Out of Expectation



 待ち合わせに大幅に遅れるとは、何かあったのだろうか。そう、ユリが立ち往生したまま悩んでいた時だった。アロイスがやあと片手を上げ、彼に挨拶をしてきたのは。
「君が外にいるとは珍しい。何かあったのかね?」
「いえ、何もありませんよ。エベルと待ち合わせをしていたんですが、来なくて」
 あぁ、と納得したようにアロイスは頷く。
「エベル君で思い出したよ、ユリ君。喜びたまえ。父君が帰ってこられるそうだ」
「へぇ、そうなんですか。ところでどうしてアロイスさんの方が、僕よりも先にそのことをご存知なんですか?」
「それは当然……」
「当然?」
 中途半端に言葉を切ったアロイスは、道の向こうの方を見遣る。つられてユリも同じ方向に視線をやれば、猛スピードで走ってくる影が二つ程見えた気がした。
「……先程会ったからだよ、ご本人にね」
 突撃してくる人影は、どう目を凝らしてみても二つある。
 アロイスの反応からして一つはユリの父親で間違いないだろう。ならばもう一つは誰なのか。考えるまでもなく分かってしまったユリは、石でも投げつけてやれば止まるだろうかと、本気で思った。
 ずささ、と大きな音を立てて滑り込んできた二人を一瞥するなり、ユリはにこやかた笑みをアロイスに向けて告げる。
「では僕はこれにて失礼します」
「おや、エベル君との約束はいいのかね?」
「えぇ、僕は十分に待ちましたので」
『ユリーっ!?』
 こんなにも派手に登場したのにも関わらずあっさりと無視された二人は、がばりと起き上がると示し合わせたかのようにユリの左右を塞いだ。
 それを見てユリは微かに溜息を吐く。どうしてこの二人はこんなにも息がぴったりなのか、彼にはさっぱり理解できない。
「元気にしていたか、ユリっ」
「あなたの顔さえ見なければ、もう少し元気だったんですけどね」
「なんだよユリ。折角レオンハルトが帰ってきてるんだから、もっと喜べよ」
 エベルの言葉に大きくそうそうと頷いたのは、レオンハルトと呼ばれた彼。
 レオンハルト・ブラントミュラー。
 彼こそがアロイスも一目置く魔導士であり、ユリの父親である。
「あーあ。本当はエベルと血縁であって、僕とは何の関係もない赤の他人なんじゃないですか?」
「そういうことであれば、私としても歓迎するぞ」
 レオンは明るく豪快に笑う。ユリの白い視線にも全く動じない辺りは年の功と言うべきなのか、彼の性格故になのか。
「ユリってさぁ、レオンハルトのこと嫌いだったか?」
 不思議そうに首を傾げたエベルに、ユリは満面の笑みで答える。
「いいえ、大好きですよ。一度吹っ飛ばしたいくらいには」
 彼が本気であることがようやく伝わったのか、自分が吹っ飛ばされる様子を想像したのか、レオンが嫌そうに顔を顰める。そんな彼とは反対にアロイスは楽しげだった。
「父親不在でどう育つかと思えば、良い子に育っているようだね、レオン」
「はは、笑顔で殴りかかってきそうな所は妻にそっくりだよ。もしや君も一枚噛んでいるんじゃないだろうなぁ、アロイス?」
「まさか。私は街の防御で手一杯だからね。それじゃあ私はそろそろ失礼するよ。親子の再会を邪魔するのも悪いしね。積もる話は後でしようじゃないか、レオン」
 話すことなんてないぞ、と惚けるレオンを他所に、また後でとユリは頭を下げる。アロイスが行ってしまうのを見送ると、彼はようやくレオンに向き直った。
「遅くなりましたが、お帰りなさい、父さん」
 感激したレオンが数秒後、ユリに叩きのめされたのは言うまでもない。

 エベルやユリの記憶の中で、レオンは果てし無く強かった。
 だが、彼がふらりと放浪の旅に出てしまったのは、いつのことだっただろうか。気まぐれに帰ってくることはあっても、その度に彼らがレオンの魔法を見れるわけはない。
 幼い頃に見たレオンの強さは、二人の記憶の中で美化され、やがては二人が目指す目標となった。
 その目標に、一体どれだけ近づけたのか。本人を相手に試さない手はあるまい。
 殺風景な石の舞台で向かい合うのは、レオンとエベル。
 ユリが開始を宣言すると同時に、片方の的が炎を上げて燃え尽きた。もう片方はまるで無傷である。
 当然、風に精通しているエベルが炎など扱えるはずもなく――圧倒的な力の差を見せつけて勝利したのはレオンだ。
「相変わらず強いな、レオンハルト!!」
 模擬戦闘だというのに、瞬時に決着をつけてしまったのにユリは思わず頭痛がした。だというのに、敗北した本人であるエベルはただ、その瞳を輝かせている。
 同様に瞳を輝かせているのは、エベルを僅か数秒で叩きのめした、彼。
「強くなったなぁ、エベル!」
「……それは精神的にですか」
 エベルに攻撃する間も与えなかった癖に。ユリの声は、届かない。
 調子に乗ったエベルはくるりとユリを振り返ると、これ以上ないほどの上機嫌さで彼に問う。
「ユリもやるか!?」
「やりません」
 にこやかに、しかしさっくりとユリは拒絶する。その爽やかさは、逆にレオンが苦笑するくらいだった。
「んな固いこと言うな。手合わせくらい何回でもやってやるから来い」
 レオンに言われ、エベルに促され、ユリは渋々と紙の的を手に取る。
 並べ終えると彼は開始線にたち、レオンを見据えて淡々と告げた。
「先に断っておきますが、僕はサポートがメインですからね」
「そんなの分かってる。でも手加減はしないぞ。……ん?」
 含んだようなユリの言いまわしに首を傾げ、疑問を投げかけようとしたレオンを遮って、エベルが高らかに開始を宣言する。
「よーし、じゃあ始めっ」
「炎 烈火炎上」
「僕が許さない」
 レオンの呪文に、ユリが小さく応える。
 どういうわけか、レオンの魔法は予想に反して小さな炎しか生み出さなかった。
「風 高速移動 真空刃」
「炎 爆発 周囲」
「それは不可能です」
 ユリが展開した真空刃のいくつかは、レオンにより爆破された。けれど残った刃が的をずたずたに切り裂いていく。
 明らかに低い魔法の出力は、何の意味も持たないように思われたユリの言葉の影響だと、レオンは感じていた。
 はらりと舞う的の断片をただ見つめ、レオンは静かに問いかける。
「何をした、ユリ」
「僕はサポートがメインだと、先に言ったはずです。サポートとは要するに、他人が魔法を扱いやすい場を作ること。ならば、その逆も容易いですよね」
 最早理解することを諦めたのか、エベルはただ「すげぇ」と繰り返す。
 ユリが何を言ったのか瞬時に理解できなかったレオンは、数秒後に弾けたように笑い出した。
「そんなことをするか、ユリ!」
「何だってしますよ、それは」
「レオンハルトに勝っちゃうなんてすげぇな、ユリ!」
「いえ、才能的にはエベルの方が上だと思いますよ。父さんはそれを、経験で補っただけで」
「可愛げがなくなったな、ユリ!」
「……。元から可愛くあったつもりはありませんから」
 朗らかに笑い続けている二人に精気を吸われているのかと思うほど、溜息の混じるユリの言葉には力がない。
「そう言えば、もっと可愛げのない奴に会ったなぁ……」
 どかりとその場に座り込んだレオンはすっとその目を細め、どこか遠くを見つめたまま呟く。
「まだ歳は十にも届かないだろうに、もう一人で旅をしていた。彼に会ったのは……あぁ、南の方の大きな街で会ったのか。ここの数十倍くらいの規模の街でな、物も人も溢れてるんだ。そう、その彼は確か魔法の研究に興味があるとかで」
 レオンが語るのは事実であろう。だが、ユリたちが住む北の地とは違い、南は豊かな土地である。魔法に頼る必要のない土地だからこそ、魔法の研究に携わる人数は少ない。
 南の大きな街、と言えばユリにもいくつか心当たりがあるが、そこで進められている研究となると思いつかず、彼は思わず口を挟んだ。
「南の方? 南はあまり研究が進んでいないと聞いていますが、そんな研究グループありました?」
「一応いるぞ。私が会ってきたのは、過去に出現した魔物の数の統計を取った奇特な奴だ」
 エベルがあまり興味も成さそうにふーんと相槌を打つ横で、ユリは僅かに眉をひそめた。
「そんな統計だなんて」
「悪趣味だと思うなよ、まぁ聞け。その統計によると、どうも全く魔物が現れない空白の期間というものが存在するらしい。それもかなり周期的だそうだ。
 私が会った男の子は、その事実に何か納得していたようだよ。君たちはどうかな?」
 突然与えられた情報を整理できず、突然振られた質問に応じきれず、ユリはエベルの顔を見る。エベルは軽く肩を竦め、「いいことなんじゃね?」と短く返した。
「確かにこの数年、魔物の数は減っているようにも思いますが、全くいなくなるだなんてそれは……」
 ヒトの存在がなくならない限り不可能だと、ユリは思っていた。
「数が減っているのは北の、こっちの方だけだろうな。南の方は魔法使いこそ少ないかもしれんが、いかんせん全体的な人数がそもそも違う。人口が多い分、魔物に依る被害もこっちの方と比べて多いし、魔法の研究が遅れている分、予防策も講じられない。あっちの方では逆に増えているはずだ」
 絶対的な知識量の違いを見せつけられ、ユリは押し黙る。彼が逆立ちしても敵わないと尊敬してやまないアロイスだって、南北の差をこうも簡単に語れるものだろうか。
「なら、全くいない時期というのも、統計による偏りかもしれません」
 むきになってユリが言い返せば、何がおかしいのかレオンは再び豪快に笑い出す。
「五年や十年の単位だったとしても、そう言えるか?」
「レオンハルト。その研究の話はどうでもいいけどさ、その男の子ってのは? このご時世、子供が一人旅なんかできるもんか?」
 答えられずにいるユリに意地の悪い笑みを見せ、レオンは口を挟んできたエベルに向き直った。
「子供の一人旅なんて無謀だと思うだろ。私も思った。だが彼にはそれができるだけの強さがあったんだな。彼は強かったぞ。それこそ天才ではなく――神の領域、だな」
 「神の領域」。その言葉にエベルの瞳がきらりと輝いたのに、ユリは苦笑せざるをえない。
 レオンが言うのだから、彼は相当に強いのだろう。だが、ユリには「神」と「カミ」が同じモノのように思われてならなかった。
 アレを「カミ」などと名付けたのは、一体誰だったのだろうか。
「その彼は、ヒトなんですか?」
「研究のしすぎで疑り深くでもなったか、ユリ。まぁ、特殊な部類に入るだろうが、彼はヒトだったぞ」
 そんな回りくどい言い回しをするだなんてレオンにしては珍しいと、ユリは小首をかしげる。
 もしかすると彼は限り無く魔物に近いのかも知れない。ヒトとしての意思があるのならば彼は「ヒト」であろうが、それを失えば魔物となってしまうのかもしれない。もしユリの想像が正しいのであれば、彼は相当に危険な状態にあるのではなかろうか。
「ユリ、お前なんでそっちを思い浮かべてんだよ。神ってったら神だろ、ほらあの伝承の」
「伝承? あぁ、カミのツカイの、あれですか?」
 そうそう、とエベルは頷く。
 ヒトならざる力を持ったヒト。彼らを「カミのツカイ」と崇めたのは、遥か遠い昔の話だ。伝承が残っている為この話を知る人は多いが、それが事実であったのかどうかは、誰にも分からない。
「レオンハルトにそう言わせるってことは強いんだな! 手合わせしてみてぇ……」
 先程そのレオンに負けたばかりであるはずなのに、更に強いという彼との手合わせを思い描くエベルは上の空だ。
「多分、ここにも来ると思うぞ」
「は?」
 エベル同様、レオンの突拍子もない言動はいつものことだが、それに慣れていたとしても対応しきれない時はある。ユリは思わず凍りつき、エベルでさえも目を点にした。
「お前たち二人の話をしたら興味を持ってな。だから彼がなんであるのか、自分たちのその目で確かめてみればいいんじゃないのか?」
「……あの、彼が来る時、あなたは?」
「私? すぐに発つつもりだから、いないだろうな」
 ユリが恐る恐る問いかけた質問に、当たり前だろとレオンは答える。ユリには、自分の実の父親の思考回路が全く読めなかった。
 誰も敵わないのならば自分がいても意味がないと考えたのかもしれない。
 その男の子は、力は強くても平和主義なのかもしれない。それでも。
 正体不明の、恐らく誰も敵うことのない男の子に、二人で会えというのか。
「平和ボケでもしましたか、あなたはっ! 普通は逆でしょう、逆っ!」
「逆って何の話だ、逆って」
「エベル、あなたからも何か言ってやってくださいよっ」
「あー……俺、そいつが来るの、すっげー楽しみ」
 ぴしり。そんな音が聞こえたような気がした。
 気まずく半笑いし、エベルとレオンは視線を交わす。結論は話し合うまでもない。
「よしエベル。体力作りにいざ行かん」
「お、おうっ」
「……逃しません」
 ユリの低い声と共に、二人は身体がなんとなく重たくなった気がしたが、それは気のせいということにしておこう。



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