Connected



 ふらりと立ち寄った森の中であの白い花を見つけ、少年はふとその表情を崩す。
 ただ白く咲き乱れるその花は、彼と彼女、此の地と彼の地を繋ぐ、唯一のモノ。



 ばたばたと大きな足音を立ててヴィルが、エベルが、ユリの部屋に現れたのは、穏やかな天候の日の昼下がり。
 この二人がユリの部屋に来ること自体は珍しくない。だが二人揃っての慌てように、ユリは目を丸くした。
「おい、ユリいるか、ユリ」
「いますよ。そんなに慌ててどうされました?」
「どう、しよう」
「はい?」
 何かに怯えているのか、ヴィルの顔は青白い。魔物の襲来を告げる鐘は鳴っていないし、とするとジークでも怒らせたのだろうかと、ユリは無駄な方向にその想像力を使い始めた。
 ふと気になってエベルの顔も見て見るが、こちらはこちらで悪戯が見つかった子供のような、少し気まずげな表情をしている。
「ユリ君」
 二人の背後から、ゆったりとした足取りでアロイスが顔を出す。彼の表情も、どこか固い。
「来てくれるね?」
「……はい」
 用件を告げられずに問われた質問に、少し躊躇うもユリは首肯する。疑問を残したままのその表情に、まだ説明していないのかねとアロイスはエベルとヴィルを小突いた。
「レオンハルトが言ってた『彼』って、言えば分かるよな?」
 エベルの言葉に、ユリはこくりと頷いた。
 レオンですら敵わないと言わせたあの男の子の存在を、片時であろうと忘れることができるだろうか。
 実際に二人は、レオンに語られたあの日から、「彼」のことを忘れたことはなかった。
「なんなの、あいつ? あんな子供に旅なんか出来る訳……」
「じゃ、一回あいつと手合わせしてみろよ」
 会うのを楽しみにしていたエベルだが、最早そんな様子はない。
 彼らの口振りからするに、三人とも「彼」に会ってきたのだろう。実際に対面して、エベルは「彼」との実力差を悟ってしまったのだ。
 多少の小細工では覆すことのままならない、巨大な溝を。
「はぁ? 珍しいな、こういう時には真っ先にお前が行きそうなのに」
 強がりなのか、皮肉のように告げるヴィルの言葉が、痛々しい。
 意識的には気付いていないのだろう。「彼」の持つ力の強大さに。だが無意識は感じ取っている。それが彼を知らず知らずの内に怯えさせている。
 それぞれの反応を分析して、ユリは結論付けた。「彼」は本物だと。
「いや、あいつには敵わねぇよ。試してみる気にもなれねぇ。なぁ、アロイス。俺も……」
「許可しよう。二人とも来たまえ」
 アロイスの素早い判断は、裏を返せばユリを一人で「彼」に会わせられないという彼の意思表示である。
 アロイスすらもが警戒する「彼」に会ってみたいと思う好奇心。
 アロイスにすらも危機感を抱かせる「彼」に対する恐怖心。
 じっくり考えてみてもみなくても、好奇心に負けてしまう結論は変わらないらしいと、ユリは内心自嘲した。
「許可って、いいのかよ、アロイス!?」
 抗議の声を上げるヴィルを、アロイスはただ一瞥した。その彼の視線が、これはヴィルの出る幕ではないと告げている。
「『彼』は、何か言っていましたか?」
「……ユリに会いたいって」
 ユリの問いに、ヴィルがぼそりと答える。そうですか、と彼は微笑んだ。
「僕一人で会いに来い、との指定はなかったんですね? ならばエベルも連れていきます。あちらが嫌がった時点で下がらせればいい。それでいいですね?」
 いいだろうと頷くアロイスを確認すると、じっとりと汗ばんできた手のひらを、ユリは服の裾で拭う。
 争いに来たわけではないだろう。実力があればある程、その力を使おうとしないものだ。それは理解していると言うのに、どうしてこうも緊張するのだろう。

 赤く大きなソファに沈むように、白い小柄な男の子は座っていた。
 彼の目の前には飲み物も用意されているが、手を付けた形跡はない。それは何かが混入されていることを恐れたのではなく、ただ純粋に興味がないのだとユリが気付くのに時間はかからなかった。
 青みがかった銀灰色の髪。レオンの話で「彼」は長く旅をしていたようだが、それを疑わせる程、「彼」の肌は不健康に白かった。
 ユリが部屋に入ってきたことに気付いていないのか、ダークブルーの瞳は宙を見つめている。妙に大人びたその眼差しは全てを拒絶しているようで、ユリは声をかけることを躊躇った。
 不意に、「彼」と目が合う。
「あ……遅くなりました、すみません。ユリアーン・ブラントミュラーです」
「エベルハルト・フィードラー」
 聞いているのかいないのか、「彼」は無言でこくりと頷いた。緩慢なその動作は、眠たさそうにも見える。
「お前……『一人』でここまで来たのか?」
「信じてくれなくていいよ。それは全く重要じゃない」
 座ればと促され、ユリもエベルも素直に従った。
 男の子を見た目で判断するのならば、十に満たないくらいであろう。だが「彼」の落ち着きは、虚無を見つめているような瞳は、子供のそれではない。一体「彼」はいくつなのか、ユリにはさっぱり読めなかった。
「君は此の世界について何を知ってる?」
「この世界について……? いえ、僕は何も……よければ、別の方を紹介しますけど」
「いい。君が知っていることを知りたい。僕には時間がないんだ。魔法の研究をしてるって話だったよね」
「え? えぇ」
「それ、話聞きたいな」
 どこか疲れきった、どこか焦っているような、そんな口調で男の子は催促する。
 一体何から話すべきか迷ったユリだが、「そうですね」と小さく呟くと、ゆっくりと語り始める。
 叩きつけられた「魔物」の正体。
 古に使われていた魔法の原型。
 現在の呪文という形態。
 そして、これから主流になっていくであろう魔法陣。
「僕は、魔法というものをもっと安全なものにしたい。そう、思っています」
 請われるがままに他人に語り、戒めのように自分に何度となく繰り返してきた言葉。そこに嘘偽りはなく、また、夢のままで終わらせるつもりもない。
 決意の満ちたユリの瞳に、眩しそうに「彼」は目を細める。数度頷いただけで特に何も言わず、「彼」はエベルを見遣った。
「それが、お前の強さなのか」
「あぁ、君には見えてるのか。じゃあ、さっきの質問もそういう意味? ならば『彼ら』も一緒だよ。カミのツカイの話は?」
「人ならざる力を持ったヒトを、ヒトはカミのツカイと崇めた――強大な力を持つカミのツカイをヒトは欲し、やがて争いの元になるんだよな」
 訊いた本人である男の子には恐らく答えが分かっているだろうに、エベルの言葉を肯定も否定もせず、ただ黙って先を促した。
 そこには、幼い子供に物事を教えるような雰囲気すらある。
「争いを拒絶して、田舎に隠遁して……どうなんだっけ、ユリ?」
「逃げた先でもてなされ、その地に根付くんですよね。そうして代々カミのツカイを輩出する二つの家が出来上がった。
 守ることに特化し、守護神と呼ばれた家と、破壊に特化し、破壊神と呼ばれた家。本来ならば手を取り合うべき両家は思想が違ったが為に反発し合い、争いを招き、両家ともに滅びることとなります。
 両家の滅亡は、両家が秘匿し続けたチカラ、今で言う魔法の一般普及に繋がったのだと言われています」
「そういう話になってるみたいだね」
 男の子の言葉に、ユリは首を傾げる。「彼」の言い回しはまるで、「彼」が「真実」の物語を知っているようではないか。
「あなたは一体、何を知っているんですか? 何を知りたくて、旅を?」
 ぽろりとユリの口から零れたのは、純粋な疑問だった。
「僕はね、ユリアーン。世界を繋ぐ術を知りたいんだ」
 ふと唇の端を上げて、彼は立ち上がる。
「エベルハルトも覚えておくと良い。君たちが知る物語には三つの間違いがある。
 一つ、彼らは個人であり、家なんて仰々しいものではなかった。一つ、彼らはチカラを秘匿していたわけではない。普及に繋がったのは、また別の理由。そして一つ。彼らは滅びてなんかいない」
 淡々と告げると、「彼」はその手を伸ばす。まるで、誰かの手を取るように。
「お前、名前は?」
「クルト。破壊神と守護神は実在するんだよ。今も昔も」
 宙に現れた、これまた幼い「誰か」の手を取って、クルトは消えた。
 呆然とするユリの前で、「おい、待てよっ」とエベルは焦ったようにその手を伸ばす。――届かない。

 呆然としていたユリが我に返るのが先だったか、口をぱくぱくとさせていたエベルが言葉を発するのが先だったか。
「あいつ……あいつ、『全員』連れていきやがった……!」
 驚愕の表情で告げられた言葉に、ユリははっとしてクルトがいた場所を振り返る。そこはもぬけの殻で、「彼」がいた痕跡はどこにもない。
 エベルの言う「全員」とは、恐らくカミのことであろう。
「光……光!」
 焦ったユリは叫ぶ。手応えはない。発動もしない。
「無理だっての。『応える』奴らがいねぇんだから」
 不機嫌そうに言うエベルに、ユリは苦笑いを返す。魔法を使えないと、何が困るだろうか。普段の生活には支障がないだろう。そう思考をぐるりと巡らせて、一つだけ思い当たる。
「困りましたね。これでもし『魔物』が襲ってきたら、対抗手段がありませんよ」
「必要ねぇ。『魔物』も暫くは現れねぇんだから」
「え? あぁ、それもそうですね」
 魔法の暴走が引き金となる魔物化は、当然魔法の行使がなされなければ起きることはない。カミがいない、魔法が使えない今、魔物化することは確かに不可能だ。
 そういえば、とユリは思い出す。態度も言葉も軽い彼の父親が、そんなことを言っていなかっただろうかと。
「魔物がいなくなる……空白の、期間? もしかしてこれが、真相?」
 「彼」は答を知っていたのではなく、「彼」自身が答だったのだとしたら? 事実と原因はすぐにでも結びつくであろう。
 だが分からない。「彼」がその研究に、ユリの研究に、何を求めたのか。
 見えない。「彼」の選び取ろうとする道が。
「確かに神だな、ありゃ」
「え?」
 何を思ったのか、ぐしゃぐしゃと自分の髪を掻き混ぜながらエベルが言う。
「やることも考えることも人智を超えてて理解不能」
 そんな理由で「神」だと言われても困るだろう。不謹慎かなと思いつつも、ユリは吹き出した。



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