信頼の基準



「ってな話を昨晩リューとしたんだが、それ言ったらあんたこそ、一人旅してた期間は長かったんじゃないのか?」
「……うん?」
 先日立ち寄ったアジュールで独自の進化を遂げた魔法紋章に触発されすぎた——アジュールを後にして大分日数が経つが、未だ冷めることのない紋章制作熱に、今宵も夜の作業に没頭していたところだった。寝転がって星を眺めていたスカイアが、クラウスに声をかけたのは。
 それが自分に対するものだと認識するのに数秒をかけ、クラウスはまず顔を上げる。そして質問の内容を理解するのに更に数秒を要し、リューと合流する前の話など彼にしただろうかと、そんなことを真っ先に考える。
 クラウスの鈍い反応を気にした様子もなく、スカイアは続けた。
「俺はあんたたちといれば楽しそうだと思った、だからついてきた。だが、あんたは何でだ? 俺みたいな興味本位じゃないだろう?」
 星を見上げていた筈の空色の瞳が射抜いてくるのを受け止めもせず、クラウスは手元の紙束に視線を落とした。そして先程までスカイアが見上げていた夜空を見上げる。リオ・ドルミールでの一件を思い返しながら。
「うーん、僕も流れで合流しただけで、特にちゃんとした理由はないかなぁ」
「じゃあ、何でそれまでは一人だったんだ?」
 逆にそれまで仲間を作らなかった理由を訊いてきたスカイアに、クラウスは少し苦笑する。
 リューと出会うまで一人旅をかたくなに続けてきたのにも、特に理由という理由はない。だからこそラルフに提案された流れでリューと組もうと思えたのだ。
 しかし、強いて述べるのならば怖かったのだろうと思う。仲間に裏切られることも、仲間を危険に晒すことも。そして自分が、自身の魔法紋章が、誰かの生活の基盤になってしまうことも。だから特定の誰かと親しくなることを避け、商売上だけの付き合いをしてきたのだ。
「そうだね、あえて理由を述べるのなら、リュー君なら大丈夫だって思ったから、かな」
「リューなら大丈夫?」
 そう復唱して、スカイアは上半身を起こした。同じ目線となった蒼い瞳には、純粋な疑問の色が浮かんでいる。
「アジュールは紋章学が発達していたようだから、君も知っているんじゃないかな、魔法紋章の威力を。その気になれば国一つ陥落させるなんて、魔法紋章を使えば他愛もないんだ。だから権力争いには巻き込まれやすいし、紋章の力を悪用しようとする輩も多い。残念なことだけれどね」
 クラウスが肩をすくめれば、なる程とスカイアが頷いた。
「でもリュー君ならば大丈夫だろうと思ったんだ。直感、かな。ユーヒ君程当たりはしないけれど、それでも、リュー君ならば紋章を悪用しようだなんて考えはしないだろうし、たとえ僕がなんらかの権力争いに巻き込まれるようなことがあったとしても、彼ならば困らないだろうってそう思えたから、今一緒にいるんだ」
 黙ってしまったスカイアに視線を向ければ、彼は難しい顔をして何か考えているようだった。言うだけ言って手持ち無沙汰になってしまったクラウスは、自分の魔力で煌めく紙を見る。
 多くの人が希望の色と言うそれ。それが時に絶望の色になることを、クラウスは知っている。
「あぁ確かに、リューにあんたの紋章を渡しても悪いようにはしないだろうな」
 ようやく再び口を開いたスカイアは同意するが、難し気な表情は依然としてそのままだ。
「だが、権力争いの方は分からん。あんたがもし、リューなら何が何でも逃げ延びるだろうっていう話をしてるんなら、それはないぜ」
「ないだろうね」
 スカイアの言葉に、クラウスは迷わず同意する。
 リューは口調や態度こそ淡々としているが、周囲の人間を、まして一度仲間となった人を簡単に裏切り、みすみす見殺しにするような性格でないことはクラウスも良く知っている。
「ごめん、僕の言い回しも悪かったね。僕が言いたかったのはそういう意味じゃなくて……いや、確かに彼の実力からして、彼ならば争いに巻き込まれても逃げ延びられるだろうと思うのは本音なんだけれども、そうじゃなくて……リュー君は紋章を便利に使いこなすだろうけれど、リュー君ならばその便利さに慣れきってしまうことはないだろうって、紋章のある生活が当たり前になることはないだろうって、そういう——」
 そこから続ける言葉を探すうちに、ふとクラウスの脳裏にリオ・ドルミールにいる少年の顔が浮かんだ。
 彼は危ない。ローゼンクランツの商売網を使えばローゼンハイムの紋章術の存在が各地に一気に広まってしまうのが一点。そして彼自身がローゼンハイムの紋章術に傾倒しすぎているのがもう一点。自分の身の安全と彼の将来を考えるに、どんなに粘られても彼の誘いは受けられない。
「そういうことなら確かにリューは安心だな。あいつは道具を使う側の人間だ。使われる側じゃない」
 スカイアに言わせれば、ラルフは使われる側か。あまりにざっくりとした表現に、クラウスは苦笑せざるを得ない。
「にしてもあんた、苦労してきてんだな。だがまぁ、あんたを囲いたくなる気持ちは分かる」
「え?」
 なんだかすごいことを言われた気がする。真意を訊くべきがどうかクラウスは迷い、困惑した笑みだけを彼に返した。そんなクラウスを気にした様子もなく、スカイアは続ける。
「紋章が便利とか軍事兵器になるとかってそんな話じゃなくってさ。あんたの描く紋章ってどれもきれいなんだよ。どれも『優しい』から、いつまでも見てたくなる。星空に似てるよな、紋章って。色んなのが組合わさってるんだろう? いくつもの違う煌めきがそこに同時に存在して、太陽みたいに一つが主張して他をかき消すんじゃなくて、互いに互いを尊重し合いながら全体として一つの輝きになってるって言えば良いのか。とにかくさ、いつまで見てても飽きないんだ」
 素直に思いを告げただけ、という淡々としたスカイアの口調と彼の発言内容に、クラウスは絶句する。良く言われる希望の光とは、紋章の効果を考慮した上での賞賛だ。こうして見た目だけで率直な感想を述べてくる人は珍しい。
「……ありがとう、でいいのかな?」
「いや、俺は思ったままを言っただけだし。むしろあんたの紋章が見れることに俺が感謝してるくらいだ」
 夜で外していたから、スカイアが向けてくる真っ直ぐな視線からサングラスに隠れて逃げることも出来ない。仕方なくクラウスは手元の紋章を見、そのまま星空を見上げた。
 会話が途切れると満足したのか、スカイアは寝転がる。
「悪かったな、邪魔して。あんたはまだ起きてるんだろう? なら、暫く火の番は任せていいか?」
「構わないよ。時間になったら起こすから、先にお休み」
「あぁ、よろしく頼む」
 さほど間を置かずに寝息を立て始めたスカイアを見遣ると手元の紋章に視線を戻し、クラウスは再び紙面に指を走らせた。







<言い訳>

 透峰零さんの「商人見習いと元運び屋の序奏」を読み返し、ふと書きたくなったので結局そのままになっていた「クラウスがリュー君に同行した理由」をこんな形でお披露目です(待) Departureを書いておきながら何をやっているのだか。お陰さまで、クラウスがラルフに良い返事をしない理由も出せたので良かったですが(笑)

 スカイア兄さんと、名前だけリュー君をお借りしました、ありがとうございました。

 何か問題がありましたら、ご連絡ください。



登録者:夢裏徨
HP:月影草
Good Day Good Departure企画