君が好き
ちりんちりんと澄んだ音を響かせたドアベルに、エルヴィンはどきりとしつつも「いらっしゃい」と声をかけた。白いアイシングをケーキに塗っていた手を止めて店の入り口に目を向ければ、そこには馴染んだ顔がいる。
帽子を脱ぎながら、彼はにこりと笑った。
「やぁ、エルヴィン君。久しぶりだね。元気にしてたかい?」
「半分くらいな。あんたの方はどうだ、相変わらずか」
「……半分? そうだね、僕の方は相も変わらずふらふらしているよ」
カウンター越しに握手をしながら交わす言葉も、最早いつも通りだ。半分の下りだけの除いて。
エルヴィンは菓子屋だ。クッキーやケーキなどを焼いては、自分の店で売っている。
クラウスと出会ったのは、何年前になるのか。あの頃は菓子に綺麗な焼き色をつける為、窯の温度を一定に保つのに多大な労力と時間を割いていた。それをクラウスに依頼し、動力を魔法紋章に変えたことで手間が減り、より多くの菓子を焼き上げることができるようになったのだ。
かかる費用を考えて二の足を踏んでいたが、一思いに決断して良かったと思う。
「それで、窯の調子はどうだい?」
「いいよ、最高だ」
手を洗い、クラウスを厨房に招き入れると、部屋の隅には大きな窯が、クラウスの紋章に彩られ、淡い光を放っている。
「しかし良いタイミングだな。夕方からはまた焼き始める予定だったんだ。だから今見てもらえると助かる」
「そうするよ。使い勝手はどうだい? なにか変えたい部分とかがあるのならば、それもやっていくよ」
鞄を下し、窯に描かれた紋章を見ながらクラウスが問う。
「いや、今のままで問題ない。すまんな、毎度毎度来させて」
「ニューインはどんな道順にも大体組み込めるから、こっちも助かっているよ。ざっと見た感じ、紋章の修復も必要なさそうだね。じゃあ、魔力だけ継ぎ足して行くよ」
「あぁ、頼む」
エルヴィンは一般人で、この窯いがいは魔法と無縁の世界に住んでいる。だから魔法紋章の修復どころか魔力の継ぎ足しですら、クラウス以外の誰に頼んでいいのか分からない。
その点、旅の紋章師に毎日使う物を依頼するのは非常に不安でもあった。だが今の所不備はないし、こうしてクラウスが定期的に訪れてくれているから不安も少ない。万が一紋章が機能しなくなった時に備えて昔ながらの動力源にも戻せるようになっているのもクラウスの提案で、彼には頭が上がらない。
じんわりと魔力を注入されている紋章は、心なし輝きが増しているようにも見える。紋章から手を離したクラウスは、一つ頷いた。
「またこれで五年くらいは毎日使っても保つ筈だよ。その前にはまた、寄らせてもらうけれどね」
「俺はその言葉を信じてるからな。お前が来なくなったら終わりなんだからな……!」
「あはは、大げさだなぁ……」
と言う割に口元が引きつっているのは、それがエルヴィンの本心だとクラウスも分かっているからだろう。
それじゃあ、と床に置かれた鞄を手にしようとするクラウスを遮り、エルヴィンは詰め寄った。
「ついでにあんたに相談したいことがある」
「僕に?」
「ちょっと来い。さっき言った、半分についてだ」
作ってくれる、との確約まではしてもらえなかったが、少なくとも検討するとは言ってもらえた。あのクラウスなのだから、多少の無茶は聞いてくれるだろうと、つい期待してしまう。
そんなクラウスに新たな依頼をしてから数日。そろそろ彼もこの街を発つ頃であろう——ならば今日明日中に顔を見せに来てもおかしくはない。ということは依頼の品を完成させて持ってきてもらえてもおかしくはない。そう思うと、そわそわしてしまって落ち着かない。
この様子では繊細な飾りは無理であろうと、今は無難にフルーツタルトを作っている所だ。並べられたフルーツの上にゼリーを塗って固めれば、出来上がったそれは美味しそうな、艶やかな輝きを放っている。
良い出来映えだと自画自賛していれば、それを美味しそうに頬張る彼女の幻覚までもが見えそうだ。
彼女が来ないだろうか。そうエルヴィンが思ったその瞬間、ちりんちりんとドアベルが鳴った。飛び上がって振り向けば、戸を潜って現れたのは長身の陰だった。
「いらっしゃい」
彼が訪れたということは、依頼していた道具が出来上がったということか。それともそもそもの依頼を断りに来たのか。考えただけで、エルヴィンの心臓がまた一段と跳ねる。
クラウスはそのまま背後で戸を閉めるのかと思いきや、開けた状態で背後の誰かに道を譲った。クラウスに続いて店内に入ってきたのは一人の女性で、エルヴィンは顔を輝かせた。
「マリーちゃん、僕の愛しのマリーちゃん……っ!」
エルヴィンが駆け寄ったのは女性、ではなく、女性の更に後ろからひょこりと顔を出した五歳くらいの女の子の方だった。躊躇いもせずに彼は女の子を抱き上げる。
「元気にしてたかい、僕のスウィートハート」
「うん! エルヴィンさんもおげんきそうね」
「今、フルーツタルトが丁度出来上がったところなんだよ。今日も一杯食べて行っておくれ」
「ほんとう!? エルヴィンさんだぁいすき」
「もう、エルヴィンってば。初めての姪っ子で可愛いのは分かるけれど、うちの子をそんなに甘やかさないでくれる? マリーが虫歯になっちゃう」
そういう女性、エルヴィンの姉でありマリーの母である彼女は呆れ顔だ。
マリーと戯れていたエルヴィンだったが、店に来たまままだ一言も発していないクラウスの存在をはたと思い出し、顔を向けた。エルヴィンの視線を受け、微笑んでいたクラウスは静かに口を開く。
「たまたまそこで会ったんだよ。君の大好きな彼女さんが、その小さなレディだっていうことも、そこで聞いたんだ。——先日の依頼だけれども、今回は断らせてもらうよ。さすがに僕は君を犯罪者にしたくはない、かな」
その言葉は、エルヴィンが恐れていたそのものだ。
しかし、クラウスがそんな反応をするであろうことが分かっていたからこそ、あえて年齢も関係性も伏せたのだ。それが知られてしまった以上、致し方あるまい。
「ちょっとは期待したんだが、まぁいいさ。あんたも一緒に味見して行けよ。そのくらいの時間はあるだろ?」
「いや、今日はお土産にホールを一つ貰って行こうかな」
「ん? あんた、丸ごと一人で食う気か?」
にこりと笑ったクラウスに、エルヴィンは目を瞬かせた。
「連れがいるんだよ、今は。だから彼らに、ね」
「あんたに連れねぇ。時代は変わるもんだ」
マリーを一度下ろし、クラウスに示されたケーキを箱に詰めながらエルヴィンは返す。
「じゃあ、また来てくれよ」
「あぁ、数年内には必ず寄るよ」
クラウスを見送ると、エルヴィンは二人のレディに向き直った。
「マリーちゃんと姉さんは、何食べたい?」
<言い訳>
ぁさぎさんが書かれた「
物書きさんに30のお題:惚気」の関連作品ということで、そちらを先に読まれること推奨。
結局クラウスがどんな道具を作ったのかは謎ですが、こんなオチになりました。
ぁさぎさん、ありがとうございました!
登録者:夢裏徨
HP:月影草
Good Day Good Departure企画