A Beginning



 「リーゼロッテ・シェルマン 要注意」

 生後一ヶ月。彼女は「危険」の烙印を捺されることとなる。


「グレコールさん!」
「やあエルナ、リーゼ。今日も元気だね」
 小さなレディ二人に笑顔で挨拶を返したグレゴールは、二人に付き添っていた男に頷いてみせる。男も頷くと、二人に「じゃあ、また後でね」と言い残して足早に立ち去った。
「……ねぇ、グレゴールさん」
 またね、と笑顔で男に手を振るリーゼに聞かれないように、エルナは声をひそめる。
「何でこの子、監視されてるの?」
「監視?」
 幼い二人には不釣合いな単語に、彼はオウム返しに聞き返した。何を思って彼女がそんなことを聞いてきているのか、計りかねたからだ。
「とぼけないでよ。この子には常に大人が、魔導士がついてるの、わたしだって知ってるんだから」
「彼女はまだ幼いだろう?」
「でもわたしの時はそんなに付きっきりじゃなかった」
「君が覚えてないだけかもしれないよ」
 にっこりとグレゴールが言い返してやれば、エルナは口を尖らせる。どういうわけだか、リーゼが幼いだけが理由ではないと、確信しているらしかった。
「教えてくれたっていいじゃない。わたしだって魔導士の端くれよ?」
「じゃあ」
 何がやりたいのか分からないが、グレゴールの左手を一心不乱にいじり続けるリーゼに手を預け、彼はエルナに告げる。
「いざとなったら君は彼女を殺せるのかい?」
 ――もしその覚悟があるのなら、後で会いにおいで。
 表情は柔らかなのに、目は笑っていない。それが冗談ではなく本気だということを悟ると、彼女は初めて彼に恐怖を覚えた。
 リーゼから自分の左手を奪還出来ないと知ると、グレゴールは彼女をそのまま抱き上げた。
「ほうら、お姫様が退屈しているそうだ。お守り失格だね、エルナ」
「そんなことないもの。リーゼはわたしといつも一緒だから、わたしに飽きちゃっただけよ」
「はは、言うようになったね」
「そうよ、いつまでも子供扱いしないで」
 抱き上げられたリーゼを見上げてエルナがにこりと笑えば、リーゼも彼女に笑い返す。
 誰が見ても仲の良い二人。
 真実を知ればエルナは心を痛めるであろう。話していないのは、エルナを信用していないからではない。二人の仲の良さが、仇になりかねないからだ。
 それでも――求めるものには真実を。
 エルナが教えを乞うのなら教えようと、魔導士の間では既に決まっていたのだ。

 少し緊張した面持ちで椅子に浅く腰掛けているエルナに、どこから話してやろうかとグレゴールは逡巡する。
 あまりにぎこちない彼女の態度に彼が小さく吹き出せば、彼女に軽く睨まれた。
「君も、魔法を習っていたね。どの元素に精通していたかな?」
「水。水よ」
 彼女はこの年齢にしては魔法の扱いに長けていた。遊ぶように魔法を使いこなす彼女の才能が、これから更に伸びていくであろうことは明白だ。
 エルナ自身、得意であることは知っていたし、それを誇りにもしていた。得意なことを聞かれて嫌がる人はいないだろう――魔法の話が出たというだけで、彼女の表情は和らぐ。
 そういえば、とグレゴールは思い出す。確か近くの街には風の元素に精通し、天才的な才能を発揮する少年がいるという噂を聞いたが――
「でもね、あの子の方が上手なの」
 彼の思考はそんなエルナの呟きに遮られた。
「あの子?」
「うん……リーゼの側にいるとね、わたし、魔法使えなくなっちゃうの。あの子はお願いするだけで何でもできちゃうのにね。わたし、羨ましい」
 エルナの言葉に、なんということだと彼は思わず頭を抱えた。
 お願いするだけ。
 それは「彼ら」の姿があの子には見えているということにはならないか。更には「彼ら」との意思疎通も可能だということ。何としてでも魔法から引き離そうとしていた子が、一番魔法に近い位置にいたとは何たる誤算。何たる、皮肉。
 彼女が「乗っ取られ」やすいという事実にばかりに気を取られ、本質を見失っていたとは。苛立ちに、彼は歯を噛み締めた。
「……グレゴールさん? 何か、まずいの?」
 心配そうに問いかけてくるエルナに、彼は苦く笑ってみせる。
「魔法というものはね、自然を無理やり歪めることで発揮される力なんだよ、エルナ。詳しい仕組みは未だ解明されていないけれど、私は『カミ』と呼ばれる存在によるものだと思っている」
 カミとは、自然の持つ意識体のこと。
 普通のヒトには決して見えることのないソレを、呪文と自分の意思を以って使役することで、魔法は行使されている――それが、現在有力な説の一つだ。
「じゃあ、リーゼには彼らの姿が見えているのね。見えていてお話しも出来るから、あんなにも自由に魔法を操れるのね。
 わたしも一杯練習すれば、見えるようになる? 今よりもすごい魔法を使えるようになる?」
 きらきらと輝く瞳で問われ、グレゴールは思わず答えに窮した。
 夢を壊してしまうのはかわいそうではあるのだが――下手な答えでは、彼女の命に関わる。これが彼女の為なのだ、と意を決して彼は口を開く。
「エルナ。さっきも言ったが、魔法は自然のあり様を変えるものなんだよ。それも、ヒトの都合でね。
 カミにだって、やりたいこととやりたくないことがある。君のお願いが彼らのやりたくないことだったら――どうなるか、分かるかな?」
「そのくらい分かるわ。魔法が発動しないんでしょ?」
「その程度で済めばいい。まれに彼らは、逆に私たちを支配しようとするんだよ」
 これは脅しではなく、本当のことだ。魔法を制御しきれなかったヒトは、それまで共に戦っていた魔法使いに牙を剥く。それが、彼らが攻防を続けている「魔物」の正体。
 エルナは驚きに目を見開き、視線を彷徨わせ、俯いた。
「あの子……そんな危ないことをしてたのね……。知ってるよ。あの子、何回か怒らせちゃってたの。ごめんね、ごめんねって、泣きながら謝ってたの。そんな時、連れていったあの子をグレゴールさんたちはどうしてたの? どうやったらカミに許してもらえるの?
 わたし――あの子にしてあげられることって、ないの?」
 必死の表情で教えてとねだられても、彼には「知らない」「分からない」と繰り返すしかなかった。



 エルナとリーゼを引き離そう。このままでは、エルナが無茶をしてしまう。
 そう理性では納得していても、感情は納得しない。あんなにも仲の良い二人を、どうやって引き裂けというのか。一刻を争うというのに決断できず、グレゴールは頭を抱えた。
「……リーゼ?」
 見張りの交代で彼が防壁にあがれば、何故かそこにいた小さな人影は、グレゴールを見るなりにこりと笑う。
 彼女は一人だった。いつも一緒だったエルナの姿は、見えない。
「リーゼ、こんなところで何を……。エルナは?」
「いっちゃった」
「行っちゃった?」
 問い返せば彼女は少しだけ寂しそうにうんと頷く。
「君を置いて?」
「うん」
「どこに?」
「あっち」
 言いながら彼女が指差したのは街の外。しかも、よりにもよって森の方角である。
「エルナが、森に?」
「うん」
 信じきれずに確認すれば肯定され、グレゴールの顔は青ざめた。
 エルナのことだ。一人で行ってしまったに違いない。魔物の襲来や天災により街を放棄することとなった時の為に、防壁には抜け道が何本も設けられている。恐らく、彼女はそれを使ったのだろう。
「風使い、風使いはいるかっ」
 いつ出ていったのかは分からないが、風に精通し、高速移動できる者ならば今からでも追いつけるかもしれないと、彼は声を張り上げた。
 すぐに顔を出したのは、一人の若手。グレゴールが彼に状況を軽く説明すれば、彼はすぐさま飛び立った。
 他に何か打てる手がないだろうかと考えていれば、ふと別の疑問が湧き出てくる。
「どころでリーゼ。あの子はなんで森なんかに行ったんだい?」
「いっぱいいるの」
 ――カミが。

 風使いはすぐに一人で戻ってきた。彼の表情は芳しくなく、その事実にグレゴールは更に表情を険しくする。
「どうした? エルナは?」
「森の方角に行ったんすけど……怖いっすね。森に近づくにつれて魔法の制御が不安定になって、いつ制御を失うんだろって、そんなんばっかで……」
 ぎりっと彼が歯を噛み締めるのが見えた。
 見捨てたくて見捨てたのではなく、見捨てざるを得なかった状況。それは、どんなに悔しいことだろう。
「やっぱもう一回……」
「いや、いい。リーゼがあそこにはカミが沢山いるのだと言っていてな、お前は正しい判断をしたよ。深追いするのは逆に――危険だ」
「ちょっと待ってくださいよ、それって、見捨てるってことですか!? エルナを!?」
「違う!」
 苛立ちに声を荒げれば、彼は口をつぐむ。エルナを連れ戻す良い方法が見つからずに焦っているのは、グレゴールも同じだと気付いたのだ。
「……魔物化されるのが、一番困るんだ。気持ちは分かる。だが今は自分の身の安全を優先させてくれ。今は――堪えてくれ」
 黙り込んでしまった二人の横で、リーゼが「かねのおと」と小さく呟く。
 二人が耳をすませば、微かに甲高い音が風にのって聞こえてくる。その音に、目の前が暗くなる。
「この音って、まさか……」
 それは近隣の街にて、魔物の襲来を告げる音だった。

 数日後、アロイス・ローレンツと名乗る男から、小さな小包が届いた。
 ばりばりと包装紙を破けば、出てきたのは女の子が好みそうな、可愛らしい小さな手帳。開けば、見覚えのある字が几帳面に並んでいた。表紙の裏には、ご丁寧に住所まで書かれ、送ってくれた彼はそれを手がかりにしたのだろうと思われる。
 それには、エルナが森を歩いていた時の様子が事細かに記録されていた。
 すごく平和だったこと。甘い香りが漂っていたこと。その香りの元は白い花をつけた樹だったこと。
 途中で休憩しようと思って、手近にあったその樹を使って火をたいたこと。苦手な火魔法だったにも関わらず、なぜかいつもよりも火力が強かったこと。それは樹が増幅したのかもしれないという考察。
 この樹を持っていれば、リーゼは安全に過ごせるのかな、という疑問と期待を抱いて、彼女はボタンを作る。
 満足した彼女はそこで帰ろうと思ったらしい。けれど――ふと好奇心が芽生えてしまった。魔法を増幅するこの環境で、一番得意な水魔法を使ったらどうなるのか、と。
 そこで、メモは終わっていたが、そこから先は大方何があったのか想像がつく。水魔法を試し、暴走させた。そして彼女は魔物化してしまい、辿り着いた街で魔物として葬られたに違いない。
 ノートに同封されていた手紙には、アロイス率いる魔導士たちも苦戦したこと、もし彼女が成長したらどんな魔導士に育っていたのか見られないのが残念だと悔やむ旨が書かれていた。
『尚、「彼女」を退けたのは初めて実戦に参加したエベルハルト・フィードラー、ユリアーン・ブラントミュラーの二名。ユリアーンは今後魔法の研究に参加する意向で、もし貴殿に教授を乞うことがあれば、その時はよろしく頼みます』
 それは頼み事のようで――
「……敵わないな、これは」
 ――死んだ人間よりも生きているものを気にかけてやれ、という言葉だった。
 軽く息を吐いて包装紙をぐしゃぐしゃと丸めれば、何か固い手応えがある。グレゴールがそれを開きなおせば、そこにあったのは小さいながらも模様を彫り込まれたボタン。
 ほのかに甘い香りがして、ようやく合点がいく。それが、リーゼの為だけに作られたお守りであることに。



 五年後。どういう風の吹き回しか、アロイスから受け取ったのは手紙ではなく召喚状だった。
 数日前にリーゼの姿が見えなくなり、もしやと森の方まで探しにいった時は既に遅く、彼らは再びあの鐘の音を絶望の中に聞くこととなった。
「そちらの街では、水使いにどんな教育をしているのかね」
 にこやかに痛いところを抉られてグレゴールは苦笑する。教育方針でなく彼女らが突っ走っただけなのだが、保護者としての責任があることは否めない。
「お宅の二人の実戦経験を積むお役には立てたでしょう」
「損害の方が大きかった気もするがね」
 言われて見回せば、ちらほらと怪我をしている魔法使いたちの姿がある。だが水使いが火傷なぞさせるわけもないから、恐らく一番大きな被害をもたらしたのは、彼女ではなく彼らだったのだろうが。
「退けたのは前回と同じ二人で?」
「前回の二人を含めた四人だ。まぁ、前回と同じ二人がどうやら指揮を取ったようだがね」
 そう言って彼が示した先には、何が楽しいのか笑い転げている青年二人の姿があった。
 数年前に経験した初めての実践で現実を叩きつけられたであろう二人。そんな彼らは、どこまでも明るかった。
「そちらの水使い程ではないが、あれらもよく無茶をする。どうにもならないやんちゃ坊主だよ。まぁ、礼を言うなら彼らに言ってくれ。前回の子のことを気に病み、一人は魔物化しかけ、それでも尚今回の子の魔物化を解こうとし、実際に解いてしまったんだ。
 無茶で無謀でも、実行力と実力において彼らの右に出る者はいないだろう」
「過大評価ではなく?」
「そちらの水使いを過小評価するのか。そちらの街にはどれだけ精鋭が揃っているんだね」
 アロイスは大げさに頭を抱えみせる。グレゴールが弁解する間もなく、別の魔導士に呼ばれた彼は「失礼」と一言言い残して立ち去った。
 その場に残されたグレゴールは、眠るように目を閉じている少女を見遣る。
 リーゼロッテ・シェルマン。
 カミと言葉を交わしていた、水使いの少女。
 止めるまでもなくエルナの後を追い――追わなくていい所まで追いかけてしまった彼女。
 恐らく森に行った彼女には、エルナを奪った自然に対する敵意があったのだ。そしてそれをカミは見逃さなかった。
 外套についていたボタンをグレゴールは無造作に外す。
 もう彼女には必要ない。それを、もっと必要としている者に与えた所で、彼女たちは怒らないであろう。まして彼は、彼女をヒトに戻してくれた恩人でもあるのだから。
「そこの君。君が、ユリアーン?」



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