A Confusion



 魔法が失われたという恐怖に、一体何人が怯えたことだろう。
 魔物が現れないという歓喜に、一対何人が酔いしれたことだろう。
 街の門は開かれるようになり、街同士の交流も盛んになっていくのをみながら、ユリはただ戸惑うばかりだった。

「お前、また防壁なんか上って。部屋こもってた数年分の日光浴でもしてんのか?」
 ふらりと現れたエベルの言い草に、ユリはくすりと笑う。
「違いますよ。街を出入りする人を眺めていたんです」
「あー、最近多いもんな。そーいやまた変なもん売りに来てた。ユリも後で見に行こうぜ」
「へぇ、今日もですか」
 魔法が使えないということは、魔物も現れないということの何よりの証拠だ。それでも魔物に対する恐怖からか、魔物かに対する恐怖からか、ユリなんてまだ街の外に出てみようと言う気にもなれない。
 だというのに、街を渡り歩いての行商など、よくやるものだと感心する。
「そーいや、魔法陣の解読は進んでんのか?」
「勧めたいんですが、まだ試行錯誤の段階だったので理論が追いつかず……」
 答えながらユリは苦笑する。
 法則を掴める程の資料がない。自分で描いてみようにも、試してみることができなければ意味がない。
 ユリが時間を持て余し、こうして防壁上にいることが多くなったのには、そんな理由もある。
「結局、僕がやっていたことって、何だったんでしょう。魔法は使えなくなり、魔物はいなくなった。魔法使いだなんて、魔法の研究だなんて、いらないじゃないですか」
「ん? あー……そかも」
「そうかもって、軽く肯定しないでくださいよ、落ち込むじゃないですか」
 ユリは苦笑し、燦々と輝く太陽を見上げた。眩しさに目を細め、額を流れ落ちる汗を無造作に手で拭う。エベルは、服が汚れるのもお構いなく、土の上にどかりと腰を下ろした。
「いーじゃん。平和ってさ。危険だって思ったら、生きた心地もしねぇし」
「えぇ、人が生活するのに、魔法なんていりません。いや、魔法が魔物を生み出す以上、ない方がいいのかもしれませんね」
「それでいいってことじゃねぇの?」
 見上げられても、ユリに答える言葉はない。
 魔法は確かにない方がいい。けれど、それを肯定してしまったら、自分が今までしてきた研究とは一体なんだったのか。この数年間自分がしてきたことを否定してしまうような気がして、答えられなかった。
「周期的だから。また、必要になる。それまで休んでおけってことじゃねぇの?」
「五年と、言っていましたっけ」
「短くてな」
「五年もあれば、人は魔法のない生活に、魔物に怯えない生活に慣れてしまうでしょう。
 空白の期間が終了したその時、僕らは一体——どうするんでしょうか?」
 ユリと同じように防壁によりかかり、行き交う人々を眺めていたエベルが、誰にともなく問いかけられたユリの疑問に、律儀に返した。
「まずは、門のサビ落としからじゃね?」
「錆び程度で済んでいたら良いですね」



The Old Magic
月影草