A Reasoning



「なー、お前らなんなの、結局。……聞こえねーわけじゃねぇんだろ?」
 独り言を呟き続ける不審者が防壁の上にいると、どこか青ざめた表情でヴィルがユリを呼びに来たのが、つい先程のこと。どうして街の防衛を務める、しかも前衛の彼が、彼のパートナーであるジークでも上司であるアロイスでもなく、日頃部屋に引き蘢って研究に没頭しているサポート役のユリなんて呼びに来たのか首を傾げていたが、連れてこられた城壁の上で不審者を示され、ようやく納得がいった。
「ヴィル。何か勘違いしているようですが、僕は彼の保護者ではありませんよ?」
「何言ってんの、お前。暗黙の了解だろ?」
 そう告げるヴィルは非常に真面目な顔をしていて、冗談で言っているようには到底見えなかった。
 ということは、本当にユリはエベルの保護者と認識されているのか。暗黙の了解ということは、それが街中の認識なのであろう——しかしそれを、思い詰めた表情にも見え、今は冗談も通じなさそうなヴィルに確認することは、ユリにはできなかった。
「おっかしいな、言葉は通じてる筈なんだけどなぁ……でなきゃ呪文を使う意味が分かんねぇし。あ、でも呪文いらねぇとか言ってたよなぁ……」
 たまにしか人の来ない防壁の隅にどっかりと座り込み、一人ぶつぶつ何やら呟いている様子は、確かに異様である。ヴィルがユリに「通報」してきたのも納得できよう。
「なんでもいい、頼むからあれをどうにかしてくれ」
「あれって……そんなに怖がらなくたって、言葉は通じるでしょうに」
 異様だとしてもエベルはエベルである。過剰としか思えないヴィルの反応には、ユリも苦笑せざるを得ない。しかしヴィルにはエベルに自分から声をかける気などないらしく、「じゃあ、任せた」と言ってさっさと防壁を下りてしまった。
 あの一件以来、エベルには何か見えているらしかった。
 本人がきちんと説明しようとしない為に、彼に一体何が見えているのかがユリには未知数なのだが、何か、人の形をしているらしいことだけは彼の言動から窺い知れる。
 お伽噺に依ると、古の昔、カミのツカイと呼ばれる者たちがいたらしい。彼らはカミと呼ばれる意識体を使役し、ヒトならざる力を行使したのだという、そんな物語だ。
 しかしどうやらこの話はただのお伽噺ではないらしい——それが、あの一件から「妙な」言動を繰り返すエベルを見た上での、ユリの結論でもあった。
「それとも呪文が特殊なのか? いやまさか」
「今日もお話中ですか、エベル」
「そう、取り込み中ー。悪いけど後にして」
 ひらひらと手を振るエベルの横に並んで座り、彼が睨みつけるようにして見ている空中をユリも同じように眺める。恐らく何かがいるのだろうけれど、ユリにはやはり何も見えなかった。
「お前さぁ、見えねぇもんって信じれる?」
 雑談のようにして振られた話題だが、エベルの目には真剣さが宿る。幼い頃から突拍子もない言動で知られているエベルではあるが、他人には見えないものが見えるようになってしまった心労が、少なからずあるのだろう。
「エベル、あなたがもしカミの話をされてあるのなら、僕は信じますよ」
「何で?」
「まず、カミの存在は伝承にもあり、昨日今日その存在が初めて確認されたものではありません。実際にカミの存在があるから魔法があるとする説もあり、僕もこの説を支持します」
「それって」
 少し不満気に口を挟もうとしたエベルを手で制し、彼をひたと見据えたままユリは続けた。
「それ以上に。あなたがそんな詰まらない嘘をつき続けるとは思いません。特に森の中で一刻を争う事態だった時に嘘なんてつくような人じゃない。あなたに何が見えているのかは分かりませんが、僕はあなたを信じます。だから、そこには何かいるんでしょう?」
 そう言い切ったユリに返されるのは、エベルにしては珍しく曖昧な笑み。それは、躊躇いの表れだろう。
「カミとの会話は成り立たないんですね。なんか、見えれば仲良くなれるみたいな話を聞いていたんですが、残念です。報告しておかなければ」
「……誰だよ、んなこと言ったの」
「グレゴールさんです。ほら、森を挟んだ先の街にいる」
「あぁ、あの保護者」
「えぇ、多分その人であってます」
 あの二人の水使いの保護者。
 何でも下の子の方はカミの姿を見、言葉を交わしていたらしい、とのことだったが、本当に意思の疎通が出来ていたかどうかは、エベルの話を聞くに怪しい。もしかすると初期の魔法のように意志力だけで交流していたのかもしれない――そうなると、途方もない話になってくるが。
「今んとこ、通じてる気配はねぇなぁ……大体こいつら、ヒト嫌いなんだろ? だと、そもそも交流する気がねぇのかもよなぁ……」
「通じていない、ではなくて、通じていないように見えるだけ、ですか……。そうなると大分話がややこしくなりますね。エベルにはどう見えているんですか?」
 ユリの問いかけに、エベルの視線が宙を彷徨う。それは回答を躊躇っているのではなく、そこにいるカミの反応を見ているのだろう。
「どうでも良さげってか、興味なさそう……あー、でも、全く興味ねぇんだったらまず集まんねぇか」
「カミはそこにいるだけではなくて、どこかに集まっているんですか?」
 森には多いらしいとグレゴールから聞いていたが、エベルの言い回しではそれとも話が違うように聞こえる。
「おう、俺んとことかお前んとことかは結構一杯。ヴィルは人望ないんかね、あんましいねぇや」
 エベルはひひ、と意地の悪い笑みを浮かべた。姿も見えなければ反応も分からないカミからの人望を求めるのは、ヴィルでなくたって酷だろう。
「カミの人数が力の強さに比例してるってんなら確かにちゃんと説明つくんだけどさぁ。力使わせた挙げ句に魔物化させる意味がわかんね」
 独り言のようなエベルの呟きに、ユリも考え込んだ。
 エベルの言うことはもっともだ。ヒトに使わせたくない力ならば、発動させなければいいだけの話なのだ。術者はあくまでも、彼ら、カミに指示するだけなのだから。
「では、カミにも何か別の意図があるんでしょうか」
「んー、そこまではっきりした意志があるようにも見えねぇんだよなぁ。自然の意志とか言われてっけど、何なんだろーなぁ、こいつら」
 宙に伸ばされたエベルの左手にカミが反応したのかどうかユリに知る術はないが、恐らく彼らは応じなかったのだろうと思う。
 エベルの表情が、自嘲に歪んだ。
「なんで、お前じゃなかったんだろな」
 ——それが、きっと、彼の本音。
 空中を見つめたままのエベルの頬を、ユリは思いっきり引っ張った。そんなことを言われる理由も、そんなことを言わせる理由も、ユリにはない。
「あたっ。お前、人が珍しく真面目になってる時に、そーいうことやるのかっ!?」
「エベル。言って良いことと悪いことがあるでしょう、たとえ僕に対してでも」
 言わなければならないと思った。今、ぽかんとしながらすぐ隣に座っている間に。再び失ってしまうその前に。
「人生の色々に意味を考えるのは無意味です。そんなことをし始めたら、魔物化した人たちが家族や友人を殺す、その意味まで考えなければなりません。それでもあえて意味を求めるというのなら、あなただからです。僕の隣にいつもいる、『あなた』だから、です」
 エベルが返答する前にユリは立ち上がり、外側の防壁にもたれかかった。エベルが意図的に選んだのだろう、遠くには森が見える。
「それに、そんなことをうつうつと考えるのはあなたの仕事じゃなくて、僕の仕事です。人の仕事を取らないでください」
「そーいう理由?」
 苦笑し、前髪を掻き上げながらエベルも立ち上がった。その瞳には、いつもの悪戯気な輝きが戻っている。
「良い理由でしょう? 世の中分業で回ってるんですよ?」
「や、いーけど。俺は高いぜ?」
 本気か冗談か、そんなことをしれっと言ってのけたエベルが、次の瞬間には「あ」と顔を上げ、空に向かって手を振った。
「あいつら、行っちゃうらしい。お前が連れてた奴ら」
「え?」
「ほら、手ぇ振ってやれよ」
「は、はい?」
 エベルに促されるままにユリも空に手を振る。どうしてよいか分からずに中途半端になった笑顔をおまけにつけて。
「またなー。元気でなー。……あいつら、お前に手ぇ振ってもらって喜んでたぞ」
「はぁ、そうですか……」
 恐らく今見送ったカミの反応を報告してきたエベルに、彼らは行ってしまったのだろうとユリは判断し、振っていた手を止めた。
 魔法の力そのものであり、魔物化の原因ともなるカミ。エベル曰く言葉は通じないらしく、ヒトに興味もなさそうだというのに、ヒトに集まり、更には別れまで告げてくる存在。
 余りの一貫性のなさに、ユリの顔からは半笑いが消えない。
「あいつら、行く場所あるんだな。どこ行くんだろ。帰んのかな」
「変なのに捕まらずに、ちゃんと帰れると良いですね」
 何気なく行ったユリの横顔を、何を思ったのかエベルがどこか驚いたような表情で見た。
「……どうかしました?」
「ようやくその変なのから解放されて帰るとこなんじゃねぇかと思っただけ」
「エベル、まさかあなた、カミを軟禁だなんて……そんな趣味があなたにあったとはごめんなさい僕も知りたくなかったです」
「へへっ、全てのカミは俺の前に平伏すんだぜっ!」
 悪ノリに悪ノリを重ねる彼らの背後で、どさりと重い音がする。二人揃って振り返れば、タイミング悪く様子を見に来たらしいヴィルが、頭を抱えて倒れていた。
「ユリにまで裏切られたら俺は生きていけん……あぁ、俺なにやってんの、ここで」
 うるうると涙まで流しそうな勢いのヴィルを前に、ユリとエベルは顔を見合わせると、良い笑顔で二人同時に言い切った。
「そんなのに意味を求めるのは野暮ですよ」
「そんなのに意味を求めるのは野暮だぜ」



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