A Next Stage



 どうすれば、掴めるのか。
 どうすれば、辿り着けるのか。

 窓から差し込んできた日の光に、ユリの意識は浮上する。
 ペンを握ったままの手は、メモ書きの上に。まだ乾いていなかった箇所があったのだろう、そのメモには黒くこすれた箇所があり、手も黒く汚れていた。
 ペンを置くことすらもせずに机に突っ伏して眠ってしまっていたらしい自分に、ユリは呆れながら首を緩く振る。と、安楽椅子にどっかりと座って眠りこけているもう一人の人物が目に入った。
 ユリ自身は安楽椅子など使わないからいらないのだが、彼の特等席である以上、どける訳にもいかない。
「……エベル?」
 控えめに声をかけてみるが、熟睡している彼が起きるはずもない。
「おーい、ユリ」
「はい」
 部屋の外から聞こえてきた声に返事をすれば、ヴィルが入ってくる。彼は眠っているエベルを見るなり、ぷっと吹き出した。
「こいつ、何でこんなトコで寝てるんだよ」
「それが、僕にも不思議で」
 二人してじっと眺めていれば、エベルはようやく身じろぎする。やっと目を開いた彼は、ぼんやりとした眼差しでユリとヴィルを見た。
「おはようございます、エベル」
「おはよー。よく眠れたか?」
「あちこち……いてぇ」
 寝ぼけ眼のままエベルが伸びをする。ばきばきと音がしたのは、気のせいではあるまい。
「んな所で寝るからだろ」
「うるせぇ」
「それで、僕になにか用でもあったんですか、二人とも」
 握ったままだったペンを置いてユリが訊ねれば、示し合わせたかのようにエベルもヴィルもきょとんとする。どうやら二人とも、特に用事があったわけではないらしかった。
「てか昨日のことなんか忘れた。お前が起きるの、待ってたんだよ途中まで」
「昨日の今日だろ、そのくらい覚えておけよ」
 ヴィルの突っ込みに笑みを零しつつ、ユリは机の上を見た。メモの隣にあるのは紙に描かれた複雑な紋様――魔法陣とも呼ばれる、それ。
 昨日一日中、それを発動させるべく色々と試していたのだが、結局何の反応もないまま、溜まっていく一方の疲れに負けて眠ってしまったようだ。
 そして今日もまた、同じことを繰り返すのかと思っただけで溜息が出る。
「あ、それ、発動させてみたのか?」
 ヴィルと口喧嘩していたはずのエベルが目敏くそれを見つけ、きらきらとした目で問いかけてくるのに、ユリは苦笑いして首を横に振るしかない。
「色々とやってみてはいるんですが、今のところ何も」
「お前さぁ、もしかしてくじ運悪い?」
「……悪いかもしれません」
 苦く呟くように返して、彼は魔法陣の描かれた紙を手にした。
 これの発動が成功すれば、魔法陣の研究はきっと花開くであろう。より安全に、より確実に、より強い魔法の行使をすることができるようになるであろう。
 だというのに――こんな所でつまずいてなどいられない。
 ユリは焦りに、ぎゅっとその手を握り締める。
「どの元素に属するものなのか分からない以上、複数の元素に精通している僕が、適任のはずなんですけどね」
「お前にできないってことは、攻撃系かもしれないよな。ほらお前、防御とかサポートは得意だけどさ」
 ヴィルの指摘に、ユリは更に深いため息を吐いてうなだれるしかなかった。
 もしそうであるのなら、ユリにはこの魔法陣が「本物」であるかどうかすら判別がつかないのだ。そしてそれは、完璧なる手詰まりを意味する。
「ま、そう気を落とすなよ。もしかしたらこれが『偽物』だったかもしれないだろ? それが不完全だったとか。
 発動するまでは、なんて思ってんのならやめておけ。終わりがあるかすら分かんねぇんだから」
「ならさ」
 落ち込んでいるユリを前に、やたらと嬉しそうなエベルが口を挟む。
「俺も試してみていいか? どうせ『発動不可』とかってメモ書きつけて、しまいこむだけなんだろ?」
「そうですね、いいですよ。ヴィルも試してみますか?」
 ユリがエベルに魔法陣を手渡しながらヴィルに問えば、彼は心なしか青く引きつった顔で視線を宙に泳がせた。
「いや……変なモンに憑かれても困るし、俺はやめとく」
「ただですよ?」
「そういう問題じゃねぇだろっ!?」
 壁に張りくほどに嫌がるヴィルに首を傾げ、ユリはエベルを見遣る。彼は、神妙な顔をしてその魔法陣に見入っていた。
「おい、エベル」
「ヴィル」
 エベルに話しかけようとしたヴィルを、ユリは制する。
 何かが変わるのを、空気が「歪む」のを、肌で感じとった彼は、何が起こってもいいようにと身構える。
「いける、いけるぞこれっ」
 エベルのはしゃいだ声と共に、ソレはかっと眩い光を放ち――
 ――それだけだった。
「……目眩ましか?」
 思わずエベルが手放したらしい魔法陣を、ヴィルが拾い上げる。瞬間的に「力」を引き出す目眩ましの術は魔法の中でも簡単な部類に属する。その目眩ましを使う為の魔法陣にしては、それは複雑過ぎるようにヴィルには思えてならない。
「いえ、違います」
 静かに否定するユリの顔には、隠しきれない喜びの色がある。発動したことがかなり嬉しかったのであろう、彼は一気にまくしたて始めた。
「先ほどの光は恐らく、魔法陣に描かれた指示と、エベルの指示が違ったことに『自然』の方が混乱し、暴走した結果でしょう。これは多分ですが投影の術。こうすれば、きっと……」
 ヴィルから魔法陣を受けとると、緊張した面持ちでユリは魔法を構築していく。そして、柔らかい光と共に、陣の上に映像が浮かび上がった。
「術者の想いを、記憶を、映像にする陣だったんですね。あぁ、確かに光に属する術のことは失念していました。なにせ滅多に使いませんからね。
 それにしてもエベル、よく発動させられましたね。陣を使えばいくつもの元素に精通できるんでしょうか」
「俺もびっくり。なんていうか、使い方を教えて貰ったような感じ? まあそれは後でゆっくり話してやるけど、ソレ何」
 何を訊かれたのか分からずに、ユリは指差された自分の手元を見た。陣の上に浮かぶのは、今ここにはいないアロイスの姿。彼に真っ先に知らせたいとユリが思ったからなのか、とにかく他の何も誰も思い浮かばないらしい。
「アロイスさんが嫌だと言うのなら、エベルに変えましょうか」
「やめろやめろやめろ……っ!!」
 一瞬にして自分の顔をまじまじと眺めるはめに陥ったエベルには、頭を抱えて懇願することしかできない。ユリが嬉しそうな表情をしているから、余計にだ。
「まあ、なんだ、良かったな、ユリ」
 二人の浮かれ具合についていきそびれたヴィルが、ぽんぽんとユリの背を叩く。
「はい、アロイスさんに報告しに行きましょう。ジークはどこですか、呼んできてくださいね」
 笑顔で走り出ていく彼に呆気に取られれば、ヴィルの前に顔を出したエベルがにやりと笑う。
「お前さ、上手くいくなんて思ってなかっただろ。駄目だぜ、そんなんじゃ。
 俺にはあいつが何考えてんのかとか良く分かんねぇけど、最初から否定しちゃ駄目だって思ってる。俺なんかが手伝ってやれることってホント何もないけどさ、少なくとも、あいつの行きたがってる方向に、立ちふさがったら駄目だ」
 呆然としているヴィルに、じゃと言ってユリを追いかけるべく部屋を出ようとしたエベルは、立ち止まって振り返る。
「『ジークはどこですか、呼んできてくださいね』」
「さっさと行けよっ」
 無駄にユリの言葉を復唱してみせるエベルを追い出す。一人残されたユリの部屋には、花瓶に生けられたままの白い花が、やはり甘い香りを漂わせていた。





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