空を見上げる彼の後ろ姿に、自分はそこまで好きなものが、熱中できるものがあっただろうかと、ふと、思った。



空に馳せる




 この街シュピタールであった辻斬り騒動が終結してから二日が経つ。元々三日間でしかなかった滞在の予定を引き延ばしたのは、先の騒動があったからでもあり、その一件で重傷を負ったスカイアがまだ本調子に戻っていないと判断したからでもある。
 ここから先は暫く山道を行く事になる。尾根伝いの道を行く予定であり急な坂道を歩く予定はないが、それでも次の目的地までは日数がかかるし、標高の高さ故に昼と夜の寒暖差も大きい。いくら本人が大丈夫だと言い張ったとしても無理は禁物である。
「あんたはそうやって、人の事を観察するのが趣味なのか?」
 坂の上に作られた小さな公園の柵に、眼下に街を見下ろすようにもたれかかっていた黒い長身の影が、振り返りもせずに言う。
「夜風に身体を冷やして傷の治りが遅くなったら、君はどうするつもりだい? まぁ、僕は滞在がもう数日間延びても構わないけれどね」
「俺は大丈夫だと言ったのに出発しないと決めたのはそっちだろう。確かに傷はまだ残っちゃいるが、ソフィアの治療のお陰で痛みはないし、こう言っちゃなんだが、あんたより今の俺の方が体力はあると思うぞ」
 くるりと振り返ったスカイアの真っ直ぐな空色の瞳が、彼が本気で言っているのだと痛い程に告げている。
 クラウスは前衛ではないし、冒険者でもない、ただの商人だ。だから彼の平常時の体力が、槍を扱い前線での戦闘に参加するスカイアの、全快を待つ現在の体力を、下回っていたとしても驚きはしないし、むしろそうであろうともクラウスは思う。けれど面と向かって言われては、一体何と返して良いのか分からずに苦笑するしかない。
「確かにそうだけれどね、万が一のことがあっては困るし……それに、ソフィア君に見つかったらまた小一時間床に正座してお説教だよ?」
「あぁ、そうか。じっと座っていられるかが問題だな」
 どこかとぼけた返答は、決して狙ったものではないのだろうとクラウスには分かっていた。この場にもしリューかソフィアがいたのならば、即ツッコミが入った場面であろう。
 スカイアの隣に並び、クラウスも柵にもたれかかる。眼下の街に灯されていた明かりは、一つ、また一つと消えて行く。彼らの旅の仲間たちも、今は宿屋で寝息を立てていることであろう。
「あんたは道具を作ってたんじゃなかったのか?」
「うん? あぁ、実はちょっと発動に失敗してね。気分転換も兼ねて君の様子を見にきたんだよ」
「……なぁ、あんたの魔法ってのは、発動に失敗するとどうなるんだ?」
 僅かに引きつったスカイアの表情。彼がクラウスの魔法をどう捉えているのかは知らないが、碌でもない想像をされているような気はするし、恐らくそれは正しいのだろうとも思う。
「その時々で違う、かな。大半は何も起こらないよ。今回もそのパターンだ。だけど稀に紋章が『耐えられない』ことがある。紋章が消滅するか、紋章を付加した素材が保たないか——更にレアなケースだと、暴発してしまう事もある」
 恐る恐る聞いている、といった風情のスカイアに、クラウスは一瞬最後まで話すべきかを躊躇った。しかし、この時点で話を切り上げれば更に不安を煽るだけだろう、そう思い直し、彼は言葉を続けた。
「魔法紋章の暴発によって家一軒が吹き飛んだなんて話は比較的良くある話かな。紋章の規模によっては街一つ、国一つが吹き飛ぶとも言われている。紋章を制御すべき術者が紋章に支配されたって言う話も耳にしたかなぁ。これはそういう、何かを支配するような、そんな紋章だったんだと思うんだけど。突然地形が変わった原因に紋章の暴発が絡んでいる事もあるし、生きる屍になったって言う話も……」
「分かった、分かったからそれ以上言うな」
「……まぁ、冗談だけど」
「……どこからだ。あんたの冗談は本当にしか聞こえないんだから、少しは自重してくれ」
 苦虫を噛んだようなスカイアの表情に、クラウスは薄く微笑む。そして、再び空を見上げた。
 一人旅を始めてから、もう何年になるだろう。その間に、夜更かしの方が得意なクラウスは、何度こうして空を見上げた事だろう。
 何故旅になんて出てしまったのかと、自問自答した事もあった。夜の冷え込みに、珍しく昼間の太陽を欲した事もあった。それら一つ一つの記憶がクラウスの意志とは関係なく思い起こされ、そして何かに気付いたようにはたと止まるのだ。「自分がいるこの場所は、どこだろうか」という、記憶の混乱にも似た疑問を残して。
「あんたは」
 そんな呼びかけと共にぐいと肩を引かれ、クラウスはスカイアに向き合う形となった。
「あんたは、あまり空を見ていたらいけない」
「え?」
 意図も意味も分からず、クラウスは聞き返す。
「いや、俺にも良く分からんが、そんな気がした」
「直感? うーん、ユーヒ君のならば無条件で信じるんだけど、君の直感は当たるのかい?」
「ユーヒのに比べたら全然だな」
 クラウスのおどけた口調にも真面目に返し、スカイアは続けた。
「なんとなくだ。なんとなくだが、あんたが消えてしまうような気がした。もっとも——」
 そこで一度言葉を区切ったスカイアに、クラウスは小首を傾げる。
「——それは、俺が許さないがな」
 有無をも言わせないスカイアの瞳が放つ強い光に、クラウスはただ目を細めた。
「それは、頼もしいね」







<言い訳>

 私、個人的なイメージなのですが、クラウスは不安定な所があると思うんですよ。普段は見せないでしょうし、リュー君を筆頭とした他のメンバーにも見せないと思いますが、スカイアアニキと二人きりだとちょっと緩むんじゃなかろうかと思います。で、アニキは多分、それを敏感に感じとるんじゃなかろうかと…。
 あ、クラウスは紋章学に没頭している・熱中しているという意識はないと思います。呼吸と一緒で、やらないだなんて想定もしていないレベルかと。

 スカイアアニキお借りしました、ありがとうございます!
 何か問題がありましたら、ご連絡ください。



登録者:夢裏徨
HP:月影草
Good Day Good Departure企画