甘い香りに想いを代えて



 冷たい風の中にも日差しの暖かさを感じるようになった日の午後、商品の受け渡しを終えたクラウスはふらりと一人、街中を歩いていた。建物の壁や道路に使われている白い石は、長く、高くなってきた日の光を反射して眩しい。
 内陸のオアシスとも呼ばれるラフロール。近くには川も湖も海もないが地下水脈があり、街中には噴水や人工池が多数ある。比較的温暖な気候も手伝って、夏はもちろんのことながら冬の間も暖を求めてちょっとしたバカンスにと訪れる人が多い。実際今日などは風も穏やかで、春になったのだと勘違いしそうになる。
 そんな彼の目にふと止まったのは、店先に並べられた色とりどりの花々だった。定番のチューリップやバラ、ユリなどから、クラウスには名前も分からないような花までが所狭しと花瓶に生けられている。この地域で咲くのにはまだ早いものばかりだから、恐らくは南の方から運んできているのだろう。
「お客さん、いかがですか?」
「え?」
「ほら、えっと……その、恋人の方とか」
 声をかけてきた店番の少女は、まだ十代半ばだろうか、自分で言っていて恥ずかしくなったのか、彼女はぽっと頬を赤く染めて俯いた。
「あぁ……」
「ほら、バレンタインですよ!」
 やんわりと断ろうとしたクラウスを遮り、少女は顔を赤くしたまま、けれど勢い良くそんなことを言う。
 バレンタイン。
 今まで興味も関係もなかったイベントの名前に彼は目を瞬かせるも、即座に二人の少女たちの顔が頭に浮かんだ。
「申し訳ないけれど僕は旅をしていてね、明日には発つことになっているんだ。だから生け花は……あぁ、でも」
 残念そうな表情をした彼女だったが、クラウスが続けた言葉に目を丸くすると、「あぁ、はい!」と飛び上がるように店の奥へと駆けて行く。


「で?」
 患者の診察を終えたソフィアと合流して大通りに面したオープンカフェに腰を落ち着ければ、同時にソフィアが短く切り出した。
「で、っていうのは?」
「何かありやがるんでしょう、さっさと話せってぇことです」
 鋭いなぁ、とクラウスは苦笑する。
 ソフィアと二人、こうしてカフェてくつろぐことは良くあることだ。今更驚くようなことでもない。
「さっきね、お店で言われたんだ。バレンタインだってね」
 言いながら、今しがた店先で受け取ったばかりの箱を出す。ピンク色のリボンがかけられたそれを、ソフィアに差し出した。彼女は一瞬目を丸くすると、ふいと横を向く。
「馬鹿にするんじゃねぇってえんです。バレンタインってぇのは恋人同士贈り物のやりとりをするってぇことくらい、あたしだって知ってるんです」
「主にね」
 微笑むクラウスに、ソフィアはぱちりと目を瞬かせたのだった。


 憧れのヒーローになる為に、今日も今日とて街中を走り回っていたユーヒは、見慣れた人影に足を止めた。
 子供たちが転がり回る昼の公園の片隅、木陰に佇み良い雰囲気で語り合っているのは、ユーヒも良く知るクロバとクラウスではなかろうか。そしてクラウスがクロバに差し出した何かには綺麗にラッピングが施され、リボンまでかかってやいないだろうか。
 あんぐりと口を開けたまま凍り付くこと約数秒、笑顔でクロバが包みを受け取った辺りで復活したユーヒは、一目散に走り出した。
 これは報告しなければ!

 宿の部屋ではいつものごとくリューが算盤をはじき、それをチャーリーとヒースが左右から眺めていた。
 そんないつもの光景に飛び込んだユーヒは、机の上のチャーリーをむんずと掴み、慌てるヒースを横目に叫んだのだった。
「クラウスさんとクロバさんが、いつの間にか恋仲にーっ!!」
「え? え?」
 ユーヒによってぶんぶんと振り回されるチャーリーを救出することも忘れ、ヒースはうろたえる。きっちりと算盤を弾き終え、計算結果を書き留めたリューは、ようやく顔を上げた。
「そっか、クラウスにもようやく春が来たんだね。実際そろそろ春になるし」
「そうっす、あのクラウスさんにもようやく春が……って、リューさん違うっす!」
「あれ、違うの?」
「違うっす! だって、クラウスさんとクロバさんっすよ!?」
「えっと、えっと、おめでとう、でいいのかな?」
 ようやくそれだけ発言できたヒースに、そんな回答を求めていたのではないと言わんばかりにユーヒが驚きの表情を見せた。
「その習慣ならば、私も以前本で読んだことがあります!」
 硬直状態に陥っていた三人を尻目に、開いた扉からはそんなクロバののんびりとした声が入ってくる。
「こちらの地方の習慣だったんですね」
「そうらしいね。僕も店で声をかけられて初めて知ったんだ」
 抱えていた数冊の本をテーブルに置きながら穏やかに返すクラウスが何かに気がついたのか、じっと彼を見つめる三人に困ったような笑みを見せた。
「どうしたんだい、三人とも」
「べべべ別になんでもないっす!」
「そうそう、ただクロバとクラウスが親密な仲になったらしいだなんて噂をちょっと小耳に挟んだだけで」
「ちょ、リューさん!」
 抗議の声を上げるユーヒの横で、クロバとクラウスの二人は顔を見合わせた。
「あぁ、もしかしてこれのことでしょうか?」
 言って彼女は手に握っていたものを見せた。それは手のひらサイズの白い箱で、三人の視線に晒される中、クロバが箱を開けばふわりと何かが香る。箱から出てきたのは、淡い水色のレースでできた巾着袋だった。
「香りが爽やかなのに甘くって! これは何の香りでしょうか?」
「甘いのは多分バラだろうね。他にも何かを混ぜてあるんだろうけれど、僕にはちょっと。ソフィア君にも同じものを渡したんだけれど、彼女になら分かるかな?」
 クラウスが出したソフィアの名前に、ユーヒはがーんと音を立てて凍り付く。ぼとりと落とされたチャーリーが、よたよたとヒースの足にしがみついた。
「ユーヒの反応が面白いからそのままにしておいても構わないんだけど、おれが気になってるからおれの好奇心を満足させるつもりで種明かししてみない?」
「はい、バレンタインと言って、男性から恋人の女性に花を贈るのが一般的な習慣だと聞いています」
「生け花はこの先邪魔になるからと思ってね、ポプリにしたんだ。香りの好みが分からなかったんだけれど、気に入ってもらえたようで良かったよ」
「恋人……?」
 戸惑ったように呟くヒースに、クロバとクラウスの二人は顔を見合わせた。そしてあぁ、とクロバが微笑む。
「こちらの風習がどうかまでは知りませんが、お世話になったと思う女性に男性から贈り物をすることもあるんですよ」


 お茶請けを食べ終わり、お茶も飲み干した頃だっただろうか、本を何冊も脇に抱えたクロバが通りかかったのは。
「あぁ、同じ物をクロバ君にも渡すつもりなんだ。だから僕は彼女に話しに行くけれど、君も来るかい?」
「あたしはもう一杯飲んでくんで、さっさと行きやがりませ」
「そう。じゃあまた後で」
 立ち上がりながらクラウスはソフィアに、紙幣を数枚握らせた。ソフィアが今から紅茶をもう一杯、ついでにケーキをもう一皿頼んでも十分なお釣りが来る金額だ。
 クロバを追いかけて行ってしまったクラウスの後ろ姿を見送り、テーブルの上に残された白い箱をようやく手に取る。ピンク色のリボンをそっと外し、ふたを開けてみれば出てきたのはリボンと同じ色の巾着袋。ふわりと、控えめな甘い香りが漂った。
 ただ甘いだけじゃない、深みのある香り。何だろうと首を傾げていれば、ふと黒い陰が落ちる。
「お、ソフィア。一人なのか?」
 上から降ってきた声にびくりとしたソフィアは、隠す必要もないというのに慌てて箱のふたを閉じた。しかしそれが誰かからの贈り物であることは隠しきれない。
「誕生日か?」
「なんでそうなりやがりますか。この時期ならバレンタインに決まってるっつーんです」
「ん? でもそれは明日だろう?」
 至極真面目に告げられたスカイアの言葉に、ソフィアはテーブルの上に立てられたメニューにちらりと目を走らせた。
 何でも頼んでいいとクラウスは言ってくれていたというのに気恥ずかしくて頼めなかった、バレンタイン限定のイチゴがたっぷり乗っかったハート形のタルト。確かにそれは、明日までやっているようだった。
「あんなんでも、たまには気が急くことがあるんでしょ」
「あぁ、そうかもな」
 あえて誰とは言わなかったというのに、スカイアにはそれがクラウスのことだと分かっているような、そんな気がした。







<言い訳>

 欧米のバレンタインでは、男性から女性に花を贈るのが一般的、というのが今回の元ネタ。
 ソフィアちゃんは、クラウスからのプレゼントなんて喜んでくれるのだろうかと今更ながら不安になりつつ…ソフィアちゃんはカフェとか雑貨屋とかのバレンタイン商戦でも見ていたから知っていたんじゃないだろうかと思います!(無理矢理)

 出番にばらつきはありますが、今回は全員お借りました、ありがとうございました!

*街の名前:ラフロール(la flor)
 今回はスペイン語で「花」の意味。

 何か問題がありましたら、ご連絡ください。



登録者:夢裏徨
HP:月影草
Good Day Good Departure企画