Reincarnation



 一番最初に参加したあの戦いから、十五年経った。
 魔法が一切使えない世界ではどうなることかとも思ったが、心配は杞憂に終わった。そもそもの社会が、魔法が使えなくても回るように出来上がっていたからだ。
 先達の知恵が偉大だとこれ程までに感動したことは、過去にも未来にもないだろう。
 エベルのような今まで街の防御に携わっていた魔導師だちも、ユリのように研究を続けていた者たちも、今では揃って仲良く側仕事や家畜の世話をしている。人手が増えたことで収穫量が増え、暮らしに余裕ができたのも事実だ。
 思えばユリにとっては魔物の正体を知ることになった十五年前のあの戦い以前の生活に戻っただけなのだが、それは遥か遠い日々のようにも、つい昨日のようにも感じられた。

 魔物という恐怖のない日々の中、季節はゆったりと巡る。
 日照時間の長い今の時期は次々と実る野菜を収穫しながら植え付けを行い、寒くなるまでにもう一度収穫する予定だった。天候も安定しているから、寒い時期に食糧不足になることもないだろう。

 十五年前とまるっきり同じかというと、そうでもない。
 十年ほど前の一件で、ユリの住む街、今ではバルトドルフと呼ばれている、とグレゴールの住む街、こちらはヴィルトフェルトと名付けられた、は交流が増え、今では馬車が日に何度も往復している。

 額に浮かんだ汗を拭いながらユリが木の根元に座って一休憩していれば、十にまだ届かないくらいの女の子が一目散に駆けてくる。
 ユリは彼女が友達と追いかけっこでもしているのかと思ったが、後ろから駆けてくる子供は見当たらない。
 青みがかった銀灰色の髪を靡かせ、ユリの目前でぴたりと止まった彼女はにこりと微笑む。深緑の大きな瞳が、きらきらと煌めいた。
 思わず自分の背後には彼女の知人でもいるのかと、しっかりと後ろを振り返って確認してしまったが、自分がもたれかかっている、物言わぬ木が鎮座まししているだけだった。
 ということは必然的に、この笑顔が向けられている相手はユリ、という結論になる。
「えぇっと……君は?」
「ようやく見つけたの。助けてくれてありがとう、お兄ちゃん」
 やはり彼女は誰かと間違えているのではないか。
 屈託無く笑う少女の前で、そんな思いばかりがぐるぐると駆け巡る。しかし、普段から見間違われるような相手もおらず、ユリは更に混乱するばかりであった。
「あのね、わたしね、人を探しているの」
 もしかして彼女は、台詞の順番を間違えたのではないだろうか。そんな考えも過れば、少し冷静になった。
「えぇ、僕の知っている人でしたら、お手伝いできると思いますよ。誰をお探しですか、レディ」
 レディ、の単語にぽっと頰を赤らめた女の子は「あのね」と言葉を続ける。
「炎使いのお兄さんと、風使いのお兄さん」
「黒髪と金髪の?」
「うん」
「ヴィルとエベルでしょうか。ヴィルヘルム・ケーラーとエベルハルト・フィードラー」
 ユリは二人の本名を出して彼女に確認するが、彼女は名前を覚えていないらしく、うーんと首を傾げるばかりであった。
「会えば分かりますか?」
「うん」
「じゃあ、本人たちに会いに行きましょう」
 微笑んで立ち上がり女の子に手を差し出せば、彼女は嬉しそうに手を繋いだ。
 それはそれは、小さくて柔らかな手だった。



「言ったな、かかってきやがれっ!」
「へっ、魔法抜きじゃ負ける気がしねぇよっ!」
 箒を振り回す二人を他所に、地面に横たわって草を反芻していた牛のブラッシングをしていた手を止め、ジークはその牛を背に座ってくつろいでいた。
 ぽかぽかと照らす日差しは強く、暖かいを通り越して暑い。
 牛舎で仲良くじゃれあっている二人の怒声もまた、耳に心地よく馴染み、眠りを誘う。
 と、銀色の何かが目の前を勢いよく通り過ぎ、ジークは身を起こした。
「あああぁぁぁあ?」
 続けて聞こえてきたのは、がらんと硬いものが地面に落ちる音と、悲鳴のような何か。
 いつも通りヴィルがエベルにこてんぱてんにやられたのかと思いきや、エベルは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、ほうきを構えたまま突っ立ている。
 悲鳴を上げた本人、ヴィルはと言えば、長い銀髪が印象的な幼女が足にぺたりと抱きついていた。
「え……誰? お前の隠し子?」
「んなわけあるか! あってたまるか!」
「あぁ、彼であってましたか?」
「うん!」
 幸せそうにすりすりしていた彼女は、背後からかけられた声にぱっと振り返り、満面の笑みで大きく頷いた。
 凍り付いていたエベルは、ユリの姿を見るなり、未だ構えていた箒を下ろす。
「お前の仕業かよ、ユリっ! 誰、この子、誰!?」
「さぁ?」
 最早狂乱しているヴィルは助けを求めるようにユリに尋ねるが、ユリから返されたのは非情で無情、助けようという意思も見受けられない、余りにも短すぎる答えだった。
 絶望的な表情を見せるヴィルの足元から離れ、少女はくるりと一回転すると、ヴィルを見上げてにこりと笑った。
「あのね、助けてくれてありがとう」
「……ヒト チガイ デハ?」
 全く予想だにしなかった言葉が少女の口から飛び出してヴィルは思わず片言になるが、彼女はそれも予想の範疇だったのか全くめげない。
「いいえ。ちゃんと覚えているもの。炎使いのお兄さん。あとそっちの、風使いのお兄さんも」
 少女を囲んで立つ三人に男は、沈黙してそれぞれ考え込んでいた。
 炎使いや風使い、などと言う辺りから、恐らくまだ魔法が使えていた頃に助けたのだろうとは思うのだが、それは十年以上も前の話だ。その頃この子はまだ生まれていたかどうかも怪しい。
 三人の顔を見上げていた少女の表情が、曇った。
「あ」
「アルル! アルル、そんな所にいたのか!」
 余程慌てて探し回ったのか、荒い息を隠せもしない様子で走ってきたのはヴィルトフェルトの魔法使い、グレゴールだった。
「その子、変なことを言うだろう? 君たちを困らせなかったか?」
 おいで、と手を伸ばし、手を繋ごうとするグレゴールから隠すように両手を背後に回した女の子、アルルは不満そうに口を尖らせた。
「変なことなんて言ってないもの。お礼をしたかっただけだもの」
「何のお礼を……この人たちには会ったこともないだろう?」
「あるもの。ちゃんと覚えているもの。助けてもらった人の顔は見間違えないもの」
「じゃあアルル、教えてごらん? いつ助けてもらったんだい?」
「十年前よ」
 諦めた表情のグレゴールにアルルは胸を張って答え、彼女の前にしゃがんだグレゴールは頭を抱えて呻くように呟いた。
「十年前……まだ生まれてもいないだろう……?」
 やはり、ユリたちの考えは正しかったらしい。詰んだ。
 しかし、エベルだけは驚愕の表情で一歩引き、びしりと指をその女の子に突きつけた。
「お前……リーゼロッテ・シェルマンだろ!」
 指を突きつけられた彼女は一瞬何を言われているのか分からなかったようだが、すぐに破顔すると飛び跳ね、くるくると回り出す。
「ほらね! グレゴールさん、彼も私のことを覚えててくれたわ! ありがとう! あなたたちのお陰でね、わたしは皆を傷付けずにすんだ」
 リーゼロッテ・シェルマンはヴィルトフェルトの水使いだったが魔物化し、ユリたちバルトドルフの魔法使いに討伐された。彼女の主張する通り、十年前の話だ。
「エベル……根拠を聞いてもいいですか?」
「え……野生の勘?」
「分かりました、信じます」
「それで信じんのかよ!?」
「えぇ、エベルですから」
 大真面目な顔で頷くユリは本気らしい。ヴィルは驚愕の表情でツッコミすら入れられずにいる様子だが、ジークだってエベルの野生の勘は信じる。
 膝を折り、目線をアルルに揃えたユリは、優しく尋ねた。
「あなたは、転生を繰り返しているんですか?」
「ううん、初めてよ」
「では、リーぜだった時の記憶は、思い出したもの、ですか?」
「アルルとして生まれた時から分かっていたわ。あのね、途方にくれてたの。他のカミたちにいいように操られて。わたしじゃどうにもならなかったの。そこをね、お兄ちゃんたちは助けてくれたのよ。
 でも、付いて行きそびれちゃった」
 小鳥が囀るように語っていたアルルだったが、何を思い出したのか、ふと寂しそうな顔をした。
「付いて行きそびれたって、誰にだ?」
「みんなによ。助けてもらった後はね、みんな仲良しだったの。それでね、懐かしい匂いがしてね、みーんなみんな、そっちに行っちゃったの。どこに行くんだろうって考えてる間に置いていかれちゃった。
 でもわたし平気よ、こうしてお兄ちゃんたちに会えたから」
 そう言う彼女の笑顔に陰りはない。
 アルルの言葉は子供らしい語り口だった為に、実際何が起こったのか理解するのは容易でなかったが、「皆に付いてどこかに行けば転生できなかった」という事実関係をジークは弾き出していた。
 そして彼女の言う皆とはカミのことだ。
「カミは、どこかに行くんですか?」
「そう。懐かしい甘い匂いのする場所。でも、それはわたしたちの故郷じゃない。懐かしいけど、違うの。だからみんな帰ってくるの。一人ずつ。
 ほら、また一人戻ってきたわ。あ、待って! お兄ちゃんたち、またね!」
 突然空を指差した少女は、きらきらとした表情でユリと来た道を逆向きに走っていく。
 疲れたような表情でグレゴールが立ち上がり、ユリもそれに倣った。
「お邪魔したね、君たち。私はあの子を追いかけるよ」
「はい。あの……あの子が、幸せな生を遂げられますように」
 ユリが続けた言葉にグレゴールは一瞬驚いたように目を見開き、そして微笑んだ。
「あぁ、私も願っているよ。今度こそ、彼女が幸せになれるように」
 道の途中、くるりと振り返って手を振るアルルに、ユリとエベル、それにヴィルの三人は釣られて手を振り返した。
「甘い匂いって、焼き菓子かね」
「じゃあ懐かしい場所って厨房?」
「カミが厨房に詰まってっる……うへぇ、そんな厨房入りたくねぇな」
「厨房から故郷の外に出るんですか? それはそれで面白いですが、ちょっと違う気がするんですよね……ところで掃除がまだ終わっていないようですが?」
 にこりと笑って腰に手をあてたユリに、ヴィルは慌てて落とした箒を拾い上げ、エベルも握っていたほうきの柄を握り直した。
「今すぐ終わらせますっ!」
 目の前をひらひらと飛んでいく蝶を目で追うと、ジークは大欠伸を一つした。



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