ばした。
「ところで、宝珠でも集めようかと思うんだ。三つくらいあれば十分じゃないかな」
 部屋の片隅に作った紙の山が崩れないように抑えつつ、床一面を使う為には邪魔にしかならない、背の低い卓を引っ張り出したところでアルルはその手を止め、クルトの突拍子もない言葉に目を瞬かせる。
「この話をしていた時、アルル、いたと思ったんだけどな。ほら、なんでも願い事を叶えるって言う宝珠の話」
 彼、クルトとアルルがこうして共にいるのは久しぶりのはずだった。いつの話か思い当たらずに首を傾げて悩んでいれば、「結構最近の話だよ」と彼は言う。
「窓辺に座ってたと思うんだけど。……あぁ、こっちでの話じゃなくて、向こうでの話。ヒトとしてじゃなくてカミとして……カミの時の記憶もあったよね?」
 訝しげな顔でもしていたのか、補足するかのように続けられた言葉にアルルは更に数秒考え込むと、あぁと納得した顔でぽんと一つ手を打った。
「竜の首についてる、あれ」
「多分それ」
「竜が脱皮した後の皮は、いい漢方薬になる」
「待って、自信なくなってきた」
 予想していなかった制止に、アルルは首を傾げると、クルトが忘れているだけかもしれないと、関連して思い出された事実を連ねた。
「皮は漢方薬、爪は武器になって、角は印鑑にする」
「竜は伝説上の生き物だと思ったけど、至極現実的な使い道をありがとう、アルル」
 家の主人であるアルルですらあったことを忘れていた盆を何気なく取り出すと、クルトは切り分けた菓子と注ぎ分けた茶を載せ、絨毯の上に突っ立っていたアルルに渡した。
 アルルは渡されたそのままの体勢で彼の意図するところを悩んでいたが、先程引っ張り出した卓にとりあえず置く。靴を脱いで絨毯に上がったクルトは何の躊躇いもなく、卓の前に片膝を立てて座った。
「あの時、来るの遅いなと思ったけど、もしかしてどこか行ってた?」
 クルトの向かいに座ったアルルは遠慮も躊躇いもなく、薄切りにされた焼き菓子に手を伸ばす。口腔に広がる果物の香りと甘さに、顔をほころばせた。
 そくそくと二切れ目に手を伸ばしたところで、アルルは「あ」と声をあげる。
「王様だって、小鳥の中に入ってたら言われて」
「うん?」
「餌もらってる間に船の上にいて」
「捕まってたの、君」
「向こうの大陸で売り飛ばされた」
「……君が大冒険してきたのだけ分かった。楽しかった?」
 呆れ、理解することを諦めたようなクルトの問いに、アルルは素直に「うん」と頷き、数秒後にはっとして「ごめん」と謝った。
 カミ、と呼ばれる霊体で向こうに行くアルルと違い、生身で行ってしまうクルトには様々な制約がつく。大陸を渡るだなんて、彼がどれほど切望しようと逆立ちしようと無理な話で、アルルには申し訳なくなったのだ。
「いいよ。そういうのは片付いた後にやるから。だけどよく戻ってこれたね?」
 首を傾げながら二切れ目を黙々と食べていたアルルだったが、ようやく思い出したのか、ごくんと飲み込んだ。
「飛んで帰った」
「あの海を?」
「大変だった」
「それはそうだ」
「大変すぎてガラス割った」
「ガラスを……?」
 アルルが大真面目にこくこくと頷くと、クルトは手に持っていたカップを卓に置くと沈黙して考え込んだ。
 そんなに理解しにくかっただろうかとアルルは補足すべく口を開くが、肝心の言葉は何も出てこない。
 無意味に口をぱくぱくさせていれば、クルトが「もしかして」と呟いた。
「ガラスって、あの花瓶のこと? 確かに、窓から入ってきた小鳥に一つ割られた覚えがある」
 思い返せばあの時、クルトを探して長距離を飛んできたのはいいものの、最後はほぼ重力に引かれるままに部屋に飛び込んだのだ。ちゃんと着地なんて出来るはずもなく、細長いガラス製の一輪挿しにぶつかり床に落としてしまったところまでは記憶にある。
 そして気がついたら小鳥から剥がれ、アルルはカミとして彼の部屋でぼーっとしていたのだ。
 よく分かった、と言わんばかりにクルトは二、三度頷く。
「じゃあ、ここからが本題だ。なにか進展はあったかい?」
 先程山にした紙の束を示すように顎をしゃくられ、アルルはふるふると首を振った。
「まだ来たばっかり」
「来たばっかり? 君、今回はよっぽど寄り道でもしていた? もう、終わってしまうのに」
 ごめんなさい、と首をすくめるアルルには、「もう終わってしまう」の意味がよく分からない。アルルにとっては始まったばかりで、到着したばかりなのだ。
「僕がここにいるんだ。数年もすれば次のサイクルが始まる。……君は、いつも巻き込まれているじゃないか」
 そうだったっけとアルルの視線が泳ぐのを、クルトは昏い瞳で見つめていた。
 彼には罪悪感があるのだろうが、そんなに思い悩まなくても良いだろうにとアルルは思う。
「君は……いつもそうだ」
 泣きそうな、消え入りそうな声で囁くと、ぼろを出す前にとでも思ったのか彼は席を立った。
「じゃあ、何か分かったらよろしく。次にこうして会えるのはまた、四百年後かな」
「神隠し、調べとく」
「カミカクシ?」
 クルトは虚を衝かれたようだったが、「任せた」の一言で去っていく。
 彼に淹れてもらった茶を暫く堪能していたアルルは、よし、と気合いを入れると卓を部屋の隅に押しやり、山にしていた紙を再び床にばら撒いた。



The Story Teller
月影草