青色に望む



 イスラスール。その名も《青い島》と名付けられたその小さな島は、夕凪の港町・ルーピアから船でおよそ半日の場所に浮かんでいる。一日一便、ルーピアから船が出ているくらいで、他に交通手段と言えばギルドのビーストテイマーに頼むなり、漁船に乗せてもらうなりするしかない。
 そんな島に寄りたいなどと言い出したのは、当然のごとくクラウスだ。そして彼らは今、ルーピアからの定期便の甲板で海風を楽しんでいる。甲板には日陰がない為に、クラウスがフル装備を外せないこと以外は。
「その島になにかあるの?」
「ちょっと、顧客がね」
「ふぅん」
 少し跳ねた緑色の髪を風に揺らしながら、彼、リュー=ウィングフィールドは気のない返事をした。動くことのない表情からでは、彼に興味があるのかないのか、クラウスにはさっぱり判断がつかない。
 もしかすると彼は、こんな島の特産やら物流まで把握しきっていて、本当に興味がないのかもしれないとクラウスは思う。
「こんな所にまで顧客がいるんだ。ネットワーク広いね」
「まぁね。年の功かな」
 またもリューは気のない返事をし、遥か彼方に見える水平線を見やる。
 この辺りの海に浮かぶ島は、イスラスールただ一つ。海流の流れが速いんだったか、海が深いからだったか、とにかく、近くには他に島がない。遠くには対岸が薄らと見えるものの、やはり水平線が綺麗に見えるのがここ近辺の特徴とも言える。
 リューの生まれ故郷であるウィンドベルの近くには海がない。だから、もしかすると海を見るのも、船に乗るのも、初めてなのかも知れないと、クラウスは思う。だが、彼がそんな「子供」ではないことを、ここ数日行動を共にしてみてクラウスも理解しつつあった。
 知れば知る程不思議な子だと、思った。
 家を飛び出してきたと言う割に行きたい場所は特にないらしく、クラウスがここあそこと言うのに黙って着いてきている、年下の少年。彼の生家であるウィングフィールドと言えば、交易の街・ウィンドベルが抱える大商家である。その地位は現当主が一代にして築き上げたもの。今は跡取りの二人も加え、勢いは衰えることを知らない。
 リューに出会う前から、ウィングフィールドの名前はクラウスの耳にも良く入ってきていた。まぁ、扱う品も顧客層も全く違う為に、彼がウィングフィールド家自体を気にしたことは余りないが。
 ともあれ、リューの全くと言っていい程変わらない表情は感情を読ませない。淡々と全てをこなして行くその性格は、一体どのようにして形成されたというのか。感情の欠落は虐待やトラウマなどが原因だという話もあったような気がするけれど、彼にそれは当てはまらないような気がする。少なくとも荒んだ様子は見られないし、ウィングフィールド家がそんな荒れた家庭環境だとも聞かない。
 噂に上らないだけという可能性もあるが、と考えてクラウスは止めた。詮索する必要はどこにもないし、こちらが知る必要があると思えば、リューも話すだろう。第一クラウスが唯一得意なのは魔法紋章学だけであり、リューの生い立ちをあれこれ詮索できるだけの知識もない。
「イスラスールって、青い島って言ってたよね。空の青? それとも海の?」
「どっちも外れ」
「じゃあ、何?」
「うん、多分分かるんじゃないかな」
「何それ」
 リューを見やればなんとなく批難気な視線を向けられ、逃げるようにクラウスはサングラスを直した。
 今日は、日差しが強い。


 昼頃、二人が島に降り立てば、港は水揚げされたばかりらしい魚介類の箱で埋め尽くされていた。
 活気の溢れた市場では、商人たちによって箱ごと次々と競り落とされて行く横で、既に焼かれたり揚げられたりした魚介の香ばしい香りが漂っている。
「何か、気になる物でもあるかい?」
「ん」
 表情は変わらずとも、じっと何かを見つめているのは興味のある証拠だと、思う。ただし確信はないし、何に興味があるのかも分からない。
 クラウスがリューの反応を待っていれば、彼は徐に口を開く。その時。
「クラウス!」
 聞き覚えのある、女性の声がした。
 振り返ればそこにいたのは思った通りの人物で、クラウスは片手を挙げて挨拶をする。彼女との付き合いも長いもので、多少は落ち着いたかと思いきや、やはり彼女は大人しやかにはなれないようで、膝より長めのスカートの裾を邪魔そうにたくし上げては、市場の地面に所狭しと並べられた箱の合間を器用にすり抜けながら走ってくる。
「いつ来たの? 連絡してくれれば良かったのに! 宿はもう決まってるの? なんなら家に泊ってくれても構わないのよ?」
「今さっき着いたばかりなんだけど、宿はもう決まってるよ。そう、今晩にでも君の家を訪ねようと思っていたところなんだ。予定は空いているかい?」
 矢継ぎ早に繰り出される言葉を抑えるように、クラウスは口を挟んだ。
 彼女はクラウスとほぼ同い年。だというのに、彼女はいつでも若々しく、活力に満ちあふれているように見えてしまうのは、クラウスの思い込みだろうか。
「えぇ、もちろんよ! クラウスが来るのなら、他の予定なんか全部キャンセルしちゃう!」
「……それはありがたいね? じゃあ、そうだね、真夜中過ぎくらいにでも」
「いつもいつも悪いわね、そんな遅くに来させて」
「問題ないよ。どうせ僕は起きているからね。それじゃあ、また後で」
「そうね、私も店に戻らなきゃ。じゃあ、約束よ! 絶対だからね! 来なかったら……」
 性格に似合わず、彼女の言葉が途切れた。それを不思議に思うよりも、恐怖を感じる方が早い。
「来なかったら?」
「……あなたを島から出させないように、皆に協力してもらうから!」
「それは困るなぁ……」
 クラウスの困ったような笑みに満足したのか、彼女はにこりと満面の笑みを浮かべ、手を振りながら駆けて行った。
 あー、とため息に似た息を吐けば、凍り付いて傍観していたリューが「誰?」と小さく呟く。
 クラウスもすっかり忘れていた連れの存在に彼女が触れなかったのは、彼に連れがいるなど微塵にも思わなかったからだろう。
「っていうか何で夜? 約束した時刻も随分と遅いみたいだけど、もしかして、彼女の親の目を盗んで夜這いにでも行くの? 隅に置けないねクラウス」
 リューの言葉に、クラウスは思わず脱力する。あー、と再び気の抜けた声を出し、サングラスを直して、ようやく彼はリューに向き直った。
「彼女が僕の顧客だよ。昼から夜にかけては酒場で働いているからね、夜にしか家にいないんだ」
「ただの顧客にしては仲が良いみたいだけど」
「長い付き合いだから」
「それにしたって、お店も酒場でしょ? 会いに行くついでに一杯呑んで行くくらいのサービス精神見せてもいいんじゃないの。商売人なんだから」
 うぐ、とクラウスの表情が歪む。目元はサングラスで隠れていたとしても、口元のひきつった笑みまでは隠せない。リューの視線から逃げるようにそっぽを向きつつ、クラウスはしどろもどろに言い訳した。
「いや、酒場は出入り禁止でね? ともかく、僕は今晩彼女の所に行くけれど、君も着いてくるかい?」
「何やらかしちゃったのさ、クラウス。……そうだね、おれも着いて行こうかな」
 決まりだ、とクラウスは空を見上げる。一陣の海風が、吹き抜けた。


 その夜、リューとクラウスが彼女の家を訪れれば、リューの訪問を予想していなかった彼女は驚きに目を瞬かせたものの、喜んで二人を招き入れてくれた。
「これ、また直してもらえると助かるわ」
 そう言って彼女が出してきた依頼の品——小さなランプはその昔、やはりクラウスが制作した物だ。クラウスはリビングの隅にある作業台を借り、早速修復を始める。
 彼女にはいつもいつも、紋章を描いている所が見たいとねだられ、目の前で修復してみせるのが恒例となっていた。
 クラウスにしてみればいつもやっている作業で、見ていて何が面白いのかも分からない。が、そこには何か惹き付けるものがあるらしい。夜中にやっている作業をリューがこっそりと覗いているのを、クラウスは知っていた。
「クラウスのことだから何気なく来たんでしょうけど、明日あたり来るらしいわ。明日、時間があるのなら空でもずっと眺めているといいわよ」
 それは作業台で紋章を描いているクラウスにではなく、背の低いセンターテーブルについて出してもらったこの島特産のハーブティとやらを賞味しているリューに向けられた言葉。
 リューは思わずカップから口を離し、目を瞬かせた。
「来るって、何が?」
「え、聞いてないの? イスラスールが、よ」
「そのイスラスールって、何? おれ、この島の名前だとは聞いたんだけど」
 沈黙。彼らの話を聞きながら紋章を描き上げたものの、このタイミングで仕上げるのが良いのか悪いのか、クラウスは判断しかねた。
「明かり、落としてもらって良い?」
 手の平にすっぽりと収まってしまう程の大きさのランプを、クラウスはちょっと掲げてみせる。彼女はすぐに理解し、壁にかけてあったランプの明かりを消した。
 と、クラウスが手に持っていたランプが、柔らかな光を放ち始める。
「うん、大丈夫そうだね」
 彼の言葉に彼女は再び明かりを点け、そして依頼品を受け取った。
「ありがとう。これでまた暫く過ごせるわ。……あら、ここの紋章、変わってない?」
「良く分かったね。魔力の保ちが良くなるようにしておいたから……」
「それって、私に会いにきてくれないって、そういうこと!?」
 思わず絶句して言い返すことのできなかったクラウスの代わりに、リューが淡々と言葉を返す。
「大丈夫だよ、おれが無理にでも引っぱってくるから。一年に一回くらいでいい?」
「あら、そんなに連れてきてくれるの? リュー君大好き。この際だから、クラウスからリュー君に宗旨替えしちゃおうかしら」
「それはいい。ここまで来るのも手間だからね。リュー君が代わってくれるというのなら僕も喜んで……冗談だよ、それ、嫌なら元に戻そうか?」
「いいわ、このままで。ありがとう」
 冗談というのには本気に聞こえすぎるクラウスの提案を一睨みで却下すると彼女はにっこりと笑って、嬉しそうに、幸せそうに、ランプをそっとその手で包んだ。


「あのランプ、何だったの?」
 昨夜は二人して遅かった為、二人して寝過ごしてしまった。リューが起きれなかったのが意外ではあるが、それだけ遅くまで付き合わせてしまったのがクラウスには申し訳なくもある。
 芝生の整った空き地に二人して寝そべって、彼女に言われた通りに空を見上げていれば、リューが何気なく訊いてくる。
「昔、彼女は猫を飼っていたんだよ。暗闇を怖がる猫でね、でも彼女は仕事上遅くまで帰れない。一日中ランプを点けっぱなしにしていたこともあったらしい。あのランプは、辺りが暗くなると光り出すんだ。その猫の為にね」
「でも、昨日は猫なんていなかったよ」
「——もう、亡くなったらしい。だから、あれは形見だ」
「ふぅん。……あ」
「ん?」
 空を見上げるリューの視線を追って行けば、青い鳥が優雅に舞っているのが目に入った。
 空の青とも、海の青とも違う、艶やかな青。そんな青色の羽を広げ、長い尾をなびかせて空を優雅に舞う、鳥たちの姿がそこにはあった。
「あれがイスラスールだよ。先人の生まれ変わりとも言われていて、あれを見ると先祖の加護があると言われている」
「猫も生まれ変わる?」
「……さぁね。来ていたら彼女も喜ぶだろう。転生の話はともかくとして、実際、あれの群れが大きい年は豊漁になるらしいよ。……今、関係ないとか思わなかった?」
 クラウスを横目に見ていた緑色の瞳がすっと逸らされる。
「加護とかそういうの、クラウスは信じてるの?」
「加護を信じて強くなれるのなら、ありじゃないかな」
 ひらりと舞落ちてきた一枚の青い羽根。リューが手を伸ばし、ぱっと掴んだ。
 何かを考え始めるリューを見て、彼が口を開くと同時にクラウスも口を開いた。
『高く売れるかな、これ』
 見事唱和した言葉に、クラウスは笑みをこぼす。
「商売人なら、付加価値をつけるのはお手の物だろう?」
「それはクラウスが何か加工してくれるって言う話?」
 クラウスに向けられた視線には、どこか期待がこもっていて。
「……何か、良い加工方法が思いついたらね」
 青い羽根を握りしめたリューの瞳が一瞬輝いたような、そんな気が、した。







<言い訳>

 ようやく作品を書く気になったらしいですよ、この人。
 お そ い … ! orz

 ということで、リュー君をお借りしました、ありがとうございます。彼の存在感が薄くて本当にすみませんorz
 秋待さんの作品「十色に滲む」の続き…クラウス・サイドとして書かせて頂きました。ので、タイトルも意識して似たようなタイトルに。
 しかし続きなどと書くと、秋待さんのファンの方に怒られてしまいそうなので、私が勝手に秋待さんの作品を意識しただけです、と自己主張してみようと思います。

 何か問題がありましたら、ご連絡ください。



登録者:夢裏徨
HP:月影草
Good Day Good Departure企画