あっと思った時には遅かった。
 飛びかかってきたメイサイジャッカルの牙を右腕で受け止めたスカイアは、その判断が間違いであったことに遅まきながら気付く。
 腕に深々と突き刺さった牙。
 ぱぁぁんという、何かが炸裂する音。
 眩い程の光。
 痛みなど感知しない筈の義手が訴えてくる脳を灼きつけるような痛みに、スカイアの気は遠くなる。
 彼が最後に目にした物は、光と音に驚いて逃げて行く魔物と、何が起こったのかと呆気に取られている仲間たち、それに、元から白い顔を更に蒼白にして駆け寄って来るクラウスの姿だった。



責は誰に



 きらきらと色を変えながら煌めいている線がクラウスの紡ぐ魔力だと気付くのに、僅かな時間を要した。
 一心不乱に作業を続けている彼の集中を乱すのもはばかられ、スカイアはずきずきと痛む頭を左手で押さえながら、右手でその身を起こそうとする。しかし、痺れているのか右手は動かず、スカイアの動きに気付いたらしいクラウスに、制するようにその肩を押さえられた。
「おはよう。でも、まだ動いたら駄目だよ」
 余程急ぎの重要な仕事をしているのか、作業の手を止めずに一瞬だけ向けられた視線が、小さく微笑んだ。彼は素早くさらさらと何かを描き足すとようやく作業の手を止めて、改めてスカイアと向き直る。
 右手はまだ動かない。どころか、クラウスが作業しているのは、自分の右腕ではないだろうか?
「おい、クラウス?」
「悪かったね」
 夜だからなのか、屋内だからなのか、彼の青い瞳が珍しくサングラスを通さずに見つめてくる。
「君はどこまで覚えているかい?」
「草原でメイサイジャッカルを狩ろうとしてる密猟者に出くわしたな。仲間だと思われたのかジャッカルに襲われたが、逃げてった」
「そう、彼らは逃げていった。それは?」
 理由を問われ、スカイアは緩く首を振る。
 あの爆発は、見慣れたクラウスの守護魔法ではなかった。それだけは確かだ。
「君の腕だったんだよ、あの爆発を起こしたのは」
 言ってクラウスはスカイアの動かない右腕を、寝ているスカイアにも見えるように持ち上げた。
 見える範囲にある紋章の三分の二程はクラウスの魔力によって淡い輝きを放っていたが、残りの三分の一程度は完全に消えてしまっているようだった。そしてクラウスは、その消えてしまった部分の修復をしているのだ。
「ほんっとすまん……っ! 折角あんたが俺でも動かせるようにしてくれた腕だ、大事に使おうとは思ってるんだが、どうにも戦闘とかになると、その、つい……」
 先程と同じように自分の目の前にスカイアの義手を戻しながら、クラウスは首を横に振る。
「それは君が気に病むことじゃない。いいかい、義手は道具だし、僕の紋章に至っては消耗品に過ぎない。だから今後、動きが少しでも悪くなるようであればその都度調整させて欲しい——だから問題は、そこじゃないんだ」
 クラウスはそこで一呼吸置いた。そして、どこか困ったように続ける。
「君の、一人で突っ走ってしまうその性格は、僕も重々承知しているよ。だからその分耐久度は高くしておいたつもりだったんだけど……アジュールの空中遺跡でした話を覚えているかい?」
 突然の話題にスカイアは、ん? と頭を巡らした。
「あいつらが星屑百合(スターダスト・リリィ)を探しに行って……あぁ、あんたとはこの義手の話をしたな」
「そう。君の義手は君の神経に直接繋がれているから反応速度が速い反面、万が一紋章が欠損した場合の、君の身体にかかる負担はどうしても大きくなってしまう。こんな言い方したくはないんだけれど、技術上仕方のないことでもあるんだ」
「それはあんたのせいじゃないし、そのリスクを知った上で俺はこの義手を使ってるんだ。万が一のことがあったとしても、あんたを憎んだり恨んだりなんてしないさ。動かせるようにしてもらっただけでありがたいんだ」
 スカイアの裏のない言葉に、クラウスはふっと笑みを浮かべた。
「そう言ってもらえるとありがたいね。だけどね、技術者として言わせてもらうのならば、そんな覚悟が必要な物を日常遣いさせられないんだ。それはたとえ君が納得していたとしても、だ。
 君の腕を調整させてもらった時に、一つ付け加えさせてもらった紋章があるって言ったのを覚えているかい?」
 スカイアがどうしても身を起こしたがっているのを見て取ったのか、今度は制することなく背を支えてくれた。同じ目線となったクラウスの表情に苦い色を見つつ、スカイアは言う。
「あぁ、聞いた。万が一の場合に備えて足してくれたんだよな。確か、内部の紋章にまで影響が及びそうになった場合に発動して、全ての機能を一時停止させるんだったか?」
「そう、その紋章だ。一時的に腕は動かなくなってしまうけれど、少なくとも君の身体にかかる負担は減らせる。理論上は、ね」
 クラウスの表情が、更に苦くなった。どうやら、その紋章に不備があったらしい。
 もしクラウスの言う紋章が発動していたとしたら、義手の紋章を再び起動させなければならない。発動した紋章が一度で消えてしまうような仕様になっていたとしたのなら、クラウスが今作業しているのには説明がつく。
 しかし、その紋章はスカイアが痛みを感じる前に発動すべきなのだ。スカイアの神経を痛めつけた後に発動しても意味がない。
 ならばそもそも発動すらしなかったのか。いや、そんなはずもないとスカイアは自身の考えを否定した。紋章は発動していた筈だ。だからこそ、あの爆発が起きた筈なのだから。
「暴発だったんだよ。失敗したんだ。
 言っただろう? あれは義手全体の機能を停止させる紋章だって。爆発を起こすような仕組みにはなっていないんだよ」
「ぼ……」
 クラウスの言葉に、さっと血の気が引いたのが分かった。
 いつだったか彼と魔法紋章の話をしていた時に、街どころか国が吹っ飛ぶとか、生ける屍になるだとか、そんな話をしていなかっただろうか。ならば今現時点でスカイアが生きていることは、奇跡に近いことなのかもしれない。
「君の命にも関わるものだ。うっかりじゃ済まされないことは分かっているよ。だからね、これは言い訳として聞いて欲しい。申し訳ないことに、魔物に関して僕は素人で、どんな魔物の魔力干渉にも耐えられるような紋章を組むことは難しい。
 この間のメイサイジャッカルが牙に魔力を溜める習性があるのは知ってたけど……」
「あぁ、彼らは透明化するのでは有名だが、危機的状況に陥った時に牙に溜め込んだ魔力を一気に放出して目くらましにしようとするのはあまり知られてないな。珍しいんだ、あのジャッカルがあそこまで追いつめられるのは」
 言葉を濁し、口を閉ざしてしまったクラウスの青い瞳を見つめ、諭すように告げる。気にするな、という想いを込めて。
「だから、あんたが知らなくても無理はない」
 参ったな、とでも言うように、クラウスは困ったような笑みを浮かべた。
 すっと視線を逸らし息を吐くと、何を思ったのか彼は立ち上がる。手に取ったのは、窓脇のテーブル上に置いてある水筒とマグカップだった。カップに水筒の中身を注ぐと、水筒はテーブルに戻し、カップだけをスカイアに差し出してくる。
「薬湯だよ。まだ作業は続くし、また君の神経とこの義手を繋がないといけないからね。これは一応、ソフィア君に用意しておいてもらったんだ」
「そういや前回調整してもらった時も飲んだな」
「あれと似たようなものだよ。次に君が目覚める時までにはきちんと終わらせておくから。魔力干渉を防ぐところまで、ね」
「あぁ、任せた」
 暗くて中身の色までは見えないが、口元に近づけたカップからは、いつかと同じ草の匂いがする。彼らと出会った天空の都が、彼らとの旅の始まりの地が、ふと思い出された。



 規則正しい穏やかな寝息を立て始めたスカイアを前に、クラウスは苦笑する。
「どっちが助けられているんだか、本当に分からないね、これは」
 気を取り直して彼の義手に向き直ると、魔力の糸を再び紡ぎ始めた。







<言い訳>

 透峰零さん宅「白虹太陰」の五周年と、拙宅九周年を記念して行われた合同記念企画 人気投票の結果、レイさん宅はスカイア兄さんが、拙宅はクラウスが一位となりましたので、この二人でコラボさせて頂けることになりました。
 レイさん、ありがとうございます!
 ということでスカイア兄さんとクラウスの話、レイさんにリクエストを伺った所「クラウスがスカイア兄さんの義手を調整する話」とのことでしたので、なんのひねりもなくスカイア兄さんの義手を調整させて頂きました。
 他のメンバーは別室待機とご理解ください(真顔)

 スカイア兄さんお借りしました、ありがとうございます。
 何か問題がありましたら、ご連絡ください。



登録者:夢裏徨
HP:月影草
Good Day Good Departure企画